伝統仏教と真如苑では、因縁(宿業)の主体を「個人」と見るか「家系(血統)」と見るかという点で決定的な違いがあります。
伝統仏教における因縁(宿業) 本来の仏教が説く因縁とは、個人の善悪の行為(業)がエネルギーとして残り、自分自身の運命を決定するという「自業自得」を原則としています。自分自身が蒔いた種を自分自身で刈り取るのであり、因果の主体はあくまでも個人の「識(魂)」にあります。伝統仏教において「家系」や「先祖」は、個人の持つ宿業を発現させるための「縁(補助的原因)」に過ぎず、先祖の罪を子孫が直接引き受けるという考え方は本来ありません。
真如苑における因縁: 真如苑の因縁論は、血統そのものを因果の主体とする「血統因果論」という日本的な俗説に基づいています。ここでは、個人の過去世とは「先祖の生涯」を指し、来世とは「子孫の生涯」であると解釈されます。そのため、先祖が受けた苦しみや病気が、子孫の肉体に同じ症状(癌など)として現れるという、一種の「憑依(つきもの)論」的な捉え方をします。
主な相違点と問題点
因果の主体: 伝統仏教は「個人」の業を重視しますが、真如苑は「血脈・家系」を重視します。
不幸の解釈: 伝統仏教は「生老病死」を避けられぬ真理と説きますが、真如苑は不幸を「先祖が浮かばれていない(成仏していない)ことの訴え」と結びつけます。
組織的利用: 真如苑の因縁論は、ある先祖を浄めても「さらに前の先祖の因縁」が際限なく示される仕組みになっており、信者を無限の因縁解明と供養(献金や奉仕)に縛り付けるための装置として機能しています。
ちなみに、20代前の先祖は、二人の親の20乗、2,097,152人が関わっていることになります。
これまでの対話でも確認した通り、信者が自らの不幸や勧誘の拒絶を「信仰障害霊」や「先祖の因縁」のせいにするのは、この責任を霊的な領域へ転嫁する真如苑特有の因縁論が根底にあるためです。