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ソニエリのブログ~マインドコントロールの功罪~

真如苑の欺瞞について、経験に基づき掲載しています。

カルトとは熱狂的な宗教の集まりで、信者の思考や行動を制限したり、金銭や労働力を搾取したりすると言われます。宗教に限らず政治団体やビジネス団体にも存在するとも言われます。また、その関係は一対一からあるとも言われます。
伝統的宗教であっても信者間でのカルト性を伴う関係が発生したり、宗教に依存する親と子ども、配偶者間などにも発生することがあります。個人がどう反応するかの問題もありますが、問題が大きくなりやすいのは、より大きな組織の中で意図的にカルト性を伴う関係を発生させ、個人を操ろうとする意図がある場合だと思います。
昨今のカルト宗教による金銭被害、肉体的被害などの社会問題は意図的に組織が信者を操作しようとした結果ですが、組織の逃げ道として信者が教義を歪めて解釈したからだと弁明することもあり得ます。また、言葉を変えているだけで、金銭的には金額の大小はありますが、その手法は類似しています。
その様な組織による被害が表面化しにくい状況で悪意ある組織から自分を守るにはどうすべきでしょうか。教義は良いと思えるものでも、その集団で指導または容認されている不正な行動が明らかな場合、距離を取るのが賢明です。本人に承諾されないのに会員に登録してしまうことや、自分が信じるから、教えが最高だからと信仰の強要をしてしまうのが容認されるならば、組織の中に悪意が潜んでいます。悪質なカルト組織と疑われます。信者個人が勧誘し、上下関係が成立するならば強要もあり得ます。そうした関係に気づいたら距離を取るのが対処法です。

「信仰するしないの自由」と「宗教的行為だから自由」はそれらの捉え方で人の人権を侵害するような解釈となります。特に宗教問題を発生させる信教の自由の解釈は後者の解釈によって起こります。
特に「最高の教えを信じている自分の信仰を信じないお前が悪い」とまでの解釈になると、その人の周囲に宗教被害を被っていると感じる人が増えるでしょう。そのやり取りは家庭や教えの集会などの閉鎖的な空間では問題がもみ消され、被害など存在しないように情報操作されているでしょう。
「◯◯ではない。」と集団内で言い合い、実際にやっていることをやっていないと宣言し合うことでも洗脳や情報操作が行われています。「(巷で言われる悪徳商法)ではない。」と言い合うことであまりにも手法が似すぎていて言い合えない手法は世の中で注目を浴びていて、それを使う教団の手法が例示されれば、手法が類似していることを知られてしまうでしょう。手法が類似していることを発信していくことが宗教被害を明らかにし、宗教被害であると思えて対策できる人を増やすことに繋がります。

カルト宗教との戦いはフェイクニュースとの戦いではないでしょうか。
フェイクニュースを次々と流されて信じさせられようとして嫌な想いをしたならば、フェイクニュースを見抜くのが大事だと思います。
その情報の出どころが教団や信者からならば疑って見た方が良いです。情報発信者が経験者なのか、何か分からないけど怖いと思っているのか、評論家なのか学者なのか。たくさんの見方があります。
様々な情報を比較して霊感の言葉によるその人の因縁に見立てた情報操作されたフェイクニュースを信者から流されたとしても、ネットや書籍等の情報と比較して嘘を見抜くことができます。
「救われない先祖があなたを頼ってこのありがたい教えのお力で救ってほしいと願っている。」何代前の誰?それ自体が作り話か。冷静に考えれば分かりますが、教えのフェイクニュースは人の心の弱っているときに向けられるのが常です。親子、親戚、職場関係の縛りを使ってくることはよくあります。
悪質なフェイクニュースに心が折れないようにうまく距離を取りたいですが、それを流さなければ生きられない人が近くにいると本当に迷惑です。

宗教を巡る事件によって霊感商法の様な類似手口をどこも使っていることが意識されるなど宗教被害者に取って改めて「類似した手法によって苦しめられている」と意識できる状況になってきていると思います。
しかし、言葉を変え信者を洗脳して最上の教えを思わせて最上の教えのお力の下、良いことばかりが起こり、悪いことが起こればお力のお陰でそれくらいで済んだと思わせる手法を使い被害者であることがあり得ないと囲い込むことで宗教被害がもみ消されてきました。これからもそれは続くでしょう。
信者がその手法に従って当然のように教えを信じるように仕向けてくるのは信教の自由ですが、信じたくない人の弱みにつけ込んで節目節目で教えを信じるように働きかけるのは信教の自由の侵害すれすれで行われるそれまで培われた宗教団体の巧妙な手法と言えるでしょう。
そんな不幸をもたらす手法の近くにあっても、SNSなどで情報を共有しながら自分や被害者になりたくない人と共に心無い手法に対抗できる手段を考えていきたいものです。

嫌がられていると知りながら教えの取り組みに行くことを強調する信者がいます。
対処法を知った人は感情を揺さぶられて否定したり、行くことを止めたりしません。なぜなら信者がその人の背後霊が教えを求めていると思わせて脈があると思わせてしまうからです。
信者による教えの暗示に反応してはいけないのは前提ですが、こちらが霊感商法を使う宗教と地に落ちていると思っているのに、最上の教えと思って人の不幸を教えのお力で救ってやると思わせようとする信者の暗示は将にガスライティングの行為です。
こちらは淡々と、カルト宗教被害を救おうとする情報やそこから得られる対処法を学びながら人を陥れようとする信者の意図から距離を取るのみです。信者の期待する反応はしません。