ソニエリのブログ~マインドコントロールの功罪~ -3ページ目

ソニエリのブログ~マインドコントロールの功罪~

真如苑の欺瞞について、経験に基づき掲載しています。

マウンティングとは、自分の地位や権力を誇示するために他人を卑下したり、自分を持ち上げることです。将に信者が教えを信じない人に対して取る態度や、無理に信じさせようとして信教の自由を侵害しようとする行為です。
ガスライティングは些細な嫌がらせを行ったり、わざと誤った情報を提示し続けたりすることで、被害者が自身の記憶や知覚、正気などを疑うように仕向ける心理的虐待の手法です。信者が教えを信じない人に対して、異常性を感じさせて教えを信じさせようとする手法にも使われます。日常の異常性を霊の仕業に絡めて不安を煽ったり、物の位置をずらして人を混乱させようとすることもあります。それらを無意識のうちに行われていることもあるでしょう。
最近の宗教虐待問題や人権侵害問題が注目される中で、類似手口が言葉を変えているだけで複数の教団で使われていることが知られていくことでしょう。献金が問題視されるか、肉体的、心理的虐待が問題視されるかの違いはあります。それらに反応して従ってしまう人がいることが被害が続くことになるのですが、手法が表面化して加害信者とうまく距離を取れる人が増えることが理想です。教団や信者は被害が存在しないかのように情報操作しようとするでしょう。それもガスライティングの情報操作の内でしょう。
SNS等のつぶやきから情報が拡散し、被害が被害であることが意識され、嘘は嘘であると理解されることで、でも信者を刺激せず距離を取れる人が増えることで被害は拡散しにくくなるでしょう。

霊感の言葉が根拠でも自分が信じて崇拝することは信教の自由の行使です。
しかし、信じない相手を信じさせなければ、勧誘しなければ救われないので無理に認めさせようとしたり、無断で入信させようとすることは信教の自由の侵害です。
信者が教えの手法に乗せられて行ってきた信教の自由の侵害が結果的に教えの価値を貶め、周囲の人に後味の悪い想いをさせてきました。そしてこれからもするでしょう。
逆ギレする信者に対処できるように距離を取れて、その手法を知り、引っかからない人がSNSなどで情報を発信し、嫌な想いをする人を減らすことができれば。

教えを否定すれば切れるし、いずれこの教えに行き着くだろうと楽天的に考える信者は、距離感が近くなるとすぐに教えを意識させようとします。そして呆れられるのと同時にその相手が教えを信じて行った信者の振る舞いに迷惑を被ってきたならば、また距離を取られて振り出しに戻ります。
その根底に信者の思考に深く浸透した洗脳を感じます。

教えを信じるか信じないかで貴賎を決める思考

信者は教えを信じられる人は徳が高く、信じない人は徳が低いので下に見ています。そのくせ謙って相手の様子を見計らって教えを信じさせるような霊的な原因を当てはめようとしてきます。それは霊感商法の手法の罠ですが、信者にとっては徳の高いありがたい教えに導く行為なのです。それらはただの霊感商法を使った勧誘なのですが。

時間が経てば記憶は薄れ信者の都合の良いように人が変わると思っているか

信者にとって都合の良い教えは、信者の境遇を霊感の言葉で教団や信者にとって都合の良い様に意味づけています。信者の意図は教えを信じない人が教えのお力を恐れ、教えに従うようになることです。
信者はいずれ全ての川が大海に流れ込む様に、この教えに行き着くと楽天的な思考に洗脳されています。だから人が教え対策で距離を取っているのに「否定されないから認められている」など都合の良い思考をしていることもあります。
こちらは距離感が近くなってまたそういう不信な解釈をしているようならば、また距離を取るだけで、逆ギレさせようなことも言わないし、不快を最小限に留めるために気分転換します。
 

こちらが教えの手口を研究し尽くして、他の宗教の手口との類似性を知り尽くしても、信者は教えのお力を認めさせようとしてきます。それによってこちらを見下していると思って不快に思っても仕方がありません。不快になるくらいならば距離を取って平穏に過ごすべきです。それができない境遇の人もいるでしょうが。
だから、反応することも不快に向かうことになります。教えは存在していても、それによって不快にさせられる自分にはならないことです。
宗教二世のつぶやきを見ていると、特定の宗教を強要してくることに対して不快を示しています。宗教を自分の主義主張として人に強要してくる人の倫理観を修正させるのは難しいですが、それらから距離を取るなどして対処しなければこちらの過ごす時間が不幸になってしまいます。
これからも宗教被害者からの情報が増えていくことや、信者を使って教えを信じさせようとして教団の利益に繋げようとする手法に対処できる知識が広まることを望みます。宗教によるガスライティングを行う人間が増えてほしくないし、宗教に不幸にされる人が減ってほしいですね。

信者からの言葉は教えを信じない人に対して冷たく、上から目線で否定的に向けられます。
その根拠が霊感による言葉であり、不安を煽るガスライティングによるものですが、教えを信じない異常性を思わせようとするならば、それもガスライティングです。それらに対して信者の意見が通らないと今度はいわゆる逆ギレを起こします。それは教えを否定するのと同様、信者を否定することで起こるので、手がつけられません。
信者による教えを信じない人に対するガスライティング、逆ギレの連続への対処法は距離を取ることですが、人の生活に関わる重要な決断の時には毅然とした態度を取らなければならない場合もあります。
早く宗教トラブルによる沢山の問題が明るみに出て、宗教による類似手口が通用しない人が増えることで、日々の無用な精神的苦痛を感じる人が少なくなることを願います。