教えを信じていれば何をしても許されるという信教の自由 | ソニエリのブログ~マインドコントロールの功罪~

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真如苑の欺瞞について、経験に基づき掲載しています。

「信仰するしないの自由」と「宗教的行為だから自由」はそれらの捉え方で人の人権を侵害するような解釈となります。特に宗教問題を発生させる信教の自由の解釈は後者の解釈によって起こります。
特に「最高の教えを信じている自分の信仰を信じないお前が悪い」とまでの解釈になると、その人の周囲に宗教被害を被っていると感じる人が増えるでしょう。そのやり取りは家庭や教えの集会などの閉鎖的な空間では問題がもみ消され、被害など存在しないように情報操作されているでしょう。
「◯◯ではない。」と集団内で言い合い、実際にやっていることをやっていないと宣言し合うことでも洗脳や情報操作が行われています。「(巷で言われる悪徳商法)ではない。」と言い合うことであまりにも手法が似すぎていて言い合えない手法は世の中で注目を浴びていて、それを使う教団の手法が例示されれば、手法が類似していることを知られてしまうでしょう。手法が類似していることを発信していくことが宗教被害を明らかにし、宗教被害であると思えて対策できる人を増やすことに繋がります。