これ、書くべきかどうかわからない。

書くべきでないとも思う。

きっと誰かに不快感を与えるかもしれないし、

こういう政治的?な話って、たぶん公の場ではしない方がいいかもしれない。



でも、すごくもやもやするし、今は少しだけ冷静に見れてる気もするから、書いてみる。

書かないと考えをまとめられない気がして。



きっと長くもなるだろうと思う。

結論があるわけでもないかもしれない。

でも、もし途中まで読んだなら、最後まで読まないともっと誤解されてしまうと思うから、

もしよければ最後まで読んで欲しい。







きっかけは、スペインで街を歩いていたりするときに、

ニーハオと声をかけらると自分が嫌悪感を抱いてしまうこと。





なんで嫌悪感を抱いてしまうのか。

考えれば考えるほど、自分が人種差別する人間にしか思えなくなってくる。

そしてその事実を本当は認めたくない。

(だからこそここで頭を整理させたいというのもあるんだけど。)

自分の感情が恐ろしいというか、ひどいと言われるのを承知で、書いていきたいと思います。




嫌悪感を抱くたびに、なんで嫌悪感を抱くのか、そしてこの嫌悪感はなんなのか、考えてきた。

多分、大きな理由としては、「一緒にされたくない」ということだと思う。

どういう意味でか。

そこが微妙なんだと思う。




書く直前に気づいたことなんだけど、こういう気持ちって、日本にいるときはあまりなかったと思う。

「ヨーロッパ」っていう対象があっての「東アジア」の見方って、

「東アジア」にいる中での見方と違うと思う。




ちょっと話はそれるけど、

自分は、こっちに来てからより一層国家の存在に対して辟易するようになった。

だから、少しナショナリズムな感じの話し方をする人に対しても、

恐ろしさにもにた嫌悪感を抱くようになった。


例えば、カタラン。

「カタランを守ろう」とか、

「カタルーニャが稼いだお金がスペイン政府にとられる」とか、

いわゆるステレオタイプな意見を、実際友達がしゃべってる。

それゆえに、カタランを少ししゃべったり、

カタランを勉強してる人に対しての暖かいムードとかもかなりある。

独立を願うとかいう人も実際にいるし。

それを否定するつもりはない。

人それぞれの意見だから。

でも、こういうナショナリズム的な意見とかを聞いて、少しぞくっとする。



他には、例えば韓国人の友達。

日本人は好きだけど、日本政府は嫌いって言ってた子がいた。

フェイスブックとかに、高層ビルが立ち並ぶソウルの写真をのっけて、

これがソウルだよ、発展途上国なんかじゃないんだよって言ってた子もいた。

むしろ、はっきりとスペインと比べて、

ごみを捨てまくって汚いスペインなんかより、発展途上国と言われてる韓国の方がよっぽどましだ

って言ってる子もいた。

こういうのを見ても、少しぞっとする。


香港の子は、中国人ていう意識はないって言ってたたし、

実際に中国政府をかなりステレオタイプ的に否定してた。

台湾の子は、中国人が嫌いって言ってた。


決してその人たち自身に対して悪く思ってるわけではなく、

こういう考え方が当たり前のようにまかり通ってることに対して違和感を感じる。

あぁ、こういう考え方ってなかなか消えないよなぁっていう残念な気持ちもあると思う。






で、話を戻すと、「東アジア」の見方ってことなんだけど、

「東アジア」に限らず、やっぱり「外のもの」に触れると、

自分ってのが対象化されるんだなぁって思った。身をもって。

外国っていう存在に触れることで自分の国ってのがもっと見えてくるし。

「ヨーロッパ」が存在することで初めて「東アジア」という対象も生まれる。

あくまで相対的な物。



で、例えば韓国の場合だと、正直、日本や中国にうもれがちっていうのがある。

もちろんK-pop大好きな子とかもいるけど、

「一般的なイメージ」では、「影の薄い小さい国」っていう感じ。

それを感じるからこそ、韓国の子たちのああいう行動もあるんだと思う。




だからか、ニーハオって言われて嫌がる韓国人もたくさんいる。













自分についてはというと、

さっきも言ったように、日本ではあまりこういう風に思ってなかったと思う。

中華料理屋さんに行って中国人が働いてても何とも思わなかったし、

中国とかかわりのある友人や知り合いに偏見なんて持ったことなかったし。

(ただしそういう友達のほとんどが、自分みたいに、日本人に近いところがあるから理解しやすいというのもあるんだけど。)


でも、こっちに来てから、自分自身すごく「アジア人」を意識するようになった気がする。




たとえば、また少し話がそれるけど、

どの国の人間も、結局その国の人間同士かたまる。

前書いたとおり、イタリア人もそうだし、フランス、ドイツ、オランダ、ポルトガル、アメリカ…

とにかくどの国もそう。

もちろんほかの国の友達を作らないわけではないんだけど、

常に一緒にいるような友達は、結局同じ国の人間。

よく日本人はかたまるとか言われてるけど、正直どの国の人間も一緒。


だけど、みんな外見が大して変わらないし、

持ってる文化もアジアほど大きくは変わらない。

だから、なじみやすい。


その点、日本、韓国、中国とかのアジア人たちは、外見も違えば文化も違う。

だから、アジア人で固まってると、「浮く」。

少なくとも、自分はそういう環境にいたら「浮いてる」と思ってしまう。


実際、「外国人」たちは、そういう状況に対してきにしてないとも思う。

悪く言うと、無関心であるかもしれない。

いったん仲良くなれば、悪い子たちじゃないんだけど。

そしてこっちに興味持ってくれる子も意外といるし。

だから、自分も気にする必要ないかもしれない。



実際、「外人」に囲まれて生活してる分、

「外人」に対して外見的な部分からのみくる違和感とかはかなりなくなってる。

見慣れたんだなぁという感じ。

(内面的な衝突は多分一生続くんじゃないかと思うけど。)


見慣れてくると、自分が「アジア人」だってことも忘れてくるみたい。

そんな感覚がある。


でも、逆に、「アジア人」でかたまってると、すごく自分が「アジア人」だって気づかされる。

面白いよね。

外国にいるからこそなんだろうな。



そして、本当に正直に話すと、「アジア人」でかたまってる自分はあまり好きじゃない。

恥ずかしいような感覚さえある。

もちろん、韓国の子でもすごく好きな子はいるし、その子と一緒にいたくないとは思わない。

けど、「アジア人」だけででかたまってたら、「下に見られそう」っていう感覚がある。


その反対として言えることが、

もっと「ヨーロッパ」に近い存在でいたい

ってことなんじゃないかと思う。

「ヨーロッパ」の友達をもっと作って、彼らと一緒にいたい、というか。

もちろんせっかく留学してるからってのもあるけど、それだけじゃないと思うんだよね。


すっごく認めたくないけど、自分の中にしっかり「ヨーロッパ主義」が根付いてるのかなぁ、と。

(アメリカに対してはまた別の感情を持ってるから、一緒にするべきではないと思うけど。)

まぁ留学するくらいだし、多少なりとも憧れはあるから、しょうがないのかもしれないけど。


でもそう考えると、ニーハオって言われた時の嫌悪感は結局

ヨーロッパを上に見てるとこから来るものなのかなとも思う。

自分が一番そいういうの嫌なはずだったのになぁって、少し情けなくなる。





でもこれって、少しいじめの原理に似てるんじゃないかって思ったりした。

いじめっ子がいて、いじめを賛成しようとは思わなくても、

いじめられる側にはいたくないから、いじめる側にひっそりいる感じ。

別にヨーロッパの子たちがいじめっ子なわけでは全然ないけども。

下にいたくないから上にいようとするというか。

そしてアジアを下だと思ってしまう自分がいることが許せないんだけど。

ヨーロッパを上に見てるつもりはなくても、

アジアを下に見てしまうという意味で、同じことだと思う。







あとは、東アジア内にある複雑さかなぁと。

韓国と中国にある摩擦、韓国と朝鮮にある摩擦、韓国と日本、朝鮮と日本、中国と台湾・香港…

あげたらきりないけど、東アジアもなかなか複雑です。。






う~~ん、何が言いたいかわからなくなってきた。

結局やっぱり結論なんてないし、

自分の嫌な面をさらけ出しただけって感じ。

でもこうやってちゃんと自分を見ることで何かが生まれればいいなとは思う。




最後に誤解のないようにもう一度言いたいのは、

自分の周りにいる(特に中国に関係してる方々)人に偏見を持ってるわけではないです。

もっと、「一般論」的な、現実には存在しないような「イメージ」の話です。

それでももし不快に思った方がいたら、ごめんなさい。








結構自分のこと~~


自己表現って大事だなぁ、とつくづく。



何度か書いてますが、こっちで一番仲いいのってイタリア人でした。

それ自体は問題ないんだけれども。

そしてその子たちとの間にも問題はないのだけれども。



でも、その子達と一緒にいようとすると、大抵ほかのイタリア人がたくさんいて。

だからイタリア語で話がすすんで。

当たり前だけど何言ってるかわかんないし。(会話についていくレベルでは確実にない。)

仲いい子でさえ気使ってスペイン語で話そうとかしなかったりするし。

まぁ自分が逆の立場だったら、

つまり、日本人大勢のグループの中にたった一人外人がいる場合

日本人の人数が多ければ多いほど、会話を全部英語とかスペイン語で話すの意外とできないから

理解はできるんだけど(特にグループでたくさんいる場合)、やっぱりしんどいというか。

前からずーっとそうだったけど、最近特にそれがすごく疲れるようになって。



そこで思ったのが、自己表現って大事だなぁってこと。

特に自分の場合はもともとおとなしい性格でもないし、

自分に意見があるときはそれを通したくなるタイプだし、

意見を通さないとしても、自分の意見をみんなに聞いてほしいと思っちゃうし、

ふざけたりするのも好きだし。


踊りで表現するのも好きだけど、それはもっと特殊。

方法的にも、頻度的にも。


やっぱりメインは言葉での表現。

日本語にかてる言語はないとしても、

せめてスペイン語だったらもっと表現できるのになぁとも思う。



相手がイタリア人だあることの問題は、こっちがイタリア語をわからないし、

相手もスペイン語が完璧だとは限らないこと。

向こうがこっちの言いたいことをくみ取るほどでもなかったり、

たまにイタリア語と混ぜて使ったり。

とりあえず、お互い外国語だからその分難しい。。

けど向こうがイタリア人同士母語で話してたらこっちに入るすきはほとんどないし。



さっきも言ったように自分は決しておとなしい性格ではないから、

いーーっつも事後報告的に、向こうが決めたあとにこうしようああしようって言われると、

つまらなくなったりするし、なんとなく存在感が薄い気がしてしまう。

その上会話においても存在感が薄い。





だからストレスになるんだろうな、って思った。








うん、結論は特にないけど、とりあえず問題が何か気づけただけでも少し気は楽になったかな。

ただもやもや悩むだけではないから。

問題も基本は人数が多いときの話だし。





せっかく仲良くなれたから、そこは大事にしたいと思う。

もちろん日本ですでに仲良かったこと久々に会ったりすると、その居心地の良さはかなり大きいけど。

でも1対1の関係なら最終的には相性だなと思う。何人だろうと。







あぁ~~~言葉って不思議。









何事にも流れがあるなぁっておもう。



多分、そう気づくのは、やっぱり違いがあるから。



なんで違うんだろうって思った時に、



違う原因、違う道を歩んだ過去あるからだなぁと思う。



そうやって見てみると、いろんなものの中に、流れを感じる。



そして、そういう流れって、誰も動かせない、大きいものに思えてくる。










なんで自分が日本にいるのか。


なんでスペインは自治なのか。


なんでピカソはキュビズムなのか。

(授業で印象派、表現主義からの流れを知って初めてピカソの絵がなんで“めちゃくちゃ”なのかわかった)


などなど。


偶然的にみえることも、全部つながりがある。原因がある。





同じように、目の前にある人間も、そして社会も、長い長い流れの上にある。







だって、自分のこの性格だって、日本にいなければ、

もしくは日本にいても、国家っていう存在がなければ、

国家にアイデンティティーを置くことが当たり前の社会がなければ、

今みたいに考えてなかったと思う。



たった一人の人間だけど、そこには自分以外の人間の経験が重なってる。

そうやって社会はできるんだと思う。





そしてそうやってできあがった、全く異なる社会で育った人間と、今自分は向き合ってる。


違いそのものの大きさより、その違いを生み出す流れの深さに、

なんだかどうしようもできない気分になる。

てかできないんだけど。




弱音を吐いてるわけではないけど。

こういう全く違う流れからできてるものって、理解しあえるのかなぁって思う。

結構厳しいと思うんだよなぁ。

人それぞれの性格まで加わっちゃうんだもん。






何が言いたいのかまとまらないけど。

でも、今ここでの友達の関係がどうのとかだけじゃなく、

もっと大きいところでも同じことが言えると思う。

ていうか全てにおいて。

とりあえず、流れは侮れないと思うなぁ。












日本と海外の就活の違いのお話。

でも、全然 how to 的な話ではなく、根本的なお話。

表面的にも全然違うけど、その違い、奥底でも結構でかいと思うのです。






こっちの大学では、私の所属は人文学部。

(ちなみに日本では外国語学部)

きっと、人文学部なんて、何勉強するの?って、日本でも思われるでしょう。

私もそう思います。

今初めて人文学部やってみて、あぁこういう感じかぁってわかってきてる。

「花形の法学部、経済学部」とかに比べたら、地味なんだろうなぁ。

一般的にいうところの、「意味のない勉強」「役に立たない勉強」とでもいったところか。

確かに「実用的」ではなさそうだけどね。

でもそもそも「実用的」って何って感じだけどね。




ちなみに、実際どんなことを勉強してるかというと、

少なくともうちの大学では、

歴史、文学、芸術(理論)、哲学、宗教、思想、といったとこでしょうか。

日本でも大差はないと思います。

あとはどう細かく分類されてるかの違いではないかと。



私は好きです。人文学。

普通に楽しい。

仕事に役に立ちはしないのはわかってるけど。

哲学とか、思想とか、芸術らへん。

もちろん授業って意味では先生によって面白いつまらないはあるけど。





さてさて、本題はここから。



以前も少し書いたように、そんな人文学部生である私が、インターンを探しているのです。

が、日本と大きく違うところが就活の、そして就職後のシステム。

(ってまだ就職したわけじゃないからどこまで正しいかわからないけど。)


日本では、医者とかエンジニアとかの専門性の極めて高い分野以外なら、

そして学部レベルでの話をするならば、

正直何を勉強してこようと、そこまでは関係ない。

大抵、会社入って、全部教えてくれる。

人文学部にも、採用のおおいに夢はある。



でも、こっちは、そして多分ヨーロッパは?、

大学での専攻=仕事で使うもの

っていう感じ。








ここから言えることは2つ。

一つは、マーケティングなんか勉強しない人文学部にとっては、職探しは至難の業。

もう一つは、職探しのために、みんながマーケティングを勉強するようになる。









そして実際の現状もそう。


自分の周りには、経済、マーケティング、経営、法、広告、ジャーナリズムなどなどを勉強してる人はたくさんいる。

けど、授業で出会った友達以外に、人文学部所属って人あんま会ったことない。

実際の学部ごとの人数とか全然知らないし、あくまで感覚だけど、

でもきっと少数派なのは確かだと思う。




こういう「目立って」、「役に立つ」学部に人が集まるのはまぁしょうがない。

しかも職探しの時点でのシステムを考えたらなおさら。

しかも高校卒業したての子が進んで人文学部行こうと思うのもなかなかないだろうし、

迷ってたら、きっと親は経済とかを進めるだろうと思う。




だけど、自分はすごくこれを悲しいというか、怖いというか、そういう感じに見てる。


自分のいる人文学部が地味だからではなくて、


大学が職業訓練所になってるんじゃないかって。


日本にいたときさえ思ってたけど、こっちはもっとだ。




こっちの高校までの教育システムとか知らないけど、

みんな歴史とかわかってるのかなぁ?

今ここにある問題がどこから来てるのかとか、わかってるのかなぁ?

もちろん自分だって理系の知識は一切ないけど…

誰だって全てのことを知るのは無理だけど…

でも、大学が職探しのためだけにあっていいのかなぁとは思う。

個人的には、大学ではもっと視野を広げるためのことをするべきだと思う…。




まぁ、結局もしかしたら自分自身、

ただ単に自分の好きなものが一番だって言ってる小学生とかと変わらない考え方をしてるだけかも、とは思う。

自分が人文学好きだから、それが一番に見えるっていうか。

まぁ別に一番とまでは思わないけど。

自分だって他の学部に行ったことはないわけだし。




でも、「大学は、批判的思考を身に着ける場所だ」っていうのは忘れちゃいけない気がする。。

これは日本で大学の先生が言ってたことだけど。




そして、あくまで自分が思うには、批判的思考を身に着けるには、

人文学や語学って、すごく大事だと思う。

「見えてくる」ものがちがってくると思うんだけどなぁ。

もっともっと根本的なところで、深いところで、「見えてくる」気がするんだけどなぁ。





そう考えると、日本の就活システム、賛成はしないけど、ある程度評価する部分はあると思う。

ていうか新卒っていう枠さえなくせば悪くないと思う。

何も知らないのがたくさん入ってくるなら足並みそろえるのは必要だし。





結論、私の理想としては、大学では何かに縛られるのではなく、

やりたい勉強できる環境があるのがいいと思うのです。

(もちろんそればっか追い求めてたら社会でてから苦しむひとが増えるんだろうなぁとは思うけど。特に育てる側がね。)





ものごと何もかも良し悪しあるさ。


けど、この問題ってそれで片づけていいのかなぁ。












幸い、うちの大学は3学期制なのです。

大体の学校は2学期制なのですが。

色々良し悪しはあるでしょうが、私にとっては、すごくよかった。



1学期:慣れ

2学期:大学!

3学期:???




1学期は慣れるのに精一杯。

というか、もう少しいうと、環境が違いすぎて、普通のことをしてても、

もしくは何もしてなくても笑、新しいものを吸収できる。

例えばごみを捨てに行くってだけでも。笑

生活の全てが新しい。

その代わり(だからこそ?)、勉強はできなかった。

全てにおいて、もちろん授業もそして普段の生活も、

流れが分からないから、いつも終わったあとに気づく。笑

まぁ勉強で得られる以上のものも得られてるからいいのだけれども。



ということで、2学期は勉強に集中しました。(1学期よりは。)

といっても、要領がわかってると、そこまでめちゃめちゃ努力しなくていいと思うんです。

いつまでに何をしなきゃいけないとかがわかってたらある程度の焦りも生まれて、

その結果集中もできるし。

友達も増えてるからいろいろ聞けるし。

単位とるのが雲の上のことではないように思えます。

まだ取れてないけど。

とりあえず、勉強より大事なものがあるといってはいたものの、

やはり大学に通うタイプの交換留学ならば、

勉強ゼロっていうのもなんだか気が引けたのです。



そして3学期。

まだ2学期は終わってないけど。

でも、大学生活をメインにはしたくないな!!

と、ちょっとした拒否反応にもにた衝動が、今はあります。

(実際友達の多くが帰っちゃうから、案外大学生活をメインにしないのはありかも。)

何ができるかまだわからないけど。

さっき書いたインターンやら、

お金があれば旅行しまくるっていうのもいいですね。

もしくはネイティブが近くにいる間に真剣にイタリア語をやるとか。

(スペイン語をやるなら大学の授業をうけるのが一番だと思ってます。)

とりあえず、色々アグレッシブにいようと思います。



気づけば留学もあと5か月あるかないか…。

落ち着いた今だからこそ、また新たなものに挑戦していきたいなと。


こういう区切りをつけやすいから、3学期制に感謝です^^