何事にも流れがあるなぁっておもう。
多分、そう気づくのは、やっぱり違いがあるから。
なんで違うんだろうって思った時に、
違う原因、違う道を歩んだ過去あるからだなぁと思う。
そうやって見てみると、いろんなものの中に、流れを感じる。
そして、そういう流れって、誰も動かせない、大きいものに思えてくる。
なんで自分が日本にいるのか。
なんでスペインは自治なのか。
なんでピカソはキュビズムなのか。
(授業で印象派、表現主義からの流れを知って初めてピカソの絵がなんで“めちゃくちゃ”なのかわかった)
などなど。
偶然的にみえることも、全部つながりがある。原因がある。
同じように、目の前にある人間も、そして社会も、長い長い流れの上にある。
だって、自分のこの性格だって、日本にいなければ、
もしくは日本にいても、国家っていう存在がなければ、
国家にアイデンティティーを置くことが当たり前の社会がなければ、
今みたいに考えてなかったと思う。
たった一人の人間だけど、そこには自分以外の人間の経験が重なってる。
そうやって社会はできるんだと思う。
そしてそうやってできあがった、全く異なる社会で育った人間と、今自分は向き合ってる。
違いそのものの大きさより、その違いを生み出す流れの深さに、
なんだかどうしようもできない気分になる。
てかできないんだけど。
弱音を吐いてるわけではないけど。
こういう全く違う流れからできてるものって、理解しあえるのかなぁって思う。
結構厳しいと思うんだよなぁ。
人それぞれの性格まで加わっちゃうんだもん。
何が言いたいのかまとまらないけど。
でも、今ここでの友達の関係がどうのとかだけじゃなく、
もっと大きいところでも同じことが言えると思う。
ていうか全てにおいて。
とりあえず、流れは侮れないと思うなぁ。