社会ってなんだろう。



いつも考えてきた気がする。



すごい不思議。


こういうことをかなり根本の問題にするから、人文学がすきなんだろなって思う。

(でも基本的に現代に関して。)



戦後のドイツ文学の導入を聞いて、すごい興味を持った。

日本とも似てる気がするし、論文とか読むよりも、もっと生々しく色々伝わってくる気がした。


現代芸術(といっても戦前)を聞いて、人々の内面の表現とか見たり。


哲学を聞いて、ものの見方とかを考えたり。




現実にぴったり結びついてるような。

と同時に、現実とはかけ離れたところで議論が行われているような。




自分でも色々考えるけど、結局は昔の人が考えたことを考え直してるだけなのかなって思ったり。。





社会をどう見るか、は学問のひとつだけど、

社会をこう見なきゃいけない、って断言するのは学問じゃない。

と思った。




自分なりに色々考えて、これは間違ってる、って思うことがある。

分析ではなく、価値判断が入ってる感じ。

そういう観点は学問で得たもの。

でも、その観点に基づいて思ったことは(つまり感情ってことになるのか?)、論文ではぶつけられない。

論文は、勧誘活動じゃない。



だから、どこへぶつければいいかわからないもやもやが残る。


やっぱりそういう手段は芸術しかないのか。




現実世界と、学問で得たこと、この2つをどうつなげればいいのか。




人文学から得る観点は、ビジネスには直結しないと思っている。

というか、今の自分の中では、そこをつなげてしまうと矛盾が生じる。

だけど、生きていくために働くのなら、割り切らなきゃいけないことがたくさんあると思う。




けれども、働きたいとも思う。

社会に出て、自分の力で生きてみたいとも思う。

そして、実際に現実世界に出てみれば、また見えてこなかったものが見えてくるんじゃないかとも思った。




人文学は好き。

だけど、社会に出たいっていうのと同じ意味で、実学もやってみたいと思う。

どんなにビジネスやら実学やらを否定したところで、自分はそれをみたことがないから。

まぁ世の中のすべてのものを見るのなんて不可能だけど。






要は社会に対して矛盾を抱いているのか。

その矛盾は学問から学んだのか。

そしてその矛盾は、無視していかないと社会では生きていけないのか。

こういうもやもやはいつか消えるのか。

うーん。

外国語で、概念化できるようになりたい。



スペイン語の難しい単語を覚えるより、こっちのが断然難しい気がする。

言葉に慣れてないから?

文化に慣れてないから?

言語系統が違うから?

単語を知らないから?

そもそも外国語では不可能だから?



なぜでしょうか。

わからないけど、とにかくスペイン語で概念化はできない。

もしかして読むことに慣れてないからか?

英語と韓国語だとどうなんだろう。



自分で経験的に学んだものは、今まで知らなかったものでも理解できる。

そしてそういうものには必ず名前があるから、そういう新しい単語を覚える。

けど、スペイン語で、新しい概念を自分の中で考えられない。



要は、スペイン語で思考することができないのか。

新しい見方を養うことができないっていうか…。



もちろん、頭の中にスペイン語がでてくることはある。

けど、それは思考ではない。




そういえば、大学入ったばかりの頃、

大学の教授と、韓国語をしゃべれるという話をして、言われたことが、

母語があるのが大事です。

でした。

考えたりできる言語があるのが大事だとか。




…てことは、裏を返せば、外国語では考えられないというこか。




多分概念化しようとするチャンスは大学にしかないから、

残された時間、そのチャンスをできる限り活用しようと思う。

もしかしたら外国語では概念化できないかもしれないけど…。

言語を学ぶということについて。



今の日本の大学に入ったころだったような気がします。

ある人に、そしてその人は外国語を勉強してるわけではないんですが、

「言語はしょせんツールでしかない」

と言われました。

年上だったし、自分もまだ若くて自分の考えなんてあんまなかったし、

反論しようなんてことすら思いませんでした。



でも、この前、なぜか、ふとそのことを思い出しまして。

思ったことは、

「言語をツールにするのがいかに難しいか」

ということです。



ツールにするって、言語そのものには支障がないレベルってことでしょう。

それがいかに難しいか…。

うちの大学入ったからってみんながそのレベルに行くわけではないし。

まぁ多分そんなことも、うちの大学の目的ではないと思うけど。

もちろんそういう仕事もたくさんある。

通訳だったり翻訳だったり、海外で仕事してたり。

確かにうちの大学行ってればそういう仕事に限りなく近づくのは確か。

けど、そんなレベルに行くための大学がうちの大学ってことではないと思う。

通訳養成学校ではないので。(もちろんそういうプログラムやら授業は一部あるけど。)



結論から言いますと、まぁかなり一般論的になりますが、

「言語を学ぶということは、その言葉が話されている地域の文化を知るということ」

だと思います。

地域文化研究ってそういうことなんだろうなぁって。

まぁなんて今更なんでしょうって自分でも思うけど。

でも、多分、こっち来て、文化を知って理解することの難しさにぶち当たったからこう思ったんじゃないかなとも思います。

その土地の文化だって、ある程度のことは日本にいたって知ることはできます。

でも、実際に経験はできない。

しかも、違う土地の文化って、同じ地球上にこんなにも違うものがあるのかってくらい違ったりする。笑

そういうのはなかなか日本ではわからないと思う。





逆に言うとね、文化を知らないと、言語のレベルも一定レベル以上上がらないとも思うんです。

もちろんある程度の基礎は日本で勉強できるし、

むしろ最初は母語を使いながらのが外国語は学びやすいと思う。

文法は文法でやんなきゃ話になんないし。

基礎単語覚えずにはやってけない。

けど、それだけでもだめだと思う。

起きる時間、

朝ごはんの食べ方、

街の大きさ、

家の中の間取りやら装飾やら、

洗濯物の干し方やら、

大学の休み時間の過ごし方、

昼ごはんの食べ方、

学食のメニュー、

コーヒーの種類やら飲む頻度、

サンドイッチの種類やら食べる頻度、

お酒の値段、

飲み会の仕方、

遊び方、

などなど。

そもそも文化って、行事だけじゃなくて、こういう日常も大きな文化。

そしてその中に挙げきれないほどの違いがあって(大きいのも小さいのも)、

言語うんぬんを置いといて、それをしるだけでもかけがえのない経験だと思う。

けど、同時に、そういうのを知っていくことで覚えていくのもまた言語だと思う。





この前、こっちの人に、そしてその人はもう60歳くらいだけど大学で勉強してて、

「あなたの留学の目的はスペイン語のレベルををあげることでしょう?」

と半ば断言した言い方をされた。

少し違和感を感じました。

もちろんそれもそうだけど…




自分の考えとしては、

「一定のレベルに来たら、あとはどう使うか」

じゃないのかなと思っているんです。今は。

極端な言い方かもだけど、留学中に得られるレベルはある程度で、

それで、将来どうスペイン語とかかわっていくかが決まったら、

そのとき、その範囲でのスペイン語を伸ばせばいいのではないかと。

今は、もっといろんなことを見たりしたりするのが大事なんじゃないかと。

この考えは甘いのか?

でも、韓国語でさえ母語として感じられないからこそかもしれないけど、

私はどちらかというと、外国語が母語に近づくのはかなり難しいと思ってしまう。

だから、外国語は外国語って結構割り切ってしまう…。

例えば今は、やっぱり生活のメインは大学と友達と出かけたりすることで。

だから、その範囲でのスペイン語は伸びてる。

レポートや試験もちゃんと英語ではなくスペイン語で書いてるし。当たり前だけど。

でもだからと言って、会社で働いたら問題ないわけではない。

けど、今のレベルがあれば、ちょっと経てば会社でも慣れると思う。

もし南米で働くなら、南米のスペイン語も違うけど、

まぁ今のベースがあれば、少し経てば慣れるんじゃないかと思う。

…この考えは甘いのか?



よくも悪くも、言語はやっぱり慣れが大事だと思う。




これ以上書くと話がそれる気がしてきた。

要は、言語を学ぶためにも、視野を広げるためにも、文化を学ぶのは大事。

そして、今自分が接している文化の範囲では、上げられるスペイン語のレベルには限りがあるのではないか。

文化を広げながら言語のレベルも上げるならいいけど、言語のレベルだけ上げる必要はあるのか。

しかも喋るとか自分の意見を言うってなると、言語だけじゃなくて性格とかの問題にもなってくると思うし。



…とまぁ、甘っちょろい考えをしているということです。



[追記]
私が言語だけを学ぶのでは意味がないということで言いたかったのは、単語帳とにらめっこでは意味がない、ということです。
そして文化を知ることの意味は、その文化での思考回路がわかるという意味があると思います。
そしてその思考回路がわかってくると、より多くの表現が入ってくると思うんです。
そしてそうやってどんどん色んな表現や単語に出会っていくうちに、同様状況で使われるのかもわかってきて、それでニュアンスなんかもわかるようになると思うんです。
単語帳の勉強を離れてその地でその言語を勉強する意味は、ここにあるんだと思います。

こちらに来てから、書くということの重要性に気づきました。

自分にとって書くってこんなに大事だったんだなぁと。

まぁ書くって言っても別に論文やらを書いてるわけではないけど。

でも、こっち来て感じたこと、

違いを見つけて自分なりに考えたこと、

そういうのがあると、すごく頭の中に残る。

でも、結構断片的。

そしてそういうのを忘れたくないって思って、残しておこうとする。

その手段がブログやら日記。

本当は日記の方が他人のこと気にせずかけるけど、

見直しにくい難点があるし、好きなこと書きすぎてて、

どのあたりに重要なこと書いたのかわからなくなる。

自分の中では、ブログは、自分のためには書いてるけど、

第三者が読んでもいいように、

ある程度の重要性があったり、

人が読んでわかるように考えたことを順序立てて書いたりとかする。

だから、書きながら、自分の頭も整理されていく。

いったん書いてしまうと、

頭の中に残ってた自分の考えがなくなるのがわかる。

そうやって頭の中を空にすると、自然とほかのことも考えられるようになる。

その考えがレベルアップされてるかは別としても、

他のことを考える余裕が生まれるような気はする。

だから、書くって大事なんだなぁって思った。

案外、ブログとかも読みなおすと、あぁこんなくだらないこと書いてたんだぁ、って思うこともある。笑

けど、とにかくその時々で、重要性はおいといて、自分のために、

書くことは大事だなぁって思いました。

以上。


ジョギングしてみました。


運動不足解消のため。


っていう理由はもちろんですが、

「海辺を走ろう」っていう発想が頭に入ってきたところが大きいです。




バルセロナで、4月15日かな?マラソンの大会があるみたいなんです。

そこで、留学生用のイベントみたいなので、

その大会に向けて今から一緒に走ろう!

みたいのがあったんです。

1回だけのものじゃなくて、何回か、バルセロナの色んな地区を走ろうってことで、

まだよく知らない地区走れるかなぁとか、

一人でもくもくとやるよりは、誰かと一緒のがいいかなって思って

(そのイベントにだけ)参加しようと思ったんですが、

しょっぱなから4㎞走るとのこと…。

私、長距離はもっぱら苦手なのです。

中学のとき(確実に今より体力ある)に3㎞走って死んでたのにどうやって4㎞も走るんだよって。



てことで一人で走ることにしました。

走るの好きじゃないけど、そのイベントの走るコースが「海沿い」っていうのを見て、

なんだかすごく走ってみたくなったんです。

運動もしたかったし。






で、実際走ってみたんですが、、、すばらしい。。。。


海沿いを走るって、こんなにすばらいいのか。。。。

海好きにはたまらない。

海岸沿いの道を往復して、

行きは走って、(正直あまり景色を見るとかの余裕はない(笑))

浜辺が終わるところにある広場みたいので海見てぼんやりして、

今日は初めてだったから帰りは歩いて、

ビーチでバレーボールしてる人見たり、

普通の水着で海入ってる人もういるんだ~って思ったり、

サーフィンのお店とかボードみたいの持ってる人とか見てマリンスポーツ絶対やろうって思ったり、

こっち特有の広い空を眺めたり、

なんか幸せでした~~

う~ん、なんでこんなに海好きなんだろうな~

っていうか嫌いな人いるのかなぁ~




走りそのものっていうより、完全に走ってるコースが好きでした。

今日改めて、海に近いとこ住んでてよかったって思った。





あと、バルセロナの海の近くって意外と高層ビルが多いんだけど、

そんな高層ビルと海のセットを見て、横浜(関東圏で一番好きな街)思い出して少しなつかしくなったり、

その流れでやっぱり東京も思い出したりして、

高層ビルばっかだからこそ嫌いだったのに、

高層ビル見て懐かしくなる自分がいかに都会人か気づいたり、

でも好きじゃないと言ってもそこに住んできたからやっぱり愛着はあったりして。





とりあえず満たされました。


できる限り続けようと思います。


今度は反対方面往復してみよう。