海外で生活していて、

遭遇したくないけど、かなり身近にあるものは、

ざっくり言うと盗難と病気じゃないかと思うのです。

海外旅行保険がカバーしてるのも大体このあたりですしね。



そして私は一応この両方を経験いたしました。


まぁ、盗難は、ほぼ現金だけだし、額も周りに比べると少ない方なので、不幸中の幸いというか…。

もちろんかなり腹立たしいし、ないに越したことはないけど、ましな方だと思います。






そして今回は病気について。

というか病院に行った記録について。





つい最近、急性胃腸炎になったのです。

名前はかなりご立派ですが、これは病気に入るのかな?

正直、食あたりと何が違うのかとか、あまり説明はできないけど、

とにかく、根本的には食べ物のせいであることが多く、それにタイミングよく体調も少し悪かったりすると、

お腹をこわし、嘔吐と下痢が止まらない、という比較的単純で一時的な病気です。

日本でも何回かなっていて、大体一晩中吐けば、次の日には吐き気が止まっていて、わりとすぐに少しずつ食べ物も食べれるようになるんですが、、、

いかんせん吐いてるときはつらいですよね~。

それが今回は一人暮らしなので、胃腸炎のまっただ中にいる間は少し心細い、という感じなのですが。



ただ、今回は次の日になっても吐き気がおさまらなかったし、

いつまでたっても食欲が戻らない。

食べれられないと、元気がでない。

という具合に、少ししつこいのです。笑



こっちの病院のこともよくわかんないし、でかけるのもだるかったからずっと病院いってなかったけど、

さすがに行くか、ということで行ってきました。

胃腸炎まっただ中ではないんですけどね~。

そこが微妙なんですよね、いつも。

まっただ中だと行けないし、少し落ち着いたのなら何のために行くかわかんないし。

でも確実に体調は戻ってなかったので、行ってきました。



行ってきたのは、Hospital del Mar.

直訳すれば海の病院ということになり、まさにバルセロネータ海岸の目の前にある病院です。

ペネロペ・クルスがアルモドバルの映画の撮影で使ったらしいです。

大きくて、入院するための病棟があるような病院です。


タクシーに乗って行ったのですが、

電子辞書の電池が切れていた+何も食べてなくてさすがにつらかったので、

タクシー拾う前にかなり頑張ってスーパーに行って、電池とアクエリアス(1.5ℓ)を買って…



いざ着くと、白衣のが人がいてすごく新鮮でした。

よく考えればこっち来て初めて病院来たわけだし。

そして自分が弱ってると、本当に白衣着てる人たちって天使というか救世主に見えるんですね。笑

かなりかっこよく見えたなぁ。

病院がどんなシステムになってるか見当もつかないので、

とりあえず一番最初に出会った白衣の人に聞いて、インフォメーション行って、救急の方に行けと。

救急かぁ、嫌な予感するなぁ、とも思ってたけど、意外と普通でした。

高かったけど。でもきっと保険降りるので大丈夫。



そしてここですごくいい人に会えたんですね~~

救急の方行けと言われたものの、じゃぁそこでどうすればいいかはわからない。

で、とりあえずまた白衣着てる人に聞いたんですが、その人が正解でした。

お医者さんではないみたいなんですが。(受付やってるだけか、看護師さんなのか。)



私が外国人で、すっぴんでジャージにパーカーで、腕にアクエリアス(1.5ℓ)を抱えていたからでしょうか。

とにかく可哀そうに見えたのか、その人がいい人すぎたのか。

最初からほぼ最後まで、かなり付き添ってくれました。

最初に受付を済ませるところから、お医者さんに通された後も診察室まで様子をうかがってくれたり。

もともとのその人の仕事がわからないので、どこまでイレギュラーに自分のためにしてくれたのかはわからないけど、とにかく心強かった。

不思議になるほど、すごく親身になってくれたな~。

ありがたや、ありがたや。

銀行口座開いた時の、優しかった銀行のおじいさんのことをなんとなく思い出しました。



結局、診察では、食べれなくて元気でないから点滴でも打ってもらおうかと思っていたんですが、
(日本でなったときに聞かれたことがあったので。)

2日食べれないくらいなら必要ないし、吐き気もなくて胃が痛いわけでもないなら薬もいらないと。

食べれないなら少しずつ頑張って食べるように、慣れていきなさいと。

うん。結果論的には行く必要なかったんです。

でも、結局これもお医者さんが言うとなんかもうそれだけで元気出てきそうというか。

やみくもになってるよりは、お医者さんに言われた通りにしてる方が気が楽というか。

お医者さんってすげーなー、と改めて思った次第です。



今はおかゆは食べれるので、大きな問題はなく過ごしてますが、

やっぱりおかゆだけじゃ元気は出ないので、

ちょっと用事があってでかけるとまだまだ少しふらふらするんですが…

まぁまぁ少しずつ直るでしょう。

でもあれですね、自分で食べるものを自分で用意しなきゃいけないと、

強制的に食べるみたいのもないから、

脱おかゆするの結構難しい??

って思ったりもします。。。

ただ、さすがに飽きてきたので、頑張るか。

それにしても今回の胃腸炎、長いぞ。。。

こちらで、やっと国民国家とは何かっていうようなのを扱う授業に出会いました。


一応、ゼミでやろうとしていたことのメインでもあり、

バルセロナを留学先に選んだ理由の一つでもある。


まぁ、国民国家はどうしてできたのかとか、

ナショナリズムとは何か、人種とは何かとか、

結論を出すのはかなり難しいと思う。

(これも一般論的だけど)結局そういう概念は、実際に存在しない想像でしかないし、

都合よく概念の解釈も変えられちゃうから。

そして自分が思うのは、こういう人為的に作られた概念は、大抵同じように働くのではないかと思った。



ここからはあまり根拠のない、感想に近いものだけど、



例えば、小中の美術の授業の時に、

人間の体には絶対に直線はないから書いちゃいけない

って言われました。


例えば、自然の形を重視するガウディの建築にも、曲線が多く使われています。


人間も、明らかに見た目が違う人たちがいるのも事実。

だけど、同じように見える人たちの中にも違うものが混ざってたり、

違うように見える人たちの中にも同じものが混ざってたり。

時間をさかのぼればさかのぼるほど、わけがわからないくらい色んなものの混合だと思う。



結局、人間のいかなる部分においても、

つまり、身体的にも、社会的にも、

絶対に境界線は引けないんじゃないか。

ということが言いたいのです。

(腕と肩の間に境界線を引けないように、本当は色んなものに境界線なんて引けない。)


でも、社会を機能させるためには、きっとある種の分類は必要。

色々すっきりさせるために。

悪く言うと、人それぞれの違いを無視して単純化するために。


どこから今のこういうシステムが来たかはまた別の話だと思うので置いといたとしても、

少なくとも、今現在の社会はこう動いてると思った。

そして、このシステムは結構「便利」なんだと思う。

特に上の人たちにとっては。

そしてきっとこの考え方やシステムをなくすのはなかなか大変だと思う。

これに代わるシステムが見つからない限り。

(そしてシステムは、システムでしか乗り越えられない気がする。)


だとしたら、きっとできることは、

少なくとも今ある分類や社会の機能が、

人為的な考えの上に成り立っているということを忘れないことではないか。

確かにいま色んなところに境界線が「あるという前提」の上で社会は動いてるけど、

見えない奥底には、もっと自然な、

ごちゃまぜの社会もある。

そういうことを忘れないでいる。

まずはそこからなんじゃないかなぁ、と。






でも、こういう風に色々考えるけど、卒論にはつながらない考え方なんですよね~~。

どうしましょう。


最近インターネットについて考えてみました。


インターネットって、もはやどこでもドアではないでしょうか。笑


たとえば、私はインターネットには、コミュニケーションと情報の二つの側面があると思ってるのですが、

コミュニケーションについて言うのなれば、

物理的な移動はできなくても、物理的な距離がないかのように感じさせてくれる。

空間的な差はネットでは埋められないけど、時間的な差は確かに埋まってる。

そして時間的な差が埋まることで、確実に体感的には空間的な差も埋まっているように感じられる。

もちろん物理的な距離のない直接的なコミュニケーションに勝るものはないとは思う。

けれども、時間的な差を埋めてくれる手段もあるのならば、その手段がないよりは確実にいいのではないかと思う。



情報の側面から言うのなれば、

世の中「知ってる」者の勝ち、という風に動いてるのではないか。

同じ料理のはずのなのに、クーポンを印刷していけば安くなる。

など。値段だけでなく、就活にせよ、受験にせよ、大学内でのお知らせにせよ、授業の進行にせよ、

ネットで得られる情報、得ないと損する情報がたくさんある。


けど、こっちで生活してみて思ったのは、そもそもネット環境があるかどうかだけでなく、

どの言語を使ってネットを使うかでも大分大きな差があること。

同じホームページのはずなのに、日本語にした瞬間情報量が一気に減ることがある。

スペイン語で探せば、今やってる試合を放送してる番組をネットで見れる。

思うに、日本語は結構ネット社会ではかなり閉鎖的。

少なくとも英語を知ってれば、そして英語でホームページを見ることに慣れてしまえば、

それだけで得られる情報は格段に増える。

そしてもちろん他の言語でそれができればもっと増える。



もちろんよくないこともあるかもしれない。

自分の考えが確立してなかったりしたら、SNSで人間関係が崩れたり。

(ありがたいことに自分はもうそういう思春期みたいなことはない。)

情報が多すぎて、知るべきでないことが入ってきちゃったり、

知るべきでないことへのアクセスが可能になったり。

まぁ、だから、自分で情報をコントロールできるのは大事ですよね、

っていうのは当たり前の話であるのです。



結局、インターネットの良し悪しについて考えるのなら、

どういう状況において考えるのかを見ないと、話しはまとまらない。



自分はネット上でのコミュニケーションは、実際の人間関係に基づいたうえで、その延長としてとらえてる。

だから、ネット上のコミュニケーションが無機質なものでしかないとは思わないし、

むしろ実際の関係を深めてくれさえもするものだと思う。

少なくとも、自分にとっては。

それが絶対ということでもない。



そしてネットについて話を始めたけれども、情報社会というのは、なかなかすごい。

評価しているというより、その機能の仕方がすごい。

たとえば、さっき世の中知ってる者の勝ち、って言ったけど、

基本的に同じ文化にいれば、情報にそんなに差はない。

ネットだけじゃなくても、何かしらの手段で情報が入ってくるというか、

情報が文化の中に溶け込んでいるような気がする。

たとえば就活が大学3年の後半から始まることくらいは、

誰かが教えてくれるまでもなく、ある種「自然に」誰もが知っている。

日本という範囲でも見てもそうだし、

少なくとも大学生という同じ文化を共有している人なら、ほぼ絶対ではないか。



制度と情報というのも大きいと思う。

ある制度が当てはまっている範囲内では、ある一定の共有された文化もあると思った。

それが、国であったり、大学生という存在であったり、バイト先のレストランでの雰囲気であったりはするかもしれないけど。




まぁ、などなど。

ネット、情報、文化、制度。

良い悪いはまぁ置いといて。

世の中大変だ。


明日の便で、一番仲良かった子のうちの二人がローマに帰ります。


4月に帰るのは前から知ってて、

その子が帰った後にローマに行く約束はずっと前からしてた。

だからからか、あまり実感も湧いてなかった。




けど、昨日送別会をして、なんだか一気に実感が湧いてしまった。


昨日の写真を見てると、本当に涙が止まらなくなる。


寂しいというのももちろんある。


けど、あまりにも素敵な人に会えたっていう感動も大きいような気がする。


今までのことを色々思い出すと、


本当に素敵な人に会えて、


本当に素敵な時間を過ごせたなって思う。




留学では、人との出会いが一番の宝物だと断言してもいいんじゃないかと思える。

そのくらい、色んな人に出会う。

もちろん、つながりが薄い人、自分とは合わない人、

人間それぞれだからそういう人もたくさんいる。

けど、それと同じくらい、本当に素敵な出会いもある。




そういう風に強いつながりを持てた人とは、きっとずっとつながっている。

たとえ3年、5年、10年会えなかったとしても。

でも、同時に、やっぱり

一緒に大学で勉強して、一緒にごはん食べて、出かけて…

そういう生活ができなくなるのは寂しい。

どんなにこれからその子たちと連絡を取り続けようが、

今ここにある留学生活はきっともう二度と戻ってこないんだなぁと思うと寂しいし、

同時に、今ある留学生活が本当にかけがえのない経験にも思える。


すごく強いつながりを持てたのは少数だとしても、

その周りにも常に色んな人がいて、

色んな人に出会って。

普通の日常だけど、すごく特別だとも思う。





でもそういう生活もあと少しなんだな、と。

自分も6月に大学が終わる。

その前に帰る人もまたたくさんいる。



別れの時期がどんどん近づいているみたいです。

どうしようもないことだけど。



でも、悲しんでてもどうしようもないのも事実。

多分、できることは、

こんなにも素晴らしい経験や出会いができたことに感謝することだけだと思う。




彼らとの最後の夜。

楽しんで来よう。