さて、いよいよ本題です。

前置き長くてすみません。

本題も長いですが。



ポルトガルで考えたこと一つ目。

黒人社会について。

もう少し広く言うと、人種や移民、制度、文化について。

私の思うところを書く以前に、現実として見える部分を書くだけで終わってしまいそうですが、

すごく色々なものが見えてきました。




今回は、リスボンにもポルトにも友人がいました。

でも、リスボンの友達は、アフリカ出身の子。

ポルトの子は、白人の子。

コインブラには、リスボンの子と行きました。





話を始める前に、ポルトガルとアフリカの簡単な歴史を念のため説明します。

語弊や間違いがあったらご指摘を。


アフリカの植民地化は、大航海時代に進み始め、

19世紀にはほぼ今の国家領域に繋がるかたちで、

ポルトガルを始め、フランス、ドイツ、イギリス、イタリア、スペインなどが植民地化しました。

ポルトガルの植民地だったのは、例えば

カビンダ、モザンビーク、アンゴラ、カーポベルデ…

などだそうです。

さらに、ポルトガルでは独裁政権が1974年まで続いていて、

これらのアフリカ植民地も、その後に独立国家になっています。

つい最近なのです。


スペインとポルトガルは、言葉も街並みも似てるけど、こういう歴史も似てますね。







こういうわけで、ポルトガル、特にアフリカに近いリスボンは、黒人が本当に多いです。

真ん中あたりにあるコインブラも多かったです。

私の友人も、カーポベルデ(アフリカ大陸の西側にある諸島)の出身です。

そしてリスボンの街中では、白人と数が半々くらいのように感じました。

それに比べて北にあるポルトにはあまりいないようでした。


ただ、黒人といっても、真っ黒な黒人だけじゃありません。

こげ茶くらいの人、黄土色くらいの人などもたくさんいます。

むしろ真っ黒な黒人は少数かも?

私の友人も、おじいちゃんはポルトガル人(白人)だそう。

だから、こげ茶くらい。黄土色までいかないけど。




あ、余談ですが、イタリアでは黒人と白人のミックスをカフェラテと呼ぶそうです。

あと、日本語のハーフという言葉には、もともと「基本的に純血」であるという意識が伺われるなぁと思いました。

こっちでは、もっともっと色んなものが混ざってる。

フランスやらイタリアやらドイツやらなんでもいいけど、日本のように「基本的に純血」という考えは成り立たないなと思いました。

まぁ、国籍与える際に血統主義をとっている時点でそういう考え方が成り立ちやすいし、

「基本的に純血」が成り立ってると錯覚しやすい社会が日本にはあるとも思うんですが。





さて話を戻しまして。

先に少しバルセロナの話をすると、

バルセロナには、あまり黒人さんはいません。

「違う文化の人(≒外国人)」で多いのは、圧倒的にパキスタン人と中国人。

たまに見かけるのは、イスラム系の人。スカーフ巻いてる女性をたまに見かけます。

あとは南米の人たちでしょうか。

ただ南米もかなり混血が進んでいて、どう言ったらいいかよくわからないんですが、

例えば、明らかにインディオの特徴を残している人、

アルゼンチンなどに多い、完全に白人に近い人、

少し東アジアに近い特徴を持つ人、

白人!って感じではないけど、白人に近いながらも少しインディオ系に近いような人

などなど。


そういう人たちがどういう国籍や在留資格を持っているのかわかりません。

でも、明らかに、子供連れの人は、国籍も持っているんじゃないかと。

こっちは出生地主義なので、生まれた地で国籍を取得できます。

そしてここで生まれた子供を持つ親にも、自然と少なくとも在留資格は与えられます。


そこで気づいたんですが、

バルセロナのパキスタン人だけが、子供がいないのです。




中国人は、完全に現地で生まれ育っているような風です。

(もちろん彼ら同士では中国語でしゃべってるし、彼らのネットワークもかなり強いんだろうなぁって思うけど。)

たまに、白人とつるんでる、中高生くらいの中国人も見ます。

つまり学校の友達といるということ=現地の学校に通っているということ。

ちなみに中国人に関して言うなら、大学では留学生しかみかけません。

これは私の推測ですが、きっと高校(若しくは中学もあるかもしれません)卒業したらすぐ働くんだと思います。

以前、8歳くらいのスペイン語ネイティブの中国人の男の子が、お店を切り盛りしてるの見かけたので。

そのお父さんはスペイン語ほとんどしゃべれてなかったです。

逆に、わざわざこっちに来て勉強しに来てる中国人は、いわゆるエリート層なのだと思います。



イスラム系の人は、こういう分析できるほどの数をみないので何とも言えません。

が、すくなくとも私の学校ではあまりみないです。少なくともスカーフ巻いてるような人は。

ただ、イスラム系の人たちって、スカーフさえ巻いてなければ身体的特徴はかなり白人にもちかいし、

逆にスペインの白人たちは、金髪・青い目というような「いわゆる白人」という感じでもないので、

正直見分けを付けられていないだけかもしれません。

そもそもイスラム系っていう言い方自体が曖昧すぎるけど。

アラブ系というと逆に狭すぎる気もするし。

中心地でケバブ屋さんやってるのは、どちらかというとパキスタン人が多いのではないかと思う。



そしてそのパキスタン人なんですが、バルセロナにいる彼らは、基本的に20~40代の男性だけです。

お店を構えて働いてる人、道端で明らかに誰も買わなさそうなものを売ってる人、

夜の街で遊ぶ若者相手にビールやら水やらの飲み物やサンドイッチなどを売ってる人。

夏になれば、ビーチを歩き回って同じように色んな飲み物売ってます。

最初は、そんな仕事だけしてやってけるのかな?ってすごく不思議でした。

でも、きっと(もはや絶対)、彼らのネットワークのなかで何かが成り立っているんだろうなって思います。

どんな風に成り立ってるのか知らないけど。

彼らがどんなところで生活してるかはよくわかりません。

彼らが「生活しているところ」を見たことがないのです。

あんなにたくさん人がいるのに、近所のスーパーで出会うとかもない。

どっかのBarで見かけるとかもない。

常に働いている。

もちろん私が見ているのが特定の誰かであるわけではないですが。

でも、たまに、バルセロナの郊外とを結ぶ電車に乗ると、パキスタン人を見かけることがあります。

どこで降りてるのかわからないけど、きっと市内ではなく郊外に住んでいるのだろうと思います。





そしてポルトガルの黒人社会は、またこれともう少し違うのです。

私が出会った黒人社会は、リスボンとコインブラだけですが、

例えば、彼らの多くはポルトガルに完全に根を下ろしている。

大学にも通ってるし、車も持ってるし、たまにすごくお金持ちそうな人もいたり。

でも、大半は富裕層ではない。

すごく貧しいわけではなく、中流階級というか。

レストランでもBarでも黒人さんのお客さんを見かけるし。

とにかく、出稼ぎではなく、普通に生活しているのです。



そして、今度ここで思い浮かんだのが在日韓国・朝鮮人の存在でした。

例えば在日は、植民地時代に多くの人が朝鮮半島から日本にやってきたけど、

独立後は、来てない。

というか、来てるけど、親の仕事の関係で韓国から来た在日韓国人や韓国からの留学生と、

植民地に根を持ついわゆる「在日」は、全くもって質が違う。

そしてここで私が言いたいのは、後者の「在日」の方。

そしてこの「在日」は、ポルトガルの黒人社会と全く違う。



一般的に分析するには、ポルトガルの黒人社会を知らなさすぎるので、ますは私が今回見た黒人社会をお伝えします。


たとえば、私の友人は、生まれはカーポベルデで、9歳くらいまでそこで育ったそう。

そして今回色々車を出してくれたのは、その友達の友達で、その人は生まれはポルトガルで、ポルトガルでは9歳くらいまで生活して、その後パリにずっといたそう。

その子も両親はカーポベルデなので、ポルトガル語もフランス語も話すけど、クレオールも話します。

その子はスペイン語をフランスで勉強したみたいで、スペイン語も話せました。


※ちなみにクレオールについて。
色んな意味がありすぎて、文脈をしっかり読まないと意味がわからないことばです。
例えばスペイン語ではクリオーリョ(クリオージョ)(criollo)となり、ラテンアメリカで生まれたヨーロッパ人を指します。
また日本語ではラテンアメリカ生まれのヨーロッパ人をさすときも、クリオーリョになります。(クレオールではなく。)
でもクリオーリョもクレオールもどう考えても同じ言葉だし(多分クレオールははフランス語風の言葉)、
私の友人もスペイン語で私と話すときは母語がcriolloだと、言っていました。
また、クレオール語という風に使われるときでさえも、ある一つの特定の言語をさすわけではないみたいです。
恥ずかしながら私は、アフリカのある地域のもともとの言語とそこを植民地化したフランス語の二つが混ざった、ある特定の言葉だと思っていましたんですが、
少し極端に言うと、本当は、「二つの言語が混ざった言葉がクレオール語」、という感じです。
なので私の友人も、もともとあったであろうカーポベルデの言葉とポルトガル語の混ざったタイプのクレオール語と、カーポベルデの公用語になったポルトガル語を話します。
その子は、「自分の母語はクレオール語だ」と言っていましたが、多分ポルトガル語も完全に母語だと思います。
教育は全部ポルトガル語でうけているはずなので。
かなりややこしいですね。




また話を戻して。

つまり、ポルトガルの黒人さんたちは、今でも移動があるみたい。

どういう傾向が強いのかはわからないけど、少なくとも「在日」はほとんど移動してない。



そしてポルトガルの黒人社会なんですが、かなり連帯が強いです。

「在日」も強いけど、もっとだと思う。

初めて会った人でも、同じカーポベルデなら、家族のように接している。

それはアフリカ特有の文化なのかもしれないけど。

でもそういうのも含め、ポルトガルに住んでいる黒人さんたちは(私が見たのはカーポベルデの人たちだけですが)、かなりアフリカ文化を維持しています。

友達の話によると、カーポベルデのお祭りはお祝いしたり、

カーポベルデの人同士で話すときはクレオールとポルトガル語混ぜて話したり。


もしかしたら、1世代分独立が朝鮮半島より遅れた、というだけかもしれない。

例えば、「在日」の場合私の年代は主に3世にあたるけど、

ポルトガルでは、1世、2世の世代なのかな、と。

現に私の友人も1世なわけだし。


また、ポルトガルの、元植民地国に対する制度面での補償は、日本より厚いと思いました。

例えば、「在日」は確かに永住権はあるけど、その他の面に関しては完全に外国人です。

植民地じゃなくなった後は、あななたちは外国人です、って線引いて、ほったらかしっていう感じがする。

ポルトガルは、出生地主義だし、友達曰く、元植民地国の人に対しては国籍取得が簡単にはなってるらしい。(調べたわけではなく、友達の話を聞いただけなのですが。)

私は国籍=市民権だと思ってるので、もらえるならぜひ日本国籍が欲しい、と思うようになりました。こっち来てから。

多くの「在日」は、多くの日本人と同じように、国籍=文化って思いがちだから、

日本国籍を取得(=韓国籍の放棄)は「非国民」とうつりやすいかもしれないけど。

でも、日本で生活しているんだから、日本の国籍は必要です。

特に日本みたいに外国人に対して閉鎖的な社会では、普通に生活するためにはより一層必要だと思う。

求めるべきは、

「在日」の権利向上ではなく、

「日本国籍の取得」なのです。





コインブラでは、私のリスボンの友達の友達が住んでいて、着いたらまずその人の家に行きました。

前回のブログで言ったように、大学のお祭りがあって、

黒人さん大学生たちだけのフットサルの大会もあるみたいでした。

そのコインブラの友人は、そのフットサル大会でアフリカ料理を売るために、大量に作っていました。

私たちのためにお昼ご飯(アフリカ料理)も用意してくれたので、

私もアフリカ料理作りのお手伝い。

…まさかポルトガルでこんなことになるなんて。笑

コインブラは、その大学のお祭りを見るために、少し滞在時間を延ばしたのですが、

結局お祭りはあまり見れず(というか昼のお祭りは次の日の方が大きいし、基本的には夜騒ぐ感じなんだと思います)、

見たのは大学とそのフットサル大会とアフリカ料理作り。

でも、かなり価値は高いです。

そもそも観光という意味では大学とその図書館さえ見れれば十分なので。



フットサル大会は、本当に黒人さんたちしかいませんでした。

フットサルができる少し古めのどこにでもありそうな体育館に、

コインブラの黒人さんたちが集結。

自分でも、そんな中に一人日本人がいることがかなり滑稽でした。笑

フットサルのチームも、ナショナルチームになっていました。

コインブラ、アンゴラ、モザンビークなど、

それぞれの出身地ごとにチームを組んでいるのです。

白人さんたちは、フットサルはやらないそう。

11人のサッカーは一緒にカップ戦をしたりするそうなのですが。

白人と黒人が仲良くしてないのか、ただ純粋に11人のサッカーが好きなのかはわかりませんが、

私のリスボンの友達によると、仲悪いわけじゃないけど、あまり黒人の輪の中に入ってこないそうです。



確かに、偏見という以前に、あれだけ黒人さんたち、つまり明らかに「自分と違う」人たちが固まっていれば、正直圧倒されます。

私も、友達と一緒にいれば笑っていられますが、

例えばトイレ行ったりしてひとたび一人になれば、かなり気が小さくなりました。笑

体育館の前では、車に積んだスピ―カ―から音楽ガンガンに流して、

その音楽に合わせて、独特のリズムをとりながらダンスをして。

日本の大学でアフリカの授業を受けていたときに見た映像を少し思い出しました。

もちろんアフリカだって地域ごとに色々ちがうだろうけど、

ラテン系の人々をさらに上回る熱気というか…そういうのは共通しているような気もしました。

まぁ少なくとも私が今言ってるのはポルトガルにいる黒人さんの話ですが。



黒人さんたち。

確かにみんな固まってるので、一歩でもその「外」に出てしまうとやっぱり入りづらいと思う。

圧倒されちゃうというか。

でも、逆に、一歩でも「中」に入れば、友達の友達はいつも友達のような雰囲気でした。

私もコインブラで初めて会った人たちが何人もいましたが、みんなすごい親切で、

私がすぐにポルトに発つと言ったら、泊まってけ泊まってけと、何回も何回も言われて。

(私のリスボンの友達は2日間くらいコインブラにいる予定だったから、私だけがすぐにいなくなる感じだったんです。)

イタリア・スペインとかのラテン系の人たちもそういうところはあるけど、比じゃないです。

友達の友達は友達を超えてすでに家族であるくらいの近さ。

おおらかです。本当に。

私は日本人だったし、ポルトガル語もわからなかったけど、差はないです。

むしろ、ポルトガル語しゃべれたらどんだけ近かったんだろう。笑





とにかく、これが私のポルトガル旅行を特別にした経験でした。

異文化交流しました~☆とかっていうより、

また新しい社会を見て、今まで見てきたものが相対化された感じ。

サンプルがいっぱいあれば、比較ができるんです。

もちろん、今回ちらっと見ただけの例で断定するのはよくないのはわかってますが、

そんな風に少し見ただけなのに、こんなに考えさせられるのもまたすごいと思いました。




ポルトガル、深いです。笑

今回のポルトガル旅行では、
LISBOA
COIMBRA
PORTO
の三都市を回りました。


基本的に、ブログでわざわざ

「○○行きました~~☆すごくきれいでした~☆」

とか書くのはあまり意味を感じられないので、書きません。


でも、自分が旅行の前に色々ネットで情報探してたときに(ガイドブックがないし買うと高いから)、

意外とブログの情報が役に立ったので、

どこかで誰かの役に立てば…という意味で、私の知っている情報を公開します。笑

ポルトガルに行く予定のない人はスルーしてもいいかもしれません。



・LISBOA

リスボンは、個人的にマドリードみたいだなぁと。

首都で、まぁ大きい都市で、

○○広場とかがあったり、お城があったり…

まぁレトロなトラムが街並みを走る風景がよかったり、とかはありますが、

なんか特別これ!っていうのはあまりないような気がしました。

(マドリードやリスボンにゆかりのある方ごめんなさい。)

2日くらいを観光のためにみていたのですが、結局リスボン自体は1日のみ。

むしろベレンまでも行ってしまいました。

まぁそれは車があったからこそできたことかもしれませんが。


でも、個人的には、もしリスボンに行くなら、ぜひその周辺を見てほしいなぁと思ったのです。

ベレン、カシュカイシュ(カスカイス)、シントラ。


どれもリスボンと比べたら小さいし、リスボンの郊外にあたるので少し面倒かもしれませんが。

でも、リスボンよりもその土地ならではのものがあるような気がしたのです。




ベレンでは、エッグタルトが有名なお店があるので、

発見の塔やベレンの塔を見るのためではなく、

そのエッグタルトを食べるために行ってほしいくらいです。

値段もすごく安いです。

地元の人も買いに来る感じです。




カシュカイシュは、浜辺の街です。

すごく小さいです。

ここは時間がなければパスしてもいいかも。

何かがあるわけではなく、

浜辺の可愛い街って感じです。

1時間あれば十分な気が。

余裕があれば。




シントラは、多分一番遠いんだけど、個人的には一番おすすめです。

ぺーナ宮殿しか見れなかったけど、ほかにももう一つ宮殿があり、お城がさらに2つあります。

他のを見てないから断言はできないけど、

ぺーナ宮殿を見るだけでも、シントラに行く価値はあると思います。

というかリスボン一帯の中で、ペーナ宮殿が一番印象に残りました。

宮殿なんだけど、

いわゆるヨーロッパの宮殿、というわけでもなく、

ムスリム様式の宮殿でもなく、

とにかくいろんなものが混ざっていて、不思議な空間です。

しかも、お城は山の上にあるんですが、

山全体がお城の公園になっていて、

お城のある山の向かいに、もう一つ山があって、

そのてっぺんまで行くと、カシュカイシュはもちろん、リスボンまでが一望できて、

さらに、森が広がる中、山の上のてっぺんに宮殿が浮かびある姿がみれます。

かなり神秘的です。

その”公園”も、森の中の散策っていう感じです。

変な形の木があったりしてさらに神秘さを増していました。

そしてその”公園”の中にある小さな池で、生まれて初めて黒鳥を見ました。

バレエを習っていたので、「白鳥の湖」という作品にはかなり親近感があるため、

黒鳥見たとき感動してしまいました。

というか本当のことを言うと、黒鳥はバレエの作品の中にしか存在しないと思っていました。

実在するんだ、と。


とにかく、おすすめです。

言った通り、シントラ自体もリスボンから遠いですが、

ペーナ宮殿はそこからさらに山の上にあるので、徒歩は不可能です。

バスは出ていますが、私は友達が車で山を登ってくれて乗っていないので、細かいことはわかりません。


でも、電車の時間やバスの時間を調べて、ぜひ行ってみてください。

車運転できるなら、レンタカーもありかもしれません。


ちなみにリスボンは、丘の上にあるお城から見た景色がきれいでした。

お城自体は何もありません。

モンジュイックのお城みたいな感じです。






・COIMBRA

コインブラは、カシュカイシュほどではないけど、小さな街です。

でも、都市です。

スペイン人の友人にきれいだよ~って言われたし、

ポルトにいく通り道にあるので、途中下車感覚で行くことにしていました。

ポルトガル最古の大学があり(しかない?)、その中の図書館が有名です。

それだけ見れれば十分だと思います。

私も本来は2,3時間の滞在の予定でした。


でも、なんと偶然にも、コインブラ大学の大きなお祭りの時期だったんです。


ここで少しポルトガルにある大学のお祭りについて。

多くの海外の大学は9月に始まるので、つまり6月頃が卒業式シーズンなわけです。

で、ポルトガルでは、その1か月前の5月に、各都市ごとに、それぞれ卒業生たちのお祭りが1週間あります。

コインブラ大学はポルトガルでも一番有名な大学なので、

そのお祭りもかなり大きいそうです。

卒業生たちはみんな、黒のスーツ(女の子は皆スカートのスーツでした)に黒のネクタイを締め(女の子も)、黒のマントを羽織ります。

また、それぞれの学部に色があり、その色のリボンをどこかにつけていたりします。

そう、まさにまるでハリー・ポッターの世界。

お祭り自体は、比較的学生たち向けのもののような気がしました。

フットサルの大会があったり、夜はお酒飲んで騒いだり…などなど。

一週間授業もなくなります。

ちなみにお祭りの時期は各年ごとに異なるそうです。




・PORTO

個人的にはこの三都市のなかでポルトが一番好きです。

というか、今まで行った都市の中で好きな街ベストに入るくらいです。

ポルトワインが有名です。

ワインというよりリキュールに近くて、度数も19くらいと、少し強めです。

でも、甘くてフルーティーでおいしいです。

ポルトの街を流れる川の反対側には、ワインセラーがたくさんあります。

ポルトの歴史地区も街自体が世界遺産になっているみたいです。


ちなみに、ポルトガルの街は、リスボンもコインブラもポルトも、

全て街自体が山(丘?)でした。

坂がきついです。とくにリスボンは激しいです。

でも、だからこそ、ポルト「から」ではなく、ポルト「を」見た景色はかなりかなりきれいです。

ポルトには川が流れていて、反対側と結ぶ橋があるのですが、

反対側も同じように山になっていて、

ちょうど橋のいくつく先の高いところがGAIA(ガイア)というのですが、

ガイアから見たポルトの街は涙がでそうになるくらい感動します。

私は反対側に渡るときは橋の高い方(40mくらいあると思う)、戻るときは下の方を通りました。

レインボーブリッジみたいに、二段になっています。


そしてこれもまた偶然なんですが、さっき紹介した大学卒業生のお祭り、たまたまポルトでもやっていました。

友達の話によると、コインブラのお祭りと時期が被るのは初めてだそうです。

とてもラッキーでした。





ちなみに、都市間移動はバスをおすすめします。

電車とそんな時間が変わらず、値段は大分安いです。

学割もあります。

REDE EXPRESSOS

という名のバス会社です。

もう一つバス会社があるみたいですが、それはわかりません。



こんなところでしょうか。

あとはガイドブックやら口コミサイト(trip adviserなど)を見れば、メインの観光情報は手に入りまーす。
ポルトガルへ行ってまいりました!!!!

すごくよかった!

とにかく色んな事があって、書くことが多すぎるので、章立てで行きます!



留学生活も残り2,3か月で、既に色んな所にも行ったりして、

時間面でも金銭面でも限りはあるけど、

ポルトガルは国も小さいし、ヨーロッパの中ではスペインの次に日本から遠いし、

今を逃したら次いつチャンスが訪れるかわからない!行くなら今だ!

と思って行ってきました。



実際ポルトガルは物価もかなり安いし、

私は行った都市全てに現地の友達がいたので、

宿代も交通費もかなり浮きました。

(友達が車だしてくれたのです。)

ということで、5月の生活費を残したまま行ける計算も立っていたし、

実際終わって計算してもかなり安かったです。


…日本から行ったらこうはいかないはず…

むしろ”わざわざ”遠くて小さい国に行く感じになっちゃうはず…。






まぁ、いずれにせよ、本当に行ってよかったのです!

詳しくは今から書いていきます!

深い旅行だったなと思います。
モラトリアムとは。

「社会的責任を一時的に免除あるいは猶予されている青年期をさす。生きがいや働きがいを求め、発見するための準備を整える一方、自分の正体、アイデンティティを確定できず、無気力、無責任、無関心など消極的な生活に傾きながら、自我の同一性を確立していく。」
(ブリタニカ国際大百科事典)

だそうな。


もう一つ、高校倫理をやった人ならきっと知ってる単語。


マージナル・マンとは。

「周辺人・境界人ともいう。異文化への移行や人種的混血によってそういなる文化にはさまれ、そのどちらにも完全に同化できず、いつも『まなざし』の意識をもちながら破滅的な不適応に陥っていく人間の類型。その後この語は一般に文化、規範の異なる複数の集団に所属している人間をさすようになった。また、子供の世界とおとなの世界の境界に立ち、どちらにも帰属しきれずに動揺する青年世代に対していうこともある。」
(ブリタニカ国際大百科事典)

だそうな。





ふと思い出して、何となく気になったから辞書で探してみた。

高校倫理では、どちらも「青年期の特徴」のような紹介をされていた記憶があったけど、

意外とちゃんと探してみると、元々の意味があって、それが青年期にも使われているってだけだった。



モラトリアム。

必ずしも消極的でないとも思うけど…、

消極的な生活に傾きながら、自我を確立していく時期なのか。



マージナル・マン

もともとそういう意味があったのか!と驚き。




まぁ、こんな言葉を出してみたのは、

青年期かどうとかは別として、

少なくとも人生におけるステップで、

次の段階に行ってないという自分の状況を思ってのことです。

いい悪いはおいといて。



そしてそんな自分を考えると、

浪人もそうだったなぁと思い出されて。

そうすると高3時代とかも思い出されて。

なんとなく似てるなぁと。今と。

要は、次のステップに行くときに、自分はいつも「つまずいてる」な、と。

次のステップを受け入れることに、いつも人より時間がかかってるな、と。



高3になって勉強って何なのかよくわからなくなったけど(かなり根本的なレベルで)、

浪人時代にいきなり視界が開けた感じがしたこと。

勉強だけじゃなく、色んな意味で。

「学校」ではない集団にいることは大きかったと思う。



大学3年も、かなり視界が真っ暗だった。

そんなんで就活は絶対不可能だったようにも思う。

もちろん留学のことで本格的に動き出すのは2年の後半だからもっと前なんだけど…

逆に留学決めてなかったらどうなってたか。

就活浪人?笑(えない。)

そして今実際、浪人時代のように、価値観の全く違う社会に自分を置いてみて、

自分にはそれがすごく必要だったんだと思う。



こっち来て、やっと落ち着いて社会と向き合えるようになった。

ただただ真っ暗に考えるんじゃなくて。

そして社会と向き合いながら自分とも向き合う。

来るまでは、もっと自分にばっか焦点が当たってたとも思うけど、

今はもっと社会の中でどうか、っていう考え方をしてるような気がする。

他者を見ることで自己を見るってことなのでしょう。




留学で何を得たか。

これについては、私は絶対一言で答えたくない。

今までのブログで書いてきた以上のこと、

些細なことでも、とにかく絶対言葉に表しきれないものを得たと思ってる。

でも、気づいたことはどんどん言葉にして、しっかり見つめたいとも思う。

一言ではなく、しかっり考えながら書いた文章に残して。




人によっても違うだろうし。

そもそも私は元々の意味でのマージナル・マンだから(笑)、

絶対感じるところは周りの人たちと結構違うような気もする。




こっちで会ったヨーロッパの友達は、

留学が、人生におけることだ、って言ってた。

それくらい大事なこと。

私もそう思う。

人生変えるよね。

もしくは生き方。

もしも、どうしても一言で表さないといけないとしたら、こう言う。



もちろん、就活用に、もう少し「実用的な」答えも用意しようとは思う。

それも頭の片隅には置いてる。

気づいたときにどっかに書きとめよう。

その作業も大事だとは思うから。





人生人それぞれ。

とにかくこれに限る。

周りを見ても仕方ない。

自分の価値観を持つのが大事。

そのうえで周りを見るのは大事。


自分の価値観が大多数じゃないと、自信がなくなりそうになるけど、

そこを踏ん張る。

数に負けないように。

少数派がいいと言ってるわけでなく、

多数派にいるときはこんなこと考える必要もないから。



何が言いたいのか。

私は今、この留学の意味について考えているんですよ、

ということが言いたいのだと思う。


結論を出すのはいつも怖い。

結論出すと、その先もう考えないような気がするから。

結論は一生出さないかもしれない。

ただ、留学というできごとを、

その都度、その時の視点で見るのみ。


そしてこういう今にも消えそうな考えが本当に消えちゃうのは嫌だから、書くのです。
さてさて、お次はもう少し誰かの役に立ちそうなお話…。



スペインの病院の制度なんですが、

みなさんCAP(カップ)という存在知ってましたか。

私は知りませんでした。笑


風の噂で、スペインでは公立の病院なら外国人でもタダだ、というようなことは聞いたことありました。

でも、細かいことはわからないし、どうせ海外旅行保険も入ってるからなんとかなるだろう、

という甘い考えから、特に調べてはいなかった…。

当然、いざ体調が悪くなってしまえば、そんなの調べてる余裕はないです。

なので、海外にいるみなさん、どうぞ前もって調べてください。笑



実はこのCAPというのも、今回病院に行ってから、そこのお医者さんに教えてもらったものなんですが、

本当に細かいことは私もわからないし、今大統領やらが変わって法律も色々変わってるらしく、

どこまでが正しいかわからないんですが、概要は、

CAPというのは公立の病院で、ただし、日本でもよく見かけるような、小さい町中のクリニック程度の病院で、あまり重い病気じゃないときに行くようなものです。

そして、empadronamiento(在留資格的な?NIEをもっているかは大事だと思います。)を持っていれば、

無料、もしくはかなり安い値段で診察してもらえる、とのこと。

そしてCAPは、その人の住所ごとに、一番近い特定の病院が決められていて、

google検索でCAPと自分の住所を入れれば、確実に出てくるとのこと。

そしてたとえば今回私は、私立のでっかい病院に行ってしまったので、救急に行くことになったけど、

CAPで十分だったということ。

診察してもらうときには、hoja de empadronamiento を持っていく必要があるとのこと。

です!

ambulatorio (外来診療専門) の病院で、公立、ということみたいですね。

カタルーニャだけかもしれないので、他の州でどうなってるかはわからないけど、

他の州でもambulatorioについて調べとくのは絶対損はないと思います。





そして次は海外旅行保険について。


実は、私はたまたま、かなり格安の海外保険を見つけまして。

1年間で、なんと530€くらい。

日本の会社だと、最低でも10万はくだらないんですが…。

ただ、盗難に対する補償はありません。

でも、病気に対するものは、かなり補償があつかった。

ものは自分で気を付けるしかない、と思い、ここと契約しました。


病院に行くときは、念のため、この保険の契約書、パスポート、NIE、などなど、

思いつく限りの書類を持って行ってたので、わりとスムーズに病院での手続きもできたし、

向こうも保険会社に出す書類を出してくれました。

でも、一つ、問題まで言わないけど、厄介なのが、今回は、まずは自分で支払わなければならなかったこと。

幸い、まだ自分で支払える額だからいいものの、ちょっと面倒ではある。この保険会社の第二の難点。



家に帰って、メール打つくらいは平気だったから、すぐに保険会社にメールして、

どう手続するのか聞いてみました。

契約の時やこういうやりとりは、全部日本人が対応してくれるんですが、

いかんんせんフランスに本社がある保険代理店。

診察内容を英語で書いて、送れとのこと。。。

第三の落とし穴ですね。

まぁめんどくさいだけであって、できないわけではないので、やるしかないのですが。

確かこの会社、24時間対応の電話も、ヨーロッパ圏の言語のみ、って書いてたような。

これも、話せないわけではないからどうにかなるだろ、って思って契約したんですよね。



でも、対応は早いし、悪くはないと思いましたが。

まだまだお金を還付してもらったわけではないので、今後何も問題がなければいいのですが…。



この保険会社にして後悔したーというわけではないです。

でも、みなさんちゃんと契約する前に色々見てください。

自分に合ったものを選んでください。



以上!笑