さて、いよいよ本題です。
前置き長くてすみません。
本題も長いですが。
ポルトガルで考えたこと一つ目。
黒人社会について。
もう少し広く言うと、人種や移民、制度、文化について。
私の思うところを書く以前に、現実として見える部分を書くだけで終わってしまいそうですが、
すごく色々なものが見えてきました。
今回は、リスボンにもポルトにも友人がいました。
でも、リスボンの友達は、アフリカ出身の子。
ポルトの子は、白人の子。
コインブラには、リスボンの子と行きました。
話を始める前に、ポルトガルとアフリカの簡単な歴史を念のため説明します。
語弊や間違いがあったらご指摘を。
アフリカの植民地化は、大航海時代に進み始め、
19世紀にはほぼ今の国家領域に繋がるかたちで、
ポルトガルを始め、フランス、ドイツ、イギリス、イタリア、スペインなどが植民地化しました。
ポルトガルの植民地だったのは、例えば
カビンダ、モザンビーク、アンゴラ、カーポベルデ…
などだそうです。
さらに、ポルトガルでは独裁政権が1974年まで続いていて、
これらのアフリカ植民地も、その後に独立国家になっています。
つい最近なのです。
スペインとポルトガルは、言葉も街並みも似てるけど、こういう歴史も似てますね。
こういうわけで、ポルトガル、特にアフリカに近いリスボンは、黒人が本当に多いです。
真ん中あたりにあるコインブラも多かったです。
私の友人も、カーポベルデ(アフリカ大陸の西側にある諸島)の出身です。
そしてリスボンの街中では、白人と数が半々くらいのように感じました。
それに比べて北にあるポルトにはあまりいないようでした。
ただ、黒人といっても、真っ黒な黒人だけじゃありません。
こげ茶くらいの人、黄土色くらいの人などもたくさんいます。
むしろ真っ黒な黒人は少数かも?
私の友人も、おじいちゃんはポルトガル人(白人)だそう。
だから、こげ茶くらい。黄土色までいかないけど。
あ、余談ですが、イタリアでは黒人と白人のミックスをカフェラテと呼ぶそうです。
あと、日本語のハーフという言葉には、もともと「基本的に純血」であるという意識が伺われるなぁと思いました。
こっちでは、もっともっと色んなものが混ざってる。
フランスやらイタリアやらドイツやらなんでもいいけど、日本のように「基本的に純血」という考えは成り立たないなと思いました。
まぁ、国籍与える際に血統主義をとっている時点でそういう考え方が成り立ちやすいし、
「基本的に純血」が成り立ってると錯覚しやすい社会が日本にはあるとも思うんですが。
さて話を戻しまして。
先に少しバルセロナの話をすると、
バルセロナには、あまり黒人さんはいません。
「違う文化の人(≒外国人)」で多いのは、圧倒的にパキスタン人と中国人。
たまに見かけるのは、イスラム系の人。スカーフ巻いてる女性をたまに見かけます。
あとは南米の人たちでしょうか。
ただ南米もかなり混血が進んでいて、どう言ったらいいかよくわからないんですが、
例えば、明らかにインディオの特徴を残している人、
アルゼンチンなどに多い、完全に白人に近い人、
少し東アジアに近い特徴を持つ人、
白人!って感じではないけど、白人に近いながらも少しインディオ系に近いような人
などなど。
そういう人たちがどういう国籍や在留資格を持っているのかわかりません。
でも、明らかに、子供連れの人は、国籍も持っているんじゃないかと。
こっちは出生地主義なので、生まれた地で国籍を取得できます。
そしてここで生まれた子供を持つ親にも、自然と少なくとも在留資格は与えられます。
そこで気づいたんですが、
バルセロナのパキスタン人だけが、子供がいないのです。
中国人は、完全に現地で生まれ育っているような風です。
(もちろん彼ら同士では中国語でしゃべってるし、彼らのネットワークもかなり強いんだろうなぁって思うけど。)
たまに、白人とつるんでる、中高生くらいの中国人も見ます。
つまり学校の友達といるということ=現地の学校に通っているということ。
ちなみに中国人に関して言うなら、大学では留学生しかみかけません。
これは私の推測ですが、きっと高校(若しくは中学もあるかもしれません)卒業したらすぐ働くんだと思います。
以前、8歳くらいのスペイン語ネイティブの中国人の男の子が、お店を切り盛りしてるの見かけたので。
そのお父さんはスペイン語ほとんどしゃべれてなかったです。
逆に、わざわざこっちに来て勉強しに来てる中国人は、いわゆるエリート層なのだと思います。
イスラム系の人は、こういう分析できるほどの数をみないので何とも言えません。
が、すくなくとも私の学校ではあまりみないです。少なくともスカーフ巻いてるような人は。
ただ、イスラム系の人たちって、スカーフさえ巻いてなければ身体的特徴はかなり白人にもちかいし、
逆にスペインの白人たちは、金髪・青い目というような「いわゆる白人」という感じでもないので、
正直見分けを付けられていないだけかもしれません。
そもそもイスラム系っていう言い方自体が曖昧すぎるけど。
アラブ系というと逆に狭すぎる気もするし。
中心地でケバブ屋さんやってるのは、どちらかというとパキスタン人が多いのではないかと思う。
そしてそのパキスタン人なんですが、バルセロナにいる彼らは、基本的に20~40代の男性だけです。
お店を構えて働いてる人、道端で明らかに誰も買わなさそうなものを売ってる人、
夜の街で遊ぶ若者相手にビールやら水やらの飲み物やサンドイッチなどを売ってる人。
夏になれば、ビーチを歩き回って同じように色んな飲み物売ってます。
最初は、そんな仕事だけしてやってけるのかな?ってすごく不思議でした。
でも、きっと(もはや絶対)、彼らのネットワークのなかで何かが成り立っているんだろうなって思います。
どんな風に成り立ってるのか知らないけど。
彼らがどんなところで生活してるかはよくわかりません。
彼らが「生活しているところ」を見たことがないのです。
あんなにたくさん人がいるのに、近所のスーパーで出会うとかもない。
どっかのBarで見かけるとかもない。
常に働いている。
もちろん私が見ているのが特定の誰かであるわけではないですが。
でも、たまに、バルセロナの郊外とを結ぶ電車に乗ると、パキスタン人を見かけることがあります。
どこで降りてるのかわからないけど、きっと市内ではなく郊外に住んでいるのだろうと思います。
そしてポルトガルの黒人社会は、またこれともう少し違うのです。
私が出会った黒人社会は、リスボンとコインブラだけですが、
例えば、彼らの多くはポルトガルに完全に根を下ろしている。
大学にも通ってるし、車も持ってるし、たまにすごくお金持ちそうな人もいたり。
でも、大半は富裕層ではない。
すごく貧しいわけではなく、中流階級というか。
レストランでもBarでも黒人さんのお客さんを見かけるし。
とにかく、出稼ぎではなく、普通に生活しているのです。
そして、今度ここで思い浮かんだのが在日韓国・朝鮮人の存在でした。
例えば在日は、植民地時代に多くの人が朝鮮半島から日本にやってきたけど、
独立後は、来てない。
というか、来てるけど、親の仕事の関係で韓国から来た在日韓国人や韓国からの留学生と、
植民地に根を持ついわゆる「在日」は、全くもって質が違う。
そしてここで私が言いたいのは、後者の「在日」の方。
そしてこの「在日」は、ポルトガルの黒人社会と全く違う。
一般的に分析するには、ポルトガルの黒人社会を知らなさすぎるので、ますは私が今回見た黒人社会をお伝えします。
たとえば、私の友人は、生まれはカーポベルデで、9歳くらいまでそこで育ったそう。
そして今回色々車を出してくれたのは、その友達の友達で、その人は生まれはポルトガルで、ポルトガルでは9歳くらいまで生活して、その後パリにずっといたそう。
その子も両親はカーポベルデなので、ポルトガル語もフランス語も話すけど、クレオールも話します。
その子はスペイン語をフランスで勉強したみたいで、スペイン語も話せました。
※ちなみにクレオールについて。
色んな意味がありすぎて、文脈をしっかり読まないと意味がわからないことばです。
例えばスペイン語ではクリオーリョ(クリオージョ)(criollo)となり、ラテンアメリカで生まれたヨーロッパ人を指します。
また日本語ではラテンアメリカ生まれのヨーロッパ人をさすときも、クリオーリョになります。(クレオールではなく。)
でもクリオーリョもクレオールもどう考えても同じ言葉だし(多分クレオールははフランス語風の言葉)、
私の友人もスペイン語で私と話すときは母語がcriolloだと、言っていました。
また、クレオール語という風に使われるときでさえも、ある一つの特定の言語をさすわけではないみたいです。
恥ずかしながら私は、アフリカのある地域のもともとの言語とそこを植民地化したフランス語の二つが混ざった、ある特定の言葉だと思っていましたんですが、
少し極端に言うと、本当は、「二つの言語が混ざった言葉がクレオール語」、という感じです。
なので私の友人も、もともとあったであろうカーポベルデの言葉とポルトガル語の混ざったタイプのクレオール語と、カーポベルデの公用語になったポルトガル語を話します。
その子は、「自分の母語はクレオール語だ」と言っていましたが、多分ポルトガル語も完全に母語だと思います。
教育は全部ポルトガル語でうけているはずなので。
かなりややこしいですね。
また話を戻して。
つまり、ポルトガルの黒人さんたちは、今でも移動があるみたい。
どういう傾向が強いのかはわからないけど、少なくとも「在日」はほとんど移動してない。
そしてポルトガルの黒人社会なんですが、かなり連帯が強いです。
「在日」も強いけど、もっとだと思う。
初めて会った人でも、同じカーポベルデなら、家族のように接している。
それはアフリカ特有の文化なのかもしれないけど。
でもそういうのも含め、ポルトガルに住んでいる黒人さんたちは(私が見たのはカーポベルデの人たちだけですが)、かなりアフリカ文化を維持しています。
友達の話によると、カーポベルデのお祭りはお祝いしたり、
カーポベルデの人同士で話すときはクレオールとポルトガル語混ぜて話したり。
もしかしたら、1世代分独立が朝鮮半島より遅れた、というだけかもしれない。
例えば、「在日」の場合私の年代は主に3世にあたるけど、
ポルトガルでは、1世、2世の世代なのかな、と。
現に私の友人も1世なわけだし。
また、ポルトガルの、元植民地国に対する制度面での補償は、日本より厚いと思いました。
例えば、「在日」は確かに永住権はあるけど、その他の面に関しては完全に外国人です。
植民地じゃなくなった後は、あななたちは外国人です、って線引いて、ほったらかしっていう感じがする。
ポルトガルは、出生地主義だし、友達曰く、元植民地国の人に対しては国籍取得が簡単にはなってるらしい。(調べたわけではなく、友達の話を聞いただけなのですが。)
私は国籍=市民権だと思ってるので、もらえるならぜひ日本国籍が欲しい、と思うようになりました。こっち来てから。
多くの「在日」は、多くの日本人と同じように、国籍=文化って思いがちだから、
日本国籍を取得(=韓国籍の放棄)は「非国民」とうつりやすいかもしれないけど。
でも、日本で生活しているんだから、日本の国籍は必要です。
特に日本みたいに外国人に対して閉鎖的な社会では、普通に生活するためにはより一層必要だと思う。
求めるべきは、
「在日」の権利向上ではなく、
「日本国籍の取得」なのです。
コインブラでは、私のリスボンの友達の友達が住んでいて、着いたらまずその人の家に行きました。
前回のブログで言ったように、大学のお祭りがあって、
黒人さん大学生たちだけのフットサルの大会もあるみたいでした。
そのコインブラの友人は、そのフットサル大会でアフリカ料理を売るために、大量に作っていました。
私たちのためにお昼ご飯(アフリカ料理)も用意してくれたので、
私もアフリカ料理作りのお手伝い。
…まさかポルトガルでこんなことになるなんて。笑
コインブラは、その大学のお祭りを見るために、少し滞在時間を延ばしたのですが、
結局お祭りはあまり見れず(というか昼のお祭りは次の日の方が大きいし、基本的には夜騒ぐ感じなんだと思います)、
見たのは大学とそのフットサル大会とアフリカ料理作り。
でも、かなり価値は高いです。
そもそも観光という意味では大学とその図書館さえ見れれば十分なので。
フットサル大会は、本当に黒人さんたちしかいませんでした。
フットサルができる少し古めのどこにでもありそうな体育館に、
コインブラの黒人さんたちが集結。
自分でも、そんな中に一人日本人がいることがかなり滑稽でした。笑
フットサルのチームも、ナショナルチームになっていました。
コインブラ、アンゴラ、モザンビークなど、
それぞれの出身地ごとにチームを組んでいるのです。
白人さんたちは、フットサルはやらないそう。
11人のサッカーは一緒にカップ戦をしたりするそうなのですが。
白人と黒人が仲良くしてないのか、ただ純粋に11人のサッカーが好きなのかはわかりませんが、
私のリスボンの友達によると、仲悪いわけじゃないけど、あまり黒人の輪の中に入ってこないそうです。
確かに、偏見という以前に、あれだけ黒人さんたち、つまり明らかに「自分と違う」人たちが固まっていれば、正直圧倒されます。
私も、友達と一緒にいれば笑っていられますが、
例えばトイレ行ったりしてひとたび一人になれば、かなり気が小さくなりました。笑
体育館の前では、車に積んだスピ―カ―から音楽ガンガンに流して、
その音楽に合わせて、独特のリズムをとりながらダンスをして。
日本の大学でアフリカの授業を受けていたときに見た映像を少し思い出しました。
もちろんアフリカだって地域ごとに色々ちがうだろうけど、
ラテン系の人々をさらに上回る熱気というか…そういうのは共通しているような気もしました。
まぁ少なくとも私が今言ってるのはポルトガルにいる黒人さんの話ですが。
黒人さんたち。
確かにみんな固まってるので、一歩でもその「外」に出てしまうとやっぱり入りづらいと思う。
圧倒されちゃうというか。
でも、逆に、一歩でも「中」に入れば、友達の友達はいつも友達のような雰囲気でした。
私もコインブラで初めて会った人たちが何人もいましたが、みんなすごい親切で、
私がすぐにポルトに発つと言ったら、泊まってけ泊まってけと、何回も何回も言われて。
(私のリスボンの友達は2日間くらいコインブラにいる予定だったから、私だけがすぐにいなくなる感じだったんです。)
イタリア・スペインとかのラテン系の人たちもそういうところはあるけど、比じゃないです。
友達の友達は友達を超えてすでに家族であるくらいの近さ。
おおらかです。本当に。
私は日本人だったし、ポルトガル語もわからなかったけど、差はないです。
むしろ、ポルトガル語しゃべれたらどんだけ近かったんだろう。笑
とにかく、これが私のポルトガル旅行を特別にした経験でした。
異文化交流しました~☆とかっていうより、
また新しい社会を見て、今まで見てきたものが相対化された感じ。
サンプルがいっぱいあれば、比較ができるんです。
もちろん、今回ちらっと見ただけの例で断定するのはよくないのはわかってますが、
そんな風に少し見ただけなのに、こんなに考えさせられるのもまたすごいと思いました。
ポルトガル、深いです。笑
前置き長くてすみません。
本題も長いですが。
ポルトガルで考えたこと一つ目。
黒人社会について。
もう少し広く言うと、人種や移民、制度、文化について。
私の思うところを書く以前に、現実として見える部分を書くだけで終わってしまいそうですが、
すごく色々なものが見えてきました。
今回は、リスボンにもポルトにも友人がいました。
でも、リスボンの友達は、アフリカ出身の子。
ポルトの子は、白人の子。
コインブラには、リスボンの子と行きました。
話を始める前に、ポルトガルとアフリカの簡単な歴史を念のため説明します。
語弊や間違いがあったらご指摘を。
アフリカの植民地化は、大航海時代に進み始め、
19世紀にはほぼ今の国家領域に繋がるかたちで、
ポルトガルを始め、フランス、ドイツ、イギリス、イタリア、スペインなどが植民地化しました。
ポルトガルの植民地だったのは、例えば
カビンダ、モザンビーク、アンゴラ、カーポベルデ…
などだそうです。
さらに、ポルトガルでは独裁政権が1974年まで続いていて、
これらのアフリカ植民地も、その後に独立国家になっています。
つい最近なのです。
スペインとポルトガルは、言葉も街並みも似てるけど、こういう歴史も似てますね。
こういうわけで、ポルトガル、特にアフリカに近いリスボンは、黒人が本当に多いです。
真ん中あたりにあるコインブラも多かったです。
私の友人も、カーポベルデ(アフリカ大陸の西側にある諸島)の出身です。
そしてリスボンの街中では、白人と数が半々くらいのように感じました。
それに比べて北にあるポルトにはあまりいないようでした。
ただ、黒人といっても、真っ黒な黒人だけじゃありません。
こげ茶くらいの人、黄土色くらいの人などもたくさんいます。
むしろ真っ黒な黒人は少数かも?
私の友人も、おじいちゃんはポルトガル人(白人)だそう。
だから、こげ茶くらい。黄土色までいかないけど。
あ、余談ですが、イタリアでは黒人と白人のミックスをカフェラテと呼ぶそうです。
あと、日本語のハーフという言葉には、もともと「基本的に純血」であるという意識が伺われるなぁと思いました。
こっちでは、もっともっと色んなものが混ざってる。
フランスやらイタリアやらドイツやらなんでもいいけど、日本のように「基本的に純血」という考えは成り立たないなと思いました。
まぁ、国籍与える際に血統主義をとっている時点でそういう考え方が成り立ちやすいし、
「基本的に純血」が成り立ってると錯覚しやすい社会が日本にはあるとも思うんですが。
さて話を戻しまして。
先に少しバルセロナの話をすると、
バルセロナには、あまり黒人さんはいません。
「違う文化の人(≒外国人)」で多いのは、圧倒的にパキスタン人と中国人。
たまに見かけるのは、イスラム系の人。スカーフ巻いてる女性をたまに見かけます。
あとは南米の人たちでしょうか。
ただ南米もかなり混血が進んでいて、どう言ったらいいかよくわからないんですが、
例えば、明らかにインディオの特徴を残している人、
アルゼンチンなどに多い、完全に白人に近い人、
少し東アジアに近い特徴を持つ人、
白人!って感じではないけど、白人に近いながらも少しインディオ系に近いような人
などなど。
そういう人たちがどういう国籍や在留資格を持っているのかわかりません。
でも、明らかに、子供連れの人は、国籍も持っているんじゃないかと。
こっちは出生地主義なので、生まれた地で国籍を取得できます。
そしてここで生まれた子供を持つ親にも、自然と少なくとも在留資格は与えられます。
そこで気づいたんですが、
バルセロナのパキスタン人だけが、子供がいないのです。
中国人は、完全に現地で生まれ育っているような風です。
(もちろん彼ら同士では中国語でしゃべってるし、彼らのネットワークもかなり強いんだろうなぁって思うけど。)
たまに、白人とつるんでる、中高生くらいの中国人も見ます。
つまり学校の友達といるということ=現地の学校に通っているということ。
ちなみに中国人に関して言うなら、大学では留学生しかみかけません。
これは私の推測ですが、きっと高校(若しくは中学もあるかもしれません)卒業したらすぐ働くんだと思います。
以前、8歳くらいのスペイン語ネイティブの中国人の男の子が、お店を切り盛りしてるの見かけたので。
そのお父さんはスペイン語ほとんどしゃべれてなかったです。
逆に、わざわざこっちに来て勉強しに来てる中国人は、いわゆるエリート層なのだと思います。
イスラム系の人は、こういう分析できるほどの数をみないので何とも言えません。
が、すくなくとも私の学校ではあまりみないです。少なくともスカーフ巻いてるような人は。
ただ、イスラム系の人たちって、スカーフさえ巻いてなければ身体的特徴はかなり白人にもちかいし、
逆にスペインの白人たちは、金髪・青い目というような「いわゆる白人」という感じでもないので、
正直見分けを付けられていないだけかもしれません。
そもそもイスラム系っていう言い方自体が曖昧すぎるけど。
アラブ系というと逆に狭すぎる気もするし。
中心地でケバブ屋さんやってるのは、どちらかというとパキスタン人が多いのではないかと思う。
そしてそのパキスタン人なんですが、バルセロナにいる彼らは、基本的に20~40代の男性だけです。
お店を構えて働いてる人、道端で明らかに誰も買わなさそうなものを売ってる人、
夜の街で遊ぶ若者相手にビールやら水やらの飲み物やサンドイッチなどを売ってる人。
夏になれば、ビーチを歩き回って同じように色んな飲み物売ってます。
最初は、そんな仕事だけしてやってけるのかな?ってすごく不思議でした。
でも、きっと(もはや絶対)、彼らのネットワークのなかで何かが成り立っているんだろうなって思います。
どんな風に成り立ってるのか知らないけど。
彼らがどんなところで生活してるかはよくわかりません。
彼らが「生活しているところ」を見たことがないのです。
あんなにたくさん人がいるのに、近所のスーパーで出会うとかもない。
どっかのBarで見かけるとかもない。
常に働いている。
もちろん私が見ているのが特定の誰かであるわけではないですが。
でも、たまに、バルセロナの郊外とを結ぶ電車に乗ると、パキスタン人を見かけることがあります。
どこで降りてるのかわからないけど、きっと市内ではなく郊外に住んでいるのだろうと思います。
そしてポルトガルの黒人社会は、またこれともう少し違うのです。
私が出会った黒人社会は、リスボンとコインブラだけですが、
例えば、彼らの多くはポルトガルに完全に根を下ろしている。
大学にも通ってるし、車も持ってるし、たまにすごくお金持ちそうな人もいたり。
でも、大半は富裕層ではない。
すごく貧しいわけではなく、中流階級というか。
レストランでもBarでも黒人さんのお客さんを見かけるし。
とにかく、出稼ぎではなく、普通に生活しているのです。
そして、今度ここで思い浮かんだのが在日韓国・朝鮮人の存在でした。
例えば在日は、植民地時代に多くの人が朝鮮半島から日本にやってきたけど、
独立後は、来てない。
というか、来てるけど、親の仕事の関係で韓国から来た在日韓国人や韓国からの留学生と、
植民地に根を持ついわゆる「在日」は、全くもって質が違う。
そしてここで私が言いたいのは、後者の「在日」の方。
そしてこの「在日」は、ポルトガルの黒人社会と全く違う。
一般的に分析するには、ポルトガルの黒人社会を知らなさすぎるので、ますは私が今回見た黒人社会をお伝えします。
たとえば、私の友人は、生まれはカーポベルデで、9歳くらいまでそこで育ったそう。
そして今回色々車を出してくれたのは、その友達の友達で、その人は生まれはポルトガルで、ポルトガルでは9歳くらいまで生活して、その後パリにずっといたそう。
その子も両親はカーポベルデなので、ポルトガル語もフランス語も話すけど、クレオールも話します。
その子はスペイン語をフランスで勉強したみたいで、スペイン語も話せました。
※ちなみにクレオールについて。
色んな意味がありすぎて、文脈をしっかり読まないと意味がわからないことばです。
例えばスペイン語ではクリオーリョ(クリオージョ)(criollo)となり、ラテンアメリカで生まれたヨーロッパ人を指します。
また日本語ではラテンアメリカ生まれのヨーロッパ人をさすときも、クリオーリョになります。(クレオールではなく。)
でもクリオーリョもクレオールもどう考えても同じ言葉だし(多分クレオールははフランス語風の言葉)、
私の友人もスペイン語で私と話すときは母語がcriolloだと、言っていました。
また、クレオール語という風に使われるときでさえも、ある一つの特定の言語をさすわけではないみたいです。
恥ずかしながら私は、アフリカのある地域のもともとの言語とそこを植民地化したフランス語の二つが混ざった、ある特定の言葉だと思っていましたんですが、
少し極端に言うと、本当は、「二つの言語が混ざった言葉がクレオール語」、という感じです。
なので私の友人も、もともとあったであろうカーポベルデの言葉とポルトガル語の混ざったタイプのクレオール語と、カーポベルデの公用語になったポルトガル語を話します。
その子は、「自分の母語はクレオール語だ」と言っていましたが、多分ポルトガル語も完全に母語だと思います。
教育は全部ポルトガル語でうけているはずなので。
かなりややこしいですね。
また話を戻して。
つまり、ポルトガルの黒人さんたちは、今でも移動があるみたい。
どういう傾向が強いのかはわからないけど、少なくとも「在日」はほとんど移動してない。
そしてポルトガルの黒人社会なんですが、かなり連帯が強いです。
「在日」も強いけど、もっとだと思う。
初めて会った人でも、同じカーポベルデなら、家族のように接している。
それはアフリカ特有の文化なのかもしれないけど。
でもそういうのも含め、ポルトガルに住んでいる黒人さんたちは(私が見たのはカーポベルデの人たちだけですが)、かなりアフリカ文化を維持しています。
友達の話によると、カーポベルデのお祭りはお祝いしたり、
カーポベルデの人同士で話すときはクレオールとポルトガル語混ぜて話したり。
もしかしたら、1世代分独立が朝鮮半島より遅れた、というだけかもしれない。
例えば、「在日」の場合私の年代は主に3世にあたるけど、
ポルトガルでは、1世、2世の世代なのかな、と。
現に私の友人も1世なわけだし。
また、ポルトガルの、元植民地国に対する制度面での補償は、日本より厚いと思いました。
例えば、「在日」は確かに永住権はあるけど、その他の面に関しては完全に外国人です。
植民地じゃなくなった後は、あななたちは外国人です、って線引いて、ほったらかしっていう感じがする。
ポルトガルは、出生地主義だし、友達曰く、元植民地国の人に対しては国籍取得が簡単にはなってるらしい。(調べたわけではなく、友達の話を聞いただけなのですが。)
私は国籍=市民権だと思ってるので、もらえるならぜひ日本国籍が欲しい、と思うようになりました。こっち来てから。
多くの「在日」は、多くの日本人と同じように、国籍=文化って思いがちだから、
日本国籍を取得(=韓国籍の放棄)は「非国民」とうつりやすいかもしれないけど。
でも、日本で生活しているんだから、日本の国籍は必要です。
特に日本みたいに外国人に対して閉鎖的な社会では、普通に生活するためにはより一層必要だと思う。
求めるべきは、
「在日」の権利向上ではなく、
「日本国籍の取得」なのです。
コインブラでは、私のリスボンの友達の友達が住んでいて、着いたらまずその人の家に行きました。
前回のブログで言ったように、大学のお祭りがあって、
黒人さん大学生たちだけのフットサルの大会もあるみたいでした。
そのコインブラの友人は、そのフットサル大会でアフリカ料理を売るために、大量に作っていました。
私たちのためにお昼ご飯(アフリカ料理)も用意してくれたので、
私もアフリカ料理作りのお手伝い。
…まさかポルトガルでこんなことになるなんて。笑
コインブラは、その大学のお祭りを見るために、少し滞在時間を延ばしたのですが、
結局お祭りはあまり見れず(というか昼のお祭りは次の日の方が大きいし、基本的には夜騒ぐ感じなんだと思います)、
見たのは大学とそのフットサル大会とアフリカ料理作り。
でも、かなり価値は高いです。
そもそも観光という意味では大学とその図書館さえ見れれば十分なので。
フットサル大会は、本当に黒人さんたちしかいませんでした。
フットサルができる少し古めのどこにでもありそうな体育館に、
コインブラの黒人さんたちが集結。
自分でも、そんな中に一人日本人がいることがかなり滑稽でした。笑
フットサルのチームも、ナショナルチームになっていました。
コインブラ、アンゴラ、モザンビークなど、
それぞれの出身地ごとにチームを組んでいるのです。
白人さんたちは、フットサルはやらないそう。
11人のサッカーは一緒にカップ戦をしたりするそうなのですが。
白人と黒人が仲良くしてないのか、ただ純粋に11人のサッカーが好きなのかはわかりませんが、
私のリスボンの友達によると、仲悪いわけじゃないけど、あまり黒人の輪の中に入ってこないそうです。
確かに、偏見という以前に、あれだけ黒人さんたち、つまり明らかに「自分と違う」人たちが固まっていれば、正直圧倒されます。
私も、友達と一緒にいれば笑っていられますが、
例えばトイレ行ったりしてひとたび一人になれば、かなり気が小さくなりました。笑
体育館の前では、車に積んだスピ―カ―から音楽ガンガンに流して、
その音楽に合わせて、独特のリズムをとりながらダンスをして。
日本の大学でアフリカの授業を受けていたときに見た映像を少し思い出しました。
もちろんアフリカだって地域ごとに色々ちがうだろうけど、
ラテン系の人々をさらに上回る熱気というか…そういうのは共通しているような気もしました。
まぁ少なくとも私が今言ってるのはポルトガルにいる黒人さんの話ですが。
黒人さんたち。
確かにみんな固まってるので、一歩でもその「外」に出てしまうとやっぱり入りづらいと思う。
圧倒されちゃうというか。
でも、逆に、一歩でも「中」に入れば、友達の友達はいつも友達のような雰囲気でした。
私もコインブラで初めて会った人たちが何人もいましたが、みんなすごい親切で、
私がすぐにポルトに発つと言ったら、泊まってけ泊まってけと、何回も何回も言われて。
(私のリスボンの友達は2日間くらいコインブラにいる予定だったから、私だけがすぐにいなくなる感じだったんです。)
イタリア・スペインとかのラテン系の人たちもそういうところはあるけど、比じゃないです。
友達の友達は友達を超えてすでに家族であるくらいの近さ。
おおらかです。本当に。
私は日本人だったし、ポルトガル語もわからなかったけど、差はないです。
むしろ、ポルトガル語しゃべれたらどんだけ近かったんだろう。笑
とにかく、これが私のポルトガル旅行を特別にした経験でした。
異文化交流しました~☆とかっていうより、
また新しい社会を見て、今まで見てきたものが相対化された感じ。
サンプルがいっぱいあれば、比較ができるんです。
もちろん、今回ちらっと見ただけの例で断定するのはよくないのはわかってますが、
そんな風に少し見ただけなのに、こんなに考えさせられるのもまたすごいと思いました。
ポルトガル、深いです。笑