モラトリアムとは。
「社会的責任を一時的に免除あるいは猶予されている青年期をさす。生きがいや働きがいを求め、発見するための準備を整える一方、自分の正体、アイデンティティを確定できず、無気力、無責任、無関心など消極的な生活に傾きながら、自我の同一性を確立していく。」
(ブリタニカ国際大百科事典)
だそうな。
もう一つ、高校倫理をやった人ならきっと知ってる単語。
マージナル・マンとは。
「周辺人・境界人ともいう。異文化への移行や人種的混血によってそういなる文化にはさまれ、そのどちらにも完全に同化できず、いつも『まなざし』の意識をもちながら破滅的な不適応に陥っていく人間の類型。その後この語は一般に文化、規範の異なる複数の集団に所属している人間をさすようになった。また、子供の世界とおとなの世界の境界に立ち、どちらにも帰属しきれずに動揺する青年世代に対していうこともある。」
(ブリタニカ国際大百科事典)
だそうな。
ふと思い出して、何となく気になったから辞書で探してみた。
高校倫理では、どちらも「青年期の特徴」のような紹介をされていた記憶があったけど、
意外とちゃんと探してみると、元々の意味があって、それが青年期にも使われているってだけだった。
モラトリアム。
必ずしも消極的でないとも思うけど…、
消極的な生活に傾きながら、自我を確立していく時期なのか。
マージナル・マン
もともとそういう意味があったのか!と驚き。
まぁ、こんな言葉を出してみたのは、
青年期かどうとかは別として、
少なくとも人生におけるステップで、
次の段階に行ってないという自分の状況を思ってのことです。
いい悪いはおいといて。
そしてそんな自分を考えると、
浪人もそうだったなぁと思い出されて。
そうすると高3時代とかも思い出されて。
なんとなく似てるなぁと。今と。
要は、次のステップに行くときに、自分はいつも「つまずいてる」な、と。
次のステップを受け入れることに、いつも人より時間がかかってるな、と。
高3になって勉強って何なのかよくわからなくなったけど(かなり根本的なレベルで)、
浪人時代にいきなり視界が開けた感じがしたこと。
勉強だけじゃなく、色んな意味で。
「学校」ではない集団にいることは大きかったと思う。
大学3年も、かなり視界が真っ暗だった。
そんなんで就活は絶対不可能だったようにも思う。
もちろん留学のことで本格的に動き出すのは2年の後半だからもっと前なんだけど…
逆に留学決めてなかったらどうなってたか。
就活浪人?笑(えない。)
そして今実際、浪人時代のように、価値観の全く違う社会に自分を置いてみて、
自分にはそれがすごく必要だったんだと思う。
こっち来て、やっと落ち着いて社会と向き合えるようになった。
ただただ真っ暗に考えるんじゃなくて。
そして社会と向き合いながら自分とも向き合う。
来るまでは、もっと自分にばっか焦点が当たってたとも思うけど、
今はもっと社会の中でどうか、っていう考え方をしてるような気がする。
他者を見ることで自己を見るってことなのでしょう。
留学で何を得たか。
これについては、私は絶対一言で答えたくない。
今までのブログで書いてきた以上のこと、
些細なことでも、とにかく絶対言葉に表しきれないものを得たと思ってる。
でも、気づいたことはどんどん言葉にして、しっかり見つめたいとも思う。
一言ではなく、しかっり考えながら書いた文章に残して。
人によっても違うだろうし。
そもそも私は元々の意味でのマージナル・マンだから(笑)、
絶対感じるところは周りの人たちと結構違うような気もする。
こっちで会ったヨーロッパの友達は、
留学が、人生におけることだ、って言ってた。
それくらい大事なこと。
私もそう思う。
人生変えるよね。
もしくは生き方。
もしも、どうしても一言で表さないといけないとしたら、こう言う。
もちろん、就活用に、もう少し「実用的な」答えも用意しようとは思う。
それも頭の片隅には置いてる。
気づいたときにどっかに書きとめよう。
その作業も大事だとは思うから。
人生人それぞれ。
とにかくこれに限る。
周りを見ても仕方ない。
自分の価値観を持つのが大事。
そのうえで周りを見るのは大事。
自分の価値観が大多数じゃないと、自信がなくなりそうになるけど、
そこを踏ん張る。
数に負けないように。
少数派がいいと言ってるわけでなく、
多数派にいるときはこんなこと考える必要もないから。
何が言いたいのか。
私は今、この留学の意味について考えているんですよ、
ということが言いたいのだと思う。
結論を出すのはいつも怖い。
結論出すと、その先もう考えないような気がするから。
結論は一生出さないかもしれない。
ただ、留学というできごとを、
その都度、その時の視点で見るのみ。
そしてこういう今にも消えそうな考えが本当に消えちゃうのは嫌だから、書くのです。
「社会的責任を一時的に免除あるいは猶予されている青年期をさす。生きがいや働きがいを求め、発見するための準備を整える一方、自分の正体、アイデンティティを確定できず、無気力、無責任、無関心など消極的な生活に傾きながら、自我の同一性を確立していく。」
(ブリタニカ国際大百科事典)
だそうな。
もう一つ、高校倫理をやった人ならきっと知ってる単語。
マージナル・マンとは。
「周辺人・境界人ともいう。異文化への移行や人種的混血によってそういなる文化にはさまれ、そのどちらにも完全に同化できず、いつも『まなざし』の意識をもちながら破滅的な不適応に陥っていく人間の類型。その後この語は一般に文化、規範の異なる複数の集団に所属している人間をさすようになった。また、子供の世界とおとなの世界の境界に立ち、どちらにも帰属しきれずに動揺する青年世代に対していうこともある。」
(ブリタニカ国際大百科事典)
だそうな。
ふと思い出して、何となく気になったから辞書で探してみた。
高校倫理では、どちらも「青年期の特徴」のような紹介をされていた記憶があったけど、
意外とちゃんと探してみると、元々の意味があって、それが青年期にも使われているってだけだった。
モラトリアム。
必ずしも消極的でないとも思うけど…、
消極的な生活に傾きながら、自我を確立していく時期なのか。
マージナル・マン
もともとそういう意味があったのか!と驚き。
まぁ、こんな言葉を出してみたのは、
青年期かどうとかは別として、
少なくとも人生におけるステップで、
次の段階に行ってないという自分の状況を思ってのことです。
いい悪いはおいといて。
そしてそんな自分を考えると、
浪人もそうだったなぁと思い出されて。
そうすると高3時代とかも思い出されて。
なんとなく似てるなぁと。今と。
要は、次のステップに行くときに、自分はいつも「つまずいてる」な、と。
次のステップを受け入れることに、いつも人より時間がかかってるな、と。
高3になって勉強って何なのかよくわからなくなったけど(かなり根本的なレベルで)、
浪人時代にいきなり視界が開けた感じがしたこと。
勉強だけじゃなく、色んな意味で。
「学校」ではない集団にいることは大きかったと思う。
大学3年も、かなり視界が真っ暗だった。
そんなんで就活は絶対不可能だったようにも思う。
もちろん留学のことで本格的に動き出すのは2年の後半だからもっと前なんだけど…
逆に留学決めてなかったらどうなってたか。
就活浪人?笑(えない。)
そして今実際、浪人時代のように、価値観の全く違う社会に自分を置いてみて、
自分にはそれがすごく必要だったんだと思う。
こっち来て、やっと落ち着いて社会と向き合えるようになった。
ただただ真っ暗に考えるんじゃなくて。
そして社会と向き合いながら自分とも向き合う。
来るまでは、もっと自分にばっか焦点が当たってたとも思うけど、
今はもっと社会の中でどうか、っていう考え方をしてるような気がする。
他者を見ることで自己を見るってことなのでしょう。
留学で何を得たか。
これについては、私は絶対一言で答えたくない。
今までのブログで書いてきた以上のこと、
些細なことでも、とにかく絶対言葉に表しきれないものを得たと思ってる。
でも、気づいたことはどんどん言葉にして、しっかり見つめたいとも思う。
一言ではなく、しかっり考えながら書いた文章に残して。
人によっても違うだろうし。
そもそも私は元々の意味でのマージナル・マンだから(笑)、
絶対感じるところは周りの人たちと結構違うような気もする。
こっちで会ったヨーロッパの友達は、
留学が、人生におけることだ、って言ってた。
それくらい大事なこと。
私もそう思う。
人生変えるよね。
もしくは生き方。
もしも、どうしても一言で表さないといけないとしたら、こう言う。
もちろん、就活用に、もう少し「実用的な」答えも用意しようとは思う。
それも頭の片隅には置いてる。
気づいたときにどっかに書きとめよう。
その作業も大事だとは思うから。
人生人それぞれ。
とにかくこれに限る。
周りを見ても仕方ない。
自分の価値観を持つのが大事。
そのうえで周りを見るのは大事。
自分の価値観が大多数じゃないと、自信がなくなりそうになるけど、
そこを踏ん張る。
数に負けないように。
少数派がいいと言ってるわけでなく、
多数派にいるときはこんなこと考える必要もないから。
何が言いたいのか。
私は今、この留学の意味について考えているんですよ、
ということが言いたいのだと思う。
結論を出すのはいつも怖い。
結論出すと、その先もう考えないような気がするから。
結論は一生出さないかもしれない。
ただ、留学というできごとを、
その都度、その時の視点で見るのみ。
そしてこういう今にも消えそうな考えが本当に消えちゃうのは嫌だから、書くのです。