「ホテル・ルワンダ」

1994年に起きたルワンダのジェノサイド(大量虐殺)での実話に基づく映画。

2004年制作、監督テリー・ジョージ。

アカデミー賞、ゴールデングローブ賞ノミネート。

スペイン語音声、スペイン語字幕。



映画の前に、ルワンダのジェノサイドについて、簡単に…。(でもすごく複雑。)


ルワンダには、ツチ、フツ、トゥワの3つの民族がいる。
ツチは、少数だが支配的な民族、
フツは、多数だが被支配的な民族。
長い間対立が続いていた。(特にツチとフツで?)


1962年、ベルギーから独立。ルワンダ共和国の誕生。

1973年、クーデターで、反ツチムードに。
    →ツチが近隣諸国へ逃げる
    =国外でツチが固まる
    =ルワンダ愛国戦線(政党)の誕生(ツチの政党)

1990~1993年、内戦
       国外にいたツチが内戦を引き起こす。もちろんフツとの間で。
       最後は和平協定を結ぶ。(勝ち負けで表すなら引き分けと言ったところか。)

1994年、フツの大統領が暗殺される(ツチによるのか、和平に怒った過激派のフツによるのかは不明。)
    →ジェノサイドの始まり
    =過激派のフツが、ツチと穏健派のフツを大量虐殺(100万人とか)する。
    →ルワンダ愛国戦線の反撃で収まる。


そしてこの映画は、1994年のジェノサイドが舞台。

当時の政府はフツだったので、政府軍も虐殺にかかわる。
そして軍隊ではなく民衆の集まりであるインテラハムウェという過激派フツの集団ももちろん虐殺・略奪を行う。


主人公となった人は、高級ホテルを経営してるフツの人。
経営していたホテルに、フツもツチも匿って、多くの人を助けた。

そしてこの話は実話で、本人が自伝を書いたため、映画化もされたのだと。




あと、これはウィキペディアの内容なので鵜呑みは厳禁ですが、

「フツとツチは元々は同じ言語を使い、農耕民族であるか遊牧民族であるかという違いでしかなく、貧富の差がそれぞれの民族を形成するなど両者の境界は曖昧であった。遊牧業が主な生業であったツチは、牛を多数所有するなど比較的豊かであった。しかし、ベルギー人をはじめとする白人による植民地支配がはじまると、鼻の大きさや肌の色などを基準に境界が作られた。ツチは「高貴(ハム系あるいはナイル系)」であり、対するフツなどは「野蛮」であるという神話・人種概念を流布(ハム仮説)し、ツチとフツは大きく対立し始めた」

そうです。
部族対立そのものも「最近作られたもの」みたいですね。





というのが背景知識でしょうか。
正直、この映画を見ることでこれらを知るきっかけを得られただけでもすごく有意義だったと思う。

アフリカのことは、高校までの「世界史」では、ほとんどやらない。
やったとしても、結局ヨーロッパが関わる19世紀の植民地の話。
それでも、全然細かくやらない。
確かに、ぜーーーーんぶの国の歴史とか、高校生のうちにできるわけではないし、ヨーロッパがすごく今の世界に影響を及ぼしたから(資本主義もそうだし、国民国家体制もそうだし)その意味でヨーロッパに焦点を当てる必要があるのも理解できる。
でも、だとしたらせめて「世界史」っていう名前やめてほしいなって思ったりもする。

そして、ルワンダ紛争(内戦もジェノサイドも含め広い意味での対立関係のこと)も、これは、「アフリカ内で起きた部族対立」ではなくて、結局ヨーロッパのに起因される紛争なんだって思った。
冷戦下に色んなところで起きた戦争と同じように。(ベトナム戦争や朝鮮戦争)


ルワンダ紛争については、多分、日本の大学のアフリカのことを扱う授業で、ドキュメンタリー番組を見た記憶がある。確かじゃないけど。
見たのは確かだけど、それがルワンダ紛争なのかが確かじゃないんです。
もちろん自分がもっと能動的になっていればその時点でも色々調べれたはずだから、自分が悪い部分もある。
でも、「どこにどの国があるかわからないアフリカ」で、「それぞれの差もよくわからないアフリカの国々」のことを話されても、何も入ってこないのかなぁという気もする。
アフリカっていう存在が、そもそも遠すぎるんだなって思った。

そのときそのドキュメンタリー番組では、子供たちが兵士として徴兵されていることが特にクローズアップされてた。
だから、余計、「感情」に訴えるものはあったけど、それを「分析」するっていう行動には及ばなかった。
なんで子供たちが兵士として巻き込まれなきゃいけないんだっていう不条理は感じても、
なんで戦争してるかが理解できなかったから、思考はそこでストップしてた。


でも、「なんで戦争してるか理解できない」っていうのはある意味では正論だとも思った。
自分の無知を肯定したいわけではない。
けど、どのドキュメンタリーにしろ、この映画にしろ、フツだとかツチだとか、明らかにあまり変わりのない人たちが、銃で撃ちあってる。
別に変わりがないから銃で撃ちあうのがおかしいわけではなく、白人とアラブ人だろうが、銃で撃ちあうのはおかしいはず。
それが一方的であるならなおさら残虐だし、両方が撃ちあっていればきっと終わりが見えなくなるんだと思う。
そしてそれがまかり通る不条理。
理解できるはずはない。





正直、「背景知識」を色々調べてはみたし、なるべく映画に出てきたわからない単語は全部調べて、内容をできる限り知ろうと思った。
けど、それでも全部は無理だったと思う。政治の勢力関係が難しすぎた。


けど、わからないながらも、色んな描写から考えさせられるポイントはたくさんあった。


例えば、フツかツチかは、IDにもしっかり刻まれている。
そしてこういう風に明確に区別し始めたのは、ベルギー人がフツとツチの線引きをしてかららしい。
そして、虐殺は、ここで可能になる。
フツかツチかIDで確認する。


フツ・パワー(スペイン語ではpoder hutsu)と叫びながらデモをしてるインテラハムウェの様子。


国連の平和維持軍が、ヨーロッパ各国に難民(フツだろうがツチだろうが、戦争で普通の暮らしができない人たち)救済を要請していたのに、結局自分の国の人間を救済するだけで、ジェノサイドに対してはノータッチだった。
白人たちだけをどんどん助け、子供だろうが黒人はどんどん引き剥がされ。
誰一人として黒人を救済しなかった。
そして国連平和維持軍の大尉が、すごく怒りながら、「奴らは、みんな去っていく。イタリアももフランスもベルギーでさえも。あななたちが黒人だがら、しかもアフリカ人だから、何も価値がないと考えているんだ」と言ってるシーンがあった。
結局国連平和維持軍の300人だけがルワンダにとどまった。


主人公のホテル支配人のポールは、ある意味フツの権力者であったから、フツの政府軍の将軍とつながりがあったり、インテラハムウェのリーダー格の人と友人だったりした。
もちろんポール自身は何もしてないけど。
でも、そのつながりがあったからこそ、ホテルを守れたんだと思う。

将軍にあるだけの金や貴金属を渡して味方につける。
インテラハムウェのリーダー格の人は貿易の仕事をしてるようで、いろんな物資を持っているから、食料がつきればそこから買う。

また、ヨーロッパの要人とのつながりもあったみたい。
結局最後までジョン・レノがやってた役がなんだったのかわからなかったけど、そういう要人に色々頼んでみたり。
それでジョン・レノがフランスに救援を要請したり。
でも結局フランスはそれに応えなかったり。
だから結局ポールは黒人たちに呼びかけて、「白人の力を借りようとするのではなくて自分たちの力で問題を解決しよう」って言ってみたり。

まだジェノサイドが本格化する前に、そして白人の救済が行われる前に、白人のカメラマンがジェノサイドの映像を撮って来て、ポールに「こんな映像を撮っても、みんなは、あらなんて可哀そう、って思った後に夕食を続けるんだ」って言った。
すごく印象的だった。

フツの政府軍の将軍が、「俺は無罪だ、何もしてない」と、ポールから貴金属や酒をもらいながら言っていた。
実際に殺していなければ無罪なのか。
もちろんジェノサイドのあとに彼は有罪判決を受けているけど。
インテラハムウェのリーダー格の人も。







とにかく、「知識」としてルワンダのことを知れただけでもかなり勉強になった。


けど、やっぱり世の中の不条理を感じずにはいれなかった。
自分の中で、結構どう向き合っていくか大きな課題となっているもの。
不条理とどう向き合うか。
自分ひとりじゃ絶対に変えられないもの。
だからこそ、変わるのには時間がかかる。

どっしりとした権力構造。
資本主義、白人主義。
社会に根付いてしまったあらゆる制度。


とにかく忍耐なんだろうな。

チャップリンの、モダンタイムス。

名作中の名作でしょうか。

有名だけど、全部見たことはなかった。

たまたま、大学の先生のブログを読んでいたらチャップリンを観よう、という話があったので、見てみた次第です。



同じように、ほぼ皆無に近い背景知識を以って見ると、なかなか深くまでは見えてこない。

もちろんメッセージが強いことも知ってるので、くみ取ろうとはするんですが。

初めてチャップリンの映画をきちんとみるというのもあるかもしれませんが。



そう、そして初めてチャップリンの映画を見て思ったことは、まさに「滑稽」だということ。



背景知識が皆無に近くても、機械化を批判していることくらいは知っていました。

そしてとにかく、その「批判」というのを、「滑稽」に描いていた。

正直にいうと、あの口髭のせいもあってか、志村けんをみているような気さえしてしまった…。

世の中の暗い部分を、暗~く描くのではなく、面白おかしく描きながら、そうすることによって批判をする。
まさに喜劇。


描かれていたもの(と私が思ったの)は、
貧困。
→幸せの定義?
共産主義に対する弾圧。
権力・制度に対する疑問。
機会化→制度化を批判。


貧しいがゆえに食べ物を盗んで、逃げながらどうにか生きてきて、やっと職が見つかったと思ったら、そこで昔の罪のせいで逮捕されそうになる女の子(十代後半くらい?)。
何度仕事をしても全くうまく行かないチャップリン。(=制度にはまれない?)

当たり前のこと、簡単なことができないチャップリンにもどかしさを抱きさえしてしまいましたが、逆にいうとそれらが「当たり前」である必要もなく…。

うーん。
やっぱりわからないことが多いな。
受け取りきれなかったと思います。



でも一つ気になったのは、やっぱり主演女優は美人が起用されるのか、という点でした。


最近、映画を見るようにしました。


そして、その記録を残していこうと思いました。




理由は、考えるきっかけがほしいからです。




前学期は、授業がすごく興味深くて、授業から考えるきっかけを得ていました。


まじめに単位をとりにいこうっていう気持ちが強かったのもあると思いますが。


でも今学期は授業がすごくつまらなくて。


単位のためにもがんばろうかと思いましたが、自分の興味のある勉強をしようと思ったしだいです。






本当は、日本語で書かれた本を読みたいんですが。


(そして大学のゼミのように議論ができる場所もほしいのですが・・・)


まぁなかなかこっちでは手に入りにくいし。


新しい分野に挑戦したいので、スペイン語で読むには少し厳しいかなと。




ということで、なかなか日本では”時間がなくて”見れていなかった映画をたくさんみようと思ったのです。


いわゆる名作っていわれるようなやつを特に。






主に、学校の図書館で借りる予定です。


字幕もあるし(日本語ではないけど)、映像もきれいなので。


あとはネットとか、友達が持ってるのとか??












・・・ということで、第一弾は、オリバー・ツイスト。


19世紀前半に書かれた、ディケンズの小説を映画化したものです。


私が見たのは、2005年製作版。




音声英語(のみ)、字幕英語。


(字幕はスペイン語もありましたが、さすがに英語聞きながらスペイン語読むなんてことはできません。)




感想。


映画はやっぱ、1回見ただけじゃわからないことが多いなということ。


そしてなんで英語はあんなに難しいんだろうということ。




私、オリバー・ツイストの小説は読んだことありませんでした。


なので、内容もなんとなくしかしらなかったんですが、内容知らないと、ストーリーの裏にあるメッセージにまでたどり着かず、ストーリーそのものや、俳優の外見(子役の可愛さ)などに意識が持っていかれてしまうなと思いました。




ストーリーそのものは、思った以上に暗くて、こんなにブラックだったんだ、と少しびっくり。




そして、それぞれの子役がすごいいい味だしてるな、と思いました。


主役のこの純粋さ、スリをはたらく子役のずる賢さなど。


子供なのにすごいなーと。






そして英語。


イギリス英語だからか、時代が少し前だからか、かなり聞き取りづらかった・・・。


字幕があったので、映画止めながら、辞書で探しながら、映画見てました。


時間かかるけど、流し見じゃ意味ないので・・・。




思うけど、英語って難しいと思う。


発音がすごくあいまいだと思う。特に母音。でも子音も。


スペイン語は、しゃべるの早い人多いけど、英語に比べると崩れがすくないし、子音も母音もはっきりしてるから、すごくわかりやすい。


南米の人はたまに話すとアクセントあるなぁって思うけど、それでも結構スペイン語に慣れてれば普通に話せる。(アルゼンチンは別です。笑)




でも英語は、いろんな国の人が話すっていう意味でもすごく個人差激しいし、もともと母音や子音があいまいだから、すごく聞き取りづらい。


しかも口語で特有の表現とかもすごく多いし。スラングじゃなくても。


スペイン語にないわけじゃないけど、絶対英語のが多いと思う。


自分のスペイン語だってまだまだだろうけど、でも、学校で習うような基礎がしっかりできてれば、結構実生活でも問題なくすごせると思う。




・・・それとももし自分が1年間英語圏にいたら反対のこと言ってたかな?








そして内容について。




最近出席している「スペイン文学」の授業で、ちょうど同じような作品を読んだのが、興味深かった。


授業自体は、16世紀ころの、「黄金時代」の作品を扱っていて、たまたま、Lazarillo de Tormes(ラサリージョ・デ・トルメス) というピカレスク小説(牧人小説)を直前に扱っていたんです。


簡単に言うと、ピカレスク小説は社会を風刺しているものです。


そして作品については、ラサリージョはすごい貧しくて不運な子だったんですが、最後には成功するというサクセスストーリーなんですが、そのストーリーの中には、キリスト教会の腐敗などの社会を批判しています。




まさに、かぶるとこあり、という感じ。




そしてもちろんメッセージは違うけど。



貧困。
身分の差。
子供たちがスリを働かざるを得ないような社会。
スリをはたらく子供たちが「悪」なのか、生きていくためのものだから仕方ないのか。
子供たちにスリやヤミ労働を強要する「悪党」(貧困層の男たち)。
哀れなオリバー?

ラサリージョと違ったのは、ラサリージョではラサリージョの主人である聖職者(当時のエリートというか)が腐敗していたのに対し、オリバーの場合は、不条理があったのはむしろ貧困層にいた男たちだった。
そしてその不条理からオリバーを救い出したのは貴族(?というかお金持ちの人)。

多分ここがすごく自分を混乱させるのかもしれない。
格差の激しさを批判したいのなら、哀れなオリバーを描き、そしてお金持ちたちを悪党に仕上げていれば納得する。
けど、結局悪党なのは貧困層。
まぁその悪党にも二種類あったけど。
根っからの悪党と、少しひねくれてるだけでそこまで悪いやつじゃない悪党と。

貧困層を悪者にする意図はなんだったんだろう。
悪党過ぎて、子供たちのスリのように、「仕方ない」とは済ませられない。
それでもそこまでの悪投を生むのは社会のせいだっていうことを言いたかったのかな。


作品の中で実際にどんな風に社会を批判しているのか、しっかり受け取ることはできなかったなと思う。



小説を読んでないので、映画での表現のせいなのか、ストーリーのせいなのかわからないんですが。


そして自分に19世紀当時についての背景知識がないからか。






日本に戻ったら、日本語字幕でもう一度見てみよう。


そして小説も。(余裕があれば…)

スペインでは、ドラマがネットで見れます。公式に。

各テレビ局が、ホームページで公開してるんです。

だから、とにかく選び放題。

もちろん、字幕はありませんが。



その中で、かなり質の高いと思うドラマを一つ。

"Cuéntame cómo pasó"

という題名のものです。

直訳すると、「どういうことがあったか話して」くらいな感じです。


第一話のリンクを貼っておきます。

http://www.rtve.es/alacarta/videos/television/cuentame-como-paso-1x01-retorno-del-fugitivo/385751/




いかにも自分が見つけたような書き方してますが、実は授業の中で紹介されたものです。

日本の大学のスペイン語のネイティブの授業です。(チャビの授業)

だから結構前から知ってたけど、しっかり見始めたのは、最近になってから。

日本語のドラマみたいに流し見しながらじゃあまり意味がないので、

なかなかじっくり見ようという機会がなかったんです。




どんなドラマかといいますと、

1968年以降の日常を描いたものです。

描いたものであり、放映自体は2001年から。

1シリーズ30話くらいのが、13シリーズくらいある、超長編ドラマ。


時代を見てピンときた方もいるかもしれませれんが、そう、フランコ独裁政権下の生活を描いたものです。

(ちなみにフランコ独裁は1975年に終わります。)

サザエさんやちびまる子ちゃんみたいに、ある一つの家族の日常についてのお話なんですが、

基本的には8歳の末っ子の「僕」が主人公で、

その僕が33年後の2001年に、8歳のころを思い出しながら語る、という設定になっています。

だから、時々出てくるナレーションは、「大人になった僕」です。


(※余談ですが、68年に8歳というと、私の母親と同い年なんですね~~~なんとなく興味深さを増します。)


政治的な話になることもあるけど、

日本でいうところの昭和の時代くらいの生活も描いてる。

テレビや洗濯機が普及し始めたり、

男女の社会的地位だったり、

学校での教育、

大学の学生運動…

などなど。

スペインなので、当時のキリスト教の文化なんかも描いてます。

細かい部分の描写で、そういうのがひしひしと伝わってくる。


平成生まれの私にとっては、ちょっと前の生活を知ることもまた面白みの一つです。





もう一つこのドラマがおすすめなのは、スペイン語がかなり日常的なこと。


お父さんが仕事場で使う言葉、お母さんが家事で使う言葉、

お姉ちゃんが恋愛などで使う言葉、お兄ちゃんが大学で使う言葉、8歳の弟が小学校で使う言葉…

のように、色々な場面での日常会話が話されているように思いました。


例えば最近のドラマなら、

あまりにもスラングが多かったり、

少し非現実的なお話だったりしますが、

これは、完全に日常会話です。



逆に、最近のドラマって、日本でも、こういう日常の何でもないことを描いたのって少ないんじゃないかって思いました。

まぁ基本日本でもドラマ見てなかったからわかんないけど。

「渡る世間」くらいではないか。

あとはマンガだけど、さっき言ったサザエさんやちびまる子ちゃん。

他のは、比較的非現実というか、非日常な気がする。



私が今スペインで話している日常会話も、ある意味では大学生の日常会話なので、

こういう風に他の年代の日常会話がきけて、勉強になります。

単語レベルでも、表現レベルでも。

そしてあくまで日常を描いてるので、基本的にはスペイン語がわからなくても想像できたり。

もちろん見るときは辞書片手に、新しい単語が出てくればどんどんメモしてますが。

でも、そこまで難しくない、という感じ。








そして、私がこのドラマにしっかりはまることができた大きなポイントは、

「今のスペイン」が今までと少し違って見えるようになったこと。


たとえば、私は平成生まれなのでもちろん日本の昭和を知りません。

でも、何となくイメージが湧きます。

そう、「日本の昭和」と言ったときに、みんなが共通して思い浮かべられるような、それです。


※またしても話がそれますが、こういう共通意識が私はかなり不思議です。
私が昭和を経験してたならまだしも、してない若者でも、ある程度のイメージが湧く。
テレビ、映画などの、メディアによって築かれた概念なのでしょうか。
社会における共通意識…。
日本にいたころから感じてはいたけど、
スペインにいて、それがないことに直面して、さらに色々考えるようになりました。



話を戻して。

少し細かい部分を省いた言い方にはなりますが、極端に言うと、

68年代におけるスペインと日本は似てると思います。

でも、今の両者は全然違うんです。

その発見がこのドラマにはまった一番のポイントでした。




全部は書ききれませんが、例えば、

今は、スペインでは道端でキスするのは当たり前。

こっちの人たちからすれば、

「キスしたいときにキスして何がいけないの?どうして周りの目を気にする必要があるの?」

と言う感じ。

日本では違うよ~というと、純粋にまず不思議がられます。笑


でも、このドラマの中では、道端で若者がキスしてるところを、

「恥ずかしくないのか」って大人が言うシーンがありました。

…つまり前はスペインでも恥ずかしいことだったんですよ。

それが今は…。

いつどこではじけたのか。笑

なんで日本は未だに「恥ずかしいこと」なんだろうか。

別に道場でキスを推奨してるわけではありませんが(笑)、純粋に不思議じゃないですか?



あとは、共通部分も。

例えば女性の社会進出。

お母さんがやってる内職がうまく行って、お父さんの給料を上回るというお話があるのですが、

そこでお父さんはかなりイライラしているし、

そこでお母さんは少しずつ社会が変わることを感じる。

でもおばあちゃん世代は変わらないわよ~と笑いながら言う。

お姉ちゃん世代は、結婚と仕事について考える。(主婦になるのは幸せか?みたいな)


ドラマ自体が今作られたものだけあって、正直本当にその当時そこまで考えてたかな~と少し疑問は抱きますが、

それでも、女性が、昔は家の中にいて、今はどんどん働いている、という流れは共通していると思いました。


あとは大学の学生運動も同じくらいの時期だし。







私自身まだそんなに見てないのでわからない部分も多いですが、

違う年代、そして違う文化の、新しい社会をみるということで、

とても面白いです。




社会を見るって、なんでこんなに面白いんでしょうね。





主役の男の子がかなりかわいいので、スペイン語わからなくても少し見てみてくださいな。






いよいよ最後です。笑

もしもここまで読んでくれた方がいらっしゃいましたら、感謝します。笑







今回ポルトガルに行ってみて気づいたことは、

「旅はまるで恋愛のようだ」

ということ。笑


みなさん恋愛を始める際の三原則(?)を聞いたことはありますか?

フィーリング、ハプニング、タイミング(そしてフィッシング。笑)

重要なので今度は英語でリピート☆

feeling, happening, timing (and fishing!)

はい。ヽ(゜▽、゜)ノ


でも結構まじめに、今回のポルトガル旅行を通して、

この3つがそろったとき、旅は、

「ただの旅行」から、「人生を変えるような旅」に変わるんじゃないか

って気づいてみたのです。

もちろん完全に持論ですが。



そして特に旅ではハプニングが大事だと思いました。広い意味で。

今回、黒人社会を見れたこと。

完全にハプニングです。

全然予期してませんでした。

こういうハプニングは、現地の友達がいてこそありうるなぁとも思いました。


私、観光は否定しません。

ガイドブック持って歩くのも、

カメラ持って歩くのも、

地図もって歩くのも、

恥ずかしくないです。

別に日本人だけがそうしてるわけでもないです。

観光客は何人だろうがみんな観光してます。

みんな憧れの白人だってガイドブックもカメラも地図も持ってます。

観光して何が悪い。

観光だって、旅行の大きな目的の一つじゃないか。


でも、否定しないけど、正直、悪く言うと、やっぱりヨーロッパ内は似てる部分が多いと思いました。

街並み、街の大きさ、都市機能の仕方、景観、見どころ…

たくさんの都市に行くことができたからこその贅沢な悩みだと思います。

こんな風に思えること自体ありがたいですよね。ありがとうございます。


でも、だからこそ、今思うのは、その都市独特のものを見たい、ということ。

つまり、その土地の社会を知り、その土地の文化を知りたい、ということ。

「ただの旅行」では結構難しいとおもいます。

観光地を回るだけでは正直見えにくいと思います。


だからこそ、現地の友達がいることがとても重要だと思いました。

その土地の文化を持ち、その土地の人とのつながりがあり、その土地の社会に根付いている。

そういうのを、現地の子といると、多かれ少なかれ見ることができる。

じっくり話をする時間があればなおよし。


私、観光地を一人で回るのは嫌いじゃありません。

地図見ながら、少し迷ったりして意外にもきれいな道に出会ったり(まさにハプニング笑)

一人で好きなとこ色々うろちょろして回る感じ。

嫌いじゃないです。

というかむしろ感動が大きくなる気がするので好きです。


でも、一人旅はあまり好きじゃないことにも気づきました。

ご飯食べるのも、寝るのも、何をするのも、常に一人。

これは少しさみしい感じがします。私は。(否定してるわけではないです。)

理想は、一人で観光地も回りながら、現地の友達と少しゆっくりする時間があるような旅。

他の社会を知るのはかなり難しいと思うけど、

それでも少し違った社会が垣間見れる感じ、好きです。


今回は、まさにそれができた気がします。

黒人社会、白人社会。

(少しおおげさな言い方かもしれませんが…。)






しかも、今回はタイミングもフィーリングもぴったりでした。

特にポルトで。


実はこの4日間、天気予報は雨でした。

聞いてみると、リスボンでもコインブラでもポルトでも、私が来る前までは実際雨が降っていたそう。

ポルトに関しては、朝起きたときも雨降ってました。

ところが、私が出かける頃にはやんでいて、

そのあとは結局雨降ることは一度もなく、むしろ快晴!

前から自分が晴れ女だとは思っていましたが、ここまでだとは…。笑

まさにタイミング。



さらにフィーリングでは、ポルトの景色がきれいすぎたことです。

恋愛でいうなら性格のいいイケメンに出会えた感じです。

前も言いましたが、ポルトガルの都市は山みたいになってる。

バルセロナも比較的坂はおおいですが、大きく見れば大部分は平野です。むしろ山のふもとあたり。

でも、ポルトもリスボンも、完全に山の形にそって都市が出来上がった感じ。

なので、都市の中から、見る景色よりも、都市の外から都市を見る方がきれいです。

もちろん都市の中もきれいです。

オレンジ色の屋根が続き、少し遠くに川が流れている感じ。

確かにきれいです。

でも、他のヨーロッパの都市と似ています。ジュネーヴも、フィレンツェも、そんな感じ。

その点ポルトの都市を外から見る風景は、ポルトでしか見れないな、と思いました。

リスボンも同じような形だけど、都市の「反対側」がないんです。

ポルトは、目の前にあるそんなに大きくない川にかかった橋を渡って、ワインセラーの立ち並ぶ川の向こう岸に行くだけ。

そこにあるGAIAという展望台から見る景色は、完全に私の「タイプ」でした。

息をのみます。

脳裏に焼き付いています。



というのも、じつはもう一つハプニングがあったからです。

実は、カメラが、カバンにいれてただけなのに、いきなり使えなくなってしまいました。

もちろんショックがないとは言いません。

でも、結構いいハプニングだったような気がします。


今までは、思い出を残したくて、写真撮りまくる方でした。

写真を撮り損ねる恐怖感さえあるんじゃないかというか。

だから、自ら進んで写真を撮らない勇気はもてませんでした。


でも、写真撮れないなら仕方ない。

記憶に残すしかない。

ということで、実際により風景全体が記憶に残されるような気がしました。


結局写真は切り取り作業。

普通のデジカメも十分な性能はありますが、やっぱり制限がある。

そして一旦風景を切り取ってしまったら、

その切り取った風景の写真が記憶に残る。

写真の罪ですね。


なんでこんなことを言うかというと、以前友達と、

「誰かの顔を思い出すとき、どんなふうに思い出すか」

という話をしたことがあったからです。

思い出す相手によって多少違いますが、私は、人を思い出すときも、結構写真であることが多かったんです。

もちろん写真だけではないけど。


風景も、私にとっては似た部分がありました。

写真に収めたという事実によって安心感が生まれ、

記憶には残らなくなる。

もちろん思い出そうとすれば思い出せるけど。

記憶しようとしてなかった分、思い出すものも少し曖昧。


確かに、写真は思い出に残せるものだとも思うけど、

これからは人の写真だけにしようと思ったり。

風景の写真についていうなら、インターネットが発達した今、

私のふつーのデジカメで撮ったような写真なんかより数倍きれいな写真がネットですぐに手に入ります。

それが味気ないというのなら、ポストカードもありだと思います。

結構色んな風景があるし。


写真で残そうとするより、記憶に残そうとした方が、当然のごとく記憶に残ります。



…そんなこんなで、ただでさえイケメンだったポルトくんが、忘れることのできないくらいかっこいい人にまで昇格した感じです。

まさにハプニング。

何があるかわからないです。




そんな感じで、ポルトに恋してしまった私、締めは、ポルトワインでした。

川の向こう岸に並ぶワインセラー。

ポルトワインはリキュールくらい濃くて強いけど、甘くて結構飲みやすい。

(ポルトワインも結構ポルトにはまったポイントの一つです。)

友達に、SANDEMANという銘柄が有名だよ~と教えてもらったので、

値段がそんなに高くない(というかむしろ安かった)ことを確認して、そこで昼ごはんを食べることに。

川の目の前にあるテラス席でごはんが食べれます。

歩き疲れて入ったお店。

目の前にはポルトの都市の景色。

ご飯食べながらポルトワインを飲み、

暑くも寒くもない天気の中、

太陽の暖かさを感じる。

これを幸せと呼ばず、何を幸せと呼ぶのか。

そんな感じでした。

1時間半くらい太陽の下でごはんたべながらぼーっとしてたので、

さすがに家帰って鏡を見ると、もともとすでに小麦色の肌の私が、さらに小麦になってました。

めでたし、めでたし。



もう一日いたら、少し持て余してたかもしれません。

でも、さすがにあと半日はいたかったなぁ。。。

でも、もしかしたら「足りないくらいがちょうどいい」のかもしれません。


ポルトにいた時間、1日未満。

私に与えた影響、計り知れず。






今回のポルトガル旅行、一皮むけた旅になったきがします。

心が洗われたというか、パワーをもらったというか…。

前にスイスに行った時も、同じような感覚を抱いた覚えがあります。

理由ははっきりこれだって言えるものはありません。

が、思いつくものはたくさんあります。

旅行をする直前くらいの心境(タイミング)、その土地で見たもの(フィーリング)、現地の友達と話して見えたもの(ハプニング)…。

そしてもう一つ面白い点は、スイスもポルトガルも、現地の友達は、住んでいる国とは別の国の文化を持つ人たちでした。

少し自分と重なる部分があるけど、やっぱり同じ状況ではないから、共感しつつも、新しいものが見える感じ…。











留学生活も残り2,3か月。

こっち来る前、「留学したらヨーロッパ全土旅行するぞーー!!」なんて思っていました。

西欧も東欧も。大きな都市から小さな田舎まで。

留学からの帰り道は、陸路で帰ってイランとか行けないかなーなんて思ったりも。


実際は、当然のように考えていたようにはいくはずはなかったのですが、

それでもありがたいことに、色々旅することはできました。

主にスペインからそう遠くない西欧の国を中心に。

そして残りの時間も、可能な限りで色々見てみたい。





母には、スペイン留学なんだからスペインを見てこい、と言われ、

あまりヨーロッパ旅行は賛成されてません。

実際私も、ポルトガル旅行の前は、旅行行きたいとは思いつつも、旅行って何のためにするのか、はっきり答えられなかった。

母の言うことも納得できる。




でも、今思うこと。

スペインを見るって、何?




たとえば、私はポルトガルの黒人社会を見ることで、

バルセロナの外国人たちを見ました。

それ自身を見ることでなく、

それ以外にものを見ることで、

比較することができたからです。

相対化っていうやつ。

日本の「在日」もまた違った風に見えたし。

(これって屁理屈でしょうか?)





もう一つ思うこと。

旅は、その社会を見るためにあるんだ、ということ。



こっちは、必ずしもうまく行くとは限らない。

けれどもそれができたときは、本当に計り知れないものを与えます。

抱いたことのない感情が生まれたり、

色々違った視点でものを見るようになったり。




私がここで書いたことは、文化や社会が異なるところを旅行するときの話だと思います。

仲いい友人と日本国内で近場に温泉旅行~なんていうのも、かなりいい旅の一つですが、

目的は完全に異なるとも思います。




とにかく、旅行は、私にとっては、

計画したプランを遂行するものではなく、

大きなものでも小さなものでも、とにかく色々なものに出会うもの。

そういう小さいけど素晴らしいものに出会うためのものなんだと気づきました。





そして私はこうやって、考えて考えて考えて、自分の行動を正当化しようとします。

自分が納得できるものでないと、やっぱり不安が生まれるからです。

小心者だからこそ、たくさん考えて、自分がしっかり納得できたら、自信がもてるようになる。

一旦自信をもつと、ドン、と構える。

だから私のあだ名はドン。(あ、これはリアルですヽ(゜▽、゜)ノ)

馬鹿と天才は紙一重。

小心者とドンは紙一重。

自信を持つために小心者であるならば、小心者も万歳ですね。

めだたし、めでたし。