最近インターネットについて考えてみました。


インターネットって、もはやどこでもドアではないでしょうか。笑


たとえば、私はインターネットには、コミュニケーションと情報の二つの側面があると思ってるのですが、

コミュニケーションについて言うのなれば、

物理的な移動はできなくても、物理的な距離がないかのように感じさせてくれる。

空間的な差はネットでは埋められないけど、時間的な差は確かに埋まってる。

そして時間的な差が埋まることで、確実に体感的には空間的な差も埋まっているように感じられる。

もちろん物理的な距離のない直接的なコミュニケーションに勝るものはないとは思う。

けれども、時間的な差を埋めてくれる手段もあるのならば、その手段がないよりは確実にいいのではないかと思う。



情報の側面から言うのなれば、

世の中「知ってる」者の勝ち、という風に動いてるのではないか。

同じ料理のはずのなのに、クーポンを印刷していけば安くなる。

など。値段だけでなく、就活にせよ、受験にせよ、大学内でのお知らせにせよ、授業の進行にせよ、

ネットで得られる情報、得ないと損する情報がたくさんある。


けど、こっちで生活してみて思ったのは、そもそもネット環境があるかどうかだけでなく、

どの言語を使ってネットを使うかでも大分大きな差があること。

同じホームページのはずなのに、日本語にした瞬間情報量が一気に減ることがある。

スペイン語で探せば、今やってる試合を放送してる番組をネットで見れる。

思うに、日本語は結構ネット社会ではかなり閉鎖的。

少なくとも英語を知ってれば、そして英語でホームページを見ることに慣れてしまえば、

それだけで得られる情報は格段に増える。

そしてもちろん他の言語でそれができればもっと増える。



もちろんよくないこともあるかもしれない。

自分の考えが確立してなかったりしたら、SNSで人間関係が崩れたり。

(ありがたいことに自分はもうそういう思春期みたいなことはない。)

情報が多すぎて、知るべきでないことが入ってきちゃったり、

知るべきでないことへのアクセスが可能になったり。

まぁ、だから、自分で情報をコントロールできるのは大事ですよね、

っていうのは当たり前の話であるのです。



結局、インターネットの良し悪しについて考えるのなら、

どういう状況において考えるのかを見ないと、話しはまとまらない。



自分はネット上でのコミュニケーションは、実際の人間関係に基づいたうえで、その延長としてとらえてる。

だから、ネット上のコミュニケーションが無機質なものでしかないとは思わないし、

むしろ実際の関係を深めてくれさえもするものだと思う。

少なくとも、自分にとっては。

それが絶対ということでもない。



そしてネットについて話を始めたけれども、情報社会というのは、なかなかすごい。

評価しているというより、その機能の仕方がすごい。

たとえば、さっき世の中知ってる者の勝ち、って言ったけど、

基本的に同じ文化にいれば、情報にそんなに差はない。

ネットだけじゃなくても、何かしらの手段で情報が入ってくるというか、

情報が文化の中に溶け込んでいるような気がする。

たとえば就活が大学3年の後半から始まることくらいは、

誰かが教えてくれるまでもなく、ある種「自然に」誰もが知っている。

日本という範囲でも見てもそうだし、

少なくとも大学生という同じ文化を共有している人なら、ほぼ絶対ではないか。



制度と情報というのも大きいと思う。

ある制度が当てはまっている範囲内では、ある一定の共有された文化もあると思った。

それが、国であったり、大学生という存在であったり、バイト先のレストランでの雰囲気であったりはするかもしれないけど。




まぁ、などなど。

ネット、情報、文化、制度。

良い悪いはまぁ置いといて。

世の中大変だ。