県外移動自粛・3密・・・避けながら健康維持の散歩(ウオーキング)へ!

バイクでのタンデム、ウォーキングも人気無い道、手弁当だし夫婦以外の接触ゼロ

GW後半3日間でなんとか少しでも先へ

 

さて、熊野街道の続き

※熊野街道は、京から大坂を経て熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)への参詣に利用された街道の総称

 

街道をゆく 熊野街道① ~八軒家から天王寺~

街道をゆく 熊野街道②その1 ~天王寺から住吉大社~

街道をゆく 熊野街道②その2 ~天王寺から住吉大社~

街道をゆく 別冊!熊野街道(西成の遊郭・居酒屋)~天王寺から住吉大社~

街道をゆく 熊野街道③ ~住吉大社から仁徳天皇陵~

街道をゆく 熊野街道④ ~仁徳天皇陵から等乃伎神社~

 

 

第5回目は”富木駅(等之伎神社)→和泉府中”まで歩きます!

24km[高石市取石]

25km[和泉市舞町]

26km[和泉市尾井町]

27km[和泉市伯太町]

28km[和泉市伯太町]

29km[和泉市府中町]

 

直線距離だと5km程で短いけど実際は倍以上歩く事になる

これは毎回なんだけど・・・

ホントは熊野街道だけを歩けばいいんだけど、

王子(拝礼所)が移動し合祀先の神社に移ってる事もあり、

王子と合祀先を両方まわると熊野街道を中心にジグザグしてしまい、歩行距離が延びてしまうことになる

 

本来は和歌山田辺の中辺路(道わけ石)まで160km、以降山中へ入り熊野大社へ

それがジグザグ歩行により、到底160kmでは行かない状態で・・・えーん

 

今更、予想外に時間がかかる事が分かりましたアセアセ

(思いつきの無計画ぶりが発揮されている)

 

来年中に制覇できるんでしょうか??

 

 

 

富木駅からスタート

暫くすると堺から和泉市へ

 

熊野街道沿いには旧家が並んでいて面影が残ってる

 

 

中央寺

ちょっと変わった名前に誘われ参拝

みみづく地蔵と幟にあった通りに可愛いみみづくが

 

いい言葉だ

いくら情報網が発達していて知識を得ても

実際に経験しないと真を理解できない

知識は自分の見た世界、経験した世界にしか及ばないもの

 

アタシもコロナ落ち着いたら旅に行くぞ~~!!!

 
聖神社(ひじりじんじゃ)の一の鳥居
境内からはかな~り離れてる(600m先)鳥居
本来なら立ち寄りたいけど少し離れていて・・・暑さに弱い私には気力無しアセアセ
 
↓説明では
和泉五社(大鳥・泉穴師・聖・積川・日根)の一つであり和泉国三宮の社格をもち、
古くは聖神社の境内一帯は「信太の森」、当社は「信太明神」とも呼ばれていたそうで、
陰陽師の安倍晴明の出自を物語る「葛葉伝説」の中では、
この「信太の森」で晴明の父・保名と母・葛之葉が出会った場所とされます。
 
 
9:篠田王子
大鳥居を過ぎて2軒目と3軒目の間に実に狭い路地を東へ10m程入ると篠田王子跡の石碑がある。
先ず確実に見逃す王子跡である。
↓おそらく見落としそうな場所なので表示有り
 
 
 

 

続いて、 阪和線を跨ぎ西側へ

 

信太森葛ノ葉稲荷神社

明治42年に篠田王子は葛葉稲荷に合祀

安倍晴明の母親(白狐)が住んでいたと伝えられる神社

~由緒~

大阪阿倍野の里に安倍保名がいた。
金銭問題で領主没収され、保名が家の再興を念じてこの信太森神社へ日参していました。

ある日、狩人に追いつめられて助けを求め一匹の白狐が走り寄って来ました。

保名は、草むらにキツネを隠し、狩人達と争いになり傷を負い意識を失った。
葛の葉という美しい女性が保名を介抱し、後日保名の家へ葛の葉が訪ねてきて、夫婦になり男の子が生まれました。
この子が五つとなった秋、子供に添い寝していた葛の葉は眠っているうち、
神通力を失って正体を現せてしまい悲しい別れとなります

 
その時に葛の葉は口にくわえた筆で歌を書き残していく
その歌は、

「恋しくは たづねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみくずの葉」

母を慕って泣く子を背にした保名は妻の名を呼びながら信太の森に来てみると、以前は見えなかった
葛の葉っぱが社面一面に群がり茂っていました。
そしてそれらの葛の葉が夫と我が子の声に応えるように葉をそよかせ泣くがごとく、葉のうらを見せてざわめいていましたと
 
狐と人間の間に生まれたのが後の安倍晴明
 
過去の安倍晴明神社をブログに載せたけど、
熊野街道沿いに縁があるんですね
 
 
ところで、歌にある「信太の森の うらみ葛の葉」は恨みの葉でなく・・・
こちらの神社には、当時、三出葉のうち、表が一枚、裏がえしが二枚の異形の葛が生えてたらしく、
「うらみ」とは恨みでなく「裏見」の意味だそう。
神社の社紋が裏見の葛葉になってます
 
境内には和泉式部の「裏見の葛の葉」の歌碑もありました。
和泉式部は和泉国に因んだ名前で、和泉守・橘道貞の妻として和泉で暮らしたことがある。
 
拝殿(本殿)
 
森のように緑に覆われた静かな境内
境内はかなり広いし、沢山の祠が有ります
 
全ての画像はアップできないので幾つか気になる神様をピックアップ
 
我が家は胃弱(旦那は胃潰瘍など・私は胃炎腸炎など)なんで念入りにお参り
 
右は晴明の母 葛葉姫大伸
左は白瀧大明神(扁桃腺の神様)
えっ扁桃腺だけ??
えらいピンポイントな神様だな
 
肩凝りに特化した神様もいるんだ~
葛葉大神、青木大神、猿彦大神 3神で両肩と首すじを揉んでくれる??
 
もっと凄いのは
集金の神様まで・・・
かね・カネ・金っていう神様ってどうなんやろう
ミナミの帝王の萬田銀次郎??
 
木と木の間に挟まれた祠
 

稲荷大明神第一の御命婦白狐が葛の葉姫に化現したときに、姿を写した井戸だと

その隣には白狐化身の木が有るけど・・・若木なような・・・

↓姿見の井戸
 

かなり大きな御神木で圧倒されます!

祠には楠木大神と葛大明神

 
沢山の祠に混じりさり気に千利休作の石塔が置かれてる
 
なかなか見応えある神社でしたキラキラ
 
小一時間居たかも・・・
先を急がなければ💨
 
続いての寄り道先は巡礼道とは関係ないので
またもや別冊熊野街道第2段で紹介しますてへぺろ
 
信太山を上り巨大な団地群を抜け次の王子である
 
10.平松王子
ここまで来るともはや石碑には意味が無いのかもしれないが・・・
意味が分からないと誰も目に留まらないと思う
 
一応ね由緒正しいいんで紹介
建仁元年(1201)、後鳥羽上皇の熊野御幸の折り、この王子近くに設けられた行宮(平松御所)で上皇一行が宿泊された。
上皇は「平松はまた雲深くたちにけり、あけ行く鐘はなにはわたりか」の一首も残しています
 
石碑の隣には市営住宅の案内板
ここもちょっと凄い団地なんで機会があれば紹介したいんだけど・・・色んな意味で厳しい??
 
伯太神社
10番目の平松王子社の合祀先
 
信太山陸上自衛隊駐屯地を横目で過ぎ
 
和泉府中駅の方へ山を下る
 
泉井上神社
これから行く11番目の井之口王子の合祀先
 
 
本殿の横には霊泉が湧いており、これが和泉の地名発祥の地
そう、車のナンバープレートにも”和泉”ってあるよね
そうそう昔は運転荒っぽくて有名だったけど今は??
南大阪のだんじりの血が騒ぐんかな??
 
泉は、探してみたら本殿を囲む塀の中にあり、隙間からのぞいてわかった。
~由来~
200年に神功皇后が三韓征伐へ出発する途上、当地を行啓した際に突如として泉が湧き出、
凱旋後に霊泉として社を築いて祀ったという。
本殿脇にあるこの霊泉は「和泉清水」と呼ばれ、和泉国の国名の起源とされる。

 

和泉国総社(五社総社)の本殿

 
 
国府があった名残でこの辺の地名も府中町で駅名も和泉府中駅
 
さあ、今回はここまで!
またバイクで明日もここまで来るんだ!
 
って、最近はバイク通勤みたいに自宅⇔堺方面の行き来なんだけどねアセアセ