先ずは、昨晩間違えスペイン4日目をアップしてしまい・・・取り下げました

読まれた方は申し訳ありませんアセアセ

3日目がまだなのに作成中の4日目がフライング

また、改めて後日アップします照れ

 

 

さて、本題

熊野街道は、京から大坂を経て熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)への参詣に利用された街道の総称

 

人びとは京から大坂は現在の天満橋付近の八軒家までは淀川を舟で下り、

そこを起点に最初の王子・窪津王子へ参拝し、四天王寺・住吉大社・堺などを通り、

紀州田辺を経て、中辺路または大辺路から熊野三山へと続きました。

(他にも高野山や吉野から続くルートも有)

 

街道沿いには熊野権現を祭祀した九十九王子が設けられ、

参詣者は参詣道中の無事を祈念しながら熊野三山への旅を続けます

 

と、熊野街道について触れてみました

 

 

先日ウオーキングで阿倍野区にある安倍晴明神社近辺を歩いている時

熊野街道の石碑を見て新たな生きる糧をみつけてしまった旦那

 

ヤバッツ滝汗

 

↓この時(阿倍野王子神社にて)

 

とうとう禁断の果実に手を出してしまった・・・アセアセ

 

そう、大阪の八軒家浜から紀伊路で和歌山の田辺まで行き

ここから山中の中辺路を通り熊野本宮まで踏破する事を

 

今冬、スペイン巡礼路を歩いた姉妹道なんです

 

実はこの2路を歩くと証明書と共にホタテと八咫烏バッジが貰えれるんです

(彼は欲しいらしい)

 

あの時は休みの関係で120kmほどしか歩けなかったけど、

こちらは日本なんで何回かに分ければ制覇できるという・・・アセアセ

 

いったい、彼のどこからパワーが出てくるんでしょうか??

 

男46歳 中間管理職の板挟みの激務な日々というのに頭と精神に疲れがあれど体は疲れ知らず

私は野山を走る猟犬の如き旦那にリードを付けて存分に散歩させないといかなく・・・えーん

 

だれか旦那の余った元気玉を受け取ってくれ~

 

 

ハイ 元気玉は受取り付き合いましたよ!

(隔離骨折言われたばっかりやのに・・・私も元気玉が余ってるんか??)

 

第一弾は起点の”八軒家浜”から”天王寺”まで

0km[大阪市中央区天満橋京町]天満橋八軒家

1km[大阪市中央区農人橋]

2km[大阪市中央区上本町西]

3km[大阪市中央区上汐]

4km[大阪市天王寺区上汐]

5km[大阪市天王寺区堀越町]

 

歩くと5kmほどやけど名所旧跡を立寄りしてるんで結構な距離になる

思った以上に時間かかるね

 

しかし、このブログ、スペインのコンポステーラ巡礼路と並行して熊野街道まで書くとなると・・・

(スペイン終わったらシルクロードも書くんだよ)

 

道ばっかりで

司馬 遼太郎の「街道をゆく」みたいになるやん!てへぺろ

(実はこれ以外にも近く新たな街道シリーズが増えるし)

 

 

八軒家船着場

京都から舟で下ってきた人は古くは渡辺津と呼ばれた天満橋付近の八軒家に上陸し、熊野を目指して歩き始めた
江戸時代には三十石船が行き来し、人と物で大いに賑わった界隈。
 
↓右下に八軒家の石碑

 
 
↓往年の様子 三十石舟が米などを運搬
 
↓ここから熊野街道が始まる
 
 
 
1. 窪津王子
ビルの谷間にひっそりと坐摩神社。
 
ここが熊野九十九王子の1番目の窪津王子の元の鎮座地。
現在は天王寺区の堀越神社(次回立ち寄る予定)の摂社・「熊野第一王子社」に合祀されている。

 

御祭神:豊磐間戸神・奇磐間戸神

 

拝殿の中央には「神功皇后鎮座石」

※1583年豊臣秀吉大阪築城に際し城域に当たる為、現在の場所に遷座されるまでここに鎮座したもうた。

社伝によると、神功皇后が新羅より、ご帰途の折この地に坐摩神を初めて奉斎され、また石上に御休息されたという。

 

このあたりは大阪城の近くで商業地としても

中心地だっただけにビルの谷間に祠など名残があります

 

 

2. 坂口王子

第ニ王子の坂口王子の伝承地。公園の一角

 
 
 
コロナ騒動で家に居ると退屈だよね

子供達が大勢公園で遊んでました

 

榎木大明神

熊野街道と長堀通との角の石段坂道を上にある
樹齢670年のエンジュの巨木が目印
(エノキではないらしい)
木には白蛇さんもいらっしゃるとか
 
木は市が何度も伐採を試みたが、
そのたびに不慮の事故があり断念したそう
 
また、この近くには直木三十五の実家があったそうで碑もありました

 

古い町が残る空堀商店街
散策したいが泣く泣く通り抜け

 
 
いい感じのカフェだ
 

 

高津神社

古典落語「高津の富」の舞台にもなった高津宮

今もどんど祭りの時に富くじを売ってるそう

 

主祭神は、難波高津宮を造営した「仁徳天皇」

 

五代目の桂文枝の石碑(中央右)もあります

 

文枝最後の口演「高津の富」が演じられたのも「高津の富亭」

 

「縁切り坂」

明治初期は北西の角に坂道があり、それが「三曲がり半」であったことから、
「三曲がり半」⇒「三下り半」⇒「離縁状」と連想され、「縁切り坂」と呼ばれた。

 
「縁結び坂」

「相合坂」と名付けられ、段差下から見たら二等辺三角形になっており斜面の途中でその左右の階段が合流する。

男女がそれぞれ左の階段からと右の階段から登るり合流地点でうまく合えれば、二人の相性は良いとし「縁結び坂」という

 

 

「高倉稲荷神社」
ここも「高倉狐」という落語の舞台である。

 
 
本殿横に櫓が「へえー井戸を掘ってるんや~ 温泉や油でも出たらいいな」
遠くから眺めてると櫓上の人がこちらを見て何か喋ってる
「えっ わたし??」
「井戸掘り手伝って貰えませんかーーーー!?」
 
ハイな~!
 
氏子さんや大阪の会社経営者(京セラ創業者、稲盛和夫氏の経営塾の一つ「盛和塾大阪」で学んだ方)らが協力して
名水の古井戸を復活させてるそうです
 
水脈は地下14m 残り2mで到達すると
わあーーー手掘りで凄いっ!
 
「しんどいけど、あと20回連続でいきましょう。1、2、3!」
滑車とロープとパイプを組み合わせた手作りの掘削装置
20人弱で縄を引っ張りあげ手を緩めるとパイプの杭が掘削するという
 
結構、足も踏ん張るし凄い腕の力がいる
これは大変な作業だ
(剥離骨折の足に響くなアセアセ
 
底抜けバケツを被り指揮命令する子供
 
手伝うと名簿に載せて頂き井戸を奉納の際に名簿も一緒に残されるそう
歴史の一ページに週末手伝いに行かれるのもいい経験かもグッ
 
↓作業終了でパイプの継ぎ目を外すと
泥水がビャーって吹き出て顔も大変!
 
↓パイプに詰まった泥を掻き出す
パイプにラムネのビー玉のようなものが入っており、掻き出した泥が逆流しないよう弁になってるらしい

 
3. 郡戸王子
高津の杜にある第三王子
 
 
4. 上野王子

上之宮台ハイツの入口に第四王子の上野王子跡

 

たぶん、住人ですらほぼこの石碑の意味を分からないんじゃないだろうかと思うほど地味アセアセ

(高校野球で一時賑わした上宮高校は直ぐ)

 

さぁ、四天王寺まで来ました

 
時間が無いので四天王寺は次回ね
大阪名物 釣鐘屋
屋根に釣り鐘あるんや!
 
さぁ、天王寺まで到着!
4.7kmと距離は短いが見所満載
 
こんな調子で丁寧に寄り道していると熊野大社はいつ到着なんだろうね滝汗
 
次回はここ堀川神社からスタート
 
さぁ、軽く一杯「森田屋」
 
どて煮と自家製ゴマ豆腐
煮物はあっさり、ゴマ味濃厚でトロリした豆腐
 
風の強い日だからおでんと熱燗が最高
 
 
松本家の休日でも最近紹介された裏天王寺には
闇市の名残が残り怪しい感じ
 
ここ前から気になる店なんよね~
短冊に各都道府県の名物珍味料理が書かれてる
 
恒例の銭湯は何故か谷町線を北上し大日へ
 
大阪ゆらりスタンプラリーが毎週の義務化なんでここも印を貰うためには外せない一湯
 
しかし、アクセス悪い場所の銭湯ばかりが協賛してるんで...
コンプリートなかなか大変です
 
無料サウナやミストサウナ
露天風呂なんかもありいい風呂でしたよ