バスに乗りやすいのはいいけれど

地下鉄の駅はどれも似たり寄ったりなイメージだが、駅を一つ一つ降りてみると思わぬ発見がある。先日、北海道まで遠征し札幌市営地下鉄の駅めぐりをしてきたが、そこで驚いたのはバスと地下鉄の連携の良さである。
札幌市営地下鉄には、バスターミナルと一体化した駅というのが多く、そのような駅では、改札を抜けるとすぐ目の前にバス乗り場がある。勘違いしないでほしいのだが、駅前にバスターミナルがあるのではない。バスターミナルが駅の中に含まれているのである。駅という建物の中にバスの待合室があり、バスの時刻も鉄道と同じように電光案内板で表示されている。また、バスはバスターミナルの外壁に横付けするように止まり、バスが来たらバス乗り場専用の出入口からそのままバスに乗れるようになっているところも多い。雨の日でも、全く濡れずに地下鉄からバスに乗り換えられるのである。さらに、地下鉄の改札内でもバスの時刻表が配布されていて、鉄道とバスのつながりを強化しようとしている姿勢がうかがえる。東京のように鉄道とバスがバラバラで、駅前のバスターミナルですら乗り場がゴチャゴチャ分散しているのとは大違いだ。札幌なら、初めて来た人でもそれほど抵抗なくバスを利用できるだろう。
だが、そこまでバスの存在が大きいというのは、鉄道が少ないことの現われでもある。札幌は住宅地が郊外までずーっと広がっているが、鉄道があるのは中心部だけだ。JRは中心部だけではないけれど、快速や特急ばかりで都市間輸送の意味合いが強い。結局、郊外に住む札幌市民が、札幌の市街地に出るためにはバスが主なアクセス手段となるのである。札幌市営地下鉄で終着駅まで行くと、改札を出た人がバス乗り場に集まり長い列ができる。
北海道は、極端な「鉄道冷遇、道路優遇」の政策を行っている。それは地方だけでなく、札幌も同じことのようだ。
新幹線VS飛行機というけれど
今朝の朝日新聞の一面に「4時間の戦い 新次元」と題し、新幹線と飛行機の客取り争いについて記されていた。今年の12月に東北新幹線が新青森まで延び全線開通。さらに来年3月には九州新幹線の博多~新八代間が開通し、これも全線開通となる。北は青森、南は鹿児島まで新幹線がつながり、航空路線は大打撃を被ることが予想されるのだという。新幹線は新路線の整備や新型車両で攻勢を図り、飛行機は、増発や国際線への乗換のスムーズさで勝負するというが、もう少しお互いに協力しあえないものだろうか。
新幹線と飛行機が、お互い客を呼ぼうとして綱引きを続けているだけでは、どっちかが栄えればどっちかが廃れるという流れを脱することができない。それよりも、東京圏の鉄道各線がそうであるように、お互いの連携を強化して共に成長していくことを目指すべきである。
例えば、飛行機のいちばんの弱点は空港へのアクセスが不便なことである。羽田や成田のような大きな空港はよくても、地方の空港は市街地から遠く離れているうえに、そこへのアクセスも自家用車頼みという要素が強い。市街地からのバスもあるにはあるが、バスに乗らなきゃ空港に行けない、というだけで客は逃げていく。このさい、地方でも空港から市街地までの鉄道をガンガン作ってしまったらどうだろう? 列車で空港に行けるようになれば、飛行機に乗るまでの壁が一枚取り払われる。そして、空港が鉄道のネットワークに組み込まれることで、新幹線の乗客だって増やすことができるだろう。なんなら、新たに整備する空港アクセス線は、ミニ新幹線方式で新幹線にしてしまうというテもある。空港に行きやすくなることで、本当に遠い場所は飛行機でスムーズに行けるようになるし、飛行機と新幹線(鉄道)の乗り継ぎが簡単になる。結果的に、日本じゅうの幅広い移動需要に応えることができるようになるのである。
競争で相手を食い合う時代はもう終わりにして、これからは本当のライバルを相手に、共に戦っていかなければならない。
新幹線と飛行機が、お互い客を呼ぼうとして綱引きを続けているだけでは、どっちかが栄えればどっちかが廃れるという流れを脱することができない。それよりも、東京圏の鉄道各線がそうであるように、お互いの連携を強化して共に成長していくことを目指すべきである。
例えば、飛行機のいちばんの弱点は空港へのアクセスが不便なことである。羽田や成田のような大きな空港はよくても、地方の空港は市街地から遠く離れているうえに、そこへのアクセスも自家用車頼みという要素が強い。市街地からのバスもあるにはあるが、バスに乗らなきゃ空港に行けない、というだけで客は逃げていく。このさい、地方でも空港から市街地までの鉄道をガンガン作ってしまったらどうだろう? 列車で空港に行けるようになれば、飛行機に乗るまでの壁が一枚取り払われる。そして、空港が鉄道のネットワークに組み込まれることで、新幹線の乗客だって増やすことができるだろう。なんなら、新たに整備する空港アクセス線は、ミニ新幹線方式で新幹線にしてしまうというテもある。空港に行きやすくなることで、本当に遠い場所は飛行機でスムーズに行けるようになるし、飛行機と新幹線(鉄道)の乗り継ぎが簡単になる。結果的に、日本じゅうの幅広い移動需要に応えることができるようになるのである。
競争で相手を食い合う時代はもう終わりにして、これからは本当のライバルを相手に、共に戦っていかなければならない。
北海道の後は追わないように ~小坂駅~

小坂駅に行った。
小坂駅は、秋田県の大館~小坂間を結んでいた小坂鉄道の終着駅である。小坂鉄道は1994年に旅客列車の運転をやめ、その後貨物列車だけは運行されていたが、それも2009年で終わり現在は完全な廃止状態である。私はもともと小坂駅を訪れる予定はなく、単にバスに乗って小坂町を訪れるだけのつもりだった。だが、バスが廃止された踏切をガタンガタンと通過するとき、廃線とはいえども鉄道のニオイを強く感じ、駅の存在が気になったのである。
初めて訪れた小坂町は、おおよそ賑わっている場所というのもが存在しない沈んだ町だった。町役場の通りに商店街らしきものが形成されているが、シャッターが下りた店ばかりで人通りがほとんどない。わずかに開いてる店もあるが、シャッターが半開きになっていたり、店内に電気が点いていなかったりで、客を呼ぼうという意思が感じられない。そんな沈んだ商店街の近くに小坂駅はあり、赤い屋根をのせた立派な木造駅舎がたっていた。ホームもそれほど荒れずに残っているし、線路がたくさん並んでいて、今すぐにでも営業を再開できそうな雰囲気である。小坂町はとても寂しい町だが、廃墟と化したはずの駅が、街中でいちばん明るい表情をしていた。
現在、小坂町では、小坂駅を鉄道を楽しめるテーマパークにしようと考えているという。もしそれをやるなら、鉄道をただ見せ物にするのではなく、鉄道の素晴らしさが伝わるような場所にしてもらいたいものである。
※ しかし、テーマパークをつくる余力があるなら、旅客列車を復活させるとか、それが無理でもバスの本数を増やすとか、そういう方面に金を使うのを優先させるべきだ。
鉄道は何のためにある?

北海道の鉄道は人気である。夏休み中の普通列車に乗れば、必ずといってよいほど鉄道ファンや旅行者がいるし、列車交換のために駅に長時間停まるとなれば、駅のホームはさながら撮影会の様相を呈す。一駅停まるごとに窓越しに駅の写真を撮る者もいる。最近では、そんな鉄道ファン的行動をとる女性の姿も目立ってきた。
鉄道が賑わっているのはいいことだ。しかし、鉄道ファンばかりが目立っている状況にはスッキリとしなさを感じてしまう。鉄道は純粋に移動手段として用いられる乗り物なのに、移動手段というよりも遊びで乗っている人たちの方が目立ってしまっているからである。
また、私が無人の小さな駅にいるとき、自動車を使って駅の写真を撮りに来る人が現れることもしばしばある。そんな人から、「アクセス悪いのにどうやって来たんですか」って不思議そうに訊ねられたこともあった。列車で来たに決まってんだろ。駅は列車の乗り降りをする場所だろ。……東京であれば当たり前の理屈だが、北海道ではそれは通用しない。秘境駅と呼ばれるような駅ともなると、そこは列車を利用する人たちのための場所ではなく、ただの観光スポットに成り下がってしまっている。
鉄道が、ただの見せ物になってしまっているような気がする。北海道の田舎町では、鉄道は無いのが普通だ。さらに言ってしまえば、昔は鉄道が通っていたが、廃止されてしまった、というのが北海道の田舎町の典型的パターンである。だから鉄道の存在自体が興味の対象になり、遊びで乗る人たちで賑わう――。
本来の姿から逸脱している北海道の鉄道は、面白い。けどつまらない。
※写真は真布駅(留萌本線)
廃駅は何者か

国道上のバス停に降り、国道から分岐する脇道へ入っていく。その脇道の先には、廃止になった深名線の鷹泊駅がある。その道は、駅と国道をつなぐのが主目的であるため、駅以外にあるものといったら農業倉庫と廃屋くらいだ。
国道をそれたとたん、トタン壁に囲まれた工場のおじさんに声をかけられた。
「そっち行ってもなんにもないよ」
呆れたような口調だった。私は地元の人との触れ合いがキライなので、「分かってます」と言いながらそのまま歩き続ける。草生した道を歩き木造の駅舎が目の前に迫ってきたとき、ずっと後ろの方から「だから、なんにもないよ!!」という声が聞こえてきた。暗にそっちに行くなと叫んでいるかのようである。応答すると面倒なので無視しておく。何にも無くなんてないじゃないか、駅があるじゃないか。地元では、すでに駅舎は何にもないのと同じになってしまっているのか。
鷹泊駅を観察しながら、私は想像を膨らませた。もし、おじさんが私を追いかけてきて「だから何もないって言っただろ!」と怒りを含ませてきたらどうするか?
「何もないかどうかは私が決めることです」
と言ってやろう。
また、追いかけてこなくても、駅から国道に戻る時、おじさんに「何にもなかったでしょ」って訊かれるかもしれない。そのときは、
「はい。全く何もありませんでした」
と素直に返しておくのがよいだろう。
そんなことを考えながら、廃駅での時を過ごす。草ボーボーの鷹泊駅は、訪れてきた自分に何も語ってくれそうにない。
ワガママを許すな
行楽気分が味わえるクロスシートの列車。だが、どこへ行っても乗客のマナーの悪さが鼻につく。隣の席に荷物を置くくらいなら、車内が空いているなら許せる。だが、足を投げ出したり、前の座席に乗っけたりしている奴は何を思い上がっているのだろう。このボックスは俺のもの、と勘違いしてるんじゃないだろうか。なかには、車内が混んでいても涼しい顔で席を占領し続ける大馬鹿者もいる。
腹が立つので、そういう奴がいたら、他に席があってもあえてそのボックスの席に座るようにしている。私が平然と(演技)腰掛けると、相手はどことなく不満そうな顔をすることもある。だが私は、「ちょっとすみません」なんて声をかけたりはしない。ボックス型クロスシートのなかには4席あり、そのうち1席しか埋まっていないのだから自分が座るのは当然。その「当然」を相手に教えてあげるためである。こちらがすみません、なんて下手に出てしまえば、相手は先に座った自分が偉いという勘違いに気付かないだろう。私はクロスシートを占拠する奴に怒っているわけだが、占拠されているクロスシートを避けてロングシートに妥協する人たちも気に入らない。その 妥協がワガママを助長させているからである。
ワガママな子がいたら、それはいけませんよと教えてあげる。そんな当たり前の躾けが、本当の意味で快適な車内をつくるのである。
腹が立つので、そういう奴がいたら、他に席があってもあえてそのボックスの席に座るようにしている。私が平然と(演技)腰掛けると、相手はどことなく不満そうな顔をすることもある。だが私は、「ちょっとすみません」なんて声をかけたりはしない。ボックス型クロスシートのなかには4席あり、そのうち1席しか埋まっていないのだから自分が座るのは当然。その「当然」を相手に教えてあげるためである。こちらがすみません、なんて下手に出てしまえば、相手は先に座った自分が偉いという勘違いに気付かないだろう。私はクロスシートを占拠する奴に怒っているわけだが、占拠されているクロスシートを避けてロングシートに妥協する人たちも気に入らない。その 妥協がワガママを助長させているからである。
ワガママな子がいたら、それはいけませんよと教えてあげる。そんな当たり前の躾けが、本当の意味で快適な車内をつくるのである。
楽しそうな車内

函館発、長万部行きの普通列車に乗る。昼過ぎのその列車は、学生、老人、お出かけ中のおばさんたち、そして旅行者でにぎわっていた。列車は函館の市街地を抜け、道南の景勝地「大沼」をかすめつつ砂原回りと呼ばれる迂回線へと入る。函館を出発しておよそ50分。列車は森の中で急に止まった。運転士の肉声でアナウンスが入る。
「ただいま、線路に倒木がありましたので停止しました。運転再開までしばらくお待ち下さい」
車内がざわめき立ち、おじさんやおばさんが運転室の方へぞろぞろと歩いていく。私も、何があったのか気になったが、前の方が混んでいたので空いてから行こうと思った。列車が止まってから10分、20分と時間は過ぎていく。
「ご案内いたします。さきほど、線路に倒木があったため列車は停止いたしました。只今、保線係が現場に向かっております。運転再開まで車内でお待ち下さい」
「ご案内いたします。あと15分ほどで保線係が現場に到着する見込みです。現場に着き次第復旧作業にあたります。大変ご迷惑をおかけしまして申し訳ありません」
運転室の後ろは、おじさんやおばさんが入れ代わり立ち代わりで占拠し、なかなか空いてこない。こうなると、ただの野次馬のように見えてくる。
「ご案内いたします。只今、保線係が現場に到着いたしました。これより直ちに復旧作業を行います。もう少々お待ち下さい」
列車は、人家が一軒もない森の中で止まったままである。なのに、騒いでいるのはおじさんやおばさんばかりで、学生たちは何事もなかったかのようにおしゃべりを続けている。○○は××のことが好きでどーのこーのとか、※※先生はああだからとか、△△さんは幽霊をみたらしいよとか、そんな話を楽しそうに続けている。異常事態に動じない高校生はスゲェ。運転室の後ろまで行って、そわそわと落ち着かなそうにしている中高年の連中よりもずっと大人っぽいじゃないか。
しかし、それはある意味鉄道をあきらめているのかもしれない。鉄道なんて、どうでもいいことですぐ止まるどーしようもない乗り物なのサ、と地元の学生は理解しちゃってるのだとしたら、それは悲しい現実といえるだろう。
彼らがおじさんおばさんになった時、鉄道は今とどう変わっているだろうか?
階段国道は残酷だ

階段国道へ行った。
ものすごく有名なスポットだが一応説明すると、それは青森県の龍飛崎付近にある、階段になっている国道のことである。階段なので歩いてでしか通ることはできないわけである。
眼下に水平線を展望する階段国道入口から、漁港方面へ下っていく。階段はアーチ状になっていて、沿道にあじさいの花が咲いていたりと、国道というよりはただの遊歩道みたいである。階段上から海がキレイに見渡せるのもわざとらしい。このへんのわざとらしさは私が嫌う観光地そのものである。
だが、見どころはその先にあった。階段が終わり狭い道に変わると(まだ、車の通れる道には出ていない)、道沿いに家々が密集してくる。階段国道こと国道339号は、民家の玄関先をかすめ、どこまでが公道で、どこからが家の敷地なのかハッキリしないような場所をかすめながらのびている。本来この道は地元の人しか通らず、よそ者が入り込もうものなら怪しまれ「どっから来たの!」「何しに来たの!」と厳しい質問が浴びせられるはずの裏路地になるはずだった。なのに、どういうわけか国道に指定されてしまい、よそ者が流入してしまっている。
閉鎖的なはずの東北の漁村を、有名スポットが侵略しているさまが実に面白い。ていうか可笑しい。滑稽である。地元の人は、その道が国道に指定されていることをどう思っているのだろうか?
あおぐから夏
ある夜、青森発八戸行きの東北本線普通列車に乗った。今年12月、新幹線開通に合わせ三セク化が予定されている区間である。さほど乗客の多い区間ではないはずなのに、そのときは立ち客がでるほど混んでいた。
ねぶた祭の影響である。青森最大のイベントであるとともに、全国的に有名なねぶた祭。その日はちょうど祭の最終日で、列車が増発も行われていたほどである。
車内には、「ねぶた」のうちわを持っている人が多く、パタパタあおいだり、うちわを自分の足にパンッパンッと叩きつけている人もいる。だが車内は冷房が効いていて充分に涼しい。うちわを使う必要なんてない。さらに言っちゃえば、みーんなで同じ「ねぶたデザイン」のうちわを使う必要はない。また、うちわで自分の足をパンパン叩くのも意味不明である。
それでも、その時期は暑く、熱くないといけないのだろう。青森の夏は短い。秋になれば一気に寒くなってしまう。夏は一年のなかで最も盛り上がるハレの季節であるからこそ、祭から帰る列車の中でも、うちわを振り回して夏の雰囲気を味わうのだ。
それならいっそのこと、ねぶたの時期は車内の冷房をナシにして、窓を全開に してしまったらどうか? なんてことを思った。
ねぶた祭の影響である。青森最大のイベントであるとともに、全国的に有名なねぶた祭。その日はちょうど祭の最終日で、列車が増発も行われていたほどである。
車内には、「ねぶた」のうちわを持っている人が多く、パタパタあおいだり、うちわを自分の足にパンッパンッと叩きつけている人もいる。だが車内は冷房が効いていて充分に涼しい。うちわを使う必要なんてない。さらに言っちゃえば、みーんなで同じ「ねぶたデザイン」のうちわを使う必要はない。また、うちわで自分の足をパンパン叩くのも意味不明である。
それでも、その時期は暑く、熱くないといけないのだろう。青森の夏は短い。秋になれば一気に寒くなってしまう。夏は一年のなかで最も盛り上がるハレの季節であるからこそ、祭から帰る列車の中でも、うちわを振り回して夏の雰囲気を味わうのだ。
それならいっそのこと、ねぶたの時期は車内の冷房をナシにして、窓を全開に してしまったらどうか? なんてことを思った。
