あるきびとの岩手旅日記 -6ページ目

いけないんだぞ

 青森県のとある田舎町で、帰宅途中の小学生グループに遭遇した。余談だが、小学生はクマと並んで、旅行中に出会いたくない相手である。小学生は、「人と会ったら元気よくあいさつをしましょう!」という教えに従って勢いよくあいさつしてきたり、よそ者である自分に対し露骨な視線をぶつけてきたりする。またその澄んだ目によって、自分の本性を見透かされているような気がして怖い。だから私は、小学生に遭遇したら、早足で追い越してやり過ごすようにしている。
 小学生たちは、2つのグループに分かれてのそのそと歩いている。後ろのグループを追い越し、前を進んでいるグループも抜き去ろうとしたとき、前グループの一人が後ろを振り返り、
「おーい。寄り道しちゃいけないんだぞー」
 後ろのグループの子たちは、沿道の店の前に足を止め、何かを買うでも買わないでもなく歩みを滞らせている。前グループの子は、それを寄り道と見なして咎めたらしい。
 すると、後ろグループの一人が、
「お前らー、横断歩道のないところ渡っただろー」
 と叫んだ。咎めたら咎め返す。お互いに相手の粗探しをする。しかも、そのネタは自分で考えたものじゃない。親や先生たちがしつけた教えに従い、子供同士で咎め合っているのである。
 りんご畑がお日さまの光を浴びる明るい田園地帯。広々とした風景。だけど、大人たちの嫌な呪縛が渦巻いているその光景になんだか悲しい気持ちになった。

開けたら閉める

 夏の駅寝でいちばんやっかいなのは、虫が多いことである。カ。ガ。ハエ。そして小さな甲虫類がブンブン飛び回り、人のために作られた待合室だというのに、まるで虫たちの宴会場みたいになっている。夏の夜に虫が多く飛びまわるのは仕方ないことだが、わざわざ狭い待合室の中で飛ばなくてもいい。誰かさんが待合室のドアを開けっ放しにするせいで、虫が入り込んで虫の支配下に置かれてしまうのである。
 カンタンなことだが、待合室のドアを閉めておけば、夜間に虫が入り込むこともなく快適な夜を過ごせる。駅の待合室は駅寝をするために存在しているわけではないが、一般の利用客にとっても、虫がいない待合室の方が心地よく列車を待てるだろう。それなのに、地方の無人駅へ行ってみると、待合室のドアが閉まっていることよりもだらしなく開けっ放しになっていることの方が多い。「虫が入りますのでドアを閉めてください!」と貼り紙がしてあってでも、だ。
 虫が多い土地に住んでいても、その事情が理解できない人ばかりなのか? それとも、鉄道利用者を弾圧し、道路造りという公共事業を増やそうとする陰謀なのか? いずれにしても、へそ曲がりな奴らばかりで困る。

 

役に立つこととお金は別

「よい子」はよく、将来は人の役に立つ仕事がしたいという。だが、人は生きているだけで何かしら人の役に立っているから、特別に人の役に立つ仕事をしようなどと考える必要はない。少なくとも、お金がたくさんもらえる仕事をしている者は人の役に立っていて、そうでない者は人の役に立っていないなんてことはない。お金は、人の役に立ったことへの対価で得られるものだと思ったら大間違いだ。
 以前、ニート問題を取り上げたテレビ番組で、ニートの若者に対して「世のため人のために働こうという気はないのか?」という問いを投げかけていた。全くもって見当違いである。金を稼いでいないことの問題を、「世のために働こう!」という美しい理念にすり替えてしまっている。世のために働きたいと思うなら、ニコニコ生放送で配信でもすればいい。私もニコニコ生放送をよくみるが、タダで観るのが申し訳ないほどの面白い放送をよくやっている。政府も、雇用対策をするんだったら、そうやって本当に人々を楽しませている人に金が回るシステムを作ればいいのだ。

宗谷本線の動画



 旅行中に撮ってきた写真を使い紙芝居動画をつくった。動画づくりでいちばん時間がかかったのは、音楽に合わせて画面を切り替えるところ。それでも、ウィンドーズムービーメーカーという素晴らしいプログラムのおかげで3~4時間程度で完成した。鉄道というネタを使ってカンタンに動画を作りアップロード――これではおおよそ、自分のオリジナル作品とはいえないだろう…。

不正解っぽい正解

 先日、私はまた暗澹たる気分に陥った。なぜなら、奥歯のあたりがじんわりと痛み出したからである。3年ほど前に虫歯ができて歯医者で痛い思いをしたので、また同じように痛い目に遭うのかと思うと、それだけで目の前が暗くなってしまう。これから旅行に出かけて三陸海岸の絶景を楽しめるとしても、1日1本の限界ローカルバスに乗れるとしても、歯が痛いだけですべてが絶望的になってしまう。
 ただ、私はもともと虫歯になりにくい人である。学校の健康診断でも、虫歯だと言われたことは一度もない。3年前に虫歯になったのが初めてで、未だに何故虫歯になったのか納得のいく回答は得られていないのだ。だから、今回も何かの間違いではないのかと思い、歯医者へ行くのは保留にしていた。葉の再石灰化を促進するとか謳っているガムを寝る前に噛んだり、噛んだまま寝たりして悪あがきを試みる。すると、幸いなことに1週間ほどで痛みが治まった。今は全く痛くなくて、先日まで痛みに悩んでいたのがウソのようである。初期の虫歯だったので治ってしまったのか、それとも元々虫歯なんかじゃなくて、噛み合わせの問題で痛かったのか?
 歯が痛くなったらすぐに歯医者に行ったほうがいい――そんな教訓がいつも正しいとは限らない。無駄に見える抵抗が、実は最善策だったりもする。

マニアは得をする

 先日、地元の図書館でCDを借りてきた。JR東日本の発車メロディーが収録されているCD。東京の駅で使われているものを中心に沢山の発車メロディーが聴けて、「あーこれこれ! あるよねぇ」と笑いながら楽しめた。いかにも人気がありそうなポピュラー音楽のCDはあまりないのに、鉄道マニア向けのCDが平気で置かれている図書館……。人気のある本を借りるには何ヶ月もまたなければならないことだし、世の中、少数派に属する者は得することが多い。

都会人は分かってない

 昨日、自由研究のネタを提供するというテレビ番組で、昆虫について取り上げていた。二択形式で問題が出題される。
「チョウとガの違いは、ガは毒を持っていて、チョウは毒を持っていないことである。○か×か?」
「チョウとガはどちらのほうが種類が多いか?」
 答えは、一問目が×、二問目が「ガ」である。とてもレベルの低い問題だ。もしガがみーんな毒を持っていたら大変だ。ちょっと地方へ行ってみれば、街中でも夏はガが縦横無尽に飛びまわっているし、道にはガの死骸が踏まずには歩けないほど散らばっている。もしそれらガが毒を持っていたら恐ろしくておもてを歩けない。さらに、ガはチョウの9倍の種類が存在するらしいが、これも当たり前のことである。田舎町の夜、駅の電灯や店の灯に集まる昆虫を観察してみれば、チョウよりもガの方が圧倒的に数が多い。
 東京のような大都市だと、夏の夜でも窓にガがびっしりと張り付いたりしないし、外を歩いていてチョウやガが飛んでいるのを見かけることもまれである。人は、都市という自分たちだけの世界を作り上げ、自然にとって当たり前の事実を忘れてしまったのではないだろうか。

夢の鉄道

 今日は、夢に秋田内陸線(秋田県の3セク鉄道)が登場した。といっても、現実の秋田内陸線とは少し違っていて、列車本数が多めで、地下鉄のような駅があったりする。あくまでも、自分が「これは秋田内陸線なのだ」と認識しているだけなのである。
 始発の駅を出発すると、列車は道路脇に設けられた柵のない線路を進んでいく。まるで路面電車のようだーなんて驚くのもつかの間、列車はトンネルに入り、一つ目の駅に到着する。私はそこで降り、次の駅まで歩き始めた。
「今の季節だとあと1時間で陽が暮れるな……ってことはこのあと列車に乗って、駅に降りたら今日の駅めぐりは終了だ、駅寝する駅は……」
 と、いつもの旅行みたいなことを夢の中でも考えている。
 現実世界で、私は岩手県内の在来線の駅は全て降りてしまったし、東北地方や北海道という範囲でも降りたことのない駅はほとんど残っていない。そこで、バスに乗ってみたり、廃道を歩いてみたりと別の楽しみを模索しているわけだが、やっぱりいちばんの基本は鉄道を楽しむことなのかなぁ、って思う。過去にも、夢の中には地方の路線が多く登場している。不思議と、我が地元の西武新宿線は出てこない。

ほんやさん

 先日、中野の古本屋で面白い本をみつけた。それは、日本全国のバス停の写真を収めた写真集で、バス停のポールや周辺風景を写した写真が最初から最後までずーっと続く。走っているバスもほとんど写っておらず、味気ないといえば味気ない。でもバス停らしい「はかなさ」が伝わってくる。それなりの値段だったのでその場では買わなかったが、今でも少し気になっている。自分自身もバス停の写真を沢山持っているので、それらを集めて写真集にしたら面白いかもなー、とも思う。
 アマゾンなどのネット書店が栄えても、本を手にとって眺めることができるリアル書店の影響力は大きい。

キレイなモノたち

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 以前話したように、JR深名線沿線は過疎の極みである。まとまって集落であっても空き地ばかりで、廃屋が目立っている。家々が集まっているのに人気がなく、廃駅の駅舎も押し黙っている。
 だが、鉄道が廃止になるような地域にもかかわらず道路は妙に立派だ。幌加内町内の国道は、東京でいえば環七や環八くらいの道幅がある。それだけの道路整備をしておきながら、自動車の通りは少ないし、言うまでもないが歩いている人はもっと少ない。また、バスターミナルにの待合室にはフカフカの椅子が備えられ、バスが来ると発車案内放送が流れる。
 廃止になったのは鉄道だけではない。JRバス深名線には「~小学校前」と名の付いたバス停がいくつかあるが、その多くがすでに閉校になっている。学校の跡地にはキレイなコミュニティセンターが建てられているが、学校が廃止になるような場所で誰がコミュニティセンターに集まるのだろう? 深名線沿線は、人はいないのに立派なモノばかりがゴロゴロ転がっている。
 国道をひたすら歩き、添牛内小学校前というバス停にやってきた。ここも、小学校が廃止された辺境の地。だがバス停の待合室がものすごく豪華で、待合室にはキレイな椅子とテーブルが置かれている。さらにトイレが設けられ、男性用、女性用、車椅子対応トイレの3室に分かれている。バスの利用客を優遇するのはよいが、一日にどれだけ利用されているのだろう?
 そんな無駄臭い待合室のおかげで、私はその夜を快適に過ごすことができた。