舞台選び
昨日、「ツイッター」に登録した。といっても、とある書き込みに返信がしてみたかっただけで、自分から積極的に「つぶやき」を投稿していくつもりはない。このアメーバブログを書き、それに加えてツイッターまでやっていたら中学・高校時代くらいに忙しくなってしまう。
私は今年の11月頃、東京から盛岡までの徒歩旅行に挑戦しようと計画している。その徒歩旅行の際、自分の到達地点を報告する場として「ツイッター」はいいかもしれない。
ネット上には、自分の思いを発表する場がたくさんある。たくさんあるからこそ、その使い分けが大切なのだ。
私は今年の11月頃、東京から盛岡までの徒歩旅行に挑戦しようと計画している。その徒歩旅行の際、自分の到達地点を報告する場として「ツイッター」はいいかもしれない。
ネット上には、自分の思いを発表する場がたくさんある。たくさんあるからこそ、その使い分けが大切なのだ。
『だれが決めたの? 社会の不思議』に腹立てた!
『だれが決めたの? 社会の不思議(橋爪大三郎著)』という本を読んだ。橋爪大三郎という人のファンだから読んでみたというわけではない。ブックオフの100円コーナーにあり、なんとなく気になったから買ってきただけのことである。この本は、社会学を専門とする著者が、小学生たちが抱く様々な疑問に答えていくという内容になっている。文章は対話形式になっており、子どもが読みやすいように配慮されているようだ。
最後まで一通り読んでみて、私はこの著者に怒りがこみ上げてきた。こんな著者の子供には絶対になりたくない、と思った。
この本の第一章は、「なぜ勉強しないといけないの?」というお決まりの質問から始まる。著者はそれに対し、算数を習ったおかげで買物のとき計算ができるとか、国語を習ったから本を読んだりもできるのだと答える。しかし、それは「読み書きソロバン」という基本的なことだから理由付けできたようなもの。本当に疑問に思うのは、「全員が図形の面積を求められるようになる必要はないんじゃないか?」「道徳って何のためにあるの?」てな方だろう。しかし著者は、読み書きソロバンの必要性を説明したあと、
「大人になってから、アレを学んでおけばよかったと思っても手遅れだから」
と曖昧な言い方をする。さらに、学校でやる内容は大人が考えて役に立つだろうと判断したものだから、大人を信用して勉強しろ、と続ける。私に言わせれば、信用できるかバカ、って感じだ。信用できないから、勉強しないで大人になってみて困るかどうか実験するぞコラ! と脅してやりたい。
また、アフリカのある部族は、男の子が15歳になったら高いところから飛び降りて大人になれるかどうか判断するという儀式があることを著者は話し、
「日本はバンジージャンプなんかしないで、算数とか国語とかをやってればいいんだから楽でしょ?」
と意味不明な理屈まで展開しだすありさまだ。それなら、バンジージャンプしろと言われて拒否、勉強しろと言われそれも拒否したら何か問題が起こるのだろうか? 著者に言わせれば、大人が決めたことだから正しいのだ、大人になったら分かることなのだ、ということだろう。何の答えにもなっていない。
この本では、勉強の話のほか、死ぬってどういうことか、なぜ男と女がいるのか、大人はずるいのか、などなど様々なテーマが提示され、著者が大人の権威をかざしながら子供だましの説明を展開していく。第七章「戦争はなぜなくならないのか?」では、その質問に答える前に戦争とは何かを考えてみよう、と論点をそらし、外国人同士が殺し合うだけでは戦争にならないとか、警察は敵を逮捕するが軍隊は敵を殺すのだとか、当たり前のことをぐだぐだ話し続ける。さらに、各国の軍事力のバランスが崩れると戦争が起きるので、軍事予算をケチるわけにはいかない、と、アメリカの理屈をもっともらしく話し始める始末である。そして結局、戦争がなくならない理由を話すことなく、戦争をなくすためにはそうすればいいか考えてみてください、と偉そうに宿題を出して幕が下りる。著者は、誰にでも分かるような当たり前のことをもっともらしく話し、難しい問題になると「自分で考えてみようね」みたいな態度でごまかす。まるで、「わたしは分かっているが、答えをいま話してしまったら子供たちのためにならないからな」とでもいうかのようだ。
こんなやつが大学教授をやってるんだから笑ってしまう。
偉そうに子供だましをする著者のような人にはなるなよ、と私は小学生たちにいいたい。
最後まで一通り読んでみて、私はこの著者に怒りがこみ上げてきた。こんな著者の子供には絶対になりたくない、と思った。
この本の第一章は、「なぜ勉強しないといけないの?」というお決まりの質問から始まる。著者はそれに対し、算数を習ったおかげで買物のとき計算ができるとか、国語を習ったから本を読んだりもできるのだと答える。しかし、それは「読み書きソロバン」という基本的なことだから理由付けできたようなもの。本当に疑問に思うのは、「全員が図形の面積を求められるようになる必要はないんじゃないか?」「道徳って何のためにあるの?」てな方だろう。しかし著者は、読み書きソロバンの必要性を説明したあと、
「大人になってから、アレを学んでおけばよかったと思っても手遅れだから」
と曖昧な言い方をする。さらに、学校でやる内容は大人が考えて役に立つだろうと判断したものだから、大人を信用して勉強しろ、と続ける。私に言わせれば、信用できるかバカ、って感じだ。信用できないから、勉強しないで大人になってみて困るかどうか実験するぞコラ! と脅してやりたい。
また、アフリカのある部族は、男の子が15歳になったら高いところから飛び降りて大人になれるかどうか判断するという儀式があることを著者は話し、
「日本はバンジージャンプなんかしないで、算数とか国語とかをやってればいいんだから楽でしょ?」
と意味不明な理屈まで展開しだすありさまだ。それなら、バンジージャンプしろと言われて拒否、勉強しろと言われそれも拒否したら何か問題が起こるのだろうか? 著者に言わせれば、大人が決めたことだから正しいのだ、大人になったら分かることなのだ、ということだろう。何の答えにもなっていない。
この本では、勉強の話のほか、死ぬってどういうことか、なぜ男と女がいるのか、大人はずるいのか、などなど様々なテーマが提示され、著者が大人の権威をかざしながら子供だましの説明を展開していく。第七章「戦争はなぜなくならないのか?」では、その質問に答える前に戦争とは何かを考えてみよう、と論点をそらし、外国人同士が殺し合うだけでは戦争にならないとか、警察は敵を逮捕するが軍隊は敵を殺すのだとか、当たり前のことをぐだぐだ話し続ける。さらに、各国の軍事力のバランスが崩れると戦争が起きるので、軍事予算をケチるわけにはいかない、と、アメリカの理屈をもっともらしく話し始める始末である。そして結局、戦争がなくならない理由を話すことなく、戦争をなくすためにはそうすればいいか考えてみてください、と偉そうに宿題を出して幕が下りる。著者は、誰にでも分かるような当たり前のことをもっともらしく話し、難しい問題になると「自分で考えてみようね」みたいな態度でごまかす。まるで、「わたしは分かっているが、答えをいま話してしまったら子供たちのためにならないからな」とでもいうかのようだ。
こんなやつが大学教授をやってるんだから笑ってしまう。
偉そうに子供だましをする著者のような人にはなるなよ、と私は小学生たちにいいたい。
ものまんが12

岩手県岩泉町の半城子(はんじょうし)停留所である。岩泉は町自体が秘境のような場所だが、そのなかでも半城子停留所は奥地にあり、到達するのは容易ではない。究極のローカル線と呼ばれるJR岩泉線で終点の岩泉まで行き、そこから岩泉町民バスの安家洞線に乗りかえる。この安家洞線も、岩泉線と同じく1日3本のみだ。安家洞線に揺られること約50分、峠を越えた先の終点「安家(あっか)」につく。安家からは、さらに極限的なローカルバス路線「茂井・半城子線」に乗り換え、やっと半城子停留所にたどりつく。茂井・半城子線は1日に2往復のみの運行。ものすごく不便だが、それだけにバスに乗れたときは、村の掟をビリビリに破ってしまったような快感が味わえる。停留所のポールは写真にあるように、ガードレールに寄りかかりながらつんのめりそうになっている。これからも、このポールを優しく起こしてくれる人など出てこないだろう。
「さくらんぼ小学校」はエロでよい
小学校につけようとした名前が、とあるエロサイトの名前と一致していた―-そんな異常事態が山形県で起こった。私は朝日新聞の朝刊でそれを知った。
来年4月に開校予定の小学校につけようとした名前は「さくらんぼ小学校」。さくらんぼの特産地であることからそのような名前を考え出したらしい。同地域には、すでに山形新幹線の「さくらんぼ東根」なんて駅もある。だが、同名のエロサイトが存在することが分かり、名称を変更することにしたという。そのエロサイトはいわゆる「ロリ系」で、サイトを見ていたマニアが山形県の「さくらんぼ小学校」を訪れ児童に被害が及ぶようなことを懸念したらしい。
さくらんぼの産地につくられる健全でさわやかな「さくらんぼ小学校」。一方、異常な趣向をもつマニア向けの「さくらんぼ小学校」。あらぬ誤解を招く、とか、入学式にサイト仲間が押しかけたら大変だ、など、新聞記事はエロサイトが悪で、その悪に翻弄されてしまったかのような論調だった。
だが、間違っているのは果物の名前を現実の学校名にしようとする、田舎臭い発想のほうだ。学校の名前は地名からつけるのが常識。だから、「北原小学校」なんて名前のエロサイトは存在しない(北原小学校はウチの近所に存在します)。エロサイト管理側も、現実には絶対に現れようがないと思って「さくらんぼ小学校」をつくったのだろう。
むしろ、エロサイトの管理人が、「さくらんぼ小学校」をつくろうとした山形県の田舎町(東根市なんだけどね)にクレームをつけるほうが筋が通っている。
田舎根性で変な名前をつけようとすると、揚げ足を取られるといういい例になった。
来年4月に開校予定の小学校につけようとした名前は「さくらんぼ小学校」。さくらんぼの特産地であることからそのような名前を考え出したらしい。同地域には、すでに山形新幹線の「さくらんぼ東根」なんて駅もある。だが、同名のエロサイトが存在することが分かり、名称を変更することにしたという。そのエロサイトはいわゆる「ロリ系」で、サイトを見ていたマニアが山形県の「さくらんぼ小学校」を訪れ児童に被害が及ぶようなことを懸念したらしい。
さくらんぼの産地につくられる健全でさわやかな「さくらんぼ小学校」。一方、異常な趣向をもつマニア向けの「さくらんぼ小学校」。あらぬ誤解を招く、とか、入学式にサイト仲間が押しかけたら大変だ、など、新聞記事はエロサイトが悪で、その悪に翻弄されてしまったかのような論調だった。
だが、間違っているのは果物の名前を現実の学校名にしようとする、田舎臭い発想のほうだ。学校の名前は地名からつけるのが常識。だから、「北原小学校」なんて名前のエロサイトは存在しない(北原小学校はウチの近所に存在します)。エロサイト管理側も、現実には絶対に現れようがないと思って「さくらんぼ小学校」をつくったのだろう。
むしろ、エロサイトの管理人が、「さくらんぼ小学校」をつくろうとした山形県の田舎町(東根市なんだけどね)にクレームをつけるほうが筋が通っている。
田舎根性で変な名前をつけようとすると、揚げ足を取られるといういい例になった。
ものまんが8

岩手ネタも、日常のエッセイネタも見つからないので、今日もものまんがで誤魔化させて頂く。先日、『人の心を動かす文章術』という本を読んでいたら、モノを擬人化する表現について書かれており、ハッ! とひらめいた。ものを擬人化してマンガにしたら面白いかも、と。昨日話したように、私は人物のイラストをみつけると吹き出しをつけたくなる。それは、学校の教科書だけでなく、新聞広告、ネット上のイラストなど様々な分野にわたる。吹き出しをつけまくってウン十年(ウソ)の私だからこそ、目鼻の付いていないものにも吹き出しがつけられるというわけだ。
文章から逃げているような気がしないでもないが、昨日からの「ものまんが」でアクセス数が微増しているので良しとしよう。エッセイでもマンガでもなんでもいいから、とにかく一日に一つ、ネット上に一球を投じたい。




