あるきびとの岩手旅日記 -9ページ目

生放送を目指そうか?

 以前述べたように、私は廃道攻略の動画を何本かニコニコ動画に投稿している。今までにはなかったタイプの動画だと自負している。再生数がなかなか伸びていないのもその証である。
 だが、まだまだ迫力不足だ。廃道はその名の通り道の存在そのものが廃れているので、通り抜けられる保証がどこにもない。行けるか、行けぬか。クマに襲われるか、遭遇せずに済むか。そして、遭難するか、無事に生還するか。……大げさではなく、廃道攻略は生死をかけた挑戦なのである。なのに、完成された動画にしてしまえば、観るときにはすでに結果が出ている。映像と自分のしゃべりで緊迫感を出すにも限界があるのである。動物と植物の圧力がぐわーっと迫ってくる廃道と、エアコンの効いた部屋でお菓子を食べながらニコニコ動画を鑑賞している状況には隔たりがありすぎる。
 もっともっと、観ている人に廃道の恐怖と制覇したときの開放感を味わってもらいたい。そのためには、生放送というテがある。ニコニコ動画のなかには「ニコニコ生放送」というサービスがあり、生で動画を配信できるようになっている。ニコニコ生放送の配信はプレミアム会員限定だし、外で撮影するためにはアイフォンという携帯電話を使う必要がある。いろいろハードルはあるけれど、いずれはニコ生デビューしてみたい。

パクるな馬鹿

 昨日、ブックオフに行ったら、きき覚えのある曲が店内に流れていた。何だっけ何だっけと記憶の糸をたぐりよせて分かった。それは、カケラ(川嶋あい作詞、作曲、歌)という歌のメロディーだったのである。だが、歌詞が違う。カケラは日本語の歌だが、ブックオフで流れていたそれは韓国語か中国語っぽい感じ。ちょっと節回しが似てるだけで関係ないのかなーとも思ったが、曲の最後までメロディーは「カケラ」そのものだった。
 そういえば、私の母がよく韓国のドラマをみているが、そのなかで、ジブリ映画の主題歌にも使われた「on your mark」という曲のメロディーだけ盗んだような歌が流れていたことがある。韓国だか中国だか知らないが、日本のパクリをするとは情けない。また、本物の「カケラ」を差し置いて、そのパクリ歌を流していたブックオフも情けない。

大玉論

 小学校の運動会でよく行われる「大玉ころがし」。2列に人を並べて、その間を玉を転がしていき、早くゴールまで玉を送った方が勝ちという競技である。
 もし、大玉ころがしで勝ちたいと思ったら簡単である。まず、人数は少ない方がいい。そして、玉が転がってきても、むやみに玉に触ろうとしないことが肝心だ。玉が自分のところまで来て、自分の立ち位置よりも先へ進んだら初めて玉を触る。それ以前に玉を触れば、ゴールとは逆方面に力を加えることになりブレーキがかかってしまうからである。
 だが、そんな作戦を立てても小学生たちがそれに従うことはないだろう。自分のところに玉が転がってくれば、一刻も早く触りたくなるのが人間心理というもの。みんながベタベタ玉に触れば玉はなかなか前へ進んでいかないけれど、玉が遅いからじっくりと玉に触ることができる。そして見ている大人たちも、大玉を触って喜んでいるかわいい子供たちを鑑賞することができるのである。
 ちなみに、ここで話した「大玉ころがし必勝法」は、私が小学生のとき思いついたものである。私は、玉にベタベタ触りたがる子たちを「バッカじゃないの」とケーベツしていた。もし私みたいな人がたくさんいたら、大玉ころがしという競技は大人の都合で中止となっていただろう。

おにごっこしたいよぉ

 以前、私は酒もタバコもギャンブルも興味ないと話した。要するに大人の遊びには興味ないということである。その一方、おにごっことかドッジボールとかキックベースとか、子供の遊びをまたやってみたいなぁと思う。おにごっこは中学1年にやったのが最後だった。自分がおにごっこが飽きたわけじゃないのに、周りの人たちがおにごっこに乗ってくれなくなって、結果的に子供の遊びから遠ざかってしまったのである。
 しかし、子供の遊びは基本的に面白い。おにごっこやキックベースもそうだが、机の上に乗せた定規を消しゴムで飛ばして相手の定規を落とすゲームとか、大人の遊びのようにカッコつける必要がないから大きく羽を伸ばせる。誰か、私の子供遊びに乗ってくれる人はいないだろうか?

おまわり

 昨日話した東急駅めぐりの途中、職質に遭ったのでそれについてお話ししよう。
 それは、東急池上線の蓮沼駅に降りたときのこと。いつものように改札を抜け、デジカメで周辺を適当に撮影していたら、駅前のおまわりさんが出てきて「ちょっと」と手招きした。
「なんですか」
「何撮ってんの」
 と、年配のおまわりさんが不審げな顔で訊ねる。
「え? 周りの風景を撮ってるだけですけど!」
 私が、めんどくせーなーとウンザリしながら答えると、おまわりさんは「あそう。ちょっとこっち来て」と言う。「この辺で写真撮ってるなんて珍しいからさ。一応警察としては訊いておかなきゃいけないんだよ。ホラ、最近は盗撮の事案もあるからさ。いや、あなたが盗撮してたって言ってんじゃないよ。でも、一応訊いとかないといけないの。女の人ばっか狙って撮ってるっていうんじゃマズイからね。おまわりさんも大変なんだよ」
 これは警察の大切な仕事である、というのを必要以上に強調するのもおまわりさんの特徴である。青森県や岩手県で遭遇したおまわりさんも、しつこく「声を掛けるのは仕方ないだろ」と繰り返していた。
「で、一体何を撮りに来たわけ? 電車撮ってるの?」
 と、また同じことを質問してくる。
「それもそうですけど。電車と駅とその周りの風景ですね」
「ふーん。で、どっから来た?」
「中野区です」
「あー中野。中野ならオレも前住んでたよ。中野のどこ?」
 こうやって、相手の情報を引き出しては強引に自分(警察官)と関連づけ、勝手に親密になるのもおまわりさんにはよくあることだ。
 さらに、おまわりさんの情報収集は続く。
「歳はいくつ?」
「本籍は東京でいいの?」
「今は、大学生かなんか?」
 と、手元の紙に鉛筆でメモしながら訊く。大学生だと答えると相手が納得しやすいというのは分かっているが、ウソをつくのは嫌いなので「違います」と答えた。
「じゃあ、職業は?」
 この質問に対しても、フリーターです、と答えればそれ以上追及はされないだろう。しかし、ウソをつくのは嫌だし、ありふれた肩書きに逃げるのは悔しいので、「いやっ、無所属です」と言ってみた。
「え? 無職?」
「無職ってのとは少し違うと思いますけど、とにかく説明できる肩書きがないということです」
 するとおまわりさんは、
「ハハハ……別に君を悪者に仕立てあげようとしてんじゃないんだよ!」
 となだめにかかってきた。何を勝手に納得してんだ、って感じである。最初は強気に出ておいて、あとから優しい一面を見せて相手を丸め込む。これまた職質の常套手段だ。
「じゃあ、要するにあなたは鉄道マニアってことなのね?」
 とおまわりさんが、勝手にタイトルをつけるような口調でいう。とにかく、何らかの肩書きをつけないと気が済まないらしい。
 私はたしかに鉄道マニアだ。しかし、鉄道マニアというワクの中に自分をくくられたくはない。私は何かのグループに属するのが嫌なのである。すべての面で無所属、それが自分の立ち位置だと思っている。そこで、
「まぁ、鉄道マニアという要素も少しはあります」
 と微妙な答え方をした。おまわりさんは鉛筆を走らせる手を鈍らせ、「うーん」と顔にしわを寄せる。
 職質は面倒だけれども、何も悪いことしてないのに運悪くおまわりさんにつかまってしまったら、冷静に相手を振り回してみたいところだ。

東急世界に入る

$あるきびとの岩手旅日記

 昨日は、東急の駅めぐりをしてきた。
 夏休み期間中、東急の全線が乗り降り自由になる「東急ワンデーオープンチケット」が640円で発売される。梅雨が明けて天気もいいことだし、本格的な旅行をする前の肩ならしにと軽い気持ちで出かけた。
 東急最大のターミナル渋谷を出発し、東横線を少しだけ降りてから大井町線に入り、大井町線を全駅訪問。さらに池上線の全駅を降りたところで陽が暮れた。東急はさほど規模の大きな鉄道会社ではないが、路線数が多いのでなかなか奥が深い。今まで、東急といえば東横線というイメージしかなかったし、東横線の渋谷駅にズラリと並ぶ電車が、東急の姿だと思っていた。だが、大井町線の起点「大井町駅」や、池上線の起点「五反田駅」も、へたな大手私鉄のターミナルよりも賑わっていて、華々しい東横線とは別の世界を作り出している。そんな、東急世界の大きさに浸るのが心地いい。また、今回攻略した池上線は3両編成の電車が走る支線的存在で、古い木造駅舎が残っている駅も多く、地方中小私鉄のような光景が展開する。駅の姿は田舎くさくても、改札をぬけた目の前には道幅の狭いゴチャゴチャとした商店街があり、商店街を堂々と横切る電車は力強くて頼もしい。
 ワンデーオープンチケットの発売期間はまだまだ続くので、この夏の間にもう一度出かけて、多摩川線や目黒線なども攻めてみようかと思っている。

※写真は大井町線の九品仏駅

夢と幻と旅行の話

 朝、目が覚めて、見ていた夢を思い返す。そのときはまだ、布団の中にいる自分よりも夢の中の自分の方がリアリティーを持っている。しかし、電気を点けて起き上がると、寝室にいる自分の方が現実度が高くなる。朝ごはんを食べる頃にもなると、夢は幻のようになり、やがて水の泡のように消えてしまう。
 現実と幻の差は紙一重だ。夢は現実ではないから幻として消えてしまう、というのは違う。夢も、夢の中にいる時点では紛れもなく現実である。しかし、その夢から覚め、現実(起きているときの世界)に慣れてしまったとき、それまで自分がいた夢という世界ははるか彼方に消し飛んでいってしまうのである。だから、東京に住んでいる私が今、瞬間移動で南極に行って、10秒の滞在時間で再び瞬間的に東京へ戻ってきたとしよう。東京に戻ってきた直後は、南極へ行ってきたという手応えがあるかもしれない。だが、10秒だけの南極体験は、しだいに日常生活という世界に押しつぶされ、本当に自分が南極に行ったのか自信がなくなってしまうだろう。そうやって、弱小な世界体験は幻になっていくのである。
 最近、私は長すぎる旅行期間を見直そうと考えている。以前は、2週間以上の旅行が当たり前で、ときには3週間にも及ぶながーい旅をしたこともあった。だが、旅行期間が長いと、だんだん楽しみが薄れてきてしまう。それはきっと、旅行期間が長すぎることで、旅行をしている自分が「夢」ではなく「現実」に昇格してしまうからではなかろうか。旅行期間を1週間程度におさえ、旅行を夢の世界で完結させたら、純粋無垢な旅ができて、いい思い出だけを家に持って帰れるんじゃないか? 
 いつかは幻として消えしまう夢こそ美しい。旅行も、儚く消えてしまうものとして楽しみたいものである。

写真新時代!?

 今日は、ヨドバシカメラで写真印刷用の光沢紙を買ってきた。
 デジカメを使うようになってから、アナログカメラのように写真屋さんに持っていって写真を現像してもらう必要がなくなった。しかし、撮った写真は普通の紙に写すだけで、撮影時の美しさは再現できない。写真を印刷しても、写真というよりも絵のような感じでリアリティーに欠けたものになってしまう。
 そこで、写真対応のプリンターに替わったのを機に、写真用の紙を使ってみることにしたのである。その紙は100枚入り480円と少々高かったが、写真を印刷してみると、アナログカメラのものと比べて遜色ない仕上がりとなった。旅行中にみた風景が、今、自分の手に収まっているなんて感動ものである。
 人生の喜びというのは、こんな些細な感動のカケラ一つ一つが作り出すものなのだろう。

私は普通

 先日の参議院議員選挙は、私が選挙権を得てから3回目の選挙だった。衆院選、参院選、中野区長選と今まで3回選挙を経験したが、そこで感じたのは、投票に来ているのは年配の人ばかりだ、ということである。投票は日曜日に行われるので、若い人は仕事が忙しくて投票に行けない、または期日前投票をしている、というのは考えにくい。一般に高齢者の方が投票率が高いと言われているが、それはどうやら本当のことのようだ。自分と同じ20代前半の人が投票している姿はあまり見かけない。
 私は、20歳になって自分のもとに選挙入場券が送られてきたとき、「おおっ、自分もついに一票を入れる歳になったか」と嬉しかった。選挙権は成人の特権。要するに大人の証。子供が大人に憧れるものだとすれば、選挙権を得たら投票に行くのはしごく自然なことのように思える。
 私はタバコも酒もやらないし、ギャンブルもやらないし、カレーはお子様向けの甘口しか食べられないし、寿司も絶対にサビ抜きだし、自動車の運転免許も取る気はない。さらに言っちゃうと、小さい頃、電車のつり革につかまりたくて背伸びした経験もない。つり革なんてつかまなくてもいいじゃん、というかわいくない子供だった。だが高校のときの同級生は、すでに酒を飲んだり、ギャンブルをやったり、二次会だ三次会だと大人用語を駆使したりとずいぶん大人化している。大人に対する執着心がない自分が選挙に行っているのだから、同年代の人たちは私以上に熱狂的に投票に行きそうなものだが、実際はそうではないらしい。
 だとすると、酒を飲んで「大人じゃーん」って酔ってる一方、せっかくの投票権を捨ててしまっているのが平均的な若者像ということになる。私には、酒を飲んで大人ぶってるのに選挙に行かない若者の心理がよく分からない。
 私は小さい頃から、自分は変な人だと思っていた(悪い意味ではない)。だが、自分以外の若者の方が変だし、ひねくれてるし、ヘソ曲がりなのではないだろうか。最近は、自分がとてもマトモで、周りの人たちが狂っているような気がしている。

夏への抱負



 中野区の歩行動画第2弾を投稿した。
 しかし、ここは自分でなくても歩くのが当たり前の甘っちょろい世界。東京の歩行動画撮影に満足することなく、地方の廃道にどんどん挑戦していきたい。「やってはいけませんよ」とお母さんからしつけられたことを平然とやっちゃうのが、私の使命なのだ!