「教育とは何か?その3」の考察に続いて、教育について根本から考える思索の第四弾として、以下の文章を記す。


私は、教育の根本は、国語教育にあると考えている。人間の思考能力、人格、教養の基盤は言語であり、言語の教育とは、第一言語である国語の教育から始まるからだ。そして、国語教育の根幹は、読解力の養成である。
ところが、近年、これまでの国語教育の課題や弊害が明らかとなり、世界的に深刻な問題となっている。その問題とは、一言で言えば、「これまでの学校教育では、子どもたちの読解力が、まったく伸びていない」ということだ。言い換えれば、今の教育のあり方では「どんなに一生懸命勉強しても、本を読める(理解できる)子にはならない」ということでもある。そして、この基礎的な読解力の欠如は、学力上の根本的な欠落を生じさせるとともに、人間性の重大な欠如を生む原因ともなりうる。
なぜなら、読解力がない人は、人生を豊かにする教養を養えないだけでなく、意思疎通(基本的なコミュニケーション)にも支障をきたし、社会生活そのものが困難になる可能性もあるからだ。
「読解力とは何か?」ということを掘り下げながら、まずは、以下の三つの実例について考えてみて欲しい。


例えば、日本では、「AIを東大に合格させよう」という東ロボくんプロジェクトが、挫折に終わったという事例がある。発足(2011)当初は、年々、順調に成績が伸びていたが、やがて、模試の偏差値が57で頭打ちになり、Al研究の優秀な研究者たちが、どんなに多くのデータを入れ、プログラムを改良しても、三年間(2014〜16)連続で偏差値58の壁を超えられなかったのだ。
原因は、AIには、人間が五感を通して全人的な体験を重ねることで会得していく〝読解力〟がないからだ。特に、前後の文脈から推測する能力、つまりは〝想像力〟というものが、AIの場合は完全に欠如している。したがって、AIに、どれほど知識を詰め込んでも、決して東大に合格することはない。せいぜい、他の中堅程度の国公立大学や私大にしか合格することができないということが明らかになったのだ。
逆に言えば、人の場合を考えると、「人間的経験に乏しく、そのために読解力がまるでなく、本がまったく読めない人であっても、猛烈に受験勉強をしさえすれば、入試偏差値57までの実力は、なんとか身につけられる」ということでもある。それで、「国公立大学や有名私大に合格・卒業してはいても、実は本(文学/時には絵本レベルでさえ!)がまったく読めない(理解できない)」ということが、現実に起こってくるのである。下手をすると、「大学院生であるとか、博士課程を卒業しても、本が全然読めない」という人がいても、何ら不思議ではない。
一説によると、「日本人の5人に1人は、教科書がまったく読めない」という。また、「イタリアでは、成人の3割にあたる人が、新聞が読めない」のだそうだ。
こうした現実に、遅ればせながら気づいたことから、日本でも、近年、生徒に読解力を身に付けさせるための授業の研究が盛んである。
しかし、「そもそも授業で、読解力を身に付けさせるということが、果たして可能だろうか?」という根本的な疑問が、学校教育信仰に根深く致命的に冒されているがゆえに、この国では、真面目に問われることがない。
というのも、読解力不足の見直しが、「読解力がなければ、偏差値57以上には学力が伸びない」「東大に入れない」「教科書も読めない子どもたちが半数近くいて、意味もわからず授業を受けている現状がある」という教育現場での危機感(動機)から始まっているためだ。だから「読解力を身に付けさせるためのスキルアップの授業を研究しよう」という発想になる。
また、「読書の量や質と読解力は、必ずしも比例しない」という奇怪な発想が、こうした〝授業信仰(教育信仰)〟に拍車をかけている。
東ロボくんプロジェクトの責任者だった新井紀子氏の「リーディングスキル(読書技術)を鍛えよう」という発想もまた、実は、子どもの読解力を非常に限定的なものとして捉えていて、そのために、氏の努力は、むしろ、子どもの能力のAI化を進行させてしまうのではないか、という懸念がある。
これは、日本的管理教育が、生徒の自主性や創造力を阻害することと、構造的によく似た問題である。


中国では、農村戸籍の生徒が都市部の大学に進学するのが、あまりにも狭き門であるため、日本よりはるかに受験競争がシビアで激烈である。そんな中国でも、受験のための詰め込み教育、いわゆる〝応試教育〟の弊害が明らかとなり、2000年以降、国を挙げて、試験対策一辺倒の応試教育から教養と情操教育重視の読書教育(素質教育)への転換が図られている。
試験で勝つためにだけ勉強してきた若者たちには、人間として大切な教養と良識が欠如していることに、遅ればせながら気づくようになったためだ。テストには強くても、親から自立できず、我儘で人と交われず、社会性と道徳心に乏しい子どもたちが、あまりにも増えてきたのである。
かつては、中国では「読書は受験の役に立たないから時間の無駄だ」と考えられていた。ところが、現在、中国の小学校に掲げられている標語は「息を吐くように読書をしよう」というものだ。「呼吸をするように、日常、普通に自然に読書をするような人になろう」ということである。小学生は、卒業までに、少なくとも100冊の本を読むことが義務とされている。
しかし、ここにも問題がある。読書をするのは良いが、それが読書を楽しむというよりも、むしろ、「何が何でも読書しなければならない」という勢いに見えるのが、どうにも気にかかる。
応試教育の全盛期に教育を受けてきた教師たちが、果たして読書の真の喜びを知っているのか、という疑念がある。実際、教師たちの多くは、学生時代に受験勉強一辺倒だったために、読書教育の指導に欠かせない個人的な読書体験が乏しい。上から命じられるままに、子どもたちに、自分は読んだこともない本の読書を強制するようでは困るのだ。
中国の富裕層の子供たちが通う私立学校では、さらに極端な教育方針をとる学校も注目を集めている。小学校一年生から論語を暗唱させ、さらにラテン語で聖書を暗唱させるという古典教育に徹した寄宿学校が創立され、大変人気があるのである。そこでは、「意味がわからなくてもいいから、徹底して原典を原語で暗唱させる」という少々強引な教育方法がとられている。さらには、布団の畳み方から食事の後片付けまで、生活の隅々にいたるまで、教師たちが厳しく指導する。まるで、中国式のお寺か修道院の生活かと思うような寄宿学校であるが、学費は年間240万円もする。
毛沢東の文化大革命によって、孔子が徹底的に否定され、論語が焼き捨てられていた時代と比べて、隔世の観がある。当時は、論語を持っていたら命の危険があったのである。変われば変わるものだ。
「人格教育には古典教育しかない」という考えは一理あるとは思う。しかし、この場合も、「意味のわからない教典をひたすら暗唱する」という苦行を課すことが、子どもたちの教育にとって、本当に良いことなのか、という疑問が残る。


一方で、世界的に有名な教育大国(読書大国でもある)フィンランドでは、考えうる限り最善の理想的な国語教育が行われている。
すべての教育が無料の公教育というフィンランドの国語の授業では、教科書を使った通常の授業以外に、漫画でも何でも、自分の好きな本を自由に読んでいいことになっている読書時間が豊富にあるようだ。その趣旨は、「子どもたちに本を読むことが大好きになってもらいたい」ということである。
だから、興味の持てない本を無理やり強制的に読ませたり、テストに出るからと、大人の都合で実利的な動機付けを与えたりはしない。感想文を書かせたり、感想発表を義務付けたりもしない。(もちろん、通常の授業においては、そうした発表や討論の時間はある。)
大切なことは、自由に好きな本を選び、自由に読ませるということなのだ。もちろん、読み方も、完全に生徒たちの自由だ。教室の隅に座り込んで読もうと、教室の床に寝そべって読もうと、好きな格好で読んでいい。無理やり、硬い椅子に長時間行儀よく座り続けることを強いるというような残酷なことはしない。
そんなことをしたら、生徒たちは、読書の時間が嫌いになってしまう。それでは「本を大好きにさせたい」という教育目的にとって、まったく逆効果であることを、教師たちは知っている。
「なぜ、そうまでして、子どもを本好きにさせたいのか?」というと、フィンランドでは、「一冊の本を読むことは、一つの新しい体験をすることであり、特に、それが質の高い物語であれば、人生における得難い貴重な体験となることもある」と考えられているからだ。加えて、フィンランド人は、五感を通して身をもって体験する学習を重視している。それによって、教育は、身体と精神に深く浸透するのだ。
このような方針によって、フィンランドは、1人当たりの図書館の年間貸出数が世界一(21冊)となっている。
そして、OECDが、2000年から3年ごとに世界各国の15歳の子どもに実施している読解力・数学・科学・問題解決能力の到達度を測る国際統一テスト「学習到達度調査(PISA)」において、フィンランドは3回連続で総合一位となった。特に、読解力テストに関しては、常に非常に高い結果を残している。
一方で、日本は、特に、読解力テストに関して順位が低く、しかも、8位→14位→15位→8位→4位→8位と低迷している。
しかも、フィンランドには私立学校がなく、塾もない。特別な英才教育など行われていないのである。また、フィンランドの学校の授業日数は年間190日で、OECD諸国中最短日数であり、日本より40日ほど少ない。1日の授業時間も日本より短い。放課後の塾もない。2ヶ月半もある長い夏休みには、宿題も課題も一切出されない。(逆に、学期中は宿題・課題が多い。また、テストもあるが、◯✖️式ではなく、深い内容理解を問う論述式である。)
それでも、日本よりもはるかに短い授業時間で、日本よりも、ある面では優秀な人材が育っているのだ。


高度に研究された授業によって読解力を養おうという日本、読書と古典の暗唱を徹底して強制しようという中国、自由に本を読ませることで、本が好きになるように促すフィンランド。いずれの国が、真の意味で読解力を養うことができるか、自ずと明らかではないだろうか。
フィンランドでは、国民の70%が、1日平均1時間以上の読書をしているという。一方で、日本では、16歳以上の男女のうち、1ヶ月に一冊も読まない人が47.5%いる。
以下に、2016年にフィンランド大統領が国民に呼びかけた言葉を記す。
「国民全員、特に子どもたちに、もっと本を読ませて、あるいは読んであげて、彼ら自身の人生を豊かにしてあげたいと思う。読書をすることは、物事を考えて想像し、心で感じることだ。それに、読書は、そもそも楽しいものである。」
真の読書家であれば、誰でもわかることだが、単に情報を得るためでなく、本にどっぷり浸かって、実のある体験として、読書を心ゆくまで楽しむためには、たとえ読書に慣れた大人であっても、少なくとも一日に数時間の予定のない自由な空っぽの時間が必要だ。子どもであれば、なおさら、もっと余裕が必要となる。誰にも監視されていない、ぽっかりと空いた自由な一日。それが読書家にとって、大切な実り多い時間となるのだ。そういう完全に自由な時間がなければ、読書も単なる情報収集の時間になってしまい、実のある体験にはなり得ない。虚しい〝空読み(からよみ)〟に終わってしまうのだ。
ところが、残念ながら、日本の大人たちにも、子供たちにも、そのぽっかり空いた自由時間がまったくない。だから、読書に費やされた時間が、ちっとも読解力の発達に繋がらないということが、起こってくるのである。
特に、日本の親は、子どもを手放して自由にすることのできない親が多過ぎる。近年は、1歳から能力開発の塾に通わせる親も多い。能力開発教室に多額の費用を払って、かえって、我が子の読解力、想像力、自主性、創造性、共感力、そして、何よりも好奇心の発達を、完全に阻害してしまう牢獄のような環境づくりに力を尽くしているのである。
そもそも、親の世代自体が、そのように育ってきたため、この負の連鎖は、とどまるところを知らない。読解力に乏しい、好奇心や想像力や共感力の欠如した教師や親たちが、さらに読解力のない、精神的に未熟で混乱した、自立心と生きる歓びに欠ける子どもたちを、生み出している。それが、あまりに救いがない。
また、日本では、教育にとってもっとも重要な幼少期の教育を担当する幼稚園や小学校の先生のレベルが低すぎるのではないだろうか。「教える内容が初歩的だから、初歩的なレベルの教養しかない先生でも務まる」と、誰もが勘違いしているのだ。社会や父母の側からの先生に対する敬意もない。
社会の常識に従って、学校で朝から晩まで机に座っているより、教養も共感力も誠実さもない愚鈍な大人たちによるチェックの視線から逃れて、いっそのこと、毎日、蔵書の充実した図書館にこもって、好奇心の赴くままに本を手当たり次第に読んでいる方がが、子どもたちにとって、結果的に、よっぽど良い教育環境にいることになるかもしれない。
1968年のサイモン&ガーファンクルのアルバム「ブックエンド」に収められている曲で、「アメリカ」という歌がある。ポール・サイモンが作詞作曲した歌で、メインボーカルもサイモンが務めている。
3年後の1971年には、日本で独自企画としてシングル盤がリリースされ、オリコンチャートで最高15位となり、21周に渡ってチャートインした。
翌1972年には、アメリカでリリースされたベストアルバム「グレイテスト・ヒッツ」に収められると同時に、シングルとしても発売された。しかし、シングルは、ビルボード・チャートでは最高97位にとどまった。
ビリー・ジョエルの名曲「オネスティ(Honesty/1978)」と同様に、本国アメリカよりも、むしろ、日本でヒットした曲であると言える。日本的感性の琴線に触れるものがあるのだろうか。あるいは、アメリカでは、発表の時期が、まだ少し早過ぎたのかもしれない。
いずれにせよ、この「アメリカ」という曲は、「明日にかける橋(1970)」「ボクサー(1970)」「コンドルは飛んでいく(1970)」「サウンド・オブ・サイレンス(1964)」「スカボロフェア(1966)」「I am a lock(1966)」などと並んで、アメリカン・フォーク・デュオの雄サイモン&ガーファンクルを代表する名曲のひとつだと、私は思っている。

この曲が最初に発表された1968年は、アメリカにとって激動の年だった。1月には、北ベトナム軍のテト攻勢によって、サイゴンのアメリカ大使館まで占領され、アメリカ軍の圧倒的武力によって簡単に終わるはずだったベトナム戦争は、出口の見えない泥沼と化していた。4月4日には、黒人公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師が、テネシー州メンフィスで、遊説中に凶弾に倒れて暗殺された。6月6日には、ロバート・ケネディが、カリフォルニア州の予備選に勝利して、民主党の大統領候補としての指名が確実になった直後に、ロサンゼルスで凶弾に倒れ、兄同様に暗殺された。
また、日本で「アメリカ」がヒットした1971年には、アメリカ軍がベトナムからの撤退を完了した。アメリカの歴史上、初めての決定的な軍事的敗北だった。ドルと金の交換の停止も宣言され、戦後の世界経済を支えてきたドル金本位制が崩壊した。これが、アメリカの世界経済支配の終わりの始まりであった。
アメリカで「アメリカ」がシングルカットされた1972年には、民主党のロバート・ケネディの暗殺により、おこぼれで大統領になっていた共和党のニクソンが、民主党議員のホテルの部屋を盗聴させたことが発覚したウォーターゲート事件が起こった。ニクソンは辞任に追い込まれた。
アメリカは、ズタズタに分断され、それまで何の疑問もなく信じられていた価値観の多くが、揺らいでいた。今にも、ガラガラと崩れ落ちそうだった。当時、多くの人々が、信じるものを見失い、道に迷っていた。
しかし、ポール・サイモンが、当時の恋人のキャシーと実際に長距離バスで、ニューヨークへ向かって、大陸横断の旅をしたのは、この曲が発表される三年前、1965年のことだった。あるいは、この旅自体、彼の想像の架空の旅だったかもしれない。
実際に旅をしたかどうかはともかく、この曲が作られた1965年という年は、ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺(1963年11月22日)後、アメリカがベトナム戦争に本格的に介入を始めた年である。
ポール・サイモンの天才的感性は、この時点で、アメリカの先行きに暗雲が垂れ込めていることを鋭く予期し、漠然とした不安と痛みを感じていたのだろう。そのことが、歌詞から読み取れる。


Let us be lovers, we'll marry our fortunes together.(「恋人になろう。互いの幸運を一つに合わせて、結婚しよう。」)
I've got some real estate here in my bag.(「僕のバッグには、ちょっとした財産が入っているんだ。」)
So we bought a pack of cigarettes and Mrs. Wagner's pies.(それで、僕たちは、タバコとミセスワグナーのパイを買った。)
And we walked off to look for America.(こうして、僕たちは、アメリカを探す旅に出かけることにしたんだ。)

Cathy, I said as we boarded a Greyhound in Pittsburgh.(「キャシー」、ピッツバーグで長距離バスに乗りこむ時に僕は言った。)
Michigan seems like a dream to me now.(「ミシガンのことは、今じゃ、夢みたいだね。」)
It took me four days to hitchhike from Saginaw.(サギノーから、四日間かけて、僕はヒッチハイクした。)
I've gone to look for America.(僕は、アメリカを探しに行ったんだ。)

Laughing on the bus, playing games with the faces.(バスの中の笑い声、ゲームに興じる人々。)
She said the man in the gabardine suit was a spy.(「ギャバジンスーツの男はスパイよ」と彼女は言った。)
I said, be careful, his bowtie is really a camera.(「気をつけて、彼の蝶ネクタイは本当にカメラだ」と僕は言った。)

Toss me a cigarette, I think there's one in my raincoat.(「タバコを一本、とってくれる、僕のレインコートに入ってるはずだ。」)
We smoked the last one an hour ago.(「私たち、一時間前に、最後の一本を吸っちゃったわよ。」)
So I looked at the scenery.(それで、僕は、窓の外の風景を眺めていた。)
She read her magazine.(彼女は雑誌を読んでいた。)
And the moon rose over an open field.(広い野原に月がのぼっていた。)

Cathy, I'm lost, I said though I knew she was sleeping.(「キャシー、僕は道に迷ってしまったみたいだ」と僕は言った。彼女が寝ているのを知っていたけど。)
And I'm empty and aching and I don't know why.(「心が空っぽで、胸が痛くて、でも、それがなぜなのか、わからないんだ。」)
Counting the cars on the New Jersey Turnpike.(ニュージャージー高速道路で、通り過ぎる車を数えながら考えた。)
They've all come to look for America.(彼らはみんな、アメリカを探しに来たんだ。)
All come to look for America.(みんな、アメリカを探しにきたんだ。)
All come to look for America.(みんな、アメリカを探しに来たんだ。)


「アメリカは、どこにあるの?」という問いかけは、「僕たちが幸せに生きていける国は、一体どこにある?」という意味にも受け取れる。さらに言えば、「僕たちは、これから、どこで、どうやって生きていけばいいんだろうか?」と途方にくれている当時の若者たちの心の状態を暗示しているようにも思える。
こうした不安と喪失感は、1960年代のアメリカの若者文化に共通するテーマの一つだ。
キングストン・トリオ(1961)とピーター、ポール&マリー(1962)の代表曲「花はどこへ行った(Where have all the flowers gone?)」や、ボブ・ディランの1963年の名曲「風に吹かれて(Browin’ in the wind)」などの反戦歌(?)が、60年代前半の若者文化(カウンター・カルチャー)を代表する名曲だとすれば、このルート66を旅する若者のロードムービーを連想させる「アメリカ」は、60年代後半のアメリカの若者の「時代に希望を持てない」という強い喪失感と無力感を、繊細に表現した稀有の曲だと思う。
サイモン&ガーファンクルの曲の中では、もっとも同時代性を感じさせる曲の一つである。

それでも、60年代のアメリカは、今よりずっと明るく健康的で元気だった。そして、70年代、80年代までは、まだマシだった。それからさらに30年経って、今のアメリカはどうだ。状況は、さらに絶望的になっている。
保守と革新、富裕層と貧困層、社会の分断が激しさを増し、決定的なものとなったというだけのことではない。
全体として、かつてのアメリカに比べたら、まるで空虚な廃墟のようだ。街の外見は何も変わらない。ただ、時を経て、埃っぽく薄汚れた街になり、灰色にくすんだ冷たい空気に満たされ、打ち捨てられたような荒廃した印象が強くなっただけのことだ。
人の表情は、なぜか疑心暗鬼で薄情で、神経症的で余裕のない、どこか飢えたような顔つきをしている。昔の、朗らかで楽観的で、余裕のある自信に満ちた表情の人々は、どこへ行ったのだろう。
通りには白人や黒人のホームレスがあふれ、街で働いているのは、英語の下手な移民ばかり。彼らは、皆、金儲けで忙しい。一方で、たまに見かけるワーキングクラスの白人の若い女たちの多くは、全身にタトゥーを入れたり、顔中にピアスをぶら下げている。彼らの多くは、悲観主義者の憂鬱な雰囲気を漂わせている。
昔、街で楽しそうに働いていたタトゥーもピアスもしていない健康的で明朗快活な生粋のアメリカ人たちは、どこへ行った?

みんな、何かを探している。けれども、それが何かは、誰も知らない。どこを探したら良いのかも、わからない。
みんな、道に迷って、途方にくれている。

ある意味、この曲の後日譚が、1977年に発表されたイーグルスの名曲「ホテル・カリフォルニア」だと考えることもできるのではないだろうか。
例えば、次のような詞がある。
So I called up the Captain, please bring me my wine.
(それで僕は給仕長を呼んで、ワイン〔醸造酒〕を頼んだ。)
He said, we haven’t had that spirit here since 1969.
(彼は言った。「当店では、その銘柄のスピリッツ〔蒸留酒〕は、1969年以来、置いてません。」)
「ホテル・カリフォルニア」の歌詞の中でも、実に意味深長な響きのある特に有名なくだりである。一見、まるで噛み合っていないように見える会話の裏に、作詞者ドン・ヘンリーが意図した真の意味がある。この言葉の裏に隠されている真の意味は、「私たちは、1969年以降、そうした精神は持ち合わせていない(そのような精神は、1969年以来、失われてしまっている)」ということだ。
ここで、「なぜ、1968年ではなく、1969年なのか?」というのは、多くの人が抱く疑問の一つではある。でも、私の知る限り、この謎「1969年問題」に関して、納得のいく説明が出来ている人はいない。
確かに、1969年は、ヒッピー文化の頂点とされる愛と平和と反戦の祭典として、伝説的なウッドストック野外コンサートが、ニューヨーク郊外で開催された年ではある。そして、このコンサートフェスティバルを境に、ロックの商業化が目立つようになったと言われる。
そういう意味では、「1969年以降には、そのような本物のロック・スピリットは失われてしまった」という解釈で、すんなり理解すべきなのかもしれない。自分自身と世界を変えたいという強烈な変革のエネルギーが、70年代には枯渇してしまっていたということだ。

事実、翌1970年には、モントレー(1967/サンフランシスコ近郊)とウッドストックという二つの歴史的ロックフェスティバルで喝采を浴び、ヒッピーたちのシンボル的歌い手となっていたジャニス・ジョプリンが、ヘロインの過剰摂取によって、27歳の若さでロサンゼルスで急死している(10月4日)。
そして、同じくモントレー、ウッドストックで超絶技巧の演奏をした伝説的天才ギタリストのジミ・ヘンドリックスも、同年、1970年9月18日(ジャニスの死のわずか半月前)に、同じ27才で、お酒と睡眠薬を併用したために、ロンドンで死亡している。
さらに、その前年、1969年7月3日には、ローリング・ストーンズのリーダーだったブライアン・ジョーンズが、自宅のプールの中で、お酒と薬物の過剰摂取によって、やはり27歳で亡くなっている。
彼ら3人に加えて、1971年7月3日(ブライアンの死と同じ日)に、ヘロインの過剰摂取で亡くなったドアーズのジム・モリソンを含めて、1969〜1971年にかけて、27歳で他界したロックスターたち4人は、いわゆる「27クラブ(*)」の一員である。

確かに、1969年は、一つの時代の終わりだったのかもしれない。
And she said, we are all just prisoners here, of our own device.
(そして、彼女は言った。「私たちはみんな、自分自身の心が創り出した牢獄の囚人なのよ。」)
They stab it with their steely knives. But they just can’t kill the beast.
(彼らは、鋼鉄のナイフで突き刺すが、その獣をどうしても殺すことができない。/なぜなら、その獣が、自分自身の自我の一部だからだ。)
You can check out anytime you like, but you can never leave.
(あなたは、いつでも好きな時に出ていくことができる。けれども、あなたは決してここを去ることができない。/なぜなら、自分自身という牢獄から逃れることは、誰にもできないからだ。)
上記の部分は、自我という牢獄に囚われて、逃れることができない人々を描いているという点で、極めて、現代的な詞だと感じられる。
ジャニスやジミヘンやブライアンやジム・モリソンが、自我という牢獄から脱出しようとして、もがいた末に討死したように、21世紀の私たちもまた、今、まさに、自我に囚われて、不自由に生きているのではないだろうか。
私たちは、すべてを諦めて手放すことができない。そして、自分の力の及ばないこととして、すべてを天に委ねるということを知らない。私たちの心を苦しめているのは、実は、私たち自身の強情さと意固地さと不信である。
ポール・サイモンは、1965年の時点で「アメリカ」を書いた時、すでに、そうした暗い時代の到来の予兆を、どこかで感じていたのかもしれない。


運命の神秘に身を委ねることができた時、私たちは神の奇跡を知ることができる。それは、いつの時代においても真実である。


*「27クラブ」→その他にも、1994年4月5日に、自宅でショットガンで頭を撃ち抜いたニルヴァーナのカート・コバーン、2011年7月23日に、アルコール中毒で自宅で死亡したエイミー・ワインハウスなどがいる。

人間の身体的な活力のピークを維持できるのは、ギリギリ25歳までと言われている。その後は、どうしても、身体の力は衰えてくる。20代前半までのようには、身体の無理がきかなくなるのだ。それと同時に、精神活動のエネルギーも、それまでのように無尽蔵の集中力を維持することは困難になってくる。
だから、25歳以降は、人は精神面では、豊かに生きるための方向性を定めて、そのための知恵を養いながら、肉体的には適度に節制して生きていかなければならない。
ところが、ロックスターは、そのように「大人になる」ことを、どこかで拒絶している傾向があり、25歳を超えても、肉体的にも精神的にも幼く、自制が効かないまま、無茶をし続けてしまう。
しかし、それは、人間という生命体の本来の自然な姿ではない。それ故に、彼らの魂は、内側から、彼らの意識に向かって警鐘を鳴らし続ける。その警鐘は、本人には、意味のわからない苛立ちや不安や焦燥感や激しいフラストレーションとして感じられるかもしれない。その警告の意味を的確に理解できず、警告を無視し続ける者も多い。しかし、そうすると、強いストレスのために心は酷く病んでしまう。そして、その苦しみから逃れようとして、ますますアルコールやドラックに過度に依存するようになる。
やがて、ある時点で、肉体は限界を超えてしまうのだ。その死の臨界点が、おそらく27歳という年齢なのだろう。
例えば、ジョン・レノンは、1966年11月、26歳の時に、オノ・ヨーコと出会った。そして、1968年5月から同棲を始める。ジョンは27歳だった。その時期に、彼の中で、生きる方向性が定まったのだと思う。それで、ジョンは「27クラブ」には加わらなかった。もしも、彼が加わっていたら、ブライアンに先駆けて、1968年に亡くなっていただろう。
ジョン・レノンは、1980年、40歳の時に、ファンだった男に銃で撃たれ、殺されることになる。男は、ジョンの生きる方向性が気に食わなかったのだ。
現在も俳優として活躍している時任三郎さんが、まだ若かりし頃、1981年に歌手として発表した曲で「川の流れを抱いて眠りたい」という隠れた名曲があります。
作曲は、高橋真梨子の「for you...」「フレンズ」、H2Oの「想い出がいっぱい」、 三好鉄生の「涙をふいて」など、印象深いバラードの名曲で知られる鈴木キサブロー氏です。作詞は、吉田拓郎の「旅の宿」「落陽」、森進一の「襟裳岬」、岸田智史の「きみの朝」、南こうせつの「夏の少女」「満天の星」など、泥臭いけれど味わい深い個性的な詞で知られる岡本おさみ氏です。
そして、この曲は、メロディーもカッコいいのですが、なんといっても、本当に詞が印象的なのです。


コンクリートが鈍く光ってる、この街を、この人混みを、いつだって見ているだけの、見ているだけの、この俺さ。

落ちていくあの夕日を、追いかけて、追い続けて、歌のない寂しい国で、くたばっちまった奴がいた。

あんた、そいつを、バカだと思うのかい。
今は、今は、あいつのそばで、川の流れを抱いて眠りたい。


歌のない寂しい国、それは、今の日本のことではないでしょうか。子供たちは誰も親の歌を聴いたことがありません。父親も母親も、自分の想いを歌に託すことを知らないからです。
この「歌のない寂しい国」では、人の深い情けも、報われない想いも、誰かに静かに顧みられることもなく、じっくり噛み締めてもらうことも、胸の中で大切に抱かれることもありません。
互いに交わされる味わい深い言葉もなく、言葉にならない大切な心の気持ちが、分かり合える触れ合いの瞬間もありません。誰も歌を歌わず、誰も歌を聴かない、人の情というものが通じない、カラカラに乾ききった潤いのないつまらない世の中になっているからです。
歌のない世の中は、夢のない世の中、愛のない世の中です。そんな無味乾燥で喜びのない空虚な社会に生きながら、すでに過ぎ去ってしまった過去の時代を想い、顧みられることすらなくなって久しい失われた時代の熱い心を、それでも大切にしたくて、追いかけて、追い続けて、でも、結局、誰にも理解されることなく、世の中から見捨てられて、独り寂しく死んでいった人たちが、この国にはたくさんいます。
「あんた、そいつらを、バカだと思うのかい?」

彼らの人生は、すべて無駄だったのでしょうか。現実不適合者のドンキホーテ、ボーッと夢を見ているだけで、何もできずに一生を棒にふったバカ者、人生の失敗者、社会の負け組、生存競争の敗残者だったのでしょうか。
けれども、そんなこと、いったい誰にわかると言うのでしょう。
川の流れは、〝あいつ〟の人生です。今は、〝あいつ〟の人生、〝あいつ〟の想い、〝あいつ〟の痛み、〝あいつ〟の存在ごと、ただ抱きしめて、一緒に眠りたい。
とっても、気持ちが伝わってくる詞だと思いませんか。



「国民が何も考えないと権力者が喜ぶ」というのは、間違っていると思うのです。
民主主義国家においては、国民が何も考えなければ、いざという時、国が滅びますから、権力者にとってもいいわけありません。また、何も考えない国民の気分や空気によって、特定の政治家や政党や政策が、祭り上げられたり、総攻撃されたりしては、たまったものではありません。
結局、その国の民度が、政治の質を決めるのだと思うのです。

そもそも「平和を守るためには、国民は権力を信じてはいけない」という教えは、正しいのでしょうか。
こうしたリベラルやリバタリアンの〝反権力〟の考え方の根底にあるのは、非常に根の深い〝不信〟です。権力者への不信、政治家への不信、国への不信は、いつの時代も、世の中への不信、国民への不信、人間への不信に繋がります。そして、最終的には、人間性そのものへの不信へと行き着くのです。

孔子の言葉である「国、信なくんば立たず」というのは、いつの時代でも真実です。
この社会に蔓延する〝不信〟によって、中国のような「血族か家族(身内)しか信じない」という社会が生まれ、それがやがて、家族の崩壊の時代をへて、「自分しか信じない」という個の時代へと移っていきます。
「権力は必ず腐敗する」のだとしても、人が人を信じない社会は、決して幸せな社会とは言えないでしょう。

けれども、「人を信じるな!」というリベラル(日教組)の戦後民主主義思想の影響下で、〝自分〟自身と、科学的に証明された〝事実・知識〟と、かけがえのない(?)〝平和〟と、とりわけ〝お金〟しか信じることのできない人間が、教師たちの教育によって創られてきたのです。
これがリバタリアニズムの根底にある〝利己主義〟の起源であり、また、リベラルの根底にある〝科学至上主義〟と〝平和主義〟の起源でもあります。

この「科学」という言葉が、実は曲者なのです。不信という温床から生まれた「科学」信奉者は、何気なく人の心を無視することができるからです。
さらには、「平和」という言葉こそが、何よりも一番の曲者なのです。平穏無事で、悩みも問題もない「平和」の中で、静かに人が殺され、死に追いやられ、見捨てられていくからです。
穏やかな「平和」の中で、日進月歩の「科学」と「技術」に囲まれて、経済的豊かさを享受しながら、人の心が〝人の支配と放置と死〟に麻痺していくのです。

しかし、そのような、自分以外の存在すべてに完全に無関心で、自分を取り巻くあらゆる存在に対する不信に満ちた社会は、経済的に、どれほど豊かであっても、幸せな社会とは言えないのではないでしょうか。
心愛ちゃん(*)、両親がサイコだったら、子どもは、どうやって生き延びられると言うのでしょう。その上、社会もまた他人に無関心なら、たとえ親元から脱出できたとしても、その後、子どもは何を支えに生きればよいのでしょうか。

サイコパスに子どもが育てられている先進国は、子どもを生かすために、親が自分の臓器を売ったり、家族のために、母や娘が奴隷として自ら海外に売られていく途上国より、本当に幸せなのですか。
先進国の豊かで無邪気で自然で冷たい支配や放置死は、本当に途上国の熱い戦争や紛争による暴行死や虐殺より幸せなのでしょうか。
あなたは、自分がサイコに育てられたサイコであることを知っていますか?

農村戸籍の出稼ぎ中国人たちは、春節には、どんなに遠くても、都会から何十時間もバスに揺られ、時には何日もかけて、家族の集う故郷へと帰ります。彼らの生活は過酷ですが、それでも、帰りたい故郷があり、故郷では大切な家族が待っています。
彼らの懐は寒く、財布の中身は薄くても、心は熱く、胸は膨らんでいます。彼らには、帰ることのできる場所があり、そこでは、両手を広げて迎えてくれる家族と友人たちがいるからです。

では、ひるがえって、私たち日本人はどうでしょう。
あなたには、心の底から、帰りたい場所が、ありますか?
嘘偽りなく、心から迎えてくれる家族や友人が、どこかに一人でもいますか?
もし、そうなら、あなたは幸せな人と言えるのではないでしょうか。

こういうことは、考えたこと、ありますか?
考えない?
では、代わりに、いったい何を考えるのですか?
それは、考える価値のあることなのですか?


*2019年1月24日、当時、小学校4年生だった栗原心愛(みあ)さんが、度重なる父親栗原勇一郎による虐待によって死亡した。母親は、父親の虐待行為を、目の前で見ながら、止めなかった。
「お父さんに暴力を受けています」という、心愛ちゃんの学校の担任の先生へのSOSの訴えは、小学校、野田市教育委員会、柏児童相談所まで動かし、心愛ちゃんは一時保護された。
にも関わらず、父親が「誘拐だ」「名誉毀損で訴える」とまくし立てると、市教委は簡単に心愛ちゃんを返してしまった。さらに、心愛ちゃんの書いた告発文(アンケート)のコピーさえ、父親に渡してしまった(2018年1月15日)。
これによって、父親勇一郎の虐待はエスカレートし、結果的に、およそ一年に渡る虐待の末、心愛ちゃんを死に至らしめることとなった。
そもそも、哨戒機(偵察機)に、駆逐艦を威嚇することなどできない。なぜなら、哨戒機(偵察機)は、戦闘機でも爆撃機でもないからだ。
哨戒機(偵察機)には、通常は地対空ミサイルも装備されていない。そして、ミサイルが装備されていない「丸腰状態であること」は、下から見ればわかる。この状態の対峙は、サブマシンガンを構えた歴戦のプロの傭兵(駆逐艦)に向かって、非武装の一般人(哨戒機)がハンディカムビデオを構えて近づいていくのに等しい。無防備なことこの上ない。
加えて、たとえ哨戒機にミサイルが装備されていたとしても、Pー1やPー3Cなどの非力な哨戒機が、駆逐艦相手にバトルをするのは自殺行為でしかない。攻撃兵器は装備できても、防衛兵器は一切ない鈍重な哨戒機は、駆逐艦からすれば、地対空ミサイルの格好の標的(まと)にしかならない。一方で、駆逐艦には迎撃ミサイルがある。航空機と敵ミサイルの両方を同時にロックオンすることが可能なのだ。つまり、この対決は、駆逐艦は無傷で哨戒機は撃墜されるという結果になるしかない。
哨戒機が駆逐艦に戦いを挑むのは、例えてみれば、猫がライオンに戦いを挑むようなものである。
よく考えてみよう。猫(Pー1)が「150m以内に近づいてきた」とか、別の猫(Pー3C)が「60mの距離まで来た」からといって、「重大な威嚇行為だ」と、ライオンが猫の接近に脅威を感じるか?
軍事的な常識として、哨戒機は駆逐艦相手には、まったく無力かつ無害な存在なのだ。相手にならないほど弱いということだ。そのため、冷戦時代の米ソ間でさえも、哨戒機(偵察機)による相手国の軍艦周辺での低空飛行が問題になることはなかった。哨戒機が他国の駆逐艦に接近しすぎたら、危険とプレッシャーを感じるのは駆逐艦ではなく、むしろ哨戒機の方だからだ。
だから、鈍重なPー3Cが、駆逐艦上空60mの高さまで近づいたというのは、本当に嘘くさい。

つまり、100歩譲って、たとえ、日本の〝丸腰〟の哨戒機Pー3Cが、駆逐艦までの距離500m、高度60mを飛んだのが本当だとしても、韓国側の「低空威嚇飛行うんぬん」は、明らかに単なる抗議(日本叩き)のための口実(言いがかり)であるということだ。言わば、ヤクザのチンピラが、生真面目な一般人に、目が合っただけで「ガンつけやがったな」とか「喧嘩売ってんのか」と、無理な因縁をつけているのと変わりない。実に迷惑な不良行為と言える。このような理屈の通らない非難中傷の言動は、まともな国家がやることではない。
なぜ、韓国国防部が、こうした嘘の抗議を繰り広げるのかと言えば、北朝鮮主導の半島統一へ向けて、まっしぐらに舵を切っている反米反日文在寅政権の強力な後ろ盾があるためだ。支持率が落ちたら反日で稼ぐという韓国の政権のお決まりのコースでもあるが、この政権は、その反日の度合いが、これまでとは次元が違うレベルにある。
哨戒機による低空飛行への抗議など、冷戦中の米ソですら一度もない。これまで、軍事的に威嚇と考えた者は、世界中に誰もいないのだ。
今回、「日本の哨戒機による危険な威嚇低空飛行が繰り返されている」「由々しき事態である」など韓国国防部の非難声明が報道されているが、このようなナンセンスな言動を真に受けて騙されるのは、素人の一般市民だけである。
また、たとえ素人でも、ちょっと考えれば、韓国国防部の言い分が意味不明であることは、誰でも理解できるだろう。理解しようとしないのは、韓国人だけである。
朝鮮日報では「韓国の駆逐艦と、日本の哨戒機が戦ったら、間違いなく駆逐艦が撃沈されただろうと専門家は口を揃える」「理由は、韓国の駆逐艦の性能が悪すぎるからだ」と報道しているが、絶対にあり得ない。実に無責任なデマ報道である。
「1957年製のアメリカ産哨戒機P-3Cと比べて、1998年製の韓国産駆逐艦は、性能がはるかに劣っているため、40年前に創られた哨戒機にすら勝てず、容易く撃沈される」とか、冗談にもならない。第一、そもそも哨戒機にはミサイル積んでいなかったでしょ!どうやって撃沈するんだ?
奇怪な自虐性癖すらも駆使して、日本非難に結びつけようとする無理な論法で、どんな素人でも騙せない呆れた言い分だが、韓国人には通用するらしい。

ロックオンの次は、このザマだ。やはり、日本側は、論争を一方的に打ち切るべきではなかった。韓国を相手に論争するときは、千年でも万年でも、言い続ける覚悟が必要なのだ。

それにしても、正直、思う。
韓国は、もうダメだ。
「哨戒機を撃ち落とす(自衛権的措置を実行する?)」などと言い始めたら、もはや、仮想敵国のレベルではない。むしろ、現実の交戦中の敵国というレベルである。

自らの生み出した妄想に呑み込まれた国。それが今の韓国だ。
この精神を病んだ隣国に対して、日本ができることは、韓国の妄言を無視して引き下がることでも、その間違った主張に迎合することでも、その理不尽極まる感情をなだめることでもない。何度でも繰り返し言うが、決して黙らないこと、引き下がらないことだ。そして、韓国への事実(ファクト)に基づく正当な反論を、『正論』として内外に明確に主張し続けることなのだ。
たとえ真実であると言えども、声を大にして叫び続けなければ、世界には決して伝わらない。


*2018年5月1日、韓国の調査会社トレンドモニターが行った外交関係の意識調査で、『韓国人の最も嫌いな国は日本である』という調査結果が公表された。
具体的には「好感を持てない国」として、回答者の62%が日本を挙げ、58%が中国を挙げ、54%が北朝鮮を挙げたのである。つまり、1位日本、2位中国、3位北朝鮮が、韓国人の嫌いな国ワースト3で、特に日本は、韓国人にとって、嫌いな国のトップということだ。
その下は、4位アメリカが25%、5位ロシアが24%で、上位3国と比べると嫌い度が格段に落ちる。やはり、韓国人にとっては、同じアジア系の近隣3カ国の方が、強大な白人国家である米露のどちらよりも、圧倒的に嫌いなようだ。
それにしても、韓国は、日本と同じ、民主主義体制の先進工業国であるにもかかわらず、人権弾圧の激しい独裁国家である北朝鮮や中国よりも、日本の方が嫌いというのは不可思議な話である。
やはり、理屈ではなく、韓国では、従北左派や親中派に力があり、反日は国是ということなのだろう。特に、文在寅政権になって、北朝鮮に好感を持てない人の割合が、70%から54%に激減した。そのおかげで、日本はワースト1位を獲得したのである。


**2019年9月9日、今日の韓国国会議長文氏の発言を考えると、もう韓国とは断交すべきだろう。もはや、容赦できるレベルではない。
彼の米メディアとの公式インタビューでのセリフを要約すると「今の日王は、戦争犯罪の主犯の息子だろうが。あのオッサン(両班)が、慰安婦の手を握って、済まなかったと謝罪すれば済む話」ということだそうだ。文在寅大統領の腹心である国会議長による公の発言である。
日本も、ここまで舐められたらおしまいだ。

日本政府は、この発言に対して謝罪と撤回を求めているが、それは当然だろう。このオッサン(文氏)は、「戦争犯罪の主犯の息子」とは言っていないのに、取材したアメリカのマスコミに、発言をねじ曲げられた」と言い訳していたが、アメリカのメディアは、すかさず議長の発言音源の一部を公開して、彼の弁明が虚偽であることを証明し、メディアへの責任転嫁を封じた。
この韓国人、つまりは、いつもどおりの〝嘘つき〟ということだ。
しかし、逆に、日本側が、「昭和天皇の戦争責任とは何か?」について、左翼的な天皇独裁史観を脱却しきっていないのが、もう一つの重大な問題なのだ。だから、こんなバカに、付け込まれることになる。