2019年6月に始まった香港の民主化を求めるデモは、とうとう6ヶ月目に入り、最近になって、ますます激しさを増しているようです。
昨日、2019年11月11日、香港警察は、デモに参加していた若者たちに実弾3発を発射し、撃たれた21歳の大学生が重態となっています。10月1日に、18歳の高校生が撃たれた事件に続き、二度目の警官による実弾発砲事件です。
また、11月5日には、市民の抗議活動中、(警官の催涙弾を避けようとして?)ビルから転落した22歳の大学生が、8日に病院で死亡しています。11月7日にも、30代の男性が、全裸で高所から、謎の転落死をしています。11月13日夜から14日朝にかけて、デモ中に、警察の発射した催涙弾が頭に直撃した15歳の少年が、意識不明の重体となっています。
10月10日には、大学の集会で、デモに参加して逮捕された女子大学生が、勾留中に、警官から性的虐待を受けたことを告白しました。デモに参加して警察署に連行された16歳の少女が、勾留中に警官に輪姦され、その後、病院で中絶手術を受けたという事件もあったらしく、病院関係者の間では、「公然の秘密」として知れ渡っているそうです。
そのほかにも、9月22日に、デモに参加していた水泳選手として有名な15歳の女子学生が、全裸の遺体として海岸で発見され、10月8日にも、デモの参加者と思われる黒いTシャツを着た30歳前後の女性の遺体が海岸で発見されました。
留置所での警官によるレイプは、実際には多数横行しており、また、デモ参加者の不審な死は、すでに十数人に及ぶとも言われます。
ところが、こうした相次ぐ不審死や警察による暴行不祥事や傷害・殺人を、香港警察は「事件性は低い(!)」「すべて自殺(!)」「事実無根」などとして、まったく捜査していません。警察上層部から「他殺の方向で捜査してはならない」「単なる遺体発見として処理せよ」との指示があったと言われています。

一連の事件のために、香港市民の警察への不信感は、非常に根深いものになっていて、最近では、とうとう、デモ隊は、「香港よ、がんばれ」ではなく「香港人よ、報復せよ」と叫ぶようになりました。このような警察への不信感と反感は、香港の大多数の一般市民の間に深く浸透しており、それが、学生らのデモの過激化に対して、一般市民が心情的に離反しない最大の要因になっています。「死なば諸共」という悲壮感に満ちた合言葉も、デモ隊の間では叫ばれるようになっています。
現在、香港警察の組織内部には、香港人ではなく、大陸から動員された中国人民武装警察部隊から増援された警察官が紛れ込んでいることは、香港市民によく知られています。加えて、香港警察が、中国政府つまりは最高権力者である習近平の意思を受けて、デモ隊の武力制圧と強制排除に動いているのは明らかです。
習近平は、11月4日、キャリーラム行政長官に、直接、「デモ隊への対応が手ぬるい」「もっと厳しい対応をせよ」と命じたと言われています。それ以降、香港警察のデモ隊への対応は、目立って苛烈さを増しました。
こうしたことから、香港市民の中国政府及び中国人に対する反感は、今までになく非常に高まっています。そして、水面下では、香港独立派の勢いが、強まっているようです。
デモ参加者は、中学生・高校生・大学生・20代前半の若者が中心ですが、その支援者は、30代・40代の市民にも多くいます。そして、多くの大人たちが、見ず知らずの警察から逃げているデモ参加者の若者たちを家に匿い、食事を提供し、自家用車で逃走を手助けしています。
抗議デモの民主的選挙実現要求に対する支持は、現時点で市民の80%に及ぶと言われます。当局の徹底した弾圧にも関わらず、市民の連帯意識は非常に根強いものがあります。
一方で、中国政府は、香港のデモを、「暴徒たちによる北京の中央政府に対する反抗」と位置付け、徹底的な弾圧を決意していると、11月9日に行われた党の研修への複数の参加者が明らかにしています。そして、さまざまな情報媒体を通じて「最終的には、武装警察、人民解放軍による直接的な鎮圧も視野に入れている」と匂わせることで、香港市民に対して、あからさまに脅しをかけているのです。
しかし、それでも、香港のデモは、収拾する気配が見えないどころか、ますます激しさを増しているように見えます。11月11日のデモでは、各地でデモ隊が警官隊と衝突し、60人以上の負傷者がでました。12日にも金融街や香港中文大学キャンパスなどで、警察とデモ隊の衝突が、深夜まで続いています。学生たちは、大学構内にバリケードを築き、警察の催涙弾やゴム弾に対して、火炎瓶やレンガや弓矢で対抗しています。100名以上の学生が負傷し、一人は意識不明の重体とも伝えられています。
警官隊と学生の衝突は、14日も続いており、香港中文大学の体育館には簡易治療所が設営され、ボランティアの医師が、催涙弾が頭に直撃して負傷した女子学生を、麻酔なしで頭部を四針縫ったりと、次々と運ばれてくる負傷した学生への処置を行なっています。
15日深夜〜翌16日朝にかけて、香港中文大学に立てこもっていた学生たちは「まずいことが起こる」という知らせを受けて全員山を降り、代わりに中国人民解放軍が、昼からTシャツ姿で学生たちのバリケードを取り壊し始めました。
一方で、繁華街に近い香港理工大学では、立てこもった3000人の学生と、学生排除に向かった警官隊が、17日も激しく衝突しています。18日早朝には、警察の機動隊が大学構内に突入し、学生たちは建物内に退避しています。警察による構内制圧が近いようです。



台湾では、香港市民の民主化デモに対する連帯を感じている市民が多くいるようです。「台湾にとっては、対岸の火事ではない」「明日は我が身、次は私たちかもしれない」という思いがあるためです。
「香港と協力することで、私たちも強くなれるかもしれない」と、教会で募金を呼びかけ、香港のデモ参加者たちにガスマスク2000個を送ったという支援者もいます。
来年2020年1月11日に投開票を迎える総統選でも、香港情勢の影響で、民進党の蔡英文氏が、親中派の国民党候補を、一歩リードしているようです。
11月14日、蔡英文総統は、ツイッターで「一連の弾圧行為に立ち向かい、香港と共に立ち上がりましょう」と、国際社会に呼びかけました。
韓国では、ロウソク・デモの学生たちが、香港民主派への共感と連帯を表明しています。主要大学のキャンパスや街頭では、香港デモ支持の壁新聞やメッセージが貼り付けられ、光州事件など、韓国の民主化運動と重ね合わせて、強く共鳴しているようです。
アメリカでも、11月2日、上下両院が「香港人権・民主主義法案」がほぼ全会一致で可決され、トランプ大統領の署名を待つ段階となっています。
この法案にトランプ大統領が署名すると、「内政干渉である」と中国の反発は必至で、米中の対立はさらに深まるでしょう。

一方で、中国本土では、香港の民主派デモについて、検閲が徹底していて、デモ隊を支持するような言動は、テレビ、新聞などのメディア、ネット、SNSなどの個人の情報発信媒体でも、一切、許されていません。
香港デモを好意的に取材し、ネット上で情報発信していた中国人フリージャーナリストが、突然、逮捕されたりも、しています。
中国内で逮捕・拘束され、反スパイ法とやらで告訴されて有罪判決を受け、投獄されている日本人も、現在、中国には14人ほどいます。しかし、実際には、彼らは、測量や地質調査や考古学調査などを行なっていた会社員や学術研究者です。このうち学術研究で中国側から招かれて9月に消息を絶っていた北海道大学の教授だけは、今月、釈放されました。
中国では、裁判も非公開だし、死刑は国家機密で、執行された人物の氏名年齢も公表されません。香港の人々が、犯罪容疑者の中国への引き渡しを恐れるのも当然です。
11月13日には、「暴徒たちは皆、子どもだ」「彼らは人をひとりも殺していない」と述べた中国の大学教員が、不適切な言動であるとして、大学側に処分されました。
こうした当局による情報統制と情報操作と偏った愛国主義教育によって、中国本土では嫌香港意識が非常に強まっています。
同時に、アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリス、フランス、ドイツ、韓国、日本など、世界中に数百万人いる中国人留学生は、それぞれの留学先の大学やネットや市街などで、香港支援を表明する人々、学生、商店などに対して、攻撃的な抗議や挑発的な示威行動や営業妨害や香港支援デモ妨害を行なって、物議を醸しています。
それどころか、バットマンが火炎瓶を持ったPR画像を見ただけで、「バットマンが香港デモを支援している」「バットマンが暴徒(犯罪者ども)を支援するのはおかしい」という中国人の抗議が殺到し、アメリカの出版社が画像を削除したぐらいです。
生まれた時から情報統制社会で暮らしていると、ここまで洗脳されてしまうものか、と恐怖すら覚えます。
習近平の〝デジタル独裁〟の様相は、ますます進化・深化・深刻化しているようです。



このような事態において、日本政府は、「中国政府による香港民主派への弾圧」に対する批判を、完全に抑制している感があります。それどころか、この状況で、安倍首相は、「習近平氏を国賓として招待したい」と表明し、その実現に向けて動いています。
しかし、来年の春、桜の咲く頃に、日本が、習近平氏を国賓として招くというのは、果たして正しいことでしょうか。天皇皇后両陛下に、習近平氏をなごやかに接待していただくというのは、そのような破廉恥なことを、両陛下に無理強いするというのは、あまりにも不敬ではないか、と私は感じずにはいられません。
むしろ、国賓招待が実現したなら、日本国民すべてにとって、憤懣やるかたない国辱の日となるのではないか、と危惧しています。
11月13日、自民党の保守派「日本の尊厳と国益を守る会」は、政府に「習近平国家主席を国賓として迎えることに反対する」意見書を提出しました。しかし、その理由は、度重なる尖閣への中国の武装船侵入であって、香港問題ではありません。これが解せないのです。
加えて、私としては、この国のリベラル勢力が、習近平国賓来日に反対しないのが理解できません。特に、国会で、中国政府による香港弾圧に関して、誰からも何の決議案も出されない理由がわからないのです。

沖縄でも、最近は、韓国からの観光客がめっきり減ったかわりに、香港からの観光客が増えている気がします。
この間も、香港からの家族連れの観光客に、恩納村のカフェで出逢いました。
「香港は大変そうですね」と訊くと、強く頷いて「警察と中国政府は最低です」という返事が返ってきました。
家族で沖縄に旅行できるのですから、彼らは富裕層の部類に入ると思うのですが、「警察は滅茶苦茶です」と顔を歪めて話す様子は、深い実感がこもっていました。
やはり、香港の一般市民は、デモ隊への共感が強いと感じました。
実際、11月11日から14日にかけて、四日間のデモには、平日であるにも関わらず、多くの会社員が参加しているのです。そして、「香港人の自由のために」と、命懸けのデモを続けています。

とは言え、伝統的に親中意識の強い沖縄県民にとっては、台湾市民とは違って、香港の事態は、遠い異国の不思議な情景という感覚で、あまりにも他人事です。当然、中国への警戒心とか脅威など、県内ではまったく感じられません。
「明日は我が身」と感じられる想像力が、かけらもないので、「香港のことなど、よくわからないし、興味ないし、どうでもよい」とばかりに、本当に無関心なのです。
自分の利益だけを気にして、中国の顔色をうかがうばかりとは、ただ、ただ、残念な県民性です。
さすがに、沖縄の反米・反日意識と、香港民主派の反中意識を、同列に並べて、香港への共感を謳うような馬鹿げた能天気なメディアの論調は、ようやく影を潜めてきましたが、それでも、県民の多くは、まだまだ沖縄を取り巻く現実を直視できてはいないように思います。

また、この時期に、日本から香港に観光に出かけて、スマホでデモの様子を撮影したために、トラブルになり、中国人のスパイによるデモ参加者の撮影活動と間違われて、デモ隊から暴行を受けた日本人観光客も続出しているようです。
デモ参加者は、中国政府に対して命がけの抗議活動をしているのですから、顔や身元が特定されたら、本人だけでなく家族にも、進学・就職・パスポート交付などに障害となる可能性があります。
「香港解密」「掃地僧」というサイトでは、それぞれ、デモ参加者や協力者200〜350名ほどの顔写真・姓名・生年月日・住所・電話番号・メールアドレス・SNSアカウントなどが、「暴徒(デモ隊)と関係が深い」などといった注釈付きで晒されています。検索機能も充実した高度なサイトで、その背後には中国政府が潜んでいると予測されています。
デモ隊が、神経質にならない方がおかしいわけです。安全で保障されている日本の感覚で、軽々しく撮影すると、とんでもないことになります。
くれぐれも注意しましょう。
実際、11月13日、民主派と政府支持派の市民同士が衝突した際に、民主派の放ったレンガが頭部に直撃した70歳の男性が、死亡しています。
民主派が、政府支持派の中国人や香港人を袋叩きにする暴行(私了=リンチ)は、各地で起こっており、香港には憎悪が蔓延しています。
ただ、やはり、民主派デモの過激化は、習近平の思う壺です。中国政府に徹底弾圧の口実を与えてしまいますし、国際社会の支援も受けにくくなってしまいます。ガンジーの非暴力不服従運動の例にならって、香港民主派も非暴力的な運動に戻るべきです。



香港と中国本土の人々の間にある意識の格差の原因の一つとして、圧倒的な格差の問題があります。香港人の10人に一人は、資産一億円以上と言われ、富裕層がたいへん多いのです。ですから、デモで殺伐とした気分を変えに、家族で海外旅行に行く人が増えるという現象が起こるのです。
そうした〝気分転換に海外へ行く〟という香港人のミドルクラスの人々の意識は、中国の農村戸籍の人々からしたら、信じられないほど恵まれた至れり尽くせりの生活としか感じられません。
大学生のデモなどについても、「大学に行けるだけいいじゃないか」「贅沢で甘やかされて育った奴らの感覚には共感できない」と思ってしまう中国人は多いのです。彼らは、「貧富の格差、豊かな者の貧しい者への差別意識こそが問題ではないか」と強く感じてしまうのです。
しかも、彼ら愛国的中国人のほとんどは、天安門事件も、文化大革命も、実際には体験していない若い世代です。
ですから、中国本土の愛国的庶民と自由と民主主義を求める香港人の間で、この意識・感覚の格差は、容易には埋めがたいのです。
中国人が香港デモに同情しないのには、そうした理由も確かにあるのです。
「お前ら、金持ちじゃねえか、それ以上、何が不満なんだ?」というわけです。



⭐️2011年11月24日、一人一票小選挙区制で行われる18歳以上の住民の直接選挙による香港区議会選の投票率は71.2%、復帰以降最高の投票率となりました。また、民主派の議席は、親中派の議席数を抑えて、初めて過半数を超え、それどころか、大方の予想をはるかに上回って、大部分の議席を獲得しました。
最終的な民主派の獲得議席数は、全452議席中388議席で、85%以上を占める歴史的な圧勝となりました。小選挙区制ですから、民主派の躍進は、ある程度、予想されていた結果ではありますが、想定を遥かに上回る市民の民主派支持の現実を突きつけられ、親中派(大陸系及び財界=不動産特権層)の人々は、「異常な年の異常な選挙」「天地がひっくり返ったかのようだ」と、呆然としているようです。
香港区議会選は、香港で行われる唯一の市民による直接選挙です。そこに現れた民意は、香港政府・香港警察・中国政府にとって大変厳しいものでした。
得票率では、民主派が57%、親中派が41%でしたが、すべて1人区の小選挙区制であるため、民主派が地滑り的な圧倒的勝利を収める結果となりました。
しかし、残念ながら、この選挙結果は、香港の政治に、ほとんど影響力を持ち得ないのが現状です。というのも、香港区議会には、実質的な政治の権限が一切ないからです。唯一、民意を反映する議会であるにも関わらず、立法権も行政長官を選出する権限もありません。立法権も香港行政長官の任命権も、中国中央政府が握っているからです。
香港に民主主義はありません。これが現実です。その証拠に、キャリー・ラム行政長官は、「今回の選挙の親中派の敗北は、自らの行政に責任がある」と認めながら、「中央政府から責任を取るように求められていない」ことを理由に、続投する考えを表明しました。香港の政治主権は、香港市民にはなく、あくまでも中央政府(習近平)がガッチリ握っているということです。一国二制度の中に、民主主義は存在しません。
一方で、もう一つ、はっきりしたことがあります。それは、民主派デモが、中国政府が主張するような一部の暴徒やテロリストによって主導され、アメリカが後押しした国家騒乱の陰謀などではなく、香港市民の民意を表すものであったということが、誰の目にも明白になったということです。
民主派は、「今後も、香港民主化要求を掲げて運動を続ける」と表明しています。そして、選挙の結果が明らかになった25日以降も、香港の金融街では、民主派のデモが続いています。さらに、香港理工大学の周囲でも、構内にいる学生たちの解放に向けて、大学を包囲している警察に対して包囲を解くように要求するデモが続いています。
12月1日には、区議会選挙後初の大規模な市民による反政府デモが行われ、警察隊は催涙弾を大量に使用しました。
今後、中国政府にとっては、香港問題の取り扱いが、より難しくなったことは確かです。
最大の問題は、中国上層部、中国メディア、親中派の人々が、「すべてデモ隊が悪い」「アメリカの陰謀のせい」「声なき民衆(サイレント・マジョリティー)は皆親中派」という自らのプロパガンダを信じ込んでいることです。彼らの思い込みは、いまだにとける気配もありません。
「異常なのは、自分たちの根拠のない思い込みの方だ」ということに、どうしても気づくことができないのです。




今、沖縄で一番大きな話題は、首里城焼失の話題です。ただ、これについて記事を書くべきか、ずいぶん悩みました。

火事が発生したのは、2019年10月31日、午前2時35分頃と言われています。火が消し止められたのは、同日、午後1時半頃だったそうです。
火災がおよそ11時間近く続いたにも関わらず、沖縄県が陸自にヘリの出動要請をしなかったことの是非について、ネット上では、激しく取り沙汰されています。もっとも、これまでも、沖縄県知事は、自衛隊ヘリの出動要請すべきところで、絶対に要請しないという〝不祥事(?)〟を繰り返してきたわけですが、今回も同様に、ということでしょうか。
あるいは、今年の2月1日に、首里城正殿など有料区域の使用管理権が、国から沖縄県に移行して、わずか9カ月目で、火災が発生し、正殿を含む主要な7棟が完全焼失してしまった、この管理責任の所在についてどう考えるか、という問題も提起されています。首里城は国有財産であり、その所有権は国にありますが、使用料を年間2億円、国に支払うことで、管理権が2月から県に移行していたので、火災発生時点では、管理義務も県にあったと考えられるからです。
正殿の展示物や収蔵品400点余りも焼失しており、失われた歴史的資料は、二度と取り戻すことはできません。残念なことです。
加えて、玉城デニー知事が、韓国訪問中に、このような大事件が起こったことについても、日韓が「徴用工」問題、「慰安婦像」問題、安全保障問題、反日不買運動問題などで揺れている、この時期における知事の訪韓自体を疑問視する声もあります。
特に、知事選では「沖縄県は、もう政府の援助(補助金)は必要ない」「日本(とアメリカ)から沖縄を取り戻す」と公言し、これまでに、アメリカへ「基地は要らない」と言いに行ったり、韓国へ「観光客もっと来てくれ」と言いに行ったり、反政府的な海外への働きかけを、忙しく続けてきた玉城デニー知事が、今回、火災の翌日1日には、早々に首相官邸を訪れ、神妙な面持ちで再建への支援を要請している様子に、冷ややかな視線を向ける人々も、内地には多いのではないかと思います。

そういう内地にも通じる、ある意味、普遍的な批判感覚とは別に、沖縄県内には、首里城に対して、もともと複雑な思いや腹立たしい思いを抱いていた人たちが、実は大勢います。
例えば、首里王府によって、人頭税を過酷に搾取されていた宮古島など離島の人たちにとっては、今でも、首里城をみると「私たちの祖先から情け容赦なく絞り取った人頭税によって、これだけの豪勢な城をつくってふんぞりかえっていたのか」と、腹立たしい気持ちを抑えることができない、という人も少なくありません。
また、あるいは、首里城を最初に建国した尚巴志及び第一尚氏の子孫にとっては、王位簒奪者である第二尚氏の王たちの墓である玉陵や第二尚氏の王たちの居城であった首里城の復元にさしたる思い入れはなく、むしろ、再建事業を冷ややかに見ていた面も、あることは確かです。
勝連の人に至っては、第二尚氏の首里王府は、地元の英雄阿麻和利を陥れて滅した〝仇〟ですらあります。勝連の人にとって、最も大切な城は、何といっても阿麻和利の居城であった勝連城です。首里城ではありません。
歴史的に首里王府への確執や怨みの強い人たちにとっては、首里城は決して自らの誇りとする建物ではなかったのです。

そもそも、戦前の首里城は、大正期に財政が逼迫した沖縄県が維持を諦め、取り壊す寸前だったところを、国が保護を決め、国の文化財とすると同時に、沖縄最初の統一王朝を建国した初代舜天王から始まる歴代統一王統を祀る神社(「沖縄神社」)とされたもので、当時は、建物の造りも、黒い瓦と天然木の色合いを生かした黒木の柱や杉や檜材の壁を持つ日本風の建物でした。
それを、1992年に正殿が再建された時には、なぜか、台湾檜に漆で朱色に染めた柱や壁と赤瓦を用いた中国風の建物として、以前の姿とはまったく異なる意匠で造られてしまったのです。
そればかりか、かつての歴代琉球王を祀る神社としての祭祀機能は失われ、信仰の中心としての役割を取り戻すことはありませんでした。
これこそ、まさに「仏(器)作って魂(神様)入れず」というものです。結局、復元された新しい首里城は、戦後の県民が抱いていた幻想と思い込みに強く影響された歴史的フィクションを体現する巨大な虚構、想像のイメージで造形された構造物となってしまったのです。

さらに、首里城周辺の昔ながらの沖縄そば屋さんや商店街の人たちにしてみれば、この「新首里城」ができて以来、お客さんがめっきり減ってしまって、閑古鳥が鳴いている状況があり、商売上がったりの状態が続いていました。
以前は、旧首里城の跡地に琉球大学がありました。また、近くには博物館もありました。そして、現在は県立芸大もあります。首里は、もともと文教の街なのです。
ところが、新たに首里城ができる(復元?)ということで、琉球大学は西原に移転(1979)し、県立博物館も新都心に移転(2007)してしまいました。県立芸大もキャンパスの崎山への移転が進んでいます。
大学生が多かったときには、日常の中で、学生たちが安い沖縄そば屋で毎日食事をし、商店でも菓子パンや弁当や飲み物が売れました。周辺の居酒屋も流行っていたのです。
しかし、今では、観光バスは、首里城の敷地内に直接入っていきますから、観光客は、ほとんど首里の街を歩きません。ショッピングもしません。首里城だけを見学して、買い物や食事は、パルコやイオンモールへとバスで移動してしまいます。修学旅行の生徒たちにしても、土産物屋には入っても、地味なそば屋さんや商店には入りません。ですから、首里城周辺の昔ながらの地元の小店舗には、まったくお金が入ってこないのです。
庶民にお金が入ってこないと、街は活気を失います。

そのため、むしろ、首里城など造らず、琉大と芸大を残して、博物館も新都心へなどは移さずに、今はただの広大な空き地になってしまっている、かつての敷地内に増改築するべきだった、と今更ながら後悔している人たちが、首里の街にはいっぱいいます。
今日、歴史ある文教の街としての首里の伝統は、すでに廃れ果て、崩れ去ってしまって久しく、いつしか、ハリボテの客寄せパンダ的な首里城だけが目立つ、いびつな元気のない街になってしまっているのです。
かつての賑わいを知っている者にとっては、首里は、本当に、冴えない寂れた街になってしまいました。

第一、首里城祭にしても、取り仕切っているのは、内地出身の人やらよそ者ばかりで、地元の人間は、陰に隠れてしまっています。
これでは「誰のための首里城祭だ!」と、市民から憤りの声があがるのも無理からぬことです。
喜ぶのは、琉球王朝の冊封時代における中国への事大主義の様相が強く感じられる出し物を好んで観たがる中国人観光客や、エキゾチックな風俗を物珍しがる初見の欧米人観光客ぐらいではないでしょうか。
「それでいいんだ、すべては観光のためだ」と言うのなら、文化って、いったい何なのでしょう。首里城もまた、観光誘致のためのツール、言わば、単なる金儲けの手段に過ぎないのでしょうか。

今回、国は、沖縄県や那覇市の要請を受けて、首里城再建の費用を全面的に支援し、丸ごと拠出する意向であると言われています。首里城は、国の所有物なので、その再建費用は国が負担するというのです。
そうなると、県や那覇市や、その他の自治体が集めた寄附金は、どうなるのだろうと不思議に思うのです。すでに、県内外から5億円以上集まっているようですが、このお金はいったい何に使われるのでしょうか。
いずれにしても、総額で100億円規模の国家予算が投入されるわけですから、できれば、多くの県民にとって、より意味のある有意義なプロジェクトになって欲しいと願わずにはいられません。
大金をかけてつくったハリボテなどには、なんの魅力もないのですから。世界の人を惹きつける、地域固有の伝統的な文化というのは、そういうものではないはずです。
『お金だけ集めても、知恵が集まらない』というのでは困ります。

そもそも、厳密に言うと、今回焼失した「首里城」は、1989年の着工から30年かけて、2019年、今年1月に完成したばかりの複数の建造物を含む「首里城公園」の一部であり、正殿についても、先に述べたように、1989年代に建設が始められ、1992年に完成した、まったく新しい建築物であって、同様に、今回焼失した7棟の建物はすべて、重要文化財でもなければ世界遺産でもありません。
文化財としての価値で測るなら、今帰仁城址や中城城址の方が、はるかに重要な文化財であり、貴重な世界遺産です。

また、沖縄には、毎年1000億円近い軍用地料が国庫から入っており、そのほとんどが、個人の基地地主に支払われています。しかも、基地使用料は、所得税控除の対象とされています。中には、毎年、数億円、数十億円の使用料を受け取って、数十年に渡って莫大な収入を得ていながら、1銭も税金を納めていない地主の方もいらっしゃいます。ですから、そうした富裕な方々から寄付を募れば、たかだか数百億円程度の復元費用など、簡単に集まるはずです。もし、県民すべてにとって、首里城がそれほど大切なものであれば、そうならないのがおかしいと思うのです。
例えば、軍用地料として年70億円を受け取っている個人が、毎年控除されている莫大な税金の一部を、一度ぐらいは納税するつもりで、30億円ほど寄付なさったなら、たった一人の寄附金でも、正殿ぐらいは建つのではないでしょうか。それに、今回の焼失では、火災保険金70億円が出る予定なので、合算して100億円もあれば、一気に7棟全部、復元できてしまいます。国の負担など必要ないはずです。
そうならないのは、なぜでしょうか。それは、「県民全部が、首里城焼失を心から悼んでいる」わけではないからです。
突然の首里城焼失にショックを受け、涙を流している人たちの悲しみや思い入れを否定するつもりはありませんが、「沖縄県では、誰もが、首里城の焼失を悼んで、涙を流しているはずだ」「激しい喪失感を感じているに違いない」という画一的な認識は誤りであり、実は、みんながみんな、心底悲しんでいるというわけではない、ということも、事実として知っておいて欲しい、という思いから、この記事を書きました。


〈参考までに〉
沖縄は、内地(本土)に比べて、郷土意識が極端に強い地域です。しかし、人々の心の中に地元意識として日常感じられている、その郷土の範囲は、沖縄全体というような大きなものではなく、むしろ、例えば、読谷村、知念村といった村単位、あるいは市や村や島の中の小さな区域、例えば那覇市の首里、宮古島市の平良地区、読谷村の長浜地区といった非常に小さいコミュニティーなのです。
そして、その一方で、その地域の外部の人に対する排斥意識も強烈です。道一つ隔て、その向こうは別のコミュニティーということが、よくあります。その見えない境界線によって隔られた心理的距離の遠さは、県外の人には、到底想像できないほど深刻なものがあります。
「境界のこちらは身内の世界で、道一つ向こうは関係ない他人(よそ者)の土地」というような感覚です。ですから、ある意味では、外部から来た人(他ジマの人)は、一生かけても、本当の意味で、地域コミュニティー(シマ)の一員になることはできません。
私たちの感覚では、例えば「首里の人」と「那覇の人」は、まったく異なるコミュニティーに属していると感じられます。もともと山手の首里の人は、武士階級出身で、気位の高い人が多いです。一方、城下の下町にあたる那覇地域は、商売で身を立ててきた地域です。価値観も、習俗も、方言も、すべて異なります。
ですから、生粋の首里の人であれば、首里城に対して、何らかの深い思い入れを感じている人が、相当数いらっしゃるかもしれません。けれども、その首里城への思いを、県民全体が共有しているとは、とても、考えられません。
上記したように、土着意識の強い沖縄では、例えば、勝連の人にとっては、地元の勝連城の方が大切ですし、読谷村の人にとっては、座喜味城の方が大切です。
しかし、その一方で、沖縄の県民性として、なぜか、外、つまり、本土に対しては、「これが県民全体(オール沖縄?)の思いだ!」と、過剰にアピールしたがる傾向があります。とは言え、その表現は、いくぶんおおげさで、ある意味、自己アピールのパフォーマンスになっている面もあるのです。
真実の心情なのか、サービス精神旺盛なアカデミー賞ものの演技なのか、内地の人には、なかなか判別が難しいのではないでしょうか。

「首里城は沖縄のシンボル」なのかもしれません。そう主張する人がいても、否定はしません。けれども、本音を言えば「首里城は多くの県民にとって〝心の拠り所〟というわけではない」というのが、一県民としての実感です。そして、「首里城は平和のシンボル」「首里城は〝沖縄のこころ〟の象徴」などというのは、どう考えても共感しにくい話で、例によって「話を盛り過ぎじゃないかな」と首を傾げてしまいます。
首里の人は、そうおっしゃるかもしれませんが、首里の人が沖縄県民の代表というわけではありませんからね。

なんにもない、なんにもない、まったくなんにもない


生まれた、生まれた、何が生まれた
星がひとつ、暗い宇宙に生まれた

星には夜があり、そして朝が訪れた
なんにもない大地に、ただ風が吹いてた

やがて大地に、草が生え、樹が生え
海にはアンモナイトが生まれた
雲が流れ、時が流れて、流れた

ブロントザウルスが滅び、イグアノドンが栄えた
なんにもない大空に、ただ雲が流れた

山が火を噴き、大地を氷河が覆った
マンモスのからだを長い毛が覆った
なんにもない草原に、かすかに、やつらの足音が聞こえた

地平線のかなたより、マンモスの匂いとともに
やつらが、やって来た、やって来た、やって来た

園山俊二作詞/かまやつひろし作曲



この曲は『やつらの足音のバラード👣』という一風変わった曲名の歌です。大変有名な歌ですが、もともとは、1974〜1976年までテレビで放映された原始時代の(架空の)ギャートルズ平原を舞台とした原始人の日常を描いたテレビ・アニメ「はじめ人間ギャートルズ」のエンディング・テーマ曲でした。
地球の誕生から人類の発生まで、星と生命の進化の過程を辿った雄大な詞を創ったのは、マンガの原作者でもある園山俊二さんです。その詞に、ノンビリとした、かつ、飄々としたメロディーをつけたのは、元スパイダースのムッシュかまやつ(かまやつひろし)さんです。さらに、その曲を、ゆったりと肩のこらない自然な歌い方で歌ったのは、ちのはじめ(若子内悦郎)さんという方です。また、この時のサウンド担当は、後に「風の谷のナウシカ(1984)」「天空の城ラピュタ(1986)」「となりのトトロ(1988)」「もののけ姫(1997)」「千と千尋の神隠し(2001)」など、宮崎アニメの全作品の音楽を担当することになる久石譲さんです。いま考えると、なかなか豪華なメンバーだったようです。
とは言え、この曲は、1970年代に、あまた作られたアニメ作品のエンディングテーマ曲の一つに過ぎません。当時は、特に、話題にのぼることもありませんでした。
ところが、後になって、なぜか、主に、1990年代以降にですが、つまりは、昭和が幕を閉じて平成になってからなのですが、この曲が突如として再評価されるようになり、小泉今日子さん(1993)、かまやつひろしさん(1994)、スガシカオさん(2004)、中村あゆみさん(2010)、平井堅さん(2014)、斉藤和義さん(2019)など、名だたる歌い手にカバーされ、その他にも今日まで多くの歌手に歌われてきました。
こうして、たくさんの人に歌い継がれながら、この曲の最初の発表時から、すでに45年、半世紀近い月日が経過しようとしています。けれども、時代の彼方に忘れ去られるどころか、年月が経つに連れて、いよいよ、その輝きは増すばかりです。そして、いつしか、この曲は「昭和の生んだスタンダード・ナンバーの一つ」といわれるまでになったのです。

以上、見てきたように「やつらの足音のバラード」は、今では、堂々たる名曲の地位を獲得しているように思われます。もはや、「昭和アニメのテーマソングを代表する歴史的名曲のひとつ」と言っても、過言ではない状況になっているのではないでしょうか。
もっとも、昭和の時代には〝アニソン〟という用語もありませんでしたし、アニメの主題歌は、あくまでも、子どものためのもので、大人が好んで聴くということは、想定されていませんでした。アニメの主題歌が、ヒット・チャートに名を連ねるなんてこともなかった、というのも事実です。
それでも、同じ頃のアニメには、「ルパン三世(1971〜ルパン三世その2)」「宇宙戦艦ヤマト(1974〜真っ赤なスカーフ)」など、大人が聴いても「良い曲だな」と感じる印象的なオープニング・エンディングのテーマ曲が、けっこうありました。そして、たとえ、子ども向けアニメの主題歌として作られた曲であっても、当時、子どもだったアニメ作品のファンが何気なく聴いていた曲が、大人になってからも、ますます味わい深く聴けるというのは、なかなか貴重なことではないか、とも思うのです。


私自身、1970年代に、アニメの「ギャートルズ」をテレビで見ていた頃から、この曲「やつらの足音のバラード👣」のファンでした。アニメの内容は、主人公の少年ゴンが、お母さんのお遣いで、ヒトよりも巨大なドーナツ型の石のお金を転がしながら、同じくらい巨大な輪切りのマンモスの肉を買いに行くシーンぐらいしか、今となっては思い出せませんが、「なんにもない、なんにもない、まったくなんにもない」という、この曲の壮大でシュールな歌詞と耳に残る印象的なメロディーは、大人になっても、よく覚えていました。
それにしても、なぜ、この曲は、1990年代以降、アニメの再放送があったわけでもないのに、突然、人々の心を捉えるようになったのでしょうか。

考えてみると、今は、人間の数が膨大に増え、情報が瞬時に世界中を飛び交う、めまぐるしい時代です。物質文明の発達によって、おびただしい人とお金とモノと情報が、世界中に流通して、どこまでも限りなく時間と空間を埋め尽くしていくために、なんにもない空間など、どこにも見当たらないので、空想や想像を自由に膨らませる余地すらありません。そういう余裕のなさが、人間精神を徐々に蝕んでいるという気がしてなりません。
文明の歪みがますます大きくなって、その狭間に、ぽっかりとあいた虚無の暗い穴に、ともすれば、心が引きずりこまれてしまいそうになるのです。そうした無意識の危機反応が、本能的なストレスを掻き立て、得体のしれない閉塞感と先の見えない不安を増幅させ、知らず知らずのうちに心を摩耗させていきます。
ちょうど、バブルの崩壊した1990年代の初め頃から、世の中は、そんな風に、先の見えない閉塞感に覆われ始め、無気力と不毛感、人間不信と神経衰弱の傾向が、色濃く現れるようになったようにも思えます。

「令和」の時代になって、私は、最近、よく、この曲を聴きます。「なんにもない大地に、ただ風が吹いてた」と聴いていると、ピリピリとささくれだっていた気持ちが、妙に落ち着くのです。
一種の精神安定剤のような効果のある曲です。もっとも、誰のバージョンが良いかは、人によって好みが分かれるでしょう。誰の歌が、自分の心に一番しっくりくるか、聴き比べをしてみてはいかがでしょうか。


〈参考資料〉

【地球史年表】

◉46億年前、直径10km程度の微惑星が衝突・合体を繰り返して地球が生まれる。同じ頃、月も生まれる。地球には、ヘリウムと水素から成る最初の大気が生成されたが、太陽風によって、数千万年のうちに、ほとんど吹き飛ばされてしまう。

この頃、地上は1000℃以上のマグマオーシャンに覆われていた。そして、密度の大きい鉄は内部に沈んで核を形成した。


➡︎46億年前から5億4500万年前までのおよそ40億年間を「先カンブリア時代(陰生代)」という。また、先カンブリア時代は、古い方から、冥王代、太古代、原生代に分かれる。

◉44億年前の最古の岩石が発見されている。この頃までには、地球表面のマグマが冷え固まって地殻が形成され、地上では火山活動🌋が盛んであった。

この時期には、大気のほとんどが二酸化炭素と水蒸気であった。少しずつ地表が冷えることで水も生じ、一部、水たまり(海?)もできたようだ。


◉41〜38億年前の3億年間、地球、月に、直径数kmから十数kmの大きさの巨大隕石(小惑星)が、頻繁に衝突💥した。この期間を「後期重爆撃期」と呼ぶ。この時期に、「雨の海」など、月のクレーターの多くが形成された。

◉40億年前、「後期重爆撃期」の最中に大気中の水蒸気が凝結して雨となって降り、原始の海が形成された証拠がある。そして、この原始の海に、隕石衝突によってアミノ酸が生成され、最初の地球生命が誕生したと考えられている。それは、火山付近の地底や海底で発生した好熱菌の一種だったのではないかと言われる。


➡︎46〜40億年前まで、地球の誕生から太古の生命の出現まで、生命の存在しなかった、およそ6億年間を、『先カンブリア時代』の中でも「冥王代」と呼ぶ。

◉39億5000万年前より以前の最古の堆積岩から、生命の痕跡である球状炭質物が発見されている。

◉38億年前、「後期重爆撃期」の終わりには、バクテリア(細菌)とアーキア(古細菌/メタン菌・好熱菌など)が、共通祖先(原始生命)から分化したと考えられる。


◉35億年前の最古の化石が発見されている。バクテリア(原核生物)の化石であり、生命活動の確かな証拠である。


◉34億7000万年前(太古代)のオーストラリアのピルバラ地域に、極めて大規模の天体衝突があり、その時に生じた地球最古のクレーターが発見された。太古代で発見された唯一のクレーターでもある。


◉32億6000万年前、推定直径32kmとされる超巨大隕石S2が地球に衝突し、大量の鉄分とリンがもたらされ、単細胞原核生物の数が急増した。


◉32億年前、最古の光合成をする生物であるシアノバクテリア(藍藻)が出現した。これにより、海中に酸素が供給されはじめた。

◉27億年前、シアノバクテリアが大量発生し、海中の酸素量が増大した。この時期のシアノバクテリアの化石が大量に発見されている。また、この時期(27〜25億年前)の地層から、最古の真核生物らしき痕跡(有機物質)が発見されている。

有毒な酸素から遺伝情報を守るため、DNAを膜で包んだ核が生まれたと考えられている。


➡︎40〜25億年前まで、原始生物の誕生から真核生物の出現まで、単細胞原核生物(バクテリアとアーキア)しかいなかった、およそ15億年間を、『先カンブリア時代』の中でも「太古代」と呼ぶ。


◉25億年前、シアノバクテリアの光合成の影響で、海中の酸素濃度がさらに高まり、24億5000万年前から大気中にも、徐々に酸素が供給され始める。また、大気中の酸素は、紫外線と反応してオゾンをつくり始めた。


◉22億年前、地球史上最初の全球凍結❄️(スノーボールアース)が起こる。シアノバクテリアの活動で、大気中の酸素がさらに増大したことで、二酸化炭素が減少し、寒冷化を招いたため。また、成層圏にオゾン層が形成され、紫外線が遮断されるようになった。赤道直下で水深2000mの深海まで凍りつく全球凍結により、初期生物の大量絶滅💀が起こった。

この全球凍結を終わらせたのが、22億2900年前、オーストラリアに世界で二番目に古いヤラババ・クレーター(直径70km)を形成した巨大隕石の衝突💥だった。


◉21億年前、ミトコンドリア、葉緑体と共生する真核生物が出現した。この時期の地層から真核生物の最古の化石が発見されている。

◉20億年前、現存する二番目に古いクレーターを形成した史上2番目の大きさ(直径10Km以上)の巨大隕石が衝突💥した。その痕跡が、南アフリカのフレデフォート・ドーム(直径300Km)。この衝突は、生命の大量絶滅💀を引き起こしたと考えられる。

◉18億5000万年前、現存する3番目に古いクレーターを形成した、史上4番目に巨大な直径約10kmの隕石が衝突💥した。その痕跡が、カナダのサドベリー隕石孔。衝突当時のクレーターの大きさは推定で直径250Km。この衝突もまた、大量絶滅💀を引き起こしただろう。


◉15億年前、最初の原始的な多細胞生物が発生したと考えられている。


◉8億年前、地球に小惑星シャワーと呼ばれる直径5〜10Kmの複数(10数個)の超巨大隕石が地上に降り注ぐ連続衝突💥があり、この時、「衝突の冬」を契機とする急速な寒冷化が生じ、その後の全球凍結を招いたが、一方で地上に撒き散らされたリンが、その後の生命活動を活性化させ、さらなる多細胞生物の出現・進化を促した。ただし、このときの大量衝突の痕跡(クレーター)は、地上には残っていない。


◉7億1700万年前〜6億4300万年前、6億3900万年前〜6億3500万年前に、2度目と3度目の全球凍結❄️。それによる2度の大量絶滅💀の狭間で、6億4000万年前頃、初の本格的な大型多細胞生物が出現した。さらに、この後、5億7000万年前から、体長1mほどのエアマット状のディッキンソニアなど、エディアカラ動物群が栄える。


◉5億8000万年前、直径数kmの巨大隕石が衝突💥し、オーストラリアに残る、地球史上、7番目に巨大な直径90kmのアクラマン・クレーターを形成した。

➡︎25〜5億4500万年前まで、単細胞真核生物の出現から多細胞生物の出現まで、そして、エディアカラ生物の繁栄に至るまでのおよそ20億年間を、『先カンブリア時代(陰生代)』の中でも「原生代」という。

◉5億4500万年前、原生代末、直径600Kmのクレーター痕跡をオーストラリアに遺した史上最大の超巨大隕石の衝突💥によってゴンドワナ大陸を分裂させたスーパープルーム(マントル噴火🌋)が発生し、大量絶滅💀が起こった。この超巨大噴火の噴出物の堆積によってエディアカラ生物群が死滅し、その後、外骨格を持つ生物が出現した。

これ以降、古生代「カンブリア紀」に入り、この時期の「カンブリア爆発」と呼ばれる生物の爆発的な多様化によって、アノマロカリスなどの奇怪な形状のバージェス動物群や三葉虫といった節足動物が繁栄し、さらに、カンブリア紀後期には、ナメクジウオのような脊索動物から進化して、ヤツメウナギに似た無顎魚類など、初期の脊椎動物が出現する。


➡︎外骨格生物の出現した5億4500万年前から現代までの時代を『顕生代』という。また、顕生代は、古い方から、古生代、中生代、新生代に分かれる。

➡︎5億4500万年前は、顕生代の中の『古生代』の始まりでもあり、さらに古生代の中の「カンブリア紀」の始まりでもある。

◉4億4400万年前、古生代「オルドビス紀」末の大量絶滅💀 があり、三葉虫なども壊滅的打撃を受けて、絶滅に近いほど数を減らした。しかし、その後、4億3000万年前、「シルル紀」に、植物、節足動物が、初めて上陸し、最古の陸上の生物となった。この時期の陸生の節足動物や植物は、化石として確認されている。

◉3億7400万年前、古生代「デボン紀」末の大量絶滅💀で、体長6〜10mで甲冑のようなダンクルオステウスなど、板皮類の魚類が姿を消した。その後、3億6000万年前の「石炭紀」の初めに、両生類が、脊椎動物としては、初めて陸上で生活を始めた。

◉3億年前、古生代「石炭紀」末に、爬虫類が、両生類から分かれて進化を始めた。また、昆虫も、この時期に進化し、体長70㎝の巨大トンボやゴキブリなどが出現した。「ペルム紀」の陸上生物の王者は、まさにこの昆虫類であった。この頃、大気中の酸素濃度は、現在よりも高く、気温も高かったため、昆虫類は巨大化する傾向があったのである。

➡︎5億4500万年前〜2億5100万年前の「ペルム紀」末まで、およそ3億年間を「古生代」という。古生代には、哺乳類と鳥類を除く、ほとんどの種が誕生した。また、古生代は、古い方からカンブリア紀、オルドビス紀、シルル紀、デボン紀、石炭紀、ペルム紀に分かれる。

◉2億5100万年前、古生代の終わり、「ペルム紀」末、スーパープルーム🌋によるシベリア・トラップの噴出とパンゲア超大陸の生成に伴い、高温のマグマによる地球規模の火災が生じた。これにより、地球全体が無酸素状態に陥り、この状態が数千万年続いた。特に、当時の海では、大規模な海洋無酸素事変(スーパーアノキシア)が起こり、96%の種が絶滅した。これは、地球史上最大の大量絶滅💀である。この時期に三葉虫も絶滅した。一方で、この後、地上には恐竜が出現し、三畳紀、ジュラ紀、白亜紀と、中生代を通して繁栄した。

◉2億2500万年前、中生代「三畳紀」に、体長10㎝ほどの最古の哺乳類アデロバシレウスが出現する。

◉2億1500万年前、史上5番目に巨大な直径5〜8kmの隕石が地球に衝突💥。カナダのマニクアガン・クレーターなど5つの連鎖クレーターを遺した。この影響で、パンゲア超大陸が分裂。その広範囲の火山活動🌋及び海洋無酸素事変によって、2億年前、「三畳紀」末の大量絶滅💀が引き起こされ、全生物の76%が絶滅した。その後、ジュラ紀・白亜紀にまたがって、アンモナイトと恐竜の本格的な全盛期となる。


◉2億年前、唯一の大陸であったパンゲア超大陸の分裂が始まる。やがて、中生代「ジュラ紀」半ばの1億8000万年前頃には、北のローラシア大陸と南のゴンドワナ大陸に分裂し、その後、「白亜紀」に入った1億4500万年前以降、ローラシア大陸は、さらにユーラシア大陸と北アメリカ大陸に分裂し、ゴンドワナ大陸は、アフリカ大陸、南アメリカ大陸、オーストラリア大陸、南極大陸、インド亜大陸の5つの大陸に分裂した。


◉1億5000万年前、中生代「ジュラ紀」後期に、羽毛を持つ恐竜から進化した最古の鳥群(鳥翼類)、始祖鳥が出現。


◉1億年前以降、中生代「白亜紀」の後期、直径1m以上にもなる巨大アンモナイトが出現。この時期が、恐竜の全盛期でもある。この時期のアンモナイトと恐竜の化石の世界的産地の一つは北海道であり、むかわ町穂別(むかわ竜/ホベツアラキリュウ)や三笠市(アンモナイト/エゾミカサリュウ)には、立派な博物館がある。

➡︎2億5100万年前〜6550万年前の「白亜紀」末まで、およそ2億年間を「中生代」という。中生代には、哺乳類と鳥類が誕生した。また、厚歯二枚貝、アンモナイト、爬虫類から進化した恐竜の出現から絶滅までの時期にあたり、古い方から、三畳紀、ジュラ紀、白亜紀に分かれる。


◉6550万年前、中生代「白亜紀」末に、直径10km以上の史上3番目に巨大な隕石が衝突💥し、ユカタン半島にチクシュルーブ・クレーター(直径300Km)を形成する。この影響で、インドでは大量の溶岩が噴出🌋してデカントラップが形成される。この時の大量絶滅💀で、鳥類を除くすべての恐竜とアンモナイトが絶滅した。


一方で、この「白亜紀」末に、最古の霊長類(あるいは霊長類に非常に近い種のサル)が地上に出現した。これ以後、「新生代」においては、哺乳類の全盛となる。
チクシュルーブ隕石衝突の65万年後、ウクライナに、直径1.6kmのボルティシュ隕石が衝突💥し、温暖化を加速させた。

➡︎6550万年前〜現代までの期間を「新生代」といい、その最初の時期を「古第三紀」という。新生代は、哺乳類が繁栄し、霊長類が進化していく時期にあたり、古い方から、古第三紀、新第三紀、第四紀に分かれる。

◉6000万年ほど前、霊長類(サル目)が、メガネザル・オナガザル・テナガザルを含む「直鼻猿亜目」と、現在マダガスカルに生息するキツネザル・ロリスを含む「曲鼻猿亜目(原猿類)」に分枝した。

◉4500万年前、新生代に入って急速に北上を続けていたインド亜大陸が、ユーラシア大陸に衝突し、ヒマラヤ山脈を形成し始めた。←ヒマラヤ造山運動。

◉4000万年ほど前、直鼻猿亜目のうち、現在東南アジアに生息するメガネザル(原猿類)を除いた「真猿類」が、現在、中南米、ブラジルなどに生息するリスザル・マーモセット・オマキザルなどの「広鼻猿類(新世界ザル)」と、現在、アジア・アフリカに生息する「狭鼻猿類(旧世界ザル)」に分岐した。

◉3500万年前、直径数kmの巨大隕石が、ロシア極北シベリアと、アメリカ東海岸に同時に衝突💥💥。マニクアガン・クレーターと並んで史上5番目に大きいシベリアのポピガイ・クレーター(直径100km)、アメリカのチェサピーク湾クレーター(直径90km)を形成した。

◉3000〜2500万年前、現存する最古の古代湖であるバイカル湖が、海から孤立して切り離され、海溝から塩水湖となった。その後、徐々に淡水化した。水深1700mで、世界で最も深い湖であり、貯水量も水の透明度も世界一である。ユーラシア大陸とインド亜大陸のプレートの境目にあって地溝となっており、現在でも、この地溝は陥没を続けている。つまり、水深が伸びている。


固有種が2000種と非常に多いため、ガラパゴス諸島と並んで、「生物進化の博物館」と言われる。

◉2800〜2400万年前、狭鼻猿類(旧世界ザル)が、ニホンザル・テングザル・マンドリル・マントヒヒを含む「オナガザル上科」と、テナガザルを含む「ヒト上科(類人猿)」に分岐した。

➡︎2300万年前、欧州のアルプス山脈と北米のロッキー山脈の造山運動が始まる。これをもって、地質時代上、新生代「新第三紀」の始まりとする。新第三紀は、258万年前まで続く。

◉2000〜1600万年前、ヒト上科(類人猿)が、現在、東南アジアに生息するフクロテナガザルなどを含む「テナガザル科(小型類人猿)」と「ヒト科(大型類人猿)」に分岐した。


◉1300万年前、ヒト科(大型類人猿)が、現在、東南アジアのインドネシア・マレーシアに生息する「オランウータン亜科(アジア類人猿)」と「ヒト亜科(アフリカ類人猿)」に分岐した。

◉1000万年前、アフリカ大陸のプレート境界で、マントルプルーム(マントル上昇流)の作用によって、アフリカ大陸を東西に分断する大地溝帯が形成され始めた。その影響から、ヒト亜科が、中央アフリカで、「ヒト族」と「ゴリラ族」に分岐した。


◉ 1000〜600万年前、バイカル湖に次ぐ、世界で2番目に古い古代湖であるタンガニーカ湖ができる。アフリカの大地溝帯を形成したプレートの動きに沿って生じた構造湖。水深1470mで世界2位、貯水量も世界2位である。生物多様性の豊かさで世界的に有名であり、固有種は800種と非常に多い。淡水湖。


◉700万年前、ヒト族が、中央アフリカで、「ヒト亜族(猿人)」と「チンパンジー亜族」に分岐した。このヒト亜族への分岐が、最古の人類の誕生とされる。この時期のものと考えられている最古の人類(猿人)の化石が、2001年に中央アフリカのチャドで発見されたサヘラントロプス(トゥーマイ猿人)である。すでに直立していた可能性が指摘されている。身長は120cm程度、脳の容積は350ccで、現生人類の25%程度であり、現生のチンパンジーとまったく変わらない。

◉600〜400万年前、世界で3番目に古い古代湖である琵琶湖ができる。50以上の固有種が生息している。
古代湖とは、河川からの堆積によって消滅することなく、100万年以上存続している湖で、世界に20箇所ほどしかない。

◉580万年前に生息していた、サヘラントロプスの次に古い化石人類の化石が、2001年にケニヤで発見され、オロリン・トゥゲネンシスと名付けられた。直立歩行しており、犬歯が小さく臼歯が大きいことから、果物や野菜を好んだことがわかる。また、犬歯を剥き出して雄が雌の奪い合いをすることがなかった、つまり、一夫一婦制であり、雄が子育てに参加していたという可能性も指摘されている。大きさは120cmぐらいでチンパンジーより少し大きい程度。脳の容積は350ccぐらいで、こちらもチンパンジー、サヘラントロプスとまったく変わらない。


◉500〜200万年前、モンゴル北西部のバイカル湖に近い山麓に、フブスグル湖ができる。バイカル湖に次いで、世界で2番目に透明度の高い淡水の古代湖である。モンゴル・ロシア国境近いモンゴル側に位置し、古来、貴重な淡水湖として神聖な湖とされてきた。

◉400万年前、北アフリカにマンモスが出現した。その後、300万年前、ヨーロッパに北上し、さらに250万年前にはシベリアへ、150万年前には北米大陸にまで生息域を広げた。

◉390万年前、南アフリカで、アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)が出現した。華奢型の猿人で、身長はおよそ130㎝、脳容積は現生人類の30%程度(400cc)で、わずかではあるが、確実に以前の人類より脳が大きくなり、直立歩行していた。しかし、まだ石器は、ほとんど使っていなかった。

➡︎1974年に、エチオピアで、330万年前の3歳の女児のアウストラロピテクスの完全骨格が発見され、「ルーシー」と名付けられた。そして、この時期に、アウストラロピテクスが、極めて原始的な技術ではあるが、人類史上、初めて「石器の使用」を始めた痕跡が見られる。

◉300万年前、中央アフリカで、チンパンジー亜族が、チンパンジーとボノボ(ピグミーチンパンジー)に分岐した。


◉258万年前、初期のヒト属であるホモ・ハビリス(初期原人「器用なヒト」)が、中央アフリカで、アウストラロピテクス属から分岐・進化した。身長はおよそ130㎝、脳容積は現生人類の50%程度(700cc)であった。アウストラロピテクスより高度な技術で石器を使用した。140万年前に絶滅した。現生人類との直接の繋がりはない。


➡︎この初期原人ホモ・ハビリスの出現をもって、地質時代上、人類の時代とされる新生代「第四紀」の始まりとしている。第四紀(258万年前から現代)は、さらに更新世と完新世に分かれる。


➡︎およそ250万年前、超新星爆発で地球に飛来した放射線によって、ウイルスの進化が加速されたことが、タンガニーカ湖の魚に感染するウイルスの急増から推測されている。こうした新種ウイルスの急増が、人類の脳に進化をもたらし、ホモ・ハビリスが誕生し、新生代「第三紀」を終わらせたのかもしれない


◉200万年前、頑丈型猿人のパラントロプスが出現した。120万年前まで、東アフリカ・南アフリカに生息し、ホモ・ハビリスやホモ・エレクトスと共存していた。頑丈型のパラントロプスは、華奢型のアウストラロピテクスから分岐したと考えられる。身長は140cm。脳の容積は500ccとアウストラロピテクスより多少大きいが、ヒト的な特徴はむしろ減少している。植物の根や芋類を大量に食べるので、顎が発達していた。現生人類との直接の繋がりはない。

◉190万年前、ホモ・エレクトス(原人)が、アフリカで地上に現れる。身長はおよそ150㎝、脳の容積は、現生人類の75%程度(950cc)であった。それまでの人類より、より精巧な石器を使用した。かつてはピテカントロプス・エレクトスと呼ばれていた。
ホモ・エレクトス(原人)は、ホモ・ハビリスとの共通の祖先(アウストラロピテクス属)から分岐・進化したと考えられている。ホモ・ハビリスとは50万年ほど共存した。ホモ・エレクトスは、180〜150万年前にアフリカを出て、ユーラシア大陸、主にアジア地域に生活圏を拡大した。ジャワ原人、北京原人など、ユーラシア大陸各地に広がり、亜種も多い。←原人の「出アフリカ」。
ホモ・エレクトスは、7万5000年前のトバ・カタストロフ🌋で死滅した。

◉140万年前、カナダのケベック州に、直径100m以上の巨大隕石が衝突し、ニュー・ケベック・クレーターを生じる。現在は、青い水をたたえる透明度の高い淡水の古代湖である。

◉100万年前、大地溝帯の影響で、ナイル川の源流であり、アフリカ最大の湖であるヴィクトリア湖ができた。構造湖ではなく、水深は84mしかない。多くの固有種が生息している「ダーウィンの箱庭」として知られる古代湖である。しかし、現代、食用として放たれた肉食魚ナイルパーチや沿岸からの排水による赤潮や水質汚濁などのせいで、湖の固有種が激減している。

◉100万年前、インドネシアのフローレス島に孤立したホモ・エレクトスが、その後、島嶼化によって、50万年以上かけて矮小化し、ホモ・フローレシエンシスとなった。身長わずか1m余りで、脳容量は380ccと、チンパンジーよりも小さい。にも関わらず、火や精巧な石器を使用していた。頭蓋骨の形状は、原人レベルではあるが、かなり高度な精神機能を有していた。現生人類との直接の繋がりはない。


◉93〜81万年前、深刻な寒冷化によって、現世人類の祖先集団(のちにホモ・ハイデルベルゲンシス、ホモ・サピエンスへと進化する、一部のホモ・エレクトス集団)は、極端なボトルネック状態にあった。人口は個体数1280人にまで激減し、およそ12万年の間、絶滅の危機に瀕していた。そして、わずかな生存の可能性を求めて喘いでいた。この極限状況が、彼らを進化させたと考えられる。


◉80万年前、アフリカかユーラシア西部で、ホモ・エレクトスから進化したホモ・ハイデルベルゲンシス(ハイデルベルク人)が出現した。身長は180㎝、脳の容積は1300cc程度と、ほぼ現生人類に等しい。ただし、眼窩上隆起は非常に大きく、その分、前頭葉は未発達で、原人段階、もしくは原初的な旧人段階と考えられている。

初期旧人であるホモ・ハイデルベルゲンシスは、アフリカ・ユーラシア大陸に生活圏を広げ、その一部は、旧人ネアンデルタール人に進化した。また、別の一部は、現生人類の直接の祖先である旧人段階のホモ・サピエンス種へと進化したと考えられている。
ホモ・ハイデルベルゲンシスは、7万5000年前のトバ・カタストロフ🌋で死滅した。

➡︎78万1000年前から、新生代「第四紀」更新世チバニアンに入る。この時期に地球史上最後の地磁気逆転が起こった。チバニアンは、12万6000年前までの期間。


◉40万年前、ヨーロッパ・西アジア・中央アジアにかけて、ハイデルベルク人から進化したネアンデルタール人が出現した。身長は165㎝、脳の容量は1600ccあり、現生人類(1350cc)より大きい。しかし、前頭葉は現生人類ほど発達していなかった。

ネアンデルタール人は、後に、人類と一部混血したが、人類の直接の祖先ではない。およそ76〜55万年前の時点で、アフリカかユーラシア大陸のどこかで、人類の祖先であるホモ・サピエンスと分岐した別種族である。また、ネアンデルタール人は、35万年前に、デニソワ人とも分岐した。デニソワ人は、東アジアに生活圏を拡大した。

ネアンデルタール人・デニソワ人は、久しく人類の祖先と共存していたが、ユーラシア大陸の西端と東端で、およそ2万5000年前に絶滅した。現生人類との直接の繋がりは薄い。

◉30万年前、ユーラシア大陸で優勢であったネアンデルタール人に圧迫された人類の直接の祖先である最初期の旧人レベルのホモ・サピエンス(賢いヒト)は、その脆弱さゆえに、北アフリカや東アフリカに後退させられた。
その後、ホモ・サピエンスは、アフリカ大陸の中だけで、およそ10万年以上の歳月をかけて、特に脳の形状が、旧人レベルの段階から、新人レベル(ホモ・サピエンス・サピエンス)へと進化を遂げた。

➡︎人類共通の男系祖先であるY染色体アダム(A00)は、27万年前の一人の男性にまで遡ることができることがわかっている。また、人類共通の女系祖先であるミトコンドリア・イブ(L0)は、20万年前の一人の女性にまで遡ることができる。こうしたことから、27〜20万年前の期間に、人類共通の祖先である旧人のホモ・サピエンスが、アフリカ大陸で、新人のホモ・サピエンス・サピエンスへと進化したことがわかるようだ。→現生人類の誕生は20万年前。

◉7万5000年前、トバ・カタストロフ🌋が起こり、5000年間の「火山の冬」が続いた。この間、ホモ・サピエンス・サピエンスとネアンデルタール人、デニソワ人、ホモ・フローレシエンシスを除く、他のすべての人類(ホモ・エレクトス、ホモ・ハイデルベルゲンシスなど)が死滅した。当時、生き残った人類の総数は、1万人以下であったという。

◉7万年前、ホモ・サピエンス・サピエンスが、より良い生活圏と獲物を求めて、再び「出アフリカ」した。この「出アフリカ」による生活環境の激変は、ホモ・サピエンス・サピエンスの脳(前頭前野)の突然変異に、創造的な進化へ向けての方向性を与え、まったく新しい思考と言語体系が生み出され、文化的飛躍がなされたと言われる。

◉5万年前、インドネシアのホモ・フローレシエンシスが、ホモ・サピエンス・サピエンスとの遭遇によって絶滅した。

◉2万5000年前、ネアンデルタール人とデニソワ人が、ホモ・サピエンス・サピエンスとの生存競争に敗れて絶滅した。しかし、交雑により、現生人類に遺伝子を遺した。

➡︎258万年前から氷河期の終わりにあたる1万年前までの期間を、新生代第四紀の「更新世」という。そのほとんどは氷河時代であり、この時期に、ホモ・サピエンス・サピエンス以外のすべてのヒト亜属が絶滅した。また、これ以降を「完新世」という。


⭐️ちなみに、歌詞に出てくる「ブロントザウルス」についてですが、ブロントサウルスという正式名称を持つ恐竜は、1億5000万年前、中生代ジュラ紀後期に出現した代表的恐竜のひとつですが、ジュラ紀の終わりには絶滅してしまいます。竜脚類と呼ばれる巨大な草食恐竜の仲間の代表的な種のひとつであり、成獣は、最大で、全長22m、体重は15tもありました。
しかし、かつては、同じジュラ紀後期に棲息していた竜脚類の超大型草食恐竜であるアパトサウルスのことを、混同して「ブロントサウルス」と呼んでいた時期がありました。さらに古くは、特に日本では、このアパトサウルスを「ブロントザウルス(雷竜)」と呼んでいました。
「やつらの足音のバラード👣」が発表された1970年代は、そのような種と名称の混同があった時期にあたります。ですから、歌詞の中に出てくる「ブロントザウルス」は、実際にはアパトサウルスのことだと考えて差し支えないでしょう。
アパトサウルスは、ブロントサウルスより、身体がひとまわり大きい最大級の草食恐竜で、成獣の体長は25m、体重は30tもありました。特に、体重はブロントサウルスの2倍近くあり、身体の形状や骨格も少し異なります。
そして、一般に、私たちがイメージする「ブロントザウルス」は、このアパトサウルスのことなのです。ですから、歌詞の中の「ブロントザウルス」については、現在ブロントサウルスと呼ばれている小型の種ではなく、ガッシリとしたより巨大な胴体に細長い尾と首のついた超大型恐竜アパトサウルスが、のっしのっしと地上を歩いているイメージで、頭に思い描くと良いでしょう。
一方、イグアノドンは、ブロントサウルス、アパトサウルスが姿を消した後の中生代白亜紀前期に生息していた鳥脚類の草食恐竜で、身長は7〜9mほどと、ブロントサウルスと比べても、ずいぶんと小柄です。
イグアノドンは、鈍重で巨大な竜脚類の恐竜たちより後に進化した、より新しい種で、後脚が発達した二足歩行の可能な恐竜なのです。普段は四本脚で歩きましたが、急ぐ時は、後脚だけで走ることができました。身体の動きも、「ブロントザウルス」より、はるかに俊敏であったと考えられます。


🌟また、アンモナイトは、4億4400年前の古生代オルドビス紀末(O-S境界❷/古生代オルドビス紀とシルル紀の境目)の大量絶滅💀(カタストロフ/当時、棲息していた種の85%が死滅)の後、およそ4億年前、古生代のシルル紀末期か次のデボン紀初期に出現した頭足類(イカ・タコの仲間/オウム貝の仲間ではない)の生き物ですが、貝のような硬い殻を持ちます。
初期型のアンモナイトは、およそ3億7400年前(F-F境界❸)、古生代の半ば、デボン紀後期に起こった、地球上の生物種の82%を死滅させたカタストロフ(大量絶滅💀)を生き延び、次のペルム紀にかけて繁栄しました。
しかし、およそ2億5100万年前(P-T境界❹/古生代と中生代の境目)、古生代最後のペルム紀の末期に、地球史上最大規模のカタストロフ(大量絶滅💀)が、パンゲア超大陸の誕生と分裂に伴う地殻変動と大火山活動によって起こり、全生物種の95%が絶滅しました。さすがに、この時には、古生代型のアンモナイトのほとんどの種が絶滅しました。また、古生代の示準化石である三葉虫は、このカタストロフ💀によって、完全に絶滅してしまいました。
しかし、一部のアンモナイト種は、この壊滅的なカタストロフ💀を生き延び、次の中生代に入って三畳紀に繁栄しました。そして、この中生代三畳紀中期、およそ2億3000万年前に、この繁栄種を母体として出現したのが、私たちのよく知っているタイプの有名な「アンモナイト」です。
この代表種の「アンモナイト」は、およそ2億年前(T-J境界❺/三畳紀とジュラ紀の境目)に、すべての生物種の76%を絶滅させたカタストロフ(大量絶滅💀)をも生き延び、広く世界中の海に分布しました。こうして「アンモナイト」は、中生代末まで、三畳紀・ジュラ紀・白亜紀と、およそ1億6000万年の長きにわたって繁栄したのです。そのため、この「アンモナイト」種は、中生代の示準化石とされています。
しかし、およそ6550万年前(K-Pg境界❻/中生代と新生代の境目)、白亜紀の末に、ユカタン半島に直径10kmの巨大隕石💥が落ちた影響から、広島型原爆10億倍のエネルギーが生じ、マグニチュード11以上の地震、高さ300m以上の津波に続いて、およそ10年に及ぶ「衝突の冬」現象が起こりました。空中に浮遊する火山灰によって日光が遮られ、気温は低下し、火山灰硫酸酸性雨が海洋や大地に降り注ぎました。このカタストロフ(大量絶滅💀)によって、地球全体で、恐竜、アンモナイトなどを含む75%の種が絶滅し、99%以上の個体が死滅したのです。
この、顕生代(5億4500万年前『V-C境界❶/原生代と古生代の境目』のゴンドワナ超大陸の生成と分裂に伴うカタストロフ💀以降の時代)では最大の隕石衝突💥が引き起こしたK-Pg境界❻のカタストロフ💀によって、中生代の王者〝恐竜〟は、地上から姿を消しました。大変有名なサイに似たツノを含む三本の角を持つ草食恐竜(角竜類)のトリケラトプスや史上最大最強の肉食獣として恐竜の代名詞ともなっている二足歩行(獣脚類)のティラノサウルスなど、最後の恐竜種が絶滅したのです。
同時に、デボン紀後期(F-F境界❸)、ペルム紀末(P-T境界❹)、三畳紀末(T-J境界❺)と、古生代から中生代にかけて、三度のカタストロフ💀を生き延びたアンモナイト種も、この白亜紀末(6550万年前/K-Pg境界❻)のカタストロフ💀によって、完全に死滅してしまい、3億年を超える種の歴史に幕を閉じました。
こうして、この白亜紀末のカタストロフ💀による生物多様性の激減と地球環境の激変が、大型爬虫類全盛の〝中生代〟を終わらせ、次の〝新生代〟において、哺乳類の発達と繁栄を促すきっかけとなったのです。
〝やつら(人類)の足音👣〟が、だんだん近づいてきました。


✨さて、この、アンモナイトと恐竜を滅ぼしたとされる、中生代末(白亜紀末/6550万年前/K-Pg境界❻)のカタストロフ💀を引き起こした隕石(直径10kmの小惑星)衝突💥跡の巨大クレーター(チクシュルーブ・クレーター③)が、メキシコのユカタン半島で発見されたのは、1978年のことでした。奇しくも、園山俊二さんが「やつらの足音のバラード👣」の詞を書いた、そのわずか4年後のことです。
直径10kmの隕石というのは、直径1万mの隕石ということです。この隕石が海水面に接した時の高さは、高度8848mのエベレスト山を超えます。下手をすると、高度1万m付近で巡行するジェット旅客機が激突する可能性すらあります。
この、とてつもない超巨大隕石が、秒速20kmのスピードで地表に激突したのです。この時、生じたクレーターの直径は当時300kmに及び、現在までに知られている、隕石衝突で生まれたクレーターとしては、地球上で2番目という規模のものです。この衝突のインパクトはマグニチュード11以上、そのエネルギーは広島型原爆の10億倍で、生じた津波の高さは300mと推定されています。
そして、史上最大のクレーターは、南アフリカにある直径50kmのフレデフォート・ドーム①を中心とする直径190kmの隕石痕跡です。このクレーターは、およそ20億2300万年前の直径12kmの巨大隕石の衝突💥によって生まれました。この衝突のインパクトはマグニチュード14、そのエネルギーは広島型原爆の58億倍であったと考えられています。現在は侵食によって小さくなっていますが、20億年前、衝突当時のフレデフォート・ドームは、直径300km以上あったと考えられています。この時、現在の南アフリカの産物である金やダイヤモンドの鉱床ができたのです。
史上3番目のクレーターは、カナダにあるサドベリー・クレーター②ですが、現在では、実際には、その痕跡であるクレーター跡があるだけです。およそ18億5000万年前の直径10kmの巨大隕石の衝突💥によって生まれたもので、当時のクレーターの直径は200〜250kmと推定されています。この時の衝突によって生じたマグマによって、現在のサドベリーの産物である銅やニッケルの鉱床が生まれたのです。
これら、3つの隕石衝突を合わせて「三大インパクト」と呼びます。そのうち、最大規模のクレーターであるフレデフォート・ドーム①と3番目の規模のサドベリー・クレーター②は、どちらも先カンブリア時代(陰生代/古原生代)にできたもので、2番目のチクシュルーブ・クレーター③だけが、唯一、比較的最近の顕生代(肉眼で見える生物が生息している時代)のものです。
しかし、これら3つのインパクトによって起こった破壊的な気象変動は、どれも地球生命の進化に大きな役割を果たしたことが、次第に明らかになってきています。
例えば、フレデフォート・ドーム①を生んだ最初の小惑星衝突の影響によって、20億年前に、ミトコンドリア、葉緑体と共生する真核生物が誕生したと考えられています。
隕石が落ちなければ、〝やつらの足音👣〟が近づいてくることもなかったということです。


💫ところで、2015年に、オーストラリアで、3億年以上前の巨大な隕石衝突💥の痕跡が発見されました。クレーターの直径は400kmで、落下した隕石は、空中で二つに分裂したものの、それぞれの隕石は直径10kmであったとされます。これほどの巨大隕石の衝突が、大量絶滅(カタストロフ💀)を起こさないわけがないので、正確な衝突年代の確定が待たれます。
このクレーターについて、もっとはっきりしたことがわかってくれば、そのうち「4大インパクト」と呼ばれるようになるかもしれません。
💫2024年9月の発表では、このオーストラリアの超巨大隕石衝突💥によるクレーターは直径600Kmにも及び、衝突年代は5億4500万年前のV-C境界と一致すると分かりました。先カンブリア時代のエディアカラ動物群を死滅させ、その後の生命大進化「カンブリア爆発」の契機となった大量絶滅は、フレデフォート・ドームを超える、この史上最大の隕石衝突によって起こったことが明らかになりつつあります。


🌠また、地球史上の大量絶滅についてですが、先カンブリア時代(原生代/陰生代)には、前述した二度の巨大隕石衝突による絶滅の前後に、スノーボールアース(全球凍結)現象❄️による微生物の絶滅が起こっています。
スノーボールアース現象❄️というのは、地球全体が、火山の噴火口付近を除いて、赤道付近から深海まで、全面的に凍結してしまう事態です。当然、地球上の生命の大部分は死滅してしまいます。
最初のスノーボールアース現象❄️は、およそ22億年前のことです。光合成によって酸素を排出するシアノバクテリア(藍藻細菌)の発生と繁殖によって、大気中の二酸化炭素が大量に消費された結果、急速な気温の低下が起こり、全球凍結に至りました。その後、火山活動によって、大気中に二酸化炭素が再び増え、温室効果で、再び気温は上昇しました。この過程が、嫌気性の原核生物を死滅させるとともに、生命の進化を促進し、地球上に酸素呼吸をおこなう真核生物が出現しました。
さらに、前述したように、およそ20億年前と18億5000万年前の隕石衝突💥と大量絶滅を経て、ミトコンドリア、葉緑体を取り込んだ真核生物が登場します。
上記したように、スノーボールアース現象❄️の原因は、光合成を行う藍藻細菌の増加によって大気中の酸素濃度の上昇と二酸化炭素量の減少が起こり、温室効果が阻害されたことです。こうした事態は、実は、地球史上では、しばしば起こっています。
そして、およそ7億年前に、地球は2度目の全球凍結❄️に陥ります。さらに6億年前には3度目の全球凍結❄️が起こりました。この2回の全球凍結による大量絶滅を経て、海中の高濃度の酸素から、細胞接着剤となるコラーゲンを生成する生物が現れ、原生代末の多細胞生物の出現と繁栄を促しました。


🌌そうした先カンブリア時代(原生代/陰生代)の絶滅は別にして、古生代以降(顕生代)に起こった5つの代表的な地球生物の大量絶滅💀(カタストロフ)は「ビッグファイブ」と呼ばれています。それに、最近判明したもう一つの大量絶滅💀(V-C境界❶)を加えて、顕生代の主なカタストロフは次の6つです。


❶V-C境界(5億4500万年前)/原生代末(原生代エディアカラ紀と古生代カンブリア紀の境目)/超巨大隕石衝突💥を契機とするゴンドワナ超大陸の形成・分裂に伴い、深部マントルが上昇して地表に現れたことによる超巨大噴火(スーパープルーム🌋)が起こり、大気中の二酸化炭素濃度が急上昇し、低酸素化と温暖化を招く/厚さ数mmで体長数十cmにも及ぶ、骨格を持たないクラゲ状・パンケーキ状の軟体性動物であるエディアカラ生物群(最古の多細胞生物)の死滅→三葉虫など外骨格をまとったさまざまな種の生物の発生(カンブリア爆発)


❷O-S境界(4億4400万年前)/古生代オルドビス紀末(オルドビス紀とシルル紀の境目)/太陽系近傍の重力崩壊型超新星による大気中オゾン濃度の急激な低下によって、突然の寒冷化が進み、当時、南極に位置していた大陸の氷河の急速な発達と海水面の低下が起こり、その後、温暖化による氷河の急速な消滅、および海水面の急上昇が生じた/生物種の85%が死滅→三葉虫の衰退とサメなど軟骨魚類の発生、アンモナイトの誕生、昆虫の発生、最古の陸上植物の出現


❸F-F境界(3億7400万年前)/古生代デボン紀後期(デボン紀後期のフラスニアン期とファメニアン期の境目)/太陽系近傍の重力崩壊型超新星による大気中オゾン濃度の急激な低下が起こり、寒冷化と乾燥化による海水面の後退と藻類の大繁殖による海洋無酸素事変、その後の急速な温暖化による海面上昇が生じた/生物種の82%が絶滅→シーラカンスなどの硬骨魚類の発生、維管束の完成、シダ植物の発達、昆虫の巨大化、両生類の発生、三葉虫の復活、爬虫類の発生


❹P-T境界(2億5100万年前)/古生代ペルム紀末(古生代ペルム紀と中生代三畳紀の境目)/南極にあったゴンドワナ大陸の北上に伴う激しい気温上昇があり、さらに、深部マントルの上昇と地表表出(スーパープルーム🌋)によって、シベリアで直径1000kmの噴火口を持つ超巨大火山により噴火(その跡をシベリアントラップと呼ぶ)が起こるなど、地球史上最も激しい火山活動があり、オゾン層を破壊するとともに、パンゲア超大陸を生成させ、二酸化炭素が増大して温暖化と貧酸素化がすすみ、その後、二酸化炭素の大量消費から地球規模の寒冷化をまねいた/フズリナや三葉虫など古生代型の生物種の95%が絶滅→セラタイト型アンモナイトの爆発的増加、二枚貝の発達、ワニ、カメ、恐竜、哺乳類の出現、裸子植物の発達


❺T-J境界(2億年前)/中生代三畳紀末(三畳紀とジュラ紀の境目)/カナダにある直径100kmのマニクワガン・クレーターをつくった直径5kmの隕石衝突💥(2億1500年前)と、海洋無酸素化、パンゲア超大陸の分裂に伴う火山活動による溶岩噴出と、それによる二酸化炭素濃度の急上昇/生物種の76%が絶滅→温室効果による気温上昇と巨大化した恐竜の繁栄、始祖鳥の発生、裸子植物の繁栄と被子植物の出現、プランクトンとアンモナイトの繁栄


❻K-Pg境界(6550万年前)/中生代白亜紀末(中生代白亜紀と新生代古第三紀の境目)/ユカタン半島のチクシュブール・クレーターを生んだ直径10kmの隕石衝突💥の引き起こした「衝突の冬」による寒冷化と、隕石衝突の影響から起こったデカン高原の大噴火(その跡がデカン・トラップ🌋と呼ばれる)による温暖化/アンモナイトや恐竜など生物種の75%が死滅→魚類、鳥類、哺乳類、被子植物の繁栄


✴️一方で、現在、生物種の70〜80%を死滅させる7番目のカタストロフ💀が始まっているという説があります。原因は、人類の異常な発達による気候変動と生態系の破壊によって起こりつつある生物多様性の激減です。これを「新生代第四紀の完新世末カタストロフ💀」と呼ぶ向きもあります。今回は、隕石でもマントルでもなく、〝やつら〟自身が引き起こす大量絶滅💀です。
このカタストロフ💀の兆候は、気候変動や自然破壊にだけ現れているわけではありません。私たち、人類の社会にも、そして、個々の人間精神にも、その兆候は見られます。
今、私たちの社会は、差別と支配と虐待、対立と不調和、無関心と相互不信に満ちており、人間精神は麻痺と妄想、依存と虚無、利己心と被害者意識の中に埋没し、誇大自己愛症候群に陥った人々で溢れています。それは、例えてみれば、聖書のロトやノアの話、ドストエフスキーの「罪と罰」の最後の部分で、主人公が夢に見る人類の終焉の物語などで、予言的に描かれてている事態の到来のようにも思えます。


☪️最後に、
「やつらの足音のバラード👣」を聴いたことがない人は、ともかく、一度、曲を聴いてから、再度、この記事を読んでみてください。
これまで、あなたの抱いていた世界観が、少し変わるかもしれません。













日本では、週刊ポスト(小学館)の「韓国なんて要らない」特集記事やTV番組「ゴゴスマ」での武田邦彦氏の「韓国人男性が日本人女性を暴行するなら、日本人男性も韓国人女性を暴行しなけりゃならん」発言が、韓国へのヘイトを助長する発言であるとして、一部左派メディアや左派文化人たちに激しく批判されている。
内田樹氏は「今後、小学館の原稿依頼は断る」と宣言、柳美里氏は「在日の人たちがどう感じるか考える想像力もないのか!」と非難した。さらに青木理氏は「大手メディアまでが、最低最悪と言っても言い足りない、クズのレイシズム扇動ヘイトの病に冒されいる」と警告する。
週刊ポストは謝罪し、TV番組の方も「出演者のヘイト発言は容認できない」として、やはり謝罪したかたちだ。
こうした謝罪に関して「ちょっと抗議されたくらいで、簡単に意見を取り下げて謝罪するぐらいなら、初めから何も言うな」「調子に乗って『ちょっと言ってみただけ』という程度のなんの覚悟もない無責任な発言・表現をするぐらいなら、日韓問題に首を突っ込むな!」「それ相応の腹を括って戦う覚悟あっての発言でないのならば、日韓問題に関して、初めから何も言うべきではない」という意見は、小林よしのり氏、内田樹氏をはじめ、右派左派共に多数いらっしゃるが、これは当然の言説だろう。「本気でないことを言うな!」「メディアが言葉を軽んじてどうする!」ということだ。それは、長い目で見れば、メディアの自殺行為であると同時に、メディアの亡国への加担でもある。
一方で、武田氏は、自身の発言について「日韓融和のために感情的に突き合うのはやめよう」という意図で、「物事は、そうなるから、ああいう韓国の事件はだめだ」と発言の直後に続けて話していることを指摘して、「発言の趣旨を、一切、考慮せず、セリフを切り取って、他人の揚げ足取りに大騒ぎするのはいかがなものか」と憤慨している。
また、週刊ポストの謝罪を「まったく必要ない」とし、「『韓国要らない』は、表現の自由の範囲内だ」と主張するのは、小林よしのり氏である。小林よしのり氏は、「『韓国無謬論』に脳内汚染されている青木氏ら極左知識人たちが、言論の不自由を拡大させている」と批判した。
さらに、「『韓国要らない』はヘイト、『日本死ね』は流行語大賞という、この国の文化人やメディアの反日ダブスタ(二重基準)にはウンザリ」と、左派のヘイト批判のあり方がおかしいと非難するのは有本香氏だ。
ところが、左派は「韓国が日本に対して多少のヘイト表現をするのは許されるべきだが、日本は韓国にヘイト発言をしてはならない」「なぜなら、いわゆる『戦犯国』であり加害者である日本の立場と、被害者である韓国の立場を、同列に考えるべきではないからだ」と主張し、「日本と韓国の立場の違いは、当然の〝非対称性〟である」「したがって、日韓の対立は、長期的には日本の敗北に終わる」と、韓国の立場の〝正当性〟を擁護する。
そのまた一方で、「韓国の『No Japan(日本要らない)』活動の展開による日本製品不買運動・日本旅行自粛運動は、広範囲でしつこく、国民的で根深く、エスカレートするばかりで、それに対する批判は韓国内でほとんど出てこないが、日本の方では、それに呼応する韓国製品不買運動など聞いたことがない。それどころか『No Korea(韓国要らない)』と、一部メディアがちょっと表現しただけで、蜂の巣をつついたような大騒ぎになり、左派から袋だたきにあっている。この現状は、日韓の非対称性が、それぞれの国内問題において、真逆のベクトルで必要以上に強力に働いている状態と考えられる。そして、日本においては、むしろ、自然で必然的とも思える韓国批判のもっともな言論に対して、リベラル左派による不自然で非理性的で独善的な言論弾圧が行われている」という批判もある。
こうして、例によって、左派からも右派からも、互いに非難の応酬が続いており、互いの反発はますます激しさを増している。


しかし、私としては、そういった日本国内の小さな対立よりも、もっと視野を広げて、日韓対立の問題を、全体として考えるべきだと思うのだ。その手始めとして、こうした両国間の相互ヘイトの実態について、また、日韓の社会におけるヘイト認識のあまりの違いについて、若干の指摘をしておきたい。
ということで、まずは、お隣の韓国の日本へのヘイトの状況に目を向けてみよう。
例えば、「独島消ゴム」というものがある。ところが、この消しゴムに印刷されているのは、日本列島の地図だ。「独島が韓国領であることを認めないなら、日本列島を消してしまおう」という趣旨で販売していると、製作者である文房具店主は朝鮮日報の取材に答えている。
しかし、朝鮮日報の記事では、そうした店主の態度についての批判の記述は見受けられない。ただ、事実を紹介しているだけである。
また、2012年に完成したソウル市の市庁舎は、通称〝ツナミ〟と呼ばれている。日帝時代に建設されて、ついこの間まで市庁舎として使用されていた建物(現図書館)を襲う津波のように見える形状に建てられたビルである。設計者は「そのように見えるなら成功だ、そういう意図で設計したし、そう見えるのが醍醐味だ」と、朝鮮日報の取材に対して答えている。設計の時期は、3.11の直後である。
ところが、この記事でも、朝鮮日報は、この〝ツナミ〟ビルの設計者を全く非難していない。ちなみに、新宿のコリアセンターの建物も、このソウル市庁舎によく似た〝ツナミ〟型の建築物である。「いくらなんでも、日本にまでつくるか?」と、首を傾げざるを得ない。度を越しているというべきか、あるいは度胸がある、というべきか……。
また、韓国の実相寺の鐘は、一度打つと、100メガトンの力で富士山を殴るのと同じ効果があると言われている。今も、毎日、多くの韓国人が、この鐘を打って、「日本よ崩れ落ちろ!」と呪詛している。
しかし、これらの明らかなヘイト行為について、「日本へのヘイトであり、あまり感心しない」というレベルのおとなしい批判さえも、韓国国内では、一切聞かれない。
つまり、韓国では、「日本列島を消してしまえ!」「津波よ、日本を飲み込め!」「富士山をぶっつぶせ!」という表現は、社会的にヘイトであるとはまったく認識されていないのである。
だから、3.11の時には、隣国の未曾有の災害のニュースを見て、韓国中で「バンザイ!」の声が響き渡ることになる。そして、日本が台風や地震に襲われるたびに、「日本よ、災害で苦しめ、思い知れ、沈め!」と、国中に歓喜の声が満ちあふれるのだ。それを、誰も止めようとしない。
さらに、韓国最大のプロテスタント教会の牧師が「3.11は、日本への神の罰が下ったのだ」と、全国の信者たちに向けて演説しても、その発言への批判は、どこからも聞こえてこない。
なぜこうなるのか。韓国側は、歴史認識がどうとか、過去の反省がないとか、独島がどうしたとか、いろいろ理屈をこねて、反日する自己の正当化に熱心だが、要するに「日本は絶対悪で、韓国は絶対善だから、韓国は日本に何をしても許される」という認識が、韓国社会に蔓延・浸透しているためであろう。
このように〝反日種族主義〟が支配的な韓国では、日韓歴史認識問題について事実に基づいた正しい認識を著した本(「反日種族主義」)に対して、事実上の政権ナンバー2として現法務長官(9/9就任)であり、文在寅の後継者として次期大統領の有力候補である公的な人物(チョグク氏)が、「吐き気がする本」と述べ、それが報道されても、反日の言葉なので、世間的に全くヘイトとは認識されていない。かえって「よく言った!」と支持率が上がるほどだ。
残念ながら、韓国では、反日ヘイト言動は、国民に歓迎され、支持率アップにつながるのである。
このような韓国の反日の現状に対して、多くの日本人が嫌悪感を抱くのは、ある意味、無理もないというか、致し方のないところである。


百歩譲って、「韓国要らない(No コリア!)」は、韓国へのヘイトだとしよう。そうすると、当然、ソウル市庁舎「ツナミ(通称)」は、日本へのヘイト建築物である。
しかし、日韓のヘイトへの反応は、全く異なる。日本では、韓国への週刊誌のヘイト記事「韓国要らない!」は、左派から強烈に非難されているが、韓国では、日本へのソウル市当局による公的なヘイト「日本は津波にのまれろ!」は、左派からも右派からも非難されていない。
「日本は地震で沈め!」も「もう一度、核を落とせ!」も、韓国市民が好んで使用する表現であるが、これもヘイトとして批判されることはない。「地震や津波の被害者、被爆者を思いやれ!」とは、韓国内ではもとより、日本に住む在日の人ですら誰も言わない。柳美里氏も言わない。
韓国で毎年何本も製作・上映されている史実を捻じ曲げた歴史捏造映画、例えば「鬼郷」や「軍艦島」などは、完全に反日ヘイト映画である。しかし、これらのフィクション(脳内妄想ファンタジー)映画も、韓国ではヘイトと認識されていない。
韓国民の過半数にまで広がった『No Japan』デモについても、韓国内で「No Japanを掲げるのは日本へのヘイトだ!」「日本へのヘイトはけしからん!」と批判する人はいない。
韓国社会全体が、歴史の捏造に関して、反日無罪の意識に支配されており、この状況を的確に批判する言論(「反日種族主義」)は、「吐き気がする(チョグク)」と公的に非難され、「名誉毀損」の罪で訴えられて有罪(「帝国の慰安婦」)となり、公的に罰せられる。また、メディアからも総攻撃を受け、有罪とならなくとも、社会的に抹殺される可能性が高い。社会的にも「親日は利敵、反日は愛国(チョグク)」という同調圧力が激しい。
21世紀に入ってから、盧武鉉時代に排斥や財産没収や名誉剥奪のための「親日派辞典」をつくり、半世紀以上前の5千名の対日協力者を断罪し、その子孫にまで「親日派狩り」の迫害を及ぼし、日本語排斥と国語の〝純化(!)〟のために「日本語由来語彙資料」を発表し、政府が日本語由来外来語の排斥を強力に推進する。
これは例えば、戦時中に、日本が英語由来の語彙を敵性言語として日本語に置き換えた状況に似ている。
どうも、韓国では、「反日は愛国の証拠であり、反日をしないのは非国民の証拠である」という社会的同調圧力が、あまりにも強くなっているようだ。そもそも、政府高官の立場にある人間が、堂々とそうした言動を公表できる土壌がすでにある。しかも、そうした言説に反発するメディアや批判的な言論は、残念ながら、韓国には、どこにも存在しない。むしろ、「韓国では、反日不買運動や日本旅行自粛に参加するのは、道徳的に良いこと」なのである。「日本料理店に入ることさえ後ろめたい」というのである。
さらに、韓国では「今回の日本との経済戦争の責任は、最高裁の徴用工判決で、個人賠償を認める判決を促した文在寅政権の責任であり、そもそも日本との戦争に勝てるわけがない」「南北融和政策も間違っている」と歴史の授業で話した高校教師が授業から排除された。生徒が録音して、釜山の教育庁に訴えたためだという。すごい話である。
しかし、日本では、「嫌韓は愛国の証拠であり、嫌韓でなければ非国民である」という社会的同調圧力は、さすがに存在しない。「嫌韓流は、韓流好きを黙らせる力はなく、国民の嫌韓意識は、そのヘイト意識に反発する勢力と拮抗しているし、凌駕されることもしばしばだ。
また、もし、万が一、政府高官が「嫌韓しないのは利敵行為」などと言ったならば、メディアの総攻撃を食らって、すぐに謝罪に追い込まれることは間違いない。たとえ嫌韓意識を持つ人であっても、そこまで赤裸々なヘイト発言はよろしくないだろうという良識の方が強いのだ。もちろん、「韓国製品不買運動や韓国旅行自粛に参加することは、道徳的に良いこと」という社会的イメージも存在しない。「韓国料理店に入りにくい」という意識もない。その点では、韓国と全然違う。
この、あまりにもいびつな日韓のヘイト認識の不均衡の問題について、日本の良心的な左派の知識人たちは、なぜか、まったく問題にしていない。日本の左派メディアも、一切、批判的な報道をしない。
日本のメディアは、韓国の「No Japan!(日本要らない!)」について批判しないどころか、「あれはNo アベの意味らしいよ」「明洞ではNo Japanの旗がすぐ取り去られたよ」と韓国擁護に終始するばかりなのだが、その一方で、日本国内での「韓国要らない!」に対しては、猛烈な非難の大合唱となる。青木理氏とか玉川徹氏の言い分など聴いていると、なんだか、韓国のメディアに追従しているようにしか見えない。
当然、青木氏らは、「『親日』が『非国民』の意味にしかならないなんて、韓国は一体どういう国なんだ!」「この時期に竹島で軍事演習するとか、日本をどこまでも仮想敵国扱いか!」「慰安婦像、徴用工像と、勝手な妄想で日本を非難し続ける韓国は、骨の髄まで反日ヘイト国家ではないか!」「『親日はダメだが用日は必要(隣国を道具扱い?)』って、どういう意味だ!」「こんな奴らに日本を利用などさせてたまるか!」などとは、地上波で決して非難しない。
そういう彼らの姿勢を見ていると「左派の人たちって、日本人でありながら、よほど日本が嫌いなのだろうな」と確信せざるを得ない。彼らの言説の偏りに、日本への憎しみを強く感じてしまうのだ。


そもそも「この〝非対称性〟は当然で完全に正しい」と主張するのが、日本の多くの良心的知識人の基本的な立場だ。「日本は戦犯国だから、韓国に何を言われても仕方がない」と言うのだ。青木氏の論理もそうである。
しかし、朴槿恵氏や文在寅氏が言うように「戦犯国という立場は、千年経っても変わらない」というなら、世界中の先進国は、ほとんど戦犯国である。
インドは「イギリス滅びろ!」と言っていいし、ポーランドは「ロシア滅びろ!」と言っていいということになる。チベットやウイグルは「中国滅びろ!」と言っていいということだ。
国と国の関係における〝非対称性〟など持ち出せば、世界中に対称な国同士などどこにもないことになる。
「非対称だから、一方のヘイトは許されて、他方のヘイトは許されない。」そんな奇怪な言論が、どこの世界に通用するというのだ。たわごともたいがいにして欲しいものだ。
百歩譲って、日本が戦犯国だとしよう。しかし、当時、韓国は、日本の一部であり、韓国人も、徴兵ではなく志願兵として、戦場で、日本兵として、あるいは日本軍将校として戦っていた、あるいは軍属として戦争に協力していたのであって、当然、朴正煕大統領含めて、彼ら韓国人の軍人・軍属たちも戦犯である。
さらに、韓国は、1960年代には、ベトナムへの出兵を行ない、一般市民に対する数々の虐殺・強姦・拉致といった数々の残虐行為を行ったことで知られている。
韓国軍の民間人暴行による被害は、少なく見積もっても、数十万人に及ぶ。強姦されたベトナム人女性の産んだ混血児たちの数だけで1万人に及ぶと言われる。犯されて生き延びた女性は数少なかったと言われていることから、虐殺された女性の数は、少なく見積もっても、その数倍、3万人はくだらないだろう。老若男女合わせれば、10数万人の民間人が虐殺されたと考えられる。
一方で、ベトナム中部の村々での虐殺数の記録として残っている老若男女の民間人虐殺数は、わずか9000人ほどであるが、「村を丸ごと焼き払って皆殺しにして地上から消滅させるのが韓国軍のやり方」という証言が多く残っていることからして、記録に残っている犠牲者数は、明らかに氷山の一角に過ぎない。
その意味では、独立後の韓国もまた、明白な戦争犯罪国家(戦犯)なのである。
加えて、済州島四三事件・保導連盟事件では、それぞれ8万人、110万人の民間人が、「共産主義者である」という名目で、女子供老人含めて、手当たり次第に韓国軍によって虐殺された。これらの前代未聞の〝自国民無差別大虐殺〟は、他国との戦争よりもっとひどい、カンボジアのポルポト派による自国民大量虐殺と並ぶ、空前絶後の国家犯罪である。
一方、北朝鮮の30〜200万人とも言われる人為的な大餓死(苦難の行軍)や恒常的な政治犯収容所での拷問・自殺・虐殺もまた、韓国よりもはるかに非道な国家的大虐殺である。北朝鮮では、今年も、農村部では、人為的な飢餓が広がっており、既に数万人が餓死しているとも言われる。
それに比べて、日本は、確かに日中戦争の戦犯かもしれないが、韓国や北朝鮮に対する侵略や大虐殺などは、まったくしていない。その意味で、日本が決して行ったことのない自国民への未曾有の大量虐殺を行なっている韓国や北朝鮮に、非難される筋合いはない。
「慰安婦狩りとか徴用工の強制連行とか、嘘ばっかりついて、自国政府の犯した犯罪的非道行為を覆い隠し、歴史を捏造して日本を悪者にし、自分の悪行から都合よく目を逸らし、妄想を肥大化させて、何もかも日本に責任転嫁するな!すべての悪を日本に押し付けるな!」と言いたい。
韓国側は、「日韓併合自体が非合法で無効な行為であり、それ以降の35年間の日本の無法な支配に対する慰謝料をよこせ」と主張しているが、そんなことを言ってしまったなら、イギリスの香港支配も、ポルトガルのマカオ支配も当然不法であるし、中国のチベット・ウイグル支配も不法である。ロシアのウクライナ・カザフスタン・バルト三国支配もそうである。
当時、日本の韓国併合は、国際的に合法だったのだ。


それどころか、文在寅氏やチョグク氏や和田春樹氏などは、「戦犯国日本の助けを借りて発展した韓国よりも、日本と敵対し続けた北朝鮮こそ国格が上であり、朝鮮半島統一の主体となるべきだ」と考えているようなのである。
その理由として、韓国の従北左派は「韓国は、戦中・戦前に日本の手先となって利益を貪った『土着倭寇(親日派)』の軍事政権による独裁国家だった」「北朝鮮こそが、朝鮮民族による正統性ある主体国家と言える」と主張する。
理屈としては意味が通るが、現実的には理解不能である。「日本の援助で経済発展を遂げた自由で豊かな民主主義国家である韓国より、残酷物語と貧困と飢餓と思想統制に満ち満ちた恐怖の王朝独裁国家である北朝鮮の方が、民族統一を主導するのにふさわしい」とは、どこをどうしたら、そういう珍妙な結論に達するのだろうか。本当に謎である。
現在、ソウル、釜山など、韓国の各自治体では、小中学校、高校で使用する日本製品の文房具に『戦犯企業』ステッカーを貼ることを促す条例が、次々と可決している。「貼るかどうかは、生徒たち(小学生・中学生・高校生)の意思で話し合って決めさせる」のだそうだ。「正しい歴史認識を養う機会にする」らしい。
校歌も国歌も親日派のつくった歌として変え、街路樹も親日派の植えた木として、引っこ抜き、通りの名も、親日派の命名した通り名として変更する。これまで、普通に韓国で使用されてきた、日本語由来の外来語を排斥する、いわゆる「日本語狩り」も盛んだ。
まさに、国を挙げての「No Japan!」運動の展開による反日洗脳だ。
「親日残滓の清算」とは、何とも虚しく救いようのない妄想と虚構に満ちた〝理念〟ではないか。
さらに、そうした韓国左派の主張を擁護する和田春樹氏、植村隆氏、吉見義明氏、鳩山由紀夫氏、内田樹氏、青木理氏、玉川徹氏、保坂祐二氏(既に韓国に帰化)などの良心的日本人に関しては、不可思議な〝極左理念〟と〝反日情念〟に心を支配された奇妙な人々と評するほかない。
結果として、彼らは、日韓対立を煽り、韓国の混乱と没落に力を貸している。さらには、大韓民国が消滅し、朝鮮半島が、核保有の独裁国家として統一するという、東アジア地域にとって破滅的な未来を引き寄せているのである。
日本人として、あまりに残念な、そして、人類の未来にとって、迷惑千万な人たちである。
さらに、とりわけ、強調しておきたいことは、彼ら、良心的日本人の情念が、結果として、北朝鮮の人民にとって、不幸で残酷な状況を生み出し、それをいたずらに継続・悪化させているという事実である。
現在、北朝鮮の国境警備隊が、配給が途絶えてしまい、空腹を満たすために中国側の民家や農場を襲撃する事件が続発しており、中国の遼寧省や吉林省では、農民が自衛のために銃を常備し、警察や軍に警備の強化を要請している。つまり、北朝鮮側の農家では、とっくに食糧が尽きているということだ。そのため、侵入してくる北朝鮮軍と中国軍との交戦も発生しているという。北朝鮮内に、絶食地帯がどれほど広がっているのか、想像もつかない。
核兵器を開発できるほどの高度な技術を有し、豊富な地下資源と勤勉な国民に恵まれながら、自国民を平気で飢えさせ、飢餓を国民支配の手段とすることをためらわない独裁国家を擁護する、韓国や我が国の〝良心的知識人〟たちを、私は信頼しない。


断っておくが、私は朝鮮半島の統一について、それ自体を懸念しているわけではない。半島の統一、朝鮮民族の統一については、当然、民族の悲願として理解できるし、歓迎しない理由はない。
問題は、統一が北朝鮮主導で行われること、そして、反日独裁核保有国家としての統一朝鮮が生まれることなのだ。
その場合、日本もまた、自衛のために、核保有武装国家となることを、否応なく強いられることになるだろう。
2019年9月末現在、ソウルでは、連日、反文在寅派による「赤化統一、反対!」「文在寅out!」「チョグクを逮捕せよ!」デモと、親文在寅派大量動員による「チョグク守護!」「検察は引っ込め!」「自由韓国党を解体せよ!」デモが、入り乱れ、さらに反日団体が主導する「No安倍」「No Japan」デモが、少数ながらも存在する「文在寅は日本に謝れ!」「亡国的反日扇動はやめろ!」デモと激突する事態となっている。
韓国は、もう、何が何だかわからない。


最後に、今回も、例によって長々と語ってしまったが、要するに、私の言いたいことは、この一点にある。
「日本の週刊誌が『韓国なんて要らない』と特集記事を出すのは、日本人にとっても、韓国人にとっても、『決してあってはならないヘイト』とされる一方で、韓国人が『日本なんか要らない』と、行政を含めて大看板を掲げ、国民的に反日(No Japan!)デモや反日不買運動を続けるのは、韓国人にとっても日本人にとっても『ヘイトとはみなされない』という現状の認識のあり方」が、私には「とても正常には見えない」ということだ。
韓国側の日本ヘイトの象徴とも言える「慰安婦像」の日本での美術展展示に情念を燃やす日本のサヨクによる「慰安婦像」擁護の姿勢も、どうにも理解しがたい。
愛知県は、いったいどうなっているのだろうか。


思うのだが、日本在住の在日の方々は、とりわけ〝良心的韓国人〟の方々は、どうして「ライダイハン像」「洋公主少女像」「済州島四三事件少女像」「保導連盟少女像」を、世界中に建てないのだろうか。
特に、四三事件や保導連盟事件の当事者(被害者/生存者/生き証人)として日本に逃げてきた50万人の在日コリアンにとって、「済州島四三少女像」「保導連盟少女像」を建てることこそが、もっとも切実な問題ではないか。
「慰安婦狩り」とか「強制連行」とか「性奴隷」とか「奴隷労働」とか「慰安婦の多くは10代」とか、ありとあらゆる妄想の歴史に基づいて、反日ヘイトの「慰安婦像」「徴用工像」を建てるよりも、韓国人の良心に問いかける上で、はるかに正直で正統な行為ではないかと思うのだが。


1965年に朝鮮総連が撮影した筑豊炭田の徴用工についての映画で、労働者宿舎のハングルの「落書き」として紹介された言葉があった。
当時、強制連行された朝鮮人の14歳の子どもが書いたとされる「落書き」である。

お母さん会いたい
お腹がひもじいよ
故郷へ帰りたい

私自身も、この「落書き」については、中学生の頃から知っている。三光作戦や南京大虐殺について教えてくださった、とても熱心な国語の先生に、授業の中で教わったからだ。この私の恩師の国語の先生は、今でもご存命で、定年後も青少年の平和教育に打ち込んでいる、とても精力的な方である。老いてなお、意気軒昂で、矍鑠としていらっしゃる。
ところで、この筑豊炭田のハングルの「落書き」は、日本でも韓国でも、あまりにも有名なもので、長く、日本軍の強制連行の証であるとして、朝鮮人坑夫の悲惨な生活の証として、強制連行の悲劇を表すものとして象徴的に扱われてきた。教科書にも資料集にも載った。
ところが、2000年代になって、この「落書き」が、当時、映画の中で作られた〝演出〟だったということが判明した。
つまり、このドキュメント(?)に、より臨場感を出すために作られた小道具であり、言ってみれば〝捏造〟だったのである。
実際には、当時の坑夫の間で、朝鮮人と日本人の差別待遇などなかった。坑夫の中には、日本人より高給を取る者もいた。休日もあった。仲間と酒も飲んだ。日本人とも仲良くやっていた。だから、多くの坑夫は、終戦1年前に朝鮮半島で徴用が始まるずっと前から、自発的に出稼ぎに日本に来ている労働者の方が多かった。出稼ぎ9割、徴用1割である。
このドキュメント(?)に描かれている内容と史実はまったく異なっていた。
だから、この映画は、ある意味、朝鮮総連によるプロパガンダ映画だったわけだ。
しかし、当時、日本中の中学生が、このプロパガンダを、事実として教えられていた。私も、その一人だった。そして、若い頃に植え付けられた洗脳が解けるまでには、長い時間を要した。
教育というのは恐ろしいものだ。
韓国でも、ソウルの仁憲高校という公立の高校で、先生たちが授業の一環として、反日教育を行い、不買運動を礼賛し、「安倍自民党は滅びる」「倍返ししよう」などと反日スローガンを叫ばせる様子を、インターネット上に生徒が公開して「生徒は先生の洗脳の道具ではない」と抗議したものの、逆に学校挙げての虐めに晒されて、転校を余儀なくされている。
教育は本当に恐ろしい。

2019年7月26日から、ハワイのオアフ島ワイキキビーチに隣接する海辺に建つ老舗高級ラグジュアリー・リゾート・ホテル「ハレクラニ」初の海外進出による世界で二番目の「ハレクラニ」ホテルが、沖縄本島の恩納村いんぶビーチにオープンしています。
具体的に説明すると、国道58号線を那覇から名護方面へクルマで向かうと、右手に「希望が丘」という陳腐な名称の、ちょっとカルトな雰囲気のある新興の丘陵住宅街への入り口となる右折路があり、その横に「伊武部希望が丘入口」という名称のバス停があります。そして、ちょうど、その向かい側正面にあたる58号線の左手に、ホテル「ハレクラニ沖縄」の入り口があります。
このホテル、今、沖縄、特に恩納村では、かなり、注目のホテルとして、話題になっています。


ハワイの「ハレクラニ」の歴史は、1883年に、現在の「ハレクラニ」のある場所、ワイキキの浜に建てられた木造二階建てのビーチハウスに始まります。この建物の一部が、漁師たちに開放されていたことから、地元の漁師たちの間で「ハレクラニ(ハワイ語で『天国にふさわしい館』の意)」と呼ばれるようになりました。
1907年からは、この建物が、ホテルとして営業されるようになりました。1917年からは「ハレクラニ」がホテルの正式名称となり、1932年には、現在のハレクラニ本館が完成しました。
そして、1981年には、当時、木造2階建で老朽化が激しかった旧ハレクラニを三井不動産が買収し、ハワイ語のハレクラニ(天国にふさわしい館)という名にふさわしい施設に改修・再建し、高級リゾートホテルに生まれ変わらせたのです。
現在、ハレクラニ・コーポレーションは「帝国ホテル」と業務提携しており、今回、海外初進出による恩納村の「ハレクラニ」2号館ホテルの開設に際しても、その影響は大きいのではないかと感じます。
例えば、「ハレクラニ沖縄」の従業員の半数以上が、帝国ホテルはじめ、関東地域の高級ホテルなどから、なんと1.5倍の給料で引き抜かれたスタッフによって営業されています。従業員を厚遇することで、有能な人材を確保し、〝おもてなし〟を充実させるという方針のようです。
その結果、「ハレクラニ沖縄」は、世界的な観光地であるハワイのイメージと日本のホテル業のキメの細かい行き届いたサービスを融合したような素晴らしいホテルになっています。
同じお金をかけるなら、このぐらい質の高いサービスを提供する施設を、県内にもっと増やしてほしいものです。


配慮が隅々まで行き届いている分、料金もたしかに割高ではあります。
実際、今のところ、「ハレクラニ沖縄」の宿泊費は、ハワイの「ハレクラニ」を超えます。8月のシーズンなら、二人で一泊、ネットの格安料金でも最低8万5000円以上(オフシーズンの11月でも一泊4万円以上)という超高級リゾート・ホテルです。部屋の中には、一泊2人で60〜80万円という特別な部屋もあります。現在、沖縄でも最高級のホテルの一つです。
客層は、基本的に、日本人が多く、他のホテルでは目立つ中国人・韓国人の観光客が、ほとんど目立ちません。そのせいか、オープンしたばかりの夏休み、360ある部屋はほぼ満室で、子供づれも多い割には、ロビーやビュッフェ、プールなどが、非常に静かで落ち着いた様子です。大声で話す人がいないからです。
ロビーも、沖縄のリゾート・ホテルらしく、開放感ある開け放しのデザインで、屋外のプールやビーチとロビーが、見晴らしよく空間を繋げながら、それでも、しっかりクーラーが効いていて、沖縄の蒸し暑い真夏でも、とても、過ごしやすい設計になっています。屋外プールでも、西日が差さず、陽射しの強い夕方に比較的涼しいのも助かります。
一番気に入っているのは、車での利用のしやすさです。自家用車を直接ロビー玄関に乗り付けた後、駐車場までが非常に近いので、車を置いてきてから、ロビーまで歩く距離が短くてすみ、おかげであまり疲れません。
紫外線が強く、蒸し暑い沖縄の夏には、これが助かります。駐車場からの距離が長いと、たとえ、送迎のカートがあっても、なんだかおっくうになってしまうのです。
比較可能なホテルとしては、同じように本島西海岸のビーチに直接面しているオーシャンフロントの立地で、それなりの規模を持つ風格あるホテルとしては、ブセナテラス、日航アリビラ、万座ビーチ、ルネッサンス、シェラトン・サンマリーナ、オリオン、ハイアットリージェンシー瀬良垣、オクマ・リゾートなどありますが、それらと比べても、ハレクラニは、全体的なコンセプトやデザイン、サービスの質などの点で、ちょっと格が違います。


例えば、ホテルのロビーに隣接する一階にあるメイン・レストラン、オールデイ・ダイニング「House without a Key」についてですが、これが本当に素晴らしい。その料理の質において、県内のホテル・ビュッフェとして、現時点では抜きん出ており、その手間のかかった料理の美味しさは、圧倒的に〝沖縄一〟だと思います。
オススメは、10時〜14時までのブランチ・ビュッフェです。予約は必要ありません。価格は4500円と、ランチとしては高めですが、絶対に後悔はさせません。その特徴の一つは、素材の品質にごまかしがないということです。
まず、フルーツの質が段違いに違います。マンゴーは沖縄産の最高級品で、パイナップルも沖縄産の特級品ゴールドバレルです。酸味がなく、とにかく甘いです。加えて、極上のメロン、新鮮なラズベリー、キウイなどが並びます。
これらの新鮮なフルーツに、生ハムやボローニャ・ソーセージ、それにカマンベール・チーズやスモーク・チーズなど、数種類づつのハムとチーズを合わせて食すると、最高に楽しめます。ハムもチーズも、薄く食べやすい大きさに切り分けてあります。見た目にも美しく、心遣いを感じます。
そして、搾りたての生オレンジジュース、グレープフルーツジュース、ゴーヤーと豆乳のスムージーなど、飲み物も充実していて、こちらも、たった今、搾ったばかりというフレッシュさで、えぐみや苦みや酸味がまったくなく、とてもまろやかで美味しいです。
コーヒー、ティー、アイスクリームも、どれも、機械は使わず、すべて入れたて、作りたてです。蜂蜜も、巨大な蜂の巣から流れ出た天然蜂蜜を掬っていただくという趣向です。
並んでいるのが、手間をかけた手作りのものばかりで、ビュッフェすべてに作り手の心意気を感じます。
マグロやスモーク・サーモン、野菜なども、新鮮さが命という食材ですが、すべて、みずみずしい一級品ばかりで、一切、妥協していません。サラダのドレッシングも、作りたての新鮮なまろやかさで、手抜きがありません。ドレッシングに酢をほとんど使わないので、酸味が強くないのが、またよいのです。
デザートのココナッツケーキとマンゴーケーキは、まず、スポンジがふわっとしていて、食感が良く、クリームも程よい上品な甘さで、こちらも侮れない美味しさです。ビュッフェのデザートで美味しいと感じたのは初めてです。
炒め物では、沖縄料理のニンジンの炒め物(ニンジンシリシリ)が絶品です。魚料理も味が絶妙で、グルクンのマリネーや鯛の西京焼きが、飽きのこない味に仕上がっています。
また、レストランのソファーや椅子が上等なので、長時間座っていても疲れません。混み合っていても、比較的静かなので、読書しながら、くつろぎの時間を過ごすこともできます。
予算に余裕がない時は、12時以降は、ランチ・アラカルトもあるようです。ただし、メニューは、ディナーのアラカルトとは異なります。その内容については、残念ながら、まだ試していないので、何とも言えません。価格は、もちろん、ビュッフェよりはるかに安いです。ただし、飲み物と食事をとると、結局、3000円ぐらいになってしまうので、それなら、すべて込みのビュッフェの方がお得ではないか、と思います。


一方で、ブランチ・ビュッフェが終わった後の5〜11時までのディナーの時間帯のアラカルト・メニューでは、沖縄名物の「ソーキそば」が、おススメです。価格は1500円ですが、こちらも絶対に後悔させない一品です。
まず、濃厚なのに、あっさりしているシェフ自慢の豚骨のスープが、臭みのない究極のまろやかさです。そして、おソバにドンとのっているソーキ(豚の肋肉)煮込みと炭火焼のスペアリブが、とても柔らかく、味付けがよく、ボリュームがあって、食べ応えがあり、美味しいです。さらに、ジューシー(沖縄五目ご飯)と厚焼き卵とヒジキの煮物と香の物という付け合わせもセットになっているので、お腹がいっぱいになります。
おそらく、豚骨スープの量が少なく感じる人が多いかもしれません。その場合は、スープを追加で増やしてもらうことができます。
豚より牛という人には、牛リブロース・ステーキがよいと思います。価格は4800円と少々高めですが、肉は質がよく、量も手頃で、焼き方もソースも絶妙です。取り合わせのポテト・サラダも美味しいです。
その他、アラカルト・メニューでは、サラダも、おススメです。サラダにはパンが付きます。
ディナー・タイムには、(時間的に7時前であれば予約が必要になるとは思いますが)週に4日、夕方5時半から7時半まで3ステージ、地元沖縄のフラのミュージシャンやダンサーのショーを、西海岸の夕日をバックに観ながら、割安のアラカルト・メニューで、くつろいだ気分の夕食を楽しむことができます。
スタッフの対応が丁寧で、サービスがとても行き届いているので、ここは、本当に穴場だと思います。


このホテルは、上質の空間でありながら、客室数も多く、気取ってお高く止まるでもなく、人を排除しない気安さや居心地の良さも十分あります。
「〜お断り」という気取った排他的な雰囲気は微塵もありません。そこが、アロハ・スタイルというのでしょうか、開放的で、安心できて、非常に気に入っています。
今のところ、県内では、随一のおすすめホテルですね。


一つ、難を言えば、このホテルは、確かに〝おもてなし〟のサービスが行き届いているのですが、さて、それでは、「このホテルが沖縄にある意味は、何かあるのだろうか?」という点です。
アロハ・スタイルを楽しみたければ、本場のハワイに行けばいいのではないでしょうか。ハワイにハワイらしさが、今、果たしてどのくらい残っているのか、という点は別にしても、少なくとも、沖縄が、沖縄らしさを追求せず、安易に〝ハワイっぽさ〟を目指すことに、本当に意味があるのでしょうか。
沖縄にあって、東京のようなプロフェッショナルな〝おもてなし〟を受ける居心地の良さも、一時は気持ちの良いものですが、それだけで良いのでしょうか。
沖縄には、沖縄でしか味わえない〝らしさ〟が、あるはずです。それがなければ、いずれは観光客にも飽きられてしまいます。
〝沖縄らしさ〟とは何でしょう。
それは、商業主義に汚されていない、本来の沖縄独自の生活の中にあったものです。今、現在、私たちが失いつつあるものです。
時が止まったような、ゆったりとした空気感。おじい、おばあとの味わいのある会話。何気ない優しさやあったかさ。カメーカメー攻撃。不思議な安心感。ひとりでも、ひとりじゃないと感じるような、癒しの感覚。
それは、ゴルフ場とか、観光ビーチとか、プロ野球キャンプとか、イオンモールとか、ラグジュアリーホテルとか、カジノとか、水族館にはないものです。つまり、一般的な観光地や、一般に観光客がお金を落とす場所にはないものなのです。
「大きなお金が入る商売でなければ話にならない。」それが、時の流れ、〝時流〟であり、言っても仕方のないことなのかもしれません。けれども、沖縄が、沖縄であることを捨てるのは、長い目で見れば自殺行為ではないか、とも思うのです。



⭐️実際に泊まってみての感想ですが、想像以上に良かったです。
以下に気づいた点を記します。
①チェックアウトが12:00までなので、翌朝、まったく急ぐ必要なく、のんびり過ごすことができます。
②ボストンバッグなど、重い荷物はクルマまで運んでくれる上、クルマの移動もすべて任せられ、チェックインもチェックアウトも、ロビーで寛いだまま手続きできるので、とても楽です。
③キングサイズのベッドが、広々として余裕があり、また、それが部屋のスペースやデザインにもマッチしている上に、寝心地も適度な柔らかさで、想像以上に心地よく、完全に熟睡できます。
④浴槽のあるバスルームとリビングルームの間に壁がなく、全面可動式のドアを開け放つと、湯槽に横になりながら、外のオーシャンビューを眺めたり、テレビを見て寛ぐことができます。バスソルトがあるのも嬉しいです。
⑤リビングの床に柔らかい絨毯が前面に敷いてあり、空調も高性能なので、廊下やトイレやバスルームなどの床も、まったく冷たくないので、心地よく、リラックスできます。
⑥テレビは、40インチの大画面の壁付け薄型で、ベッドから正面の壁に据え付けられており、地上デジタルと衛星放送を、すべて観ることができます。
⑦十分な広さの清潔なウォークインクローゼットがあり、そのおかげで部屋が散らかりません。
⑧冷蔵庫にいろいろな種類の飲み物が入っていて、ホットコーヒーも、ワンタッチのマシンが付いていて、それらの飲み物が、すべてフリーサービスとなっています。
⑨照明が柔らかく、目にきつくない上に、ベッドの両側に操作ボタンがあって楽です。