日本では、週刊ポスト(小学館)の「韓国なんて要らない」特集記事やTV番組「ゴゴスマ」での武田邦彦氏の「韓国人男性が日本人女性を暴行するなら、日本人男性も韓国人女性を暴行しなけりゃならん」発言が、韓国へのヘイトを助長する発言であるとして、一部左派メディアや左派文化人たちに激しく批判されている。
内田樹氏は「今後、小学館の原稿依頼は断る」と宣言、柳美里氏は「在日の人たちがどう感じるか考える想像力もないのか!」と非難した。さらに青木理氏は「大手メディアまでが、最低最悪と言っても言い足りない、クズのレイシズム扇動ヘイトの病に冒されいる」と警告する。
週刊ポストは謝罪し、TV番組の方も「出演者のヘイト発言は容認できない」として、やはり謝罪したかたちだ。
こうした謝罪に関して「ちょっと抗議されたくらいで、簡単に意見を取り下げて謝罪するぐらいなら、初めから何も言うな」「調子に乗って『ちょっと言ってみただけ』という程度のなんの覚悟もない無責任な発言・表現をするぐらいなら、日韓問題に首を突っ込むな!」「それ相応の腹を括って戦う覚悟あっての発言でないのならば、日韓問題に関して、初めから何も言うべきではない」という意見は、小林よしのり氏、内田樹氏をはじめ、右派左派共に多数いらっしゃるが、これは当然の言説だろう。「本気でないことを言うな!」「メディアが言葉を軽んじてどうする!」ということだ。それは、長い目で見れば、メディアの自殺行為であると同時に、メディアの亡国への加担でもある。
一方で、武田氏は、自身の発言について「日韓融和のために感情的に突き合うのはやめよう」という意図で、「物事は、そうなるから、ああいう韓国の事件はだめだ」と発言の直後に続けて話していることを指摘して、「発言の趣旨を、一切、考慮せず、セリフを切り取って、他人の揚げ足取りに大騒ぎするのはいかがなものか」と憤慨している。
また、週刊ポストの謝罪を「まったく必要ない」とし、「『韓国要らない』は、表現の自由の範囲内だ」と主張するのは、小林よしのり氏である。小林よしのり氏は、「『韓国無謬論』に脳内汚染されている青木氏ら極左知識人たちが、言論の不自由を拡大させている」と批判した。
さらに、「『韓国要らない』はヘイト、『日本死ね』は流行語大賞という、この国の文化人やメディアの反日ダブスタ(二重基準)にはウンザリ」と、左派のヘイト批判のあり方がおかしいと非難するのは有本香氏だ。
ところが、左派は「韓国が日本に対して多少のヘイト表現をするのは許されるべきだが、日本は韓国にヘイト発言をしてはならない」「なぜなら、いわゆる『戦犯国』であり加害者である日本の立場と、被害者である韓国の立場を、同列に考えるべきではないからだ」と主張し、「日本と韓国の立場の違いは、当然の〝非対称性〟である」「したがって、日韓の対立は、長期的には日本の敗北に終わる」と、韓国の立場の〝正当性〟を擁護する。
そのまた一方で、「韓国の『No Japan(日本要らない)』活動の展開による日本製品不買運動・日本旅行自粛運動は、広範囲でしつこく、国民的で根深く、エスカレートするばかりで、それに対する批判は韓国内でほとんど出てこないが、日本の方では、それに呼応する韓国製品不買運動など聞いたことがない。それどころか『No Korea(韓国要らない)』と、一部メディアがちょっと表現しただけで、蜂の巣をつついたような大騒ぎになり、左派から袋だたきにあっている。この現状は、日韓の非対称性が、それぞれの国内問題において、真逆のベクトルで必要以上に強力に働いている状態と考えられる。そして、日本においては、むしろ、自然で必然的とも思える韓国批判のもっともな言論に対して、リベラル左派による不自然で非理性的で独善的な言論弾圧が行われている」という批判もある。
こうして、例によって、左派からも右派からも、互いに非難の応酬が続いており、互いの反発はますます激しさを増している。


しかし、私としては、そういった日本国内の小さな対立よりも、もっと視野を広げて、日韓対立の問題を、全体として考えるべきだと思うのだ。その手始めとして、こうした両国間の相互ヘイトの実態について、また、日韓の社会におけるヘイト認識のあまりの違いについて、若干の指摘をしておきたい。
ということで、まずは、お隣の韓国の日本へのヘイトの状況に目を向けてみよう。
例えば、「独島消ゴム」というものがある。ところが、この消しゴムに印刷されているのは、日本列島の地図だ。「独島が韓国領であることを認めないなら、日本列島を消してしまおう」という趣旨で販売していると、製作者である文房具店主は朝鮮日報の取材に答えている。
しかし、朝鮮日報の記事では、そうした店主の態度についての批判の記述は見受けられない。ただ、事実を紹介しているだけである。
また、2012年に完成したソウル市の市庁舎は、通称〝ツナミ〟と呼ばれている。日帝時代に建設されて、ついこの間まで市庁舎として使用されていた建物(現図書館)を襲う津波のように見える形状に建てられたビルである。設計者は「そのように見えるなら成功だ、そういう意図で設計したし、そう見えるのが醍醐味だ」と、朝鮮日報の取材に対して答えている。設計の時期は、3.11の直後である。
ところが、この記事でも、朝鮮日報は、この〝ツナミ〟ビルの設計者を全く非難していない。ちなみに、新宿のコリアセンターの建物も、このソウル市庁舎によく似た〝ツナミ〟型の建築物である。「いくらなんでも、日本にまでつくるか?」と、首を傾げざるを得ない。度を越しているというべきか、あるいは度胸がある、というべきか……。
また、韓国の実相寺の鐘は、一度打つと、100メガトンの力で富士山を殴るのと同じ効果があると言われている。今も、毎日、多くの韓国人が、この鐘を打って、「日本よ崩れ落ちろ!」と呪詛している。
しかし、これらの明らかなヘイト行為について、「日本へのヘイトであり、あまり感心しない」というレベルのおとなしい批判さえも、韓国国内では、一切聞かれない。
つまり、韓国では、「日本列島を消してしまえ!」「津波よ、日本を飲み込め!」「富士山をぶっつぶせ!」という表現は、社会的にヘイトであるとはまったく認識されていないのである。
だから、3.11の時には、隣国の未曾有の災害のニュースを見て、韓国中で「バンザイ!」の声が響き渡ることになる。そして、日本が台風や地震に襲われるたびに、「日本よ、災害で苦しめ、思い知れ、沈め!」と、国中に歓喜の声が満ちあふれるのだ。それを、誰も止めようとしない。
さらに、韓国最大のプロテスタント教会の牧師が「3.11は、日本への神の罰が下ったのだ」と、全国の信者たちに向けて演説しても、その発言への批判は、どこからも聞こえてこない。
なぜこうなるのか。韓国側は、歴史認識がどうとか、過去の反省がないとか、独島がどうしたとか、いろいろ理屈をこねて、反日する自己の正当化に熱心だが、要するに「日本は絶対悪で、韓国は絶対善だから、韓国は日本に何をしても許される」という認識が、韓国社会に蔓延・浸透しているためであろう。
このように〝反日種族主義〟が支配的な韓国では、日韓歴史認識問題について事実に基づいた正しい認識を著した本(「反日種族主義」)に対して、事実上の政権ナンバー2として現法務長官(9/9就任)であり、文在寅の後継者として次期大統領の有力候補である公的な人物(チョグク氏)が、「吐き気がする本」と述べ、それが報道されても、反日の言葉なので、世間的に全くヘイトとは認識されていない。かえって「よく言った!」と支持率が上がるほどだ。
残念ながら、韓国では、反日ヘイト言動は、国民に歓迎され、支持率アップにつながるのである。
このような韓国の反日の現状に対して、多くの日本人が嫌悪感を抱くのは、ある意味、無理もないというか、致し方のないところである。


百歩譲って、「韓国要らない(No コリア!)」は、韓国へのヘイトだとしよう。そうすると、当然、ソウル市庁舎「ツナミ(通称)」は、日本へのヘイト建築物である。
しかし、日韓のヘイトへの反応は、全く異なる。日本では、韓国への週刊誌のヘイト記事「韓国要らない!」は、左派から強烈に非難されているが、韓国では、日本へのソウル市当局による公的なヘイト「日本は津波にのまれろ!」は、左派からも右派からも非難されていない。
「日本は地震で沈め!」も「もう一度、核を落とせ!」も、韓国市民が好んで使用する表現であるが、これもヘイトとして批判されることはない。「地震や津波の被害者、被爆者を思いやれ!」とは、韓国内ではもとより、日本に住む在日の人ですら誰も言わない。柳美里氏も言わない。
韓国で毎年何本も製作・上映されている史実を捻じ曲げた歴史捏造映画、例えば「鬼郷」や「軍艦島」などは、完全に反日ヘイト映画である。しかし、これらのフィクション(脳内妄想ファンタジー)映画も、韓国ではヘイトと認識されていない。
韓国民の過半数にまで広がった『No Japan』デモについても、韓国内で「No Japanを掲げるのは日本へのヘイトだ!」「日本へのヘイトはけしからん!」と批判する人はいない。
韓国社会全体が、歴史の捏造に関して、反日無罪の意識に支配されており、この状況を的確に批判する言論(「反日種族主義」)は、「吐き気がする(チョグク)」と公的に非難され、「名誉毀損」の罪で訴えられて有罪(「帝国の慰安婦」)となり、公的に罰せられる。また、メディアからも総攻撃を受け、有罪とならなくとも、社会的に抹殺される可能性が高い。社会的にも「親日は利敵、反日は愛国(チョグク)」という同調圧力が激しい。
21世紀に入ってから、盧武鉉時代に排斥や財産没収や名誉剥奪のための「親日派辞典」をつくり、半世紀以上前の5千名の対日協力者を断罪し、その子孫にまで「親日派狩り」の迫害を及ぼし、日本語排斥と国語の〝純化(!)〟のために「日本語由来語彙資料」を発表し、政府が日本語由来外来語の排斥を強力に推進する。
これは例えば、戦時中に、日本が英語由来の語彙を敵性言語として日本語に置き換えた状況に似ている。
どうも、韓国では、「反日は愛国の証拠であり、反日をしないのは非国民の証拠である」という社会的同調圧力が、あまりにも強くなっているようだ。そもそも、政府高官の立場にある人間が、堂々とそうした言動を公表できる土壌がすでにある。しかも、そうした言説に反発するメディアや批判的な言論は、残念ながら、韓国には、どこにも存在しない。むしろ、「韓国では、反日不買運動や日本旅行自粛に参加するのは、道徳的に良いこと」なのである。「日本料理店に入ることさえ後ろめたい」というのである。
さらに、韓国では「今回の日本との経済戦争の責任は、最高裁の徴用工判決で、個人賠償を認める判決を促した文在寅政権の責任であり、そもそも日本との戦争に勝てるわけがない」「南北融和政策も間違っている」と歴史の授業で話した高校教師が授業から排除された。生徒が録音して、釜山の教育庁に訴えたためだという。すごい話である。
しかし、日本では、「嫌韓は愛国の証拠であり、嫌韓でなければ非国民である」という社会的同調圧力は、さすがに存在しない。「嫌韓流は、韓流好きを黙らせる力はなく、国民の嫌韓意識は、そのヘイト意識に反発する勢力と拮抗しているし、凌駕されることもしばしばだ。
また、もし、万が一、政府高官が「嫌韓しないのは利敵行為」などと言ったならば、メディアの総攻撃を食らって、すぐに謝罪に追い込まれることは間違いない。たとえ嫌韓意識を持つ人であっても、そこまで赤裸々なヘイト発言はよろしくないだろうという良識の方が強いのだ。もちろん、「韓国製品不買運動や韓国旅行自粛に参加することは、道徳的に良いこと」という社会的イメージも存在しない。「韓国料理店に入りにくい」という意識もない。その点では、韓国と全然違う。
この、あまりにもいびつな日韓のヘイト認識の不均衡の問題について、日本の良心的な左派の知識人たちは、なぜか、まったく問題にしていない。日本の左派メディアも、一切、批判的な報道をしない。
日本のメディアは、韓国の「No Japan!(日本要らない!)」について批判しないどころか、「あれはNo アベの意味らしいよ」「明洞ではNo Japanの旗がすぐ取り去られたよ」と韓国擁護に終始するばかりなのだが、その一方で、日本国内での「韓国要らない!」に対しては、猛烈な非難の大合唱となる。青木理氏とか玉川徹氏の言い分など聴いていると、なんだか、韓国のメディアに追従しているようにしか見えない。
当然、青木氏らは、「『親日』が『非国民』の意味にしかならないなんて、韓国は一体どういう国なんだ!」「この時期に竹島で軍事演習するとか、日本をどこまでも仮想敵国扱いか!」「慰安婦像、徴用工像と、勝手な妄想で日本を非難し続ける韓国は、骨の髄まで反日ヘイト国家ではないか!」「『親日はダメだが用日は必要(隣国を道具扱い?)』って、どういう意味だ!」「こんな奴らに日本を利用などさせてたまるか!」などとは、地上波で決して非難しない。
そういう彼らの姿勢を見ていると「左派の人たちって、日本人でありながら、よほど日本が嫌いなのだろうな」と確信せざるを得ない。彼らの言説の偏りに、日本への憎しみを強く感じてしまうのだ。


そもそも「この〝非対称性〟は当然で完全に正しい」と主張するのが、日本の多くの良心的知識人の基本的な立場だ。「日本は戦犯国だから、韓国に何を言われても仕方がない」と言うのだ。青木氏の論理もそうである。
しかし、朴槿恵氏や文在寅氏が言うように「戦犯国という立場は、千年経っても変わらない」というなら、世界中の先進国は、ほとんど戦犯国である。
インドは「イギリス滅びろ!」と言っていいし、ポーランドは「ロシア滅びろ!」と言っていいということになる。チベットやウイグルは「中国滅びろ!」と言っていいということだ。
国と国の関係における〝非対称性〟など持ち出せば、世界中に対称な国同士などどこにもないことになる。
「非対称だから、一方のヘイトは許されて、他方のヘイトは許されない。」そんな奇怪な言論が、どこの世界に通用するというのだ。たわごともたいがいにして欲しいものだ。
百歩譲って、日本が戦犯国だとしよう。しかし、当時、韓国は、日本の一部であり、韓国人も、徴兵ではなく志願兵として、戦場で、日本兵として、あるいは日本軍将校として戦っていた、あるいは軍属として戦争に協力していたのであって、当然、朴正煕大統領含めて、彼ら韓国人の軍人・軍属たちも戦犯である。
さらに、韓国は、1960年代には、ベトナムへの出兵を行ない、一般市民に対する数々の虐殺・強姦・拉致といった数々の残虐行為を行ったことで知られている。
韓国軍の民間人暴行による被害は、少なく見積もっても、数十万人に及ぶ。強姦されたベトナム人女性の産んだ混血児たちの数だけで1万人に及ぶと言われる。犯されて生き延びた女性は数少なかったと言われていることから、虐殺された女性の数は、少なく見積もっても、その数倍、3万人はくだらないだろう。老若男女合わせれば、10数万人の民間人が虐殺されたと考えられる。
一方で、ベトナム中部の村々での虐殺数の記録として残っている老若男女の民間人虐殺数は、わずか9000人ほどであるが、「村を丸ごと焼き払って皆殺しにして地上から消滅させるのが韓国軍のやり方」という証言が多く残っていることからして、記録に残っている犠牲者数は、明らかに氷山の一角に過ぎない。
その意味では、独立後の韓国もまた、明白な戦争犯罪国家(戦犯)なのである。
加えて、済州島四三事件・保導連盟事件では、それぞれ8万人、110万人の民間人が、「共産主義者である」という名目で、女子供老人含めて、手当たり次第に韓国軍によって虐殺された。これらの前代未聞の〝自国民無差別大虐殺〟は、他国との戦争よりもっとひどい、カンボジアのポルポト派による自国民大量虐殺と並ぶ、空前絶後の国家犯罪である。
一方、北朝鮮の30〜200万人とも言われる人為的な大餓死(苦難の行軍)や恒常的な政治犯収容所での拷問・自殺・虐殺もまた、韓国よりもはるかに非道な国家的大虐殺である。北朝鮮では、今年も、農村部では、人為的な飢餓が広がっており、既に数万人が餓死しているとも言われる。
それに比べて、日本は、確かに日中戦争の戦犯かもしれないが、韓国や北朝鮮に対する侵略や大虐殺などは、まったくしていない。その意味で、日本が決して行ったことのない自国民への未曾有の大量虐殺を行なっている韓国や北朝鮮に、非難される筋合いはない。
「慰安婦狩りとか徴用工の強制連行とか、嘘ばっかりついて、自国政府の犯した犯罪的非道行為を覆い隠し、歴史を捏造して日本を悪者にし、自分の悪行から都合よく目を逸らし、妄想を肥大化させて、何もかも日本に責任転嫁するな!すべての悪を日本に押し付けるな!」と言いたい。
韓国側は、「日韓併合自体が非合法で無効な行為であり、それ以降の35年間の日本の無法な支配に対する慰謝料をよこせ」と主張しているが、そんなことを言ってしまったなら、イギリスの香港支配も、ポルトガルのマカオ支配も当然不法であるし、中国のチベット・ウイグル支配も不法である。ロシアのウクライナ・カザフスタン・バルト三国支配もそうである。
当時、日本の韓国併合は、国際的に合法だったのだ。


それどころか、文在寅氏やチョグク氏や和田春樹氏などは、「戦犯国日本の助けを借りて発展した韓国よりも、日本と敵対し続けた北朝鮮こそ国格が上であり、朝鮮半島統一の主体となるべきだ」と考えているようなのである。
その理由として、韓国の従北左派は「韓国は、戦中・戦前に日本の手先となって利益を貪った『土着倭寇(親日派)』の軍事政権による独裁国家だった」「北朝鮮こそが、朝鮮民族による正統性ある主体国家と言える」と主張する。
理屈としては意味が通るが、現実的には理解不能である。「日本の援助で経済発展を遂げた自由で豊かな民主主義国家である韓国より、残酷物語と貧困と飢餓と思想統制に満ち満ちた恐怖の王朝独裁国家である北朝鮮の方が、民族統一を主導するのにふさわしい」とは、どこをどうしたら、そういう珍妙な結論に達するのだろうか。本当に謎である。
現在、ソウル、釜山など、韓国の各自治体では、小中学校、高校で使用する日本製品の文房具に『戦犯企業』ステッカーを貼ることを促す条例が、次々と可決している。「貼るかどうかは、生徒たち(小学生・中学生・高校生)の意思で話し合って決めさせる」のだそうだ。「正しい歴史認識を養う機会にする」らしい。
校歌も国歌も親日派のつくった歌として変え、街路樹も親日派の植えた木として、引っこ抜き、通りの名も、親日派の命名した通り名として変更する。これまで、普通に韓国で使用されてきた、日本語由来の外来語を排斥する、いわゆる「日本語狩り」も盛んだ。
まさに、国を挙げての「No Japan!」運動の展開による反日洗脳だ。
「親日残滓の清算」とは、何とも虚しく救いようのない妄想と虚構に満ちた〝理念〟ではないか。
さらに、そうした韓国左派の主張を擁護する和田春樹氏、植村隆氏、吉見義明氏、鳩山由紀夫氏、内田樹氏、青木理氏、玉川徹氏、保坂祐二氏(既に韓国に帰化)などの良心的日本人に関しては、不可思議な〝極左理念〟と〝反日情念〟に心を支配された奇妙な人々と評するほかない。
結果として、彼らは、日韓対立を煽り、韓国の混乱と没落に力を貸している。さらには、大韓民国が消滅し、朝鮮半島が、核保有の独裁国家として統一するという、東アジア地域にとって破滅的な未来を引き寄せているのである。
日本人として、あまりに残念な、そして、人類の未来にとって、迷惑千万な人たちである。
さらに、とりわけ、強調しておきたいことは、彼ら、良心的日本人の情念が、結果として、北朝鮮の人民にとって、不幸で残酷な状況を生み出し、それをいたずらに継続・悪化させているという事実である。
現在、北朝鮮の国境警備隊が、配給が途絶えてしまい、空腹を満たすために中国側の民家や農場を襲撃する事件が続発しており、中国の遼寧省や吉林省では、農民が自衛のために銃を常備し、警察や軍に警備の強化を要請している。つまり、北朝鮮側の農家では、とっくに食糧が尽きているということだ。そのため、侵入してくる北朝鮮軍と中国軍との交戦も発生しているという。北朝鮮内に、絶食地帯がどれほど広がっているのか、想像もつかない。
核兵器を開発できるほどの高度な技術を有し、豊富な地下資源と勤勉な国民に恵まれながら、自国民を平気で飢えさせ、飢餓を国民支配の手段とすることをためらわない独裁国家を擁護する、韓国や我が国の〝良心的知識人〟たちを、私は信頼しない。


断っておくが、私は朝鮮半島の統一について、それ自体を懸念しているわけではない。半島の統一、朝鮮民族の統一については、当然、民族の悲願として理解できるし、歓迎しない理由はない。
問題は、統一が北朝鮮主導で行われること、そして、反日独裁核保有国家としての統一朝鮮が生まれることなのだ。
その場合、日本もまた、自衛のために、核保有武装国家となることを、否応なく強いられることになるだろう。
2019年9月末現在、ソウルでは、連日、反文在寅派による「赤化統一、反対!」「文在寅out!」「チョグクを逮捕せよ!」デモと、親文在寅派大量動員による「チョグク守護!」「検察は引っ込め!」「自由韓国党を解体せよ!」デモが、入り乱れ、さらに反日団体が主導する「No安倍」「No Japan」デモが、少数ながらも存在する「文在寅は日本に謝れ!」「亡国的反日扇動はやめろ!」デモと激突する事態となっている。
韓国は、もう、何が何だかわからない。


最後に、今回も、例によって長々と語ってしまったが、要するに、私の言いたいことは、この一点にある。
「日本の週刊誌が『韓国なんて要らない』と特集記事を出すのは、日本人にとっても、韓国人にとっても、『決してあってはならないヘイト』とされる一方で、韓国人が『日本なんか要らない』と、行政を含めて大看板を掲げ、国民的に反日(No Japan!)デモや反日不買運動を続けるのは、韓国人にとっても日本人にとっても『ヘイトとはみなされない』という現状の認識のあり方」が、私には「とても正常には見えない」ということだ。
韓国側の日本ヘイトの象徴とも言える「慰安婦像」の日本での美術展展示に情念を燃やす日本のサヨクによる「慰安婦像」擁護の姿勢も、どうにも理解しがたい。
愛知県は、いったいどうなっているのだろうか。


思うのだが、日本在住の在日の方々は、とりわけ〝良心的韓国人〟の方々は、どうして「ライダイハン像」「洋公主少女像」「済州島四三事件少女像」「保導連盟少女像」を、世界中に建てないのだろうか。
特に、四三事件や保導連盟事件の当事者(被害者/生存者/生き証人)として日本に逃げてきた50万人の在日コリアンにとって、「済州島四三少女像」「保導連盟少女像」を建てることこそが、もっとも切実な問題ではないか。
「慰安婦狩り」とか「強制連行」とか「性奴隷」とか「奴隷労働」とか「慰安婦の多くは10代」とか、ありとあらゆる妄想の歴史に基づいて、反日ヘイトの「慰安婦像」「徴用工像」を建てるよりも、韓国人の良心に問いかける上で、はるかに正直で正統な行為ではないかと思うのだが。


1965年に朝鮮総連が撮影した筑豊炭田の徴用工についての映画で、労働者宿舎のハングルの「落書き」として紹介された言葉があった。
当時、強制連行された朝鮮人の14歳の子どもが書いたとされる「落書き」である。

お母さん会いたい
お腹がひもじいよ
故郷へ帰りたい

私自身も、この「落書き」については、中学生の頃から知っている。三光作戦や南京大虐殺について教えてくださった、とても熱心な国語の先生に、授業の中で教わったからだ。この私の恩師の国語の先生は、今でもご存命で、定年後も青少年の平和教育に打ち込んでいる、とても精力的な方である。老いてなお、意気軒昂で、矍鑠としていらっしゃる。
ところで、この筑豊炭田のハングルの「落書き」は、日本でも韓国でも、あまりにも有名なもので、長く、日本軍の強制連行の証であるとして、朝鮮人坑夫の悲惨な生活の証として、強制連行の悲劇を表すものとして象徴的に扱われてきた。教科書にも資料集にも載った。
ところが、2000年代になって、この「落書き」が、当時、映画の中で作られた〝演出〟だったということが判明した。
つまり、このドキュメント(?)に、より臨場感を出すために作られた小道具であり、言ってみれば〝捏造〟だったのである。
実際には、当時の坑夫の間で、朝鮮人と日本人の差別待遇などなかった。坑夫の中には、日本人より高給を取る者もいた。休日もあった。仲間と酒も飲んだ。日本人とも仲良くやっていた。だから、多くの坑夫は、終戦1年前に朝鮮半島で徴用が始まるずっと前から、自発的に出稼ぎに日本に来ている労働者の方が多かった。出稼ぎ9割、徴用1割である。
このドキュメント(?)に描かれている内容と史実はまったく異なっていた。
だから、この映画は、ある意味、朝鮮総連によるプロパガンダ映画だったわけだ。
しかし、当時、日本中の中学生が、このプロパガンダを、事実として教えられていた。私も、その一人だった。そして、若い頃に植え付けられた洗脳が解けるまでには、長い時間を要した。
教育というのは恐ろしいものだ。
韓国でも、ソウルの仁憲高校という公立の高校で、先生たちが授業の一環として、反日教育を行い、不買運動を礼賛し、「安倍自民党は滅びる」「倍返ししよう」などと反日スローガンを叫ばせる様子を、インターネット上に生徒が公開して「生徒は先生の洗脳の道具ではない」と抗議したものの、逆に学校挙げての虐めに晒されて、転校を余儀なくされている。
教育は本当に恐ろしい。