オール電化のキッチン、とりわけ、IHは、家庭料理を滅ぼす元凶である。

ところで、IHってなんの略なんだ?

International Hisociety とか、か?

つまり、「ワンランク上の生活を目指す貴方に」「時代はIHです!」というわけだ。

 

だが、そのおかげで、家庭料理の劣化は甚だしいことになっている。

IHの問題点は、例えば、フライパンの調理機能が恐ろしく限定されてしまうことだ。

炎の制御を必要とする中華料理はもとより、ステーキなども、美味しく作れない。

それどころか、目玉焼きや卵焼きすらも、ぜんぜん上手く作れない。

ガスレンジで調理したものに比べると、格段に不味い。

IHで調理すると、卵焼きや目玉焼きなど、ゴムのような奇妙な食物と思えぬ物体が出来上がる。同じ材料から、どうしてこれほど不味いものが出来上がってしまうのか、不思議である。

 

IHは、フライパンを傾け、炎の熱を自在に操る、長年磨いてきた個人の技量そのものを拒絶する。

IHでは、料理の技能を振るう余地がない。

それは、ある意味、「料理の死」である。

 

こうして、生まれた時から、オール電化の家で暮らしている子供は、まともな料理を知らずに育つことになる。これは「家庭料理の喪失」である。

人類は、有志以前から炎を用いて調理してきた。炎を操ることに料理の喜びがあるのだ。

それを、今になって、捨てようというのか?

 

それは、どうも、間違った道であろう。

ヒトにとって、炎を御すことを忘れてしまうのは、知恵を捨てるに等しい。

オール電化は、人類滅亡の道かもしれぬ。

 

 

浜比嘉島は、沖縄本島の勝連半島と橋で繋がっている島の一つです。浜比嘉島は、さらに、平安座島、宮城島、伊計島とも橋で繋がっています。

 

この4つの島が、沖縄本島と繋がったのは、本島と平安座島の間にある広大な干潟に、全長4.75Kmの「海中道路」と呼ばれる埋め立ての道を通したことによります。

この「海中道路」開通の条件は、平安座島に、石油備蓄基地を建設することを島民が受け入れることでした。開発当時、島は、賛成派と反対派に分かれて激しく対立しました。反対闘争は長く続きました。しかし、今になってみると、海中道路のない生活など、島民には考えられないでしょう。実際、道路ができる前には、干潟を歩いて渡る島民が、満ち潮の渦に巻かれて、よく亡くなったそうです。

当時、平安座島の石油備蓄基地建設反対運動に関わった人たちは、その後、石垣島の新空港建設反対運動などを経て、辺野古基地建設反対運動に加わっていきます。

「海中自体は、今では観光名所の一つになっている感があり、クリスマス・シーズンにも、寒空の下、パラセーリングを楽しむ若者が集まります。

 

さて、浜比嘉島への道順ですが、沖縄本島の東海岸にある勝連半島から「海中道路」を通って、まず最大の島である平安座島に入ります。平安座島は、巨大な石油備蓄基地がある島です。平安座島からは、2つの島に橋が架かっています。そのうち島の最奥にある橋の一つは、四つの島の中で最も小さい宮城島へと繋がります。そして、宮城島はさらに橋で伊計島へと繋がります。伊計島には、橋のすぐ近くに伊計ビーチ、奥へ進んだところに大泊ビーチと、2つのビーチがあります。そのうち、大泊ビーチには、姓名判断で有名な占い師の方がいて、予約が半年先まで埋まっているそうです。それから、伊計島の一番奥には、お客さんがほとんどいないことで有名な巨大な〝幽霊ホテル〟があります。

宮城島、伊計島は、観光客がほとんどいない静かな島です。

この4島だけに限った話ではなく、一般に、沖縄本島の東側の海岸は、観光地としての開発が、ホテルや店舗が乱立する西海岸に比べて、あまり進んでいません。その分、落ち着いた佇まいを見せてくれます。

 

平安座島から橋が架かっているもう一つの島が浜比嘉島で、浜比嘉島へ向かう浜比嘉大橋は全長900mで、この4島を結ぶ橋の中でも最長の美しい橋です。

浜比嘉島は周囲6.5Kmほどの小さな島ですが、島には二つの集落があります。橋を渡って浜比嘉島に入るとT字路になっていて、右に向かうと浜、左に向かうと比嘉という集落に着きます。

比嘉集落の港付近には、沖縄開闢の祖とされる女神アマミキヨ(アマミチュー)の墓があり、さらに奥に向かうと、アマミキヨが男性神シルミチューと過ごしたとされる「シルミチュー」と呼ばれる霊所があります。「シルミチュー」は、沖縄本島の東西南北を司る四つの霊所のうち、『東の霊所』にあたります。

「シルミチュー」は、大きな鳥居をくぐり、108段の石段を登った先にある岩の洞窟です。この洞窟に、今日も、沖縄中のユタなど、多くの人々が〝ウガン(御願)〟に訪れます。

 

霊場の多い沖縄県の中でも、浜比嘉島は特別な島の一つです。また、有名な霊所やスピリチュアルなパワー・スポットが、比嘉集落に多いので、観光客も浜よりも比嘉に向かう人が多いです。

ところが、歴史的には、浜の方が古く、浜の人に言わせると、『浜には600年前から人が住んでいましたが、比嘉の方は400年前に島外から人が集まってきて生まれた寄留民の部落で、よそ者の集落なのだ』と言うのです。そのため、今でも、浜と比嘉では、言葉のイントネーションも違うし、交流も少ないそうです。顔立ちも、集落によって、それぞれ少しづつ異なっているように思います。

それにしても、こんな小さな島の中で、400年経っても二つの集落の人がほとんど婚姻などで混じらない、交流がない、仲が悪い、というのが、いかにも沖縄らしいというか、普通に考えると、逆にすごい話だと思うのです。

宮城島と伊計島など、隣の島の人同士も、基本的にあまり仲が良くないと聞きます。内地から移り住んだ人が、『「小国寡民」という面もあるのでしょうが、それよりも、むしろ、ここ沖縄は〝差別の島〟ですねえ』と言うのも、無理はないと言うか、住んでみての実感のこもった話です。

 

浜比嘉島の浜集落には、比嘉集落のように目立った有名な霊所はありませんが、向かいの平安座島が望める海岸線は非常に美しいです。夕陽の綺麗なのんびりとした浜辺です。

集落のはずれには、ふるさと海岸と名付けられたビーチがあり、12月後半に入った今も、大勢の人がテントを張ってキャンプを楽しんでいます。ビーチへの入場料もなく、テントを張るのも無料なので、家族連れなどが集まります。

沖縄のビーチは、ホテルや地主に囲い込まれて、一般の人が気安く立ち入れないところが増えています。その中で、この浜比嘉のビーチは、誰でも遊べる自由な場所として、すべての人に開放されています。

クリスマスにもお正月にも、内地から来ている若者たちが、気温21度のポカポカ陽気の中、ハンモックでうたた寝、気温15度の曇り空の下であっても、ウィンドサーフィンやジェット・パックを楽しんでいます。ダイビングに訪れる人もいます。

浜集落に入ると、沖縄の田舎特有の時の止まったような雰囲気に包まれて、癒される気もします。よそ者が、集落の一員として認められ、受け入れられることは、永遠にないでしょうが、だからこそ、ここでは「時が止まっている」のかもしれません。

 

比嘉集落では、内地から移り住んだ若い女性が、アマミチューの墓の向かいあたりでパーラーを営業しています。塩分控えめの自家製油味噌を使用した特製のポーク卵おにぎりと地元特産のもずく入り手作りクラムチャウダーがオススメです。また、比嘉集落に向かう途中の道沿いでは、これも、内地から移り住んだ若い夫婦が、見晴らしの良いロッジで「空とコーヒー うきぐも」というカフェを営んでいます。こちらも自家製ツナやチキンのサンドイッチが美味しいです。総じて県外から来て商売している人が多い印象です。

対照的に、浜集落では、地元の男性が、自宅でフレンチレストラン「むいにー亭」を営業しています。自家製の無農薬野菜を使ったサラダが美味です。それから、浜の港では、地元の女性が、沖縄天ぷら屋を営んでいます。もずく入りコロッケが美味しいです。

他に古民家食堂などもありますが、いずれも、地元の人が営んでいます。

 

 

ところで、内地からやって来る若い旅行者や移住者に、地元沖縄の人間が、驚かされることが、一つあります。沖縄天ぷらのお店では、天ぷら一袋500円とかで売っているのですが、内地の若い人は「天ぷら一つ」「天ぷら一個」という注文の仕方をするのです。本人は何も気づいていませんが、沖縄の人間からすると、失礼極まりない注文の仕方です。

30年ほど前、札幌の友人が「内地から来る観光客で、北海道のラーメンは量が多いからとか言って、お店に2人で入って一杯だけ注文する、本当に失礼な連中が増えた」と嘆いていましたが、「天ぷら一個」は、もっと酷い。それどころか「ゴーヤーチャンプルーを一つに、ご飯3つ」と3人で注文する若い子たちが普通にいるのです。

ケチというか、みみっちいにもほどがあります。30年経って、人間の質がさらに悪くなった気がします。自分のことしか考えてない。そういう身勝手な若いお母さんに育てられた子供たちは、さらに自己中心的な人間に育つでしょう。

100均、チェーン店ばかりが栄えて、個人商店が潰れていく。企業は生き残るが、個人がすりつぶされていく。

こうして、日本人自身が、日本経済をダメにしていくのです。自分で自分の首を絞めているのに、そのことに気づかない。

もっと相手のことを考えましょう。それが、実は自分の幸せに繋がるのです。
 

 

①ドラゴンヘッド(全10巻)作者望月峯太郎

平成の漫画ではあるが、昭和の雰囲気を色濃く感じさせる作風。

▶︎連載雑誌「週刊ヤングマガジン」(1994年10月〜1999年

世紀末(90年代)を代表する「地球大絶滅の物語(カタストロフ・ストーリー)」。奇しくも連載開始直後の1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災を予言するかのような物語でもあった。

地球中心部の内核近くから表層に向けて、急激に上昇するマントル対流(スーパープルーム)が及ぼす地殻大変動によって、世界各地で火山活動の活性化と致命的な地表破壊が生じ、人類の文明が全面的に崩壊する。日本でも、富士山と関東平野を中心とするスーパープルームが、関東圏をまるごと呑み込む超巨大噴火口を出現させ、それによって東京大都市圏が壊滅し、国内のほとんどの国家的・組織的・社会的機能が消失する。

主人公の高校生テルとアコの2人は、修学旅行で東海道新幹線に乗っている途中、静岡で列車がトンネルに入った直後、富士山噴火に伴う巨大地震に遭遇した。列車は脱線し、トンネル内で横転して無惨にひしゃげた車両は、血まみれの乗客たちの阿鼻叫喚の地獄と化し、さらに、トンネルの出入り口は、瓦礫で埋もれてしまう。

7万5000年前に人類の総人口を数千人規模にまで減少させた破滅的な超巨大噴火による大絶滅「トバ・カタストロフ」に匹敵する、極限の天変地異のもたらすパニック状況の中で、偶然、生き残った2人の高校生が、その後の狂気の世界を生き延びていく、リアルでダークなサバイバルの物語。

「この世が終わりだったとしても、独りじゃなくてよかった。」

 

 

②最終兵器彼女(全7巻)作者高橋しん 

▶︎連載雑誌「ビックコミックスピリッツ」(掲載期間1999年12月〜2001年10月)

これも、世紀末を代表する地球破滅の物語(カタストロフ・ストーリー)。連載終了直前に起こった2001年の9.11同時多発テロを予言するような物語である。

北海道の小樽(?)に住む高校生の主人公シュウジの彼女ちせは、日本の自衛隊の誇る最終兵器にされてしまった。

常軌を逸した世界規模の巨大な政治的大変動によって、日本は〝敵〟の侵略に晒されることになる。突如、札幌の空は、〝敵〟の重爆撃機の編隊によって覆われ、無差別空爆によって街が破壊され、市民が虐殺されていく。この強大な敵を迎え撃つ自衛隊の切り札が、高度なナノテクノロジーの結晶であるサイボーグ兵器に生まれ変わった〝普通〟の女子高生ちせだった。

ちせは、自衛隊最強の進化する生体兵器として、国防の最前線で戦うことを強いられる。それを知りながら、ちせを愛し続けるシュウジ。ちせを気遣うシュウジと、シュウジの生活を守りたいから、世界最強の兵器として、世界各地の過酷な戦闘に身を投じるちせ。

ただの無知で平凡な高校生であるシュウジとちせの目線で、不合理で非日常的で救いのない戦争体験が語られ、不気味で何も希望のない地球滅亡の物語が淡々と語られていく。2人には、日本を侵略する〝敵〟が、具体的には何なのか、すらわからない。

ただ、ありふれた日常が跡形もなく破壊されていく、親友が、幼馴染が、家族が、わけもなく死んでいく。そして、かつての平和な光景は、2度と取り戻すことはできない。そのことだけは、2人にもわかっていた。

圧倒的な絶望しかない状況の中、高校生シュウジとちせの純愛が、どんな結末を迎えるのか、ただそれだけを抒情的に描いていく。

救いも希望もない無機質な終末の世界に、まったくそぐわない〝かわいい〟という感覚を持ち込んだ先駆的な作品。世界の破滅と一個人の日常の極端すぎるギャップが印象的。

 

 

③がっこうぐらし!(全12巻)原作海法紀光/作画千葉サドル

原作者(ライトノベル作家)と作画者(漫画家)の二人三脚で作品を生み出すという、2010年代に最も一般的になった制作方式で創作されている。そして、物語の内容の深刻さ・悲惨さ・救いのなさと、絵やキャラクターのかわいらしさ・明るさ・萌えとの激しいギャップが、作品の大きな特徴の一つとなっている。

▶︎連載雑誌「まんがタイムきららフォワード」(掲載期間2012年7月〜2020年1月)

2011年の3.11東日本大地震後の日本を代表する人類滅亡の物語(カタストロフ・ストーリー)。連載末期2020年1月に始まったコロナ・パンデミックを予言するような物語にも思える。アメリカのホラー作家リチャード・マシスンの「地球最後の男(このオレが最後の人間)」にインスパイアされた作品でもあるようだ。

バイオテック企業「ランダル・コーポレーション」によって製造された生物兵器(細菌orウイルス)が、社員による不注意な流出によって、世界規模のゾンビ感染症によるパンデミックを引き起こす。その結果として、文明は崩壊し、社会は完全にその機能を止め、人類はほぼ壊滅状態となる。さらに、各地に点在する、ごく僅かな生き残りたちさえもが、変異ウイルスor細菌による空気感染によって、たとえゾンビと接触していなくても発症し、やがて死んでゾンビ化していく。

こうした世界規模の絶望的なカタストロフの最中、たまたま巡ヶ丘学院高等学校の屋上にいたために生き残った同じクラスの3人の高3生、ゆき、くるみ、ゆうりと、担任の女性教諭めぐねえの、その後のサバイバルの物語。

常に周囲を圧倒的な〝死〟に囲まれながら、孤立して生き続けるしかない救いのない世界で、ある者は、ただ、今日を生き残ることだけを考える。これまで続けてきた学校の日常の中に自らを埋没させ、現実から逃避することで、過去の幻想の中に救いをみいだそうとする者もいる。また、ある者は、誰もいない死の街で、それでも、呼びかけに応える人が現れることを夢見て、毎日、独りでラジオ放送を続ける。光のない暗闇の中で、命を削りながら、それでも希望と繋がりを求める子どもたち。

「生きるために、誰かを切り捨てることは間違っている。」

 

 

④裏世界ピクニック(既刊7巻)作者宮澤伊織/作画水野英多

▶︎連載雑誌「月刊少年ガンガン」(掲載期間2017年2月〜)

異界が、現実世界を侵食していく、2010年代に相応しい極限のホラー・ストーリー。ロシア(旧ソ連)を代表するSF作家ストルガツキー兄弟の名作「ストーカー(路傍のピクニック)」にインスパイアされた作品とも言われる。

廃墟や廃屋を1人で巡るのが好きな女子大生空魚が、ある日、異界への入り口を発見する。その異界で、空魚は、もう1人の少女鳥子に出会う。

この作品は、いまだ連載中で、結末が分からず、作品世界も、必ずしも「終末の世界」を舞台としているわけではない。今後のストーリー展開で「人類滅亡のカタストロフ」が待ち受けているかどうかも、予想できない。

ただ、なんとなく、感覚的に上記の3作品と並べてみたくなっただけだ。作品の醸し出す空気が似ているというのが、その理由だ。

3作品との共通点は、物語の始まり、あるいは終わりにおいて、主人公の家族・肉親が全員死んでいるところ、そして、どの作品においても、そもそも家族・肉親の存在感が非常に希薄なこと、特に父親(父性)の不在は顕著だ。

この作品では、物語の始まりの時点で、すでに空魚も鳥子も、家族は1人もいなく、友達もいなく、互いに完全にひとりぼっちである。また、2人にとって、死んだ母親には良い記憶イメージがあるようだが、父親は、控えめに言っても「いてもいなくても、どうでもいい人」「必要のない人」、悪く言ったら「生きていて欲しくない人」「邪魔な人」である。

加えて、作品内容において、上記3作品と同様に、『極限の世界で、生と死の狭間を生き抜く、生存者の物語』であることは確かだ。

 

コロナ中等症Ⅱのかなり重症の状態での20日間の酸素呼吸器付きの入院状態から、コロナ禍の最中、ベッドの空きがないからと、私は無理矢理退院させられ、その後、症状の重さを鑑みて、1週間、保健所管轄の自宅療養期間が続いたので、保健所からは7日間毎日電話が来た。
「調子はどうですか?」
「酸素ない生活は恐怖ですね」「実際、部屋の中で数十秒、立って歩いただけで、血中酸素飽和度は70台まで落ちますし、24時間、ベッドかソファーの上で、息苦しさとの戦いですよ」「精神安定剤と睡眠導入剤がなければ、夜も寝られません」と七日間必死に訴えてはみたのだが、結局は、入院していた病院の医師に、「病院にいらしても、対処療法しかできません」「空咳を止める咳薬とか」と言われ、「根本的な治癒方法は、本人の自然治癒力に委ねるしかない」「何もできないですよ」と言われると、病院を頼る気を無くした。
保健所の人には、「一応明日から解除になりますけど、一歩も外へ出れず、家事も一切できない状態は気になります」「苦しくなったら、我慢せずに、すぐに救急車を呼んでくださいね」と言われた。
私の酸素飽和度はベッドに安静にしている状態でも92%程度。苦しいかと聞かれたら、それは24時間、大抵は苦しい」「我慢しない生活って?」「一体いつの時点で、救急車を呼べというのだろう?」と、素朴に悩んでしまった。
こうして、「法令どおりですから」と、無情にも、保健所に、自宅療養観察期間を、退院後1週間で打ち切られてしまい、その後、更に2週間、私は自宅で何とか生き延びた。
しかし、数日前から、食欲がガタッと落ちて、何も食べる気がしない。加えて身体の怠さが増していた。体内の酸素欠乏が、いろいろな器官にダメージを与えていたのかもしれない。ある意味、自宅で低酸素症になりかけていたのだと思う。

それまで3週間、毎日、少し動いては、血中酸素濃度が70台まで落ちるということを繰り返していた。このまま、急激に酸素飽和度が落ちて死んでしまうこともあるらしいと後で聞いた。
そして、本格的に、これはまずいということで、退院からちょうど3週間を経て、私はもう一度、コロナ後遺症患者として、呼吸器外来を受診し、数日間、入院することになった。

この数日の入院の間に、自宅用の酸素製造器と酸素ボンベの使い方を、きちんと理解し、とうとう自宅で酸素吸入器を使う生活に入ることになったのだ。

病院の中で、酸素ボンベを看護師さんが持ち、私は5リットルの酸素を吸いながら6分間歩くことになった。最後の数十秒は、息ができず地獄だった。酸素飽和度は70台まで落ち、その場で椅子に座り込み、呼吸が整うまで10分ほど休憩した。

さらに翌日には、そのままの位置で足踏みを2分間、こちらも酸素5リットルを吸いながら、運動した。この2分程度の運動でも、酸素飽和度は85まで落ちた。

「座っている時で、酸素は2.5リットル、立って歩くときは5リットルですね。それでも、家の中で家事をする時、苦しくなったらすぐ止めること。今のところ、酸素5リットルで2分の活動が限界ですね。いずれ、連続30分間、家の中で動き回れるようになったら、今度は、ボンベを持って、外を5分ぐらいなら散歩できるようになります。それまでは、ボンベがあっても外に出ないこと」と、インストラクターの方の指導を受けた。

1人の看護師さんが「うちの父ちゃんも、コロナで退院した後、2カ月はボンベ引いて歩いていたから、皆んな、そんな簡単には、肺の機能は戻らないからね」と言っていた。

なかなか、道は長い。

実際、入院中も、まったく食欲はない。この3週間、低酸素状態で我慢し続けた反動かもしれない。

以前から思っていたことだが、宮内庁は、「国民の総意に基づく、国民統合の象徴としての天皇制」が、今、どれほど大きな危機に陥っているか、まったく自覚していない。

だから、国民の批判を封殺して、このような言語道断の破廉恥極まる結婚を無理やり推し進めることができる。

そもそも、メディアや国民の当然かつ真っ当な批判を根拠のない誹謗中傷と受け取ってPTSDになったというなら、眞子さまの人格、あるいは人間としての理解力そのものを疑ってしまう。さらに、PTSDの発表が、眞子さまの意思だというなら、自ら真摯に批判を受け止める代わりに、すべての責任を他者に転嫁する自己中心的な性格であると言わざるを得ない。

PTSDが、自らの望む、誰が考えてもやばい結婚の実現で快方に向かうというのも信じがたい。ただのワガママ姫か?

耳の痛い事を言われるのが大の苦手で、自分の非を認めきれず、自己弁護に終始してしまうところは、甘やかされたお嬢さまの典型という気もする。

さらに、そのわがまま眞子さまに対して、父親である殿下も、母親である紀子さまも、説得力を持って諫め、叱る能力を欠いていることは、これまでの経緯から明白である。家庭の教育力に決定的な問題を感じる。

もはや、秋篠宮家と国民の亀裂は修復不可能。こうなったのは誰のせいか?

宮内庁は、「すべて国民のせいだ」と言う。「国民のせいで、眞子さまが複雑性PTSDになったのだ」と。そして「国民はもう黙れ!」「誹謗中傷をやめよ!」と上から目線で脅しをかける。

 

いやいや、それは違うだろう。

夫とその両親を、自らの業によって、自殺に追い込みながら、何ら反省することのない上に、反社会的人物を利用してでも傷心の母親から遺産をむしり取る、ともかく、お金がすべての女性と、その母親と一心同体で、強い上昇志向と野心のままに、他者を踏み台にして生きてきた息子。学費や生活費を援助してきた恩人との話し合いを密かに録音して、前後の文脈のわからない切り取られた恩人のセリフを振りかざし、援助者に「これまでの援助はすべて贈与ですよね」と言える大学生の息子。昔、子供の頃、自分が虐めていた相手から「君はあの頃の僕に対する虐めを、今、どう思っているの?」とメールで尋ねられ、完全に無視してしまえる、それ以外にも、自分にとって都合の悪いことは何でも、完全になかったことにしてしまえる息子。その彼と出会ってしまい、すっかり魅せられて(騙されて?)彼に取り込まれてしまった箱入りのプリンセス。

なぜ、眞子さまと小室圭さんとの結婚を阻止できなかったのか。そこに、すべての問題の根源がある。最初の段階で必要な最低限の調査を怠った秋篠宮家と宮内庁の責任である。その自らの責任を一顧だにせず、国民を悪者にして、ごまかそうとする西村長官はじめ宮内庁側近の根性が腐りきっている。

自分可愛さが先に立ち、保身の意識ばかりが目立つ側近、わがままな皇族をまったく諌めることのできない側近など、国の害でしかない。古代中国の宦官と変わらない。

今、1800年続いた世界最長の王朝が断絶の危機にある。西暦645年から1400年近く続く、世界唯一の元号も令和で終わるかもしれない。

それもこれも、すべて、世間知らずの秋篠宮家の言いなりになるだけで、ことの重大さに見て見ぬふりをし続け、何の意味ある対策も講じず、いたずらに事態の悪化を招いた宮内庁こそが、諸悪の根源であり、皇室を滅ぼす癌であること、明白である。

ひいては日本国の土台に巣喰い、ついには国家そのものを滅ぼす、獅子心中の虫である。

 

それにしても、宮内庁の圧力に対してメディアの忖度がひどい。

毎日新聞は9月18日の実施の世論調査で、結婚を祝福したいが38%、祝福できないが35%、関心がないが26%と発表した。

ところが、読売新聞は、眞子さまPTSD発表後の10月4〜5日に緊急全国世論調査を行い、結婚を良かったと思うが53%、思わないが33%、答えないが13%で、全世代で結婚に賛成が上回っていたと報道している。

いったいどんな世論調査を行ったものやら、意味がわからない。

おそらく、毎日では「皇室の結婚に関心がない」の選択肢を選んだ若い人たちが、宮内庁の行った眞子さまのPTSD公表後に、眞子さまに同情して賛成に回ったか、あるいは、それを見越して初めから読売の調査では「この結婚に関心がない」の選択肢を付けなかったのかもしれない。

一方で、それ以前から結婚に賛成している38%は、「恋愛も結婚も個人の自由」「それに圧力をかけるのは人権抑圧」と考えるリベラル層が多いと考えられる。彼らは、保守層が、結婚に反対するのに対して、「小室圭さんへのいわれなき個人的バッシングである」として、「たとえ皇室であろうと、結婚は個人の自由であり、2人が良ければそれでいいのだ」と考え、事実そう主張している。当初からそのように主張していた玉川徹氏などがリベラルの典型である。

また、リベラルの根幹にある思想の一つに天皇制廃止の考えがあるのは周知の通りである。もともと皇室存続への思いが薄いのだ。

「皇族は、人権を抑圧された気の毒な人たちであり、できるだけ早く解放してあげた方がいい」というのが、リベラルの典型的な意見の一つである。

 

また、当初から、この結婚にさほど関心がなかったのはリバタリアンの主に若い世代の人たちと考えられる。橋下徹氏やひろゆき氏や三浦瑠璃氏は、明らかにリバタリアンだ。彼らは、そもそも皇室への敬愛・愛着が、それほど深くない。伝統を重んじる気持ちが薄く、皇室にもさほど関心がないのだ。

リバタリアンにとって、もっとも大切なことは、社会の中で自分自身が生き残ること、つまり「私」であり、リバタリアンにとって「公」とは、社会が維持され、個人の活動がスムーズに行われるために必要な適正な〝ルール〟を意味するに過ぎない。

三浦瑠璃氏は、「現代の日本ではリバタリアンが27%を占める」と言うが、この割合は、毎日の調査で「この結婚に関心がない」と答えた割合(26%)と重なる。

三浦氏が「眞子さまにも不幸になる権利がある」と述べたのは、徹底した個人主義に基礎を置くリバタリアンらしい発言である。

別の言い方をすれば「眞子さまが自分の意思で決めたことなんだから、その決断によって、今後、本人の人生がどうなろうと自己責任だよ、(私の)知ったこっちゃない」ということである。

その結果として、皇室自体がどうなろうと、その点については、彼らは、さらに関心がない。

 

もともと結婚賛成のリベラル38%に、眞子さまPTSD公表で、「そんなに結婚したいなら、すればいいじゃない、どうせ苦労するのは自分だから」と考えたリバタリアン27%をすべて加えると65%にまで達してしまうが、さすがにそこまで、読売の調査でも、結婚賛成派が増えているわけではない。

世の中には、どこまでも無関心な人もいるわけで、リベラル38%にリバタリアンのおよそ半分15%が加わって、53%が形成されたと考えるのが妥当だろう。

ということは、読売の調査で、結婚に賛成した53%は、そもそも、皇室への関心の薄い人たちばかりということになるわけだ。「皇室がどうなろうとたいして関心はないけど、個人の結婚を邪魔する権利は誰にもないでしょ」「もういい加減、ほっといたら?」というわけだ。

逆にいうと、つまり、反対している35〜33%の国民が、実は、皇室に最も関心があり、新年の挨拶で皇居に集って日の丸の旗を振るような陛下と皇室への深い敬愛を感じている保守層の国民、つまり、伝統的かつ典型的な日本人(コミュニタリアン)であるということだ。彼らこそが、皇室の行く末を、心底心配している人々だ。

私のようなコミュニタリアンであれば、「皇室がそのあるべき品位を失うということは、象徴天皇制の形骸化・終焉を招く恐れがある」「皇室が失われるということは、即ち、日本国の崩壊にもつながりうる」と強い危機感を感じる。

ところが、リベラルやリバタリアンは、「皇室がどうなろうと、私たち国民に何も影響はないし、知ったこっちゃない」と感じているのだ。

そもそも、リベラルは究極的には「国なんてなくていい」という「世界市民主義」の考えに憧れる傾向が強い。

一方、リバタリアンは「皇室が形骸化するなら、するで、別に国を守る方策を考えればいい」と考えるのではないか。


そういうことをしっかり分析せず、「国民の大半は、この結婚に賛成している」などと、偏向した印象操作を行う読売は、日本国民を愚弄しているのか、皇室を守る気がないのか、国を滅ぼすつもりなのか、読売も既に保守メディアとしては、終わってしまったようだ。

一般的には、知りうるべき情報を充分に与えられ、思想的洗脳から解放され、調査においても適切な選択肢を与えられ、電話の話者による誘導がなければ、おそらく国民の5〜6割程度は「この結婚を祝福できない」と答えると思うのだが、つまり、日本にはそのぐらいは、まだ伝統的なコミュニタリアンの感性を持つ人々がいると思うのだが、宮内庁と地上波メディアの姿勢が始末に追えない。

メディアから出てくる情報が印象操作ばかりで、まともなデータが出てこないのは、コロナとワクチンによく似ている。

メディアも、宮内庁も、秋篠宮家も、国民を相当にバカにしている。

『この国の下々の愚民どもなど、ちょっと圧力をかけ、ほどよく印象操作して、うまくごまかせば、いかようにでも操れる』『おとなしい素直な(都合の)いい国民だ』と思っているのだろう。