「コロナは怖い」とメディアは盛んに喧伝しているが、では「何が怖いのか?」という肝心のところは、全然報道されていないという気がする。この記事では、私自身の体験から、コロナの最も怖いと感じたことを挙げてみたい。
実際のところ、味覚や臭覚の変化などは、どうでもいい些細なことなのだ。頭痛・吐気は怖いが、それよりも、もっと怖いことがある。
キーワードは『死の恐怖』だ。
①急速に、無自覚に、症状が悪化していくこと。
脳が酸素の欠乏を感じにくいため、体内の血液中の酸素飽和度が急速に低下していても、自覚症状に乏しく、生命の危機に気づけない。
この症状は「幸せな低酸素症(ハッピー・ハイポキシア)」と呼ばれる。
具体的に言うと、酸素飽和度90を下回り、80〜70%台にまで落ちているのに、息苦しさをまったく感じず、自分の身体の状態の危機的状況に気づけないという症状である。
酸素飽和度70台で、元気に自分でクルマを運転して病院に着き、平気な顔で受付を済ませ、待合室で座っている間に危篤状態に陥る人もいる。
自分がやばい状態であることに気づいた時には、意識が遠のき、もう死が目の前ということもあるのだ。このようなハッピー・ハイポキシアの症状を示す人は、コロナ患者の3〜5割にものぼると言われる。
そうでなくとも、身体を動かすのが、しんど過ぎて、もうどうにもならないとなって初めて、自分が危険な状態にあることに気づくという人も多い。
当然だが、この中等症Ⅱの状態では、病院に入院して酸素吸入器をつけることができなければ、確実に命に関わる。
肺炎による血中酸素飽和度の低下の自覚症状のないまま、自宅療養を続けているうちに、数日で容態が急激に悪化して、医療のケアを受けることなく、そのまま自宅で死に至るケースがあとをたたない。
ただの風邪であれば、こんな怖いことは滅多に起こらないだろう。
②中等症Ⅱ以上になると、呼吸不全に、死の恐怖を感じること。
酸素吸入器が必要な中等症Ⅱの中でも、かなり重症に近い症状に苦しむ人たちがいる。
私自身がそうだったのだが、肺炎の悪化に伴い、酸素吸入を受けているにも関わらず、まるで水中で溺れる人のように、ベッドの上で、徐々に溺れていく感覚がある。そして、この感覚とそれに伴って生じる死の恐怖は、その後も長く尾を引くことがある。
この死の恐怖を乗り越えるために必要なものは、「自分は必ずよくなる」という回復の希望だが、症状が悪化している時期には、自分はよくなると信じることがとても難しい。
希望が見いだせない中、一日24時間、身体が訴えている「溺れる!」というパニックを抑えて、死への恐怖との絶望的な戦いを強いられ続ける。
少しでも酸素を無駄に消費しないように、ベッドの上で、全身を弛緩させて、ほとんど身動きしないまま、息苦しさと戦い続ける。
食欲もなければ、喉の渇きもどうでもいい。身なりなど構っている余裕はどこにもない。身体が動かないから、お風呂やシャワーで身綺麗にしたいという欲求すらない。あるのは、自分が生と死の狭間にいるという自覚だけだ。
時には、一週間、二週間と、この状態が続く。孤独な隔絶した病室の中で、体力・精神力が、極限まで削られていく。「もうこれ以上はムリ」と、自分の意識を自己コントロールできる限界を超えて追い詰められる。
肉体と精神の極限状況が続く。これが苦しい。
「多くの人にとって、人生で最も苦しい病いとの戦いを経験することになる」というのは、決して誇張ではない。「純粋に単純に生きるための戦い」だけに、全精力の傾注を要する経験など、人生の中で、そうそうあるものではない。
③少しよくなると簡単に退院させられてしまうが、実際には身体がぜんぜん回復していないこと。
酸素吸入器なしで、ちょっとトイレに行くだけでも、動悸・息切れで倒れ込んでしまい、酸素飽和度は80%まで下がる。自分の身体はどうなってしまったのかと思って不安に苛まれていても、37.5度以上の発熱がなく、ベッドで安静にしている状態で酸素飽和度が95以上であれば、ほとんど寝たきりの状態でも症状軽快と見做され、無情にも退院させられる。
その後の経過を観察し、いざという時に面倒を見てくれる病院もない。
現状では、デルタ株以降、中等症Ⅱ以上の感染者であれば誰もが苦しむコロナ後遺症のケアが一切なされていないということだ。
たとえ医療のケアがあったとしても、対処療法しかなく、根本的には身体の自然治癒力に頼るしかない。
コロナ後遺症患者は、極めて孤独な状況に置かれている場合が多い。しかし、その深刻な後遺症の実態の調査が、公にはまったく行われていない。
例えば、退院して、いざという時の酸素吸入器がない部屋で、空咳を繰り返しながら、息苦しい夜を迎える恐怖を、誰にもわかってもらえない。
この状態で、何週間も、何カ月も、法定外自宅療養を余儀なくされる人も多い。コロナは簡単には回復しないのだ。
自分自身が、ちょっと動くだけで、酸素飽和度が急激に下がり、頭痛と空咳と息苦しさと脱力で、身動きが取れなくなるのだから、食事も作れないし、買い物など絶対に無理である。
身の回りの世話をしてくれる人がいなければ、正直、どうにもならない。頼れる人や身寄りのいない一人暮らしの場合、極端な話ではあるが、退院後、餓死する可能性だってある。
切実な問題である。
私自身、既に、退院から2週間経つが、今だに、数mの距離のトイレに行って、ベッドに戻ってくるだけで、酸素飽和度は70%台まで下がり、激しい空咳が続き、苦しい息で喘ぎ続ける状態だ。酸素飽和度90%まで回復するのに、ベッドに倒れ込んでから、安静にしていて5分はかかる。
家事どころではない。当然、2週間、一度も、外に出たこともない。
今でも、「自分は、明日の朝、目覚めないんじゃないか」という恐怖を、精神安定剤で抑えて、何とか眠っている。
それでも、私の自宅療養期間は、1週間前に、既に解除されているのだ。当然だが、以来、保健所からの連絡はない。
実際、中等症以上の入院患者の50%が、退院6カ月後でも、肺機能の低下から完全には回復しないという調査データがある。
私自身も、今の自分の状態から考えて、肺機能の完全回復には1年以上かかるかもしれないと覚悟してしている。
「ディア・ハンター」というベトナム戦争をテーマとした1970年代アメリカ映画の名作がある。ベトナムから故郷へ帰還した主人公(ロバート・デニーロ)が、友人たちの待つ我が家へ入ることができず、向かいの安宿の部屋で過ごすシーンがある。
コロナから生還した人たちの多くもまた、心理的に似たような状態にあるのかもしれない。専門的には、コロナ中等症Ⅱ以上の深刻な症状から生還した者が抱えるPTSD(心的外傷後ストレス障害)とも言われているようだ。
保健所の電話応対も、とても親身になってくださる方がいる一方で、対応が非常に事務的かつ機械的で、単に与えられた義務としてノルマをこなしているだけという方も多い。
「これ以上は法令上フォローできませんので、もし、具合が悪くなったら、救急車を呼んでください。」
「はあ」と、私は応えたが、本当は言いたかったのだ。
「今も、毎日、少し歩いただけで、酸素飽和度は80%以下にまで急激に下がってしまうんですけど、いったい、いつ、救急車を呼べば、いいのでしょうか?」
最後にコロナに関して、興味深いと感じたことをひとつ話そう。
私はコロナで入院していた20日間、一度も爪を切らなかった。なぜなら、爪が伸びなかったからだ。再び手の爪が伸びるようになったのは、つい最近のことだ。足の爪は、退院から2週間経った今も、まだまったく伸びる気配もない。
さらにコロナ発症から2ヶ月目に入っても、全身の皮膚の垢も出ない。髪の毛も一切の潤いを失ってパサパサだ。手の指先も潤いを失っていて、iPadの指紋認証もうまくいかない。
よく言われるコロナにまつわる「玉手箱」効果について、私はこう考えている。
身体がコロナウイルスと深刻な戦いを行なっている間、身体の細胞には酸素が行き渡りにくいため、生き延びるために、体細胞は余計なエネルギーを消費しないように不活性化するのだろうと。
皮膚の体細胞分裂も行われなくなり、皮膚表面は急に老化が進んだかのようにカサカサになる。筋肉も衰え、全身がミイラのように干からびてくる。
再び体細胞分裂が開始されるのは、ウイルスとの戦いがある程度一段落し、肺の機能が少しずつ再生され始めてからになる。