12月27日、空手仲間のF爺の命日だった。もう1年か...
コロナ禍中に奥さんの病気が発覚し、あれよあれよと言う間に逝ってしまった。悲しみに打ちひしがれたF爺はよく泣いていた。
直後、血尿が出、ストレスかもね?と話していたが、しばらくして膀胱癌と判明。セカンド・オピニオンならぬサードオピニオンまで聞いたが、あの病院は嫌だ、あの方針は気に入らぬ、となんだかんだ言って治療が遅れた。転移が発覚。F爺は更に泣いた。子供もおらず、親戚付き合いもなく、本当に孤独だった。頑固すぎる性格もあったと思う。それでも私を含む空手仲間の数人だけには心を許してくれた。
彼の家も、入院していた病院も、最後3週間弱過ごしたホスピスも道場に近く、通いやすい場所だったと言うこともあるが、可能な限り彼に寄り添った。
自転車で彼が入院していた病院へ通っていた時は、私が帰宅するまで安心できないから、家に着いたら電話を鳴らしてくれ、とよく言われたっけ。チームF爺と名付けて、夏休み中も彼が1人にならないよう通い続けた。
私達には弱さを見せながらも、最後の最後まで諦めなかったF爺。「空手家は泣かない。」「サムライは泣かない。」厳しいことを言ってしまった私。
クリスマスはなんとしても迎えたいと言っていたので、病室を去る度に、頑張れ!とガッツポーズをすると、彼もガッツポーズで返してくれた。しかし、ロウソクの灯が弱くなっていくように、日に日に弱くなっていった。だが眠り続けていたF爺はクリスマスの当日嘘のように元気だった。今までは演技だったの?クリスマスが明けたら、普通に退院しちゃうんじゃないの?とさえ思えた。
いろんなことを語り合ったね。食事にうるさかった割に、赤ワインと行きつけのビストロのティラミスだけはぺろっと平らげていたよね。普段私は、外食してもドルチェまでたどりつけないのだけれど、そのビストロへ行く度、今でも店主がFのティラミス食べるだろ?と言って半分の量を出してくれる。
命日は、チームFのメンバーで私達の台所であったビストロへ行きたかったが、クリスマスの連休と週末を合わせて休みだった。よって数日早めに彼を偲ぶ会を開いた。
F爺の姪御たちにクリスマスのメッセージを入れると、彼の遺灰は奥さんのそれと合わせてまだ彼らが住んでいた家に置かれたままだと知った。家も売るなり片付けないといけないが、なかなか進んでいないのだろう。流石にそこまでは私達が手出しをすることではないが、少し寂しい気がした。
ところで、クリスマスの日に友人からミラノの国立がんセンターのチャプレンであるドン・ルチアーノのクリスマスの挨拶のビデオが送られてきた。
『毎年クリスマスでは、信仰は確信ではなく、音を立てない涙だと学びます。純粋な愛ほど、何も求めず、ただ愛されることを求めるだけなのです。
(高齢の入院患者やホスピスにいる患者との会話を例に)たとえ苦しみの中、理解できない状況であっても十字架にかけられたその御顔をみつめる視線には、平和の一筋が宿っています。
あなた方は仮面をつけていない真実の姿を暗闇の中で見つけるでしょう。小さな光を見つけ、愛があなた方にとって毎日の奇跡であることを知ってください。私は一人ひとりあなた方を心の中に抱いています。苦しむ人々から日々学ぶ優しさであなた方を祝福し、希望を持ち続けます。』
F爺が過ごした静かな病院の中で無機質に光るクリスマスツリーが脳裏に焼き付いている。

F爺の最後の数日の会話や彼の表情を時々思い出す。最後まで頭はキレッキレの思慮深い方であった。
下手したら、自分の父よりも多く会話をしたんじゃないかと思う。彼の家の前を通る度、思い出が沸き起こるが、彼はいつも私たちの心の中に生きていて見守ってくれているのだと思う。また空手の話がしたいなあ。
