Natale 2025 ~ プレセーペ その2 San Satiro | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今日12月26日は、「キリスト教最初の殉教者」といわれる聖ステファノの祝日であった。

 

久々、晴れたミラノ。11時からのドウモのミサにあずかって来た。5分前にドウモに着くと、広場は人で既に溢れていた。

 

 

荷物チェックを終え、一歩ドウモの中に足を踏み入れると、荘厳な空気が漂う。もう始まってしまったか?と思ったら、ミサ前の「朝の祈り」がラテン語で行われていた。通い慣れた教会では、自分の座る定位置をほぼ決めているが、ドウモではこの辺り。

 

 

私達、信者たちにとってクリスマスは12月25日で終わるのではなく、「東方の三賢士」の到来(1月6日)を記念する「公現祭」まで続き、さらにその翌週の日曜日、「イエスの洗礼」を祝う日まで続く。ミラノの伝統としては、プレセーペやクリスマスツリーは、12月7日の「聖アンブロジウス」の祝日に出すのが伝統的。(しまうのは、公現祭までであったり、1月一杯であったりとさまざま)

 

しかし、考えてみれば、ミラノの大聖堂であるドウモには、なぜかプレセーペが飾られていなかった。

 

 
ドウモのようなゴシック様式の教会の大きなステンドグラスは、日光で内部を照らすだけでなく、聖書や聖人の生涯の重要な出来事が描がれており、本を読むことができない無学な人々にも簡単に「読める」という、正に重要な図解や解説のレパートリーそのものであったようだ。
 
 
ちなみに、1400年から1600年にかけての時代に、ガラス工芸の巨匠たちの技によって生み出されたステンドグラスには、聖ヨハネ福音書、イエスの誕生と説教、旧約聖書の人物、聖母マリアなどのエピソードが描かれている。

 

それにしても、祈りと聖歌はほとんどラテン語でミサにはついていけず。

 

ところで、「ステファノ」という名前は、ギリシャ語で「冠」という意味であるという。迫害され石打ちにされた彼は「主よ、わたしの霊をお受けください」「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と叫んだ。これは、イエスが十字架上で「父よ、彼らをお赦しください」と祈った姿と重なる。

 

イエス・キリストの赦しと愛を体現する彼の言葉(祈り)は、信徒としての模範でもある。ステファノは、「冠」と言うその名にふさわしくキリストの名のために殉教の冠を受けたのであろう。

 

その後、目と鼻の先にあるヴィア・トリノのサン・サテイロ教会へ。本来は市庁舎で行われている絵画展へ行きたかったが、サン・サテイロがお昼に閉まってしまうのでは?と懸念したからである。

 

 

「だまし絵」教会として知られているサン・サテイロ教会。サン・サティロ (聖サテュロス)は、聖アンブロジウスと、聖女マルチェリーナの兄にあたる。

 

 

 

美しい聖家族。

 

 

ブラマンテ設計の教会。普通に大きく見える祭壇は横から見るとわずか97センチしかない。

 

 
あまりにも美しすぎて、ぼーっとしてしまったくらいだ。
 
プレセーペはまさに生きた福音。プレセーペを前にして「主の降誕の場面を観想する時、すべての人と出会うために人となられた御子の謙遜に魅了され、わたしたちも霊的に歩み始めるように招かれている」という前教皇フランシスコの言葉(使徒的書簡『アドミラビレ・シニュム』2019.12.1)を思い出した。