忍耐 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今日日本人ミサにあずかって来た。
 
司式は3日後、12年ぶりに日本へ戻られるミラノ外国宣教会の元総長フェルッチョ神父様であった。
 
「12年ぶりの日本出発に向けて、日本語がおかしいかもしれません。変な日本語を発したとしても、ご理解ください」と始めにおっしゃった。いやいや、何をおっしゃる!私のイタリア語なんかよりもずっと的確で、理路整然とされ、非常にわかりやすい!逆に私、何年イタリア語やってるの?って感じであった。
 
さて、今日の福音はルカ21章5-19節「忍耐」に関する箇所であった。
 
人生には、何度となく、別れや裏切り、悲しみや苦しみといった困難を受ける事であろう。しかし、大事なのは、冷静に物事を受けとめ、立ち直ること。
 
ところで、聖ヨハネ・パウロ2世の言葉に、
過去を振り返ることは、将来に対して責任を担うこと」と言うのがある。これは、広島の平和記念公園での「平和アピール」で述べられたもの。
 
この言葉は、過去の悲劇を振り返ることで、その経験から学び、未来の平和のために責任ある行動をとるべきだという強いメッセージを伝えている。
 
しかし、スマホや動画サービスの普及、家庭や学校での生活リズムの変化、保護者の働き方の多様化など、子どもたちを取り巻く社会的環境が複雑化してきており、現代のスピード化した生活の中で、「忍耐力」が育ちにくいことを言及された。
 
人生は、ある意味、「忍耐」によって成り立っているといっても、過言ではないだろう。なんでもすぐに結果が出てしまうようであれば、努力する意味もなくなってしまう。「待つ」「努力を続ける」と言うことは、忍耐力の発達に大いに影響を与える。
 

かといって、「我慢」と「忍耐」は似て非なるもの。

 

違いを理解し、年齢に合った小さな目標設定と声かけを重ねるだけで、達成感と自信が生まれ、健全な忍耐力が身についていく。

 

子どもに対して、夫や妻に対して、友人や仕事関係の人、つまり相手に対して「忍耐」を持つ、それは「愛」のしるし、であると神父様。

 

イタリアに住んでいると、銀行やら郵便局では、忍耐が必要となりそれがストレスになることもありますね、と言って笑いを誘った。

 

また「忍耐」は相手に対してだけでなく、自分自身に対しても必要なことがある。

 

フェルッチョ神父様は、17歳の時、司祭になるために神学校へ進むべきかどうか悩み、地元の教会の神父に相談したのだそうだ。すると、1年よく考えるよう勧められたと言う。

 

1年は長かったと言う。しかし、言われたように、よく考えに考え抜いたと言う。そして、その間に信仰を深められたのだと言う。

 

とにかく、仕事や情報、プライベートなどあらゆる面で速さを重視する風潮である「スピード社会」であるが、「幸せ」や「平和」、「喜び」はすぐにやって来るものではない。

 

それは、じわじわゆっくり、パン種のように膨らむようなものではないだろうか。

 

そのためには何が必要か?

 

悩みや苦しみに対し、「希望」を育てていかなくてはならない。

 

忍耐は、希望があるからこそ可能になり、苦難が忍耐を、忍耐が練達(試練に耐える力)を生み出し、最終的に希望につながるという好循環が生まれる。これは、単に黙って耐えるのではなく、神に委ねて希望を持つことが大事。 

 

お説教の最後に、私たちの中で、希望(忍耐)が生まれるよう祈りましょう、と結ばれた。

 
今日の一句
時間かけ 育てるからこそ 愛おしい (星の王子さまとバラ)