愛は忍耐強い。
愛は情け深い。ねたまない。
愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。(コリントの信徒への手紙1 13章4節~7章)
先月、発表されたパパ様の新しい使徒的勧告「Amoris Laetitia」(愛の喜び)をイタリア語で読んでいる。256ページに及ぶこの文書は、2014年と2015年に開催された「家庭」に関する世界代表司教会議(シノドス)での討議と提案を受けた内容を土台に、パパ様が家庭や結婚に関する現代の諸問題について考察、まとめた文書である。
上記は、第4章「結婚における愛」にて、パパ様が聖パウロの言葉(”愛の賛歌”)を引用し説明されている非常に興味深い部分である。この祈りは、結婚式でよく読まれるが、男女の愛だけのことではなく、”人間としての愛”を謳っているといっても過言ではないだろう。
ところで”忍ぶ”というと、日本人的には、つらいことをじっと堪えて我慢する意味があり、どうも暗いイメージがある。しかし、イタリア語では"Scusare"という言葉を使っているが、一般的に”scusare"は許す、という意味だが、パパ様曰く、沈黙を保ちつつ、人を裁かない、悪口は言わない、とおっしゃりどちらかというと、ポジティブな沈黙な様にも思われる。
また、信じるということは、信頼関係が大切。イタリア人を見ていると、元夫婦で経営しているお店など結構ある。離婚しても、ビジネスのパートナーで居られるというのは、たとえ愛が冷めても信頼関係はあるということだろう。逆に信頼関係がなくなってしまったら、愛情どころか人間関係も築けない。
再び、パパ様の言葉を引用すると、「暗闇の裏に隠れたものを見る」ことも必要だという。また、「灰の下でまだ燃えているものを見る」。何か見えないもの、隠れたものの中にもつながりを見つけようとする姿が信頼関係なのだろう。
そして、結婚における愛は、相手のためを思う心、相互性、優しさ、安定などを秘蹟による特別な不解消性の中に融合した「最も大きな友情」と表現されている。結婚は「神の賜物を段階的に受け入れ完成させていくためのダイナミックなプロセス」だとも。
結婚は人生の重荷だ!バラ色の結婚生活などあり得ず、結婚と同時にゴングがなり、常に戦うポーズを取っている私だが(爆)”耐える”ことも”絶えざる成長の歩み”として捉えると、まあ悪いもんじゃないかな?と思った。
