あるサイトでの今月のテーマは「子供に手本を」というものである。読んでいて、耳が痛い。
子供は、親や教師の言う通りにはならないが、親や教師のする通りにはなるという。だから、子供には、周囲に良い手本がなければならないというわけ。「なってほしい子供の姿」を、親も教師も、自ら示す努力をしなければならないということだろう。
古くから「親の背を見て、子は育つ」といわれているが、今のせわしい社会、親が子に背を見せる時間も、また親が子に見せるべき背も持っていない嘆かわしい現実・・・。実際、子どもへの虐待、子ども同士のいじめ、学童、生徒の自殺まで続発する昨今、ここで、覚醒さるべきは「人生最初の先生は親」ということ。
子を甘やかす者は、傷の手当てに明け暮れ、
子がわめき叫ぶのを聞く度に、心を煩わす。
馬は馴らされなければ手に負えなくなり、子はしつけなければ、わがままになる。
子供は放任すればお前を驚きあわてさせ、溺愛すれば、お前を嘆かせることになる。
若いときには、腰を低くさせよ。
お前は子供をしつけ、子供のために労苦せよ。
さもないとその子は非行に走り、お前を困らせる。(シラ書30:7~抜粋)
いやいや、何をやっても困らされている。笑
今日は、あまりにも子供たちがうるさいから放っておいたら、最後に3人で殴り合いの喧嘩をし、3人で大泣きしていた。そこまでやって、気がすんだか!本当に疲れる。
「なる堪忍は誰もする。ならぬ堪忍、するが堪忍」。
人生におけるストレスの原因は、日本では第一が職場なり仕事関係であろう。その次に家庭。夫婦関係、親子関係など。距離が近い人間関係ほど、我慢、忍耐、そして、許すということはつらい。距離がある人間だったら、近づかなければいいだけだから。
誰にでもできる我慢は、我慢のうちに入らない。ふつうなら到底できない我慢、忍耐、許しができて、はじめて「堪忍」の名に値するのだと思う。
物分りの悪い伴侶も、親も、上司も、神からの訓練のための賜物なのだろうか。
でも私・・・聖人になりたいわけじゃありませんし・・・ついついいいたくなってしまう。だって、それが人間でしょう?開き直りはだめか。進歩無し?!
とはいえ、周囲の人々はもちろん、天にも大地にも、己自身にも恥じない振る舞いをしたい。そんな思いは手本の自覚となり、自然に子供に伝わるのだろうか。反省。