ミラノ・ドウモ。
何度出かけても感動する。
一人一人の司祭の名前が刺繍されていた。
洗面台も全て大理石
また、サン・カルロの遺体は教皇の法衣をまとっており、顔はジョヴァンニ・バッティスタ・モンティーニ枢機卿(教皇パウロ6世)がミラノ大司教時代(1954年~1963年)に注文した銀のマスクで覆われている。

「サン・カルロのスクローロ」 の対面側には、16世紀初期に「ペッレグリーノ・ティバルディ」によって設計で造られた「円形の礼拝堂」がある。天井は漆喰に金メッキが施され、8本の大理石に囲まれた祭壇には、殉教した聖人たちの遺骨が納められている。現在毎朝ドウモの司祭たちはこちらでミサを捧げられるのだそうだ。
その後、別の入り口から地下の洗礼堂見学。そこは以前書いたので割愛。
それからてくてく15分ほど徒歩でスフォルツェスコ城内のダ・ヴィンチの「ロンダニー二のピエタ」見学。
この春、サローネのイベントの一貫で、音響および照明デザイナーでもあるロバート・ウィルソンによる照明とピエタ像からインスピレーションを得たと言うアルヴォ・ペルトの音楽”Stabat Mater”との、アート、光、サウンドのインスタレーション(“Mother”)を観て来た。
あれは、暗闇の中での音楽と映像を共に堪能するものであったので、絶対時間厳守であったが、一般のピエタ像見学は、時間厳守とはいえ、少し緩いものがあった。笑
ガイドさんいわく、ダ・ヴィンチはもともとは正面に向かい聖母を彫り出していて、途中から作風が変わったということなので、よーく見ると頭の部分に顔が見えるのであった。
いきなり、すぐ退出するよういわれ、かといって次の食事まで微妙に時間があり、トイレ休憩になった。真っ暗だった空もやっと晴れ間が出て来た。
食事は、「飲み組」と「飲まない組」のテーブルに分かれていたようなので、「飲み組」の方へそーっと行こうとしたら、「T子さ~ん!」と呼ばれ、テーブルの真ん中へ。座って落ち着くと真ん前にアンドレア師が到着!
「え~~~っ‼」と驚くと「え~~~っ失礼じゃないですか!」と言われ大笑い。積もり積もったお話ができ楽しかった。
「私は、司教様にピメ(ミラノ外国宣教会)の総長様になって頂きたかった。しかし大東京教区の司教になられ、だったら、もう大司教、枢機卿様になって頂きたい!」と飲んだついで告白すると「出て行きなさい!」といわれ、また大笑い。笑愛されキャラの司教様。でも本当は、小教区の小さな共同体に根を下ろし、悩みを抱えている司祭や、高齢の司祭、そして信者、未信者に直接寄り添われていたかったのではないかと思う。お偉くなればなられるほど、会議も、出張も多くなる。宣教者の真髄とは…特に、老人ホームにおられる宣教者の方々のお話を伺うたびに考えることである。
食事もまた大急ぎ。バスで「最後の晩餐」のあるサンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会へ。
と言っても教会はこの時間は休憩中。私は「最後の晩餐」は観ないので、外で待っていた。2グループ順番に入っていった。
本来は、この教会から目と鼻の先に、ついに9月7日に列聖されるカルロ・アクーティスのゆかりの教会があるので、ご案内したかったが、そちらも休憩中。希望者が多ければ、早めに開けていただく交渉も出来るのでは?と思っていたが、まずは、巡礼団が前夜遅く到着されたばかりなので、無理はさせない、と言うことで断念となった。
アンドレア師曰く、最近出かけられたミャンマーでは、カルロは大人気だったそうだが、日本では今一つのようですね、ということであった。
そうこうしているうちに教会があいたので、中のLa Madonna delle Grazie、「神の恵みの聖マリア」聖堂で感謝と祈りを捧げた。
















