ミラノ再発見ツアー 〜 初期キリスト教時代の教会巡り | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

先月に引き続き、再び在ミラノ・北イタリア日本人会の企画によるミラノ再発見ツアーに参加して来た。

 

前回チラッとサン・ロレンツォのモザイクは、ラヴェンナのそれよりも古いと聞いており、是非ガイドさんと共に観てみたいと思っていた。本来別件の予定があったが、急遽予定変更。

 

まずはドウモより徒歩5分ほどのサン・ジョルジョ・アル・パラッツォに集合。

 

こちらの教会は地元小教区内の聖年の企画で4月に巡礼訪問していた。司祭による案内、しかもイタリア人の教会員との巡礼は私の知識レベルを遥かに上回るもので、基礎的な歴史云々は全て知っていると言う前提で話が進められるから、意外に聞くに聞けない、わからないことさえわからないことばかりであった。

 

トリノ通りのほぼ中間に位置するこの教会。前回の遺跡巡りでは、教会の裏あたりに、皇帝の神殿跡が発掘されているのが分かったが、多分この教会あたりまでが城塞になっていたことが明らかだ。教会としては、もっと後の8世紀のロンバルド時代に創建され、17世紀にバロック様式に改修されている。

 

 

まずは奥の飾られた絵画と石板の説明から。

 

ローマ帝国では、皇帝崇拝を拒否するキリスト教が異教とみなされ、迫害されていた。313年にコンスタンティヌス帝により、ローマ帝国でキリスト教を公認する、と言ういわゆる「ミラノ勅令」が発せられた。

これにより、それまで厳しく弾圧されていたキリスト教の信仰が自由となり、教会活動が盛んになったというが、これはキリスト教だけなのか?という認識であったが、石板によれば、全ての宗教が自由になったようであった。

 

 

 

 
ローマ帝国宮殿内にあるこの著名なバシリカは、何世紀にもわたって有名なミラノ勅令の記憶を保存し、伝えている。それは、313年、コンスタンティヌスとリキニウスが、キリスト教徒が自由に信仰を表明する権利を認め、信教の自由の模範を世界に示した。1978年6月13日 聖ゲオルギウス神聖軍事コンスタンティヌス騎士団 
 
 

 

ところで、この気になる十字…。ギリシャ語の頭文字「クリストス」(Χριστός、キリスト)を表すPXの十字架は、キリスト教の重要なシンボルである。PXは、しばしば始まりと終わりを象徴するアルファとオメガ(AΩ)を伴い、救世主であり万物の主であるキリストを象徴している。

 

しかし、帰宅してよく画像を見ると、説明の無かった"V" と"H"とはどういう意味?調べても出てこない!「教えて神父さ~ん!」一人の司祭の顔を思い浮かべた途端、なんとその司祭からチャットが入ったから驚いた!「すいません、ついでに教えてください!」と教えを乞うと「僕も知りませんでした。勉強になりました。ありがとう。」と言われてしまった!笑

 

頭文字の"IHSV"はラテン語で"In Hoc Signo Vinces"の略で、イタリア語で"in questo segno vincerai"(この印があれば勝てる)という意味である。

 

このモットーは、コンスタンティヌス帝がポンテ・ミルヴィオの戦いの前に見たという、"In Hoc Signo Vinces"と刻まれた光の十字架に関連しているようだ。IHSの文字は、ウィキペディアの説明によれば、ギリシャ語で「イエス」を意味するイエスの名前(ΙΗΣΟΥΣ)の最初の文字、2番目の文字、最後の文字、すなわちΙ-η-Σも指している。In Hoc Signo Vinces(イン・ホック・シグノ・ヴィンチェス)」と付け加えられた「V」がモットーの意味を完成させているという説明。

 

いや~こういう雑学が一番嬉しいのだ。笑

 

ところで、この時期、イタリアの学校は学年末が近づき、試験もそろそろ終わるか終わった頃だろうか?なので、課外授業も多く、どこへ行っても学生ばかり。こちらのサン・ジョルジョでも高校生たちがおり、ルイ―二の絵画「キリストの降下」の順番待ちとなった。

 

  
 
殉教の悲しみに打ちひしがれる人々

 

  人生の禍

 

 

この男を見よ

 

 
いや~、ラテン語を学びたくなった!

 

続く