パパ様の急逝に伴い、葬儀やらコンクラーヴェやら教皇就任式で列聖式はどうなってしまうのか?気になっていたが、案の定今週末27日日曜日に予定されていた、福者Carlo Acutis 師の列聖式は延期となった。
2006年15歳の若さで白血病により帰天、超スピード列聖にも意味があるのだろう。「ミレニアル世代初の聖人」となるはずであった。しかし、ミラノの大司教であるマリオ・デルピーニ師曰く「カルロは既に聖人である。列聖式が延期されようとさほど大きな違いはない」。
いずれにしても、こうした若い聖人たちの誕生は、私たちに勇気を与えてくれるものであろう。
「聖人」とは “昔の偉い人” ではなく、私たちと同じ存在が、日常を生きる中で聖性を育んでいったのだということ、私たちもそのような生き方に召されていることを感じさせてくれるのではないだろうか。
先週から、日本の信者さんが仕事を兼ねてミラノにいらしており、復活祭の日に、カルロが7歳の時に初聖体を、12歳の時に堅信を受けたミラノ、Santa Maria Segreta教会を共に訪問して来た。
素晴らしい聖櫃。
カトリック教会において、聖櫃は「人間の間に住まわれる神の家」。同時に、旧約のマンナの象徴であり、人々の糧である聖なるパンを保存する新約の箱舟。聖堂の中でも最も大事なものなので、鍵がかかっている。
カルロが生前、幼少期からこの教会で祈りを捧げていたのだなあ、と思うと胸が熱くなった。
彼の「聖性」と言うものは、いきなり生まれたものではないだろう。ブルジョワ家庭に生まれたとは言うものの、神のご計画、つまり神に準備された「道」というものがあったのだろうと確信している。
彼の祝福された人生プロジェクトは、イエスと共に、イエスのために、イエスと結ばれて生きることであった。彼の人生は、虚しいことに捧げるのではなく、神に捧げ、自分のすべての事業を神の手に委ねることであったと言う。
思わず、ミサの中心部分である奉献文が脳裏を横切った。
『キリストによって、キリストとともに、キリストのうちに、聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに、すべての誉れと栄光は、世々至るまで。』
アーメン








