非常事態と日常の間 〜 人間万事塞翁が馬 その3 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

昨日3月11日は、東日本大震災及び東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生からから14年、追悼の日であった。

「震災関連死」を含めた東日本大震災による死者と行方不明者は、合わせて2万2228人にのぼり、避難生活を余儀なくされている人は、2万7615人となっている。
 
遠いミラノで何が出来るだろうか?考えて来た。いくつかのチャリティイベントを主催したり、参加もしてきたが、それだけで自己満足してないか?と思うことも多い。かといって、もちろん現地入りしてお手伝いすればいいとも、必ずしも思わない。その辺が難しいところだ。
 
いずれにしても、震災やコロナ被害など、人生における幸不幸は予測し難い。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのが人生。
 
しかし、こんな詩を見つけた。
 

待つだけでは来ない

われわれの不幸は 待たなくてもやってくる 

だがわれわれの幸福は 待つだけでは来ない by坂村真民 

 

不幸は「やってくる」、と言うよりは「舞い込んで来る」のかもしれない。しかし、幸せは、幸福は舞い込んで来るのではなく、自分の責任、自分の努力も必要だ。

 

そして、「不幸」の場合、たとえ誰のせいでなくても、不幸と思う事を考えたり、不幸と思うよりも、乗り越える言葉、思い、行動に変えることによって、人生の流れが変わるのではないだろうか。

 

そんなの経験していないから言えるのだ、とお𠮟りを受けるかもしれない。コロナに関しても、直接死に至る思いはしていない。(家業は大打撃を受け、いまだに回復していないけれど)けれど、どんなに苦しい事も最後は、自分に、そして大切な人への糧になるのだと思う事によって、乗り越えられるのだと思いたい。

 

ところで、「塞翁の馬」とは、塞翁の馬が逃げたが、北方の駿馬を率いて戻って来た。喜んでその馬にのった息子は落馬して足を追ったが、ために戦士とならず命ながらえたという故事。

 

人間、良いこともあれば悪いこともある。だから、あまり不幸にくよくよするな、とか幸せに浮かれるなという教訓として生かされる言葉になり、人間万事塞翁が馬などと使われるのだそうだ。

 

生きていればきっと良いことはある。人生の最期に「いい人生だった」と思えるように生きたいと思う。

 

今日の一句

人生は (良くも悪くも) 先が見えない 塞翁が馬