
今日2月26日は亡き父の誕生日。
生きていれば米寿の88歳だった。
15年前73歳になる直前に心筋梗塞で倒れ、慌てて次男を連れて帰国した。
入院中「誕生日か...」と言っていた事を思い出す。それからというもの、毎年1月、2月...春を迎えるまで心配で気が気ではなかった。
そして他界する5年前も誕生日直前に入院したのであった。でもそこですぐに逝ってしまうとは思いもしなかった。ただコロナが流行り始めていた頃だったので、帰国することを躊躇し、コロナで亡くなったわけではなかったが、世の中がコロナ一色になる直前で、とりあえず葬儀が出来ただけ良かったと、当時も今も思うのであった。
ただ父が他界した3月8日の翌日からイタリアはロックダウン。そのまま10ヶ月もミラノに戻れなかった。
しかし、少なくとも母のそばにいられただけ、精神的には支えられたと思っている。
あっという間の5年だった。コロナで家業の旅行業が一気に悪化し、生活も苦しくなり、私も仕事をせざるを得なくなった。
我が家の子達は成長したが、シッター業やら空手で、心身ともに目まぐるしい生活であった。(今もだが...)
周りの友人でも親の体調が悪いというと慌てて帰国する人たちも多い。そういう年代だから仕方ないのだが、何かと人生の晩年を考えることが多くなった。
人生は日々の積み重ね。丁寧に生きなければならない。
ところで、親の誕生日を迎える度に、自分の命の奇跡を想う。
...一人の人間が生まれるためには、両親が必要で、その両親が生まれるためには、それぞれの両親4人が必要である。そのように辿っていくと、10代遡るならば1024人の親が必要となる。そして、両親から、10代前までの人数を足していくと、なんと2046人!
また、20代遡るならば1,048,576人の親が必要で、その人数を足していくと、2,097,150人!!もちろん、その中では、養子縁組など血のつながりがない人もいなくはないだろう。しかし、その中のたった一人の親が欠けても、「私」という人間は存在しない。私たちの命は奇跡の命であるのだと改めて思う。(しかし、10代前、20代前っていつの時代よ!)
だから、感謝は忘れてはいけないし、そしてまた、自分の親に、悲しい思い、寂しい思いをさせてはいけないと思う。
桜散る 残る桜も 散る桜 by 良寛
お通夜の時、お坊さんが紹介された良寛の句だ。早くもローマで桜を見かけた。
「今どんなに美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散るのです。人生そのものです。」上記、お坊さんはそうおっしゃっていた。
限られた「命」。桜が散るのは寂しいが、 美しくもある。父は逝ってしまったが, 私の心には生きている。
人は生まれた時から死に向かい、いずれ私も散る日が来る。それは散っていく命ではなく、美しく咲く命。花の命は短いけれど、満開を迎えるまでは、どれだけ風雨にさらされても、散ることのない桜の花。
かよわそうに見えて強い。流されず、自分の花を咲かせきる。意志のようなものさえ感じてしまう。
桜散る 残る桜も 散る桜
自分の人生を咲ききろうと父に教えてもらった。
今日の一句
父思う 幸せ招く 福寿草(2月26日の誕生花)
