さよなら、ありがとう | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

大晦日の夜、来伊中の友人と食事をし、新年を迎えてから、ホテルまで送って行く際、生まれて初めて「コムローイ」と言うものを見かけた。

 

毎年12月31日の大晦日、新年を迎える前に、チェンマイでは気球に願い事を書いて空へ放ち、願い事の成就を祈るのだという。

 

チェンマイでは、無数の光が川のように夜空を流れ、どれほど素敵なのだろう。一つだけアパートの窓から放たれる様子をずっと眺めていたのだが、きっと誰かしら「未確認飛行物体」だと言って大騒ぎするのではないか?と思ってしまった。笑

 

遠くで爆竹が鳴り響く中、静かに飛んでいく、と言うよりは空に流れて行く様子は、なぜか灯篭流しのように、死者の魂を弔い、今を生きる人々の平和への願いを改めて強くさせているように感じてしまったのは、やはり先日帰天したF爺への思いが強かったからだろうか。

 

そして、今朝彼の火葬が行われた。

 

一緒に彼に寄り添ってきたが、昨年春に帰国してしまった友人はいつも空を眺めて、F爺の事を思い出していると言う。空の画像を撮って彼女に送った。

 

今朝のミラノの空はどんより曇っていた。

 

 

火葬は10時45分からと聞いていたので、10時半に着くと、受付で11時半から、と言われ、時間が変わったのか?と思っていたら、10時45分から火葬場付きの司祭が来て、簡単な祝福を授けられた。

 

棺は、今朝彼が最後にいた施設から直接やって来た。最後に、いくつかの遺品と共に蓋をされ、釘をされていたようだった。姪御さんに前もってお願いしていた通り、黒帯を入れて頂いた。道着はいれるスペースがなかったようだ。

 

棺は立派な木材でできており、十字架、そしてF爺の名前、生年月日と逝去日が刻印されているシンプルなものであった。

 

火葬は、身内や友人たちは、日本のそれと同じように、遺灰になるのを待ち、骨壷に共に入れるのではなく、数日後遺灰が準備出来ると、連絡が入り、改めて身内が取りに行くようであった。

 

どちらが良いのかはわからない。ただ自分の父の骨と遺灰を見て、人生の儚さを感じた。これは子供たちは見ていないが強烈だった。ちなみに夫の母の時は、次男を妊娠中だったため火葬場まではついて行かなかったし、祖父母の時の記憶もない。

 

しばらく、火葬場の人が棺を迎えに来るまで、皆でF爺の思い出を語り合った。親類の方々は、道場の数名の名前を良く聞いているようであった。また、私たちもF爺とは常に、空手の技術的な事を始め、道場のこと、道場での人間関係など、常に道場のことばかり話してきた。

 

道場は彼にとって、「家族」だ、と常に言っていたが、まさに一部の仲間は家族のように、思い合い、助け合い、寄り添って来た、と思う。

 

大切な人が逝ってしまった。

 

さよなら、ありがとう。チャオチャオ、F爺!いつの日か、また逢えるから、笑って涙にさよなら、ありがとう。