怒涛の12月 2024 その5 〜 クリスマスの精神 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

主のご降誕おめでとうございます。

 

12月は毎年慌ただしいが、こんなに落ち着きのない年末は珍しい。とはいえ、この1ヶ月濃い日々を駆け巡る中、やっと静かなクリスマスを迎えられた。

 

24日当日、シッター先へ向かうと、前日嘔吐し熱っぽかった次男は一晩寝たらすっかり元気になっていたが、今度は長男が目がヒリヒリするとかぐずぐず言っていた。最後の最後までハイテンションで体・神経を使う。この仕事、いくつまで出来るだろうと思う。

 

そして、前日顎呼吸していた空手仲間のF爺。ついに来たか...と思い仕事前と仕事後にホスピスに寄った。空手仲間にも連絡し、心ある人たちに周りを囲まれる時間を過ごしたようであった。

 

「生きてい」と「生きてい」とは一文字違いだが、意味は全く違う。一人の人間が「生きてい」ということは、その人の生命力を必要とし、他人からの「愛」や「信頼」が活力になるのではないだろうか?毎日F爺を見ていて、そう感じる。

 

帰宅し、クリスマスの深夜ミサは0時から。聖歌隊の練習が23時半からであった。この1ヶ月聖歌隊にはほとんど参加できず。長男と次男が夕食を準備してくれていた。トルテッリーニと肉を煮込んだシチューにポレンタ。テイラミス。どれも美味しかった。

 

クリスマスの祝い方は、宗教観はもちろん、各家庭、そして人それぞれだが、クリスマスプレゼントのプレゼントを探し求めるため12月は忙しい。

 

しかし、もらうだけではなく、与えること、分け合う事の方が、より大きな喜びを与え、その喜びは持続することだろう。それは物だけではなく、時間や思いやりも人に与えることが出来る。

 

それは、「無私無欲の愛」。得ることではなく、与えることによって、クリスマスの精神は、生かされる。

 

互いに思いやる心。あまり恵まれていない人々を助けるために、愛をもって手を差し伸べる。私たちの心は和らぐことだろう。敵を赦し、友を思い起こし、神に従う。

 

私たちは物ではなく、人にもっと関心を寄せるべきであろう。


自分の周りにいる人々を大切にしましょう。それは宝です。彼らを大切にすることで、神様はそこにおられます。byバレンタイン・デ・スーザ
 
今日の一句 
クリスマス 善意がもたらす 地に平和