教会巡り 2024 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

帰国の度に、知り合いの司祭や友人のいる教会を回る事が多い。
 
今回は鎌倉へ。

 

 

神学生の頃に知り合い、2021年に叙階されたばかりの若い司祭が来日し、まずは2年間日本語をばっちり勉強。

 

この春、鎌倉の雪の下教会に着任。同じ鎌倉には由比ヶ浜教会と言うカトリック教会もあり、ミラノ会(ミラノ外国宣教会)のイタリア人司祭が3人続けておられた時代があり、そのうちお一人が昨年8月8日に帰天されたが、残りのお二人はミラノより電車で1時間ほど離れたレッコ湖のミラノ会の養老院におられ、年に数回訪問しているので、やはり由比ヶ浜教会には一度行きたいと長年思っていた。

 

毎週、由比ヶ浜には雪の下教会より司祭が来て、ミサをあげてくださっているようだが、ちょうど4日が、上記彼の番であった。

 

 

朝9時。まだ人の流れはまばら。駅で待ち合わせをしてから一緒に由比ヶ浜へいく予定であったが、早く着きすぎてしまい、じゃあ雪の下へ来て下さい、と言われた。鎌倉駅から5分。最高の立地条件!

 

 

あー、小町通り歩きたい!と思いつつ急いで教会へ。そしてそこから車で5分くらいのところにある由比ヶ浜教会へ出かけた。

 

由比ヶ浜教会の教会守護神は「被昇天の聖母」。1913年パリ外国宣教会によって当地に建てられた。明治6年(1873年)、切支丹禁令の高札が撤廃されてキリスト教布教が黙認されるようになったが、創立当初は、まだ国内にキリスト教会は少なく、鎌倉にはプロテスタントのメソジスト教会(現在の日本基督教団鎌倉教会)があるのみだったそうだ。

 

 

 

 

 

 

教会の建物は関東大震災で一度損壊したそうだが、1928年(昭和3年)に本格的な聖堂と司祭館が新築された。以来幾度かの改修を経たものの現在まで続き、白とさわやかなブルーの外壁、木の構造と石の内壁、イエスの受難を描いた「十字架の道行き」のステンドグラスが特徴。

 

洗礼堂の日本人の御絵は高山右近???

 

ところで上記司祭は、日本語勉強中、カタカナで挫折しそうだ、と言っていたが、さすが言語のマジシャン‼︎お説教も上手であった。一般の日本語と教会の日本語は別物だし、自分でお説教を考えるのも一苦労だろう。たった2年で流暢に日本語を話される司祭に脱帽!。

 

ミサ後、建物の外でコーヒを頂き、信者の方々とおしゃべりをしながら、記念撮影(後からレッコの神父様に送付)。とてもアットホームな感じが素敵だった

 

その後、司祭とここ数年交流のある信者さんと食事に出かけた。日曜日ではあったが、穴場のレストランがあるという事で、海辺のレストランに連れて行って頂いた。

 

 

その後カトリック雪の下教会へ移動。

 

雪の下教会は、1948年5月に、カナダのレデンプトール会の司祭が来日し、聖母に対するノベナを捧げたことによって見つかったのが、発祥の地だと言う。余談だが、私がローマで聖書を学んだのも、雪の下教会にいらした事があるレデンプトール会のカナダ人の神父様であった。

 

またこの春、雪の下教会の司祭は総入れ替えしたそうだが、現在の主任司祭は、人事異動が発表された日のちょうど20年前にミラノで黙想会が行われ、ローマより指導して来てくださった方。もちろん直接お会いして御挨拶させていただいた。

 

お御堂には、潜伏キリシタンの悲劇を伝える油絵が展示されている。

 

キリシタンへの弾圧が激しさを増す元和9(1623)年、江戸から鎌倉に巡回にきたフランシスコ・ガルベス神父が懸賞金目当ての船頭の密告によって鎌倉の海岸で捕まり、小袋谷村のキリシタン、ヒラリオ孫左衞門夫妻らも江戸に護送されて火あぶりなどで処刑されたのだそうだ。

 

 

その後鶴岡八幡宮へ散策。あまりにも暑すぎてすぐに戻って来てしまった。笑

 

 

 

その後、川崎市北部へ出かける用事があるという司祭の車に乗せていただき、途中まで一緒におしゃべりをしながら帰った。

 

イタリアで運転をしていたが、日本での運転は非常の安心できると言っていた。その割に、高速で2回も出口を間違えてしまい、2回Uターン。その度に大笑いし、沢山のことがお話しできた。感謝。

 

今日の一句

出会いとは 神のみ摂理 神のみわざ