教会巡り | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

メイストーム(この言葉、初めて聞いた!)の後、巷はゴールデンウィーク。観光兼ねて教会巡り。

 
 
 
 
片瀬教会は聖ヨセフに捧げられえいる聖堂。  1995年にすべての人に平和が与えられることを祈って建てられた「暁の星なる聖母子増」(親松英治氏制作)
 
 
外観も内装も純和風の片瀬教会。キリシタン禁止令が出る前のカトリック教会建築には和風建築もあるが、明治以降はほとんどが西洋建築に変わってきている。
 
片瀬教会の始まりは1891年、明治24年の夏、ヘンリック神父と片瀬地方の山本庄太郎氏との出会いが,ご子息信二郎氏の受洗とうい形で芽生え大正8年に山本家の一部屋に借聖堂が設けられ,ミサが捧げられた時までさかのぼるという。何度か訪問しているが、ステンドグラスもなく、ただただシンプルなお御堂で、心休まる空間。
 
こちらは、鎌倉の雪ノ下教会。
 
 
ファサードの壁画は『絶えざる御助けの聖母』のモザイクを写したものだそうで、雪ノ下教会は絶えざる御助けの聖母に捧げられている。1948年5月に、カナダのレデンプトール会セント・アン・ド・ボープレ管区より三神父(カンパニヤン、レベック、ドモンティニ)が来日し、聖母に対するノベナを捧げたことによって見つかったそうで、雪ノ下教会発祥の地。奇しくも、絶えざる御助けの聖母の祝日、6月20日だったという。また、小数区が発足して、教会が脇田司教によって祝別されたのも、奇しくも、翌年1949年の絶えざる御助けの聖母の祝日である6月19日だったそう。
 
考えてみれば、このファサードの壁画は、25年前イタリアに渡り,語学学校で知り合った友人の家に入り浸っていた時に近所の修道会の前でよく見かけていたものだった。駐在つながりで知り合ったご婦人が、すぐにオランダへ横移動となったが、彼女のお友達がその修道会で日本語での聖書の集いに通われていらっしゃるわよ、と教えていただき,通い始めたのがレデンプトール会だった。数年前にカナダで永眠されたブドロー神父様は、当時在ヴァチカン日本大使館の顧問でもおられ、在ローマカトリック日本人会の初代事務局長でもおられた。現在私が在籍している在ミラノカトリック日本人会もかれこれ設立3,40年となるが、当初は司祭がおらずブドロ神父様にアレンジをお願いしていたという。その神父様もイタリア本部に戻る前に、日本にはかれこれ55年滞在されておられ、著書「日本を愛して55年」の鎌倉八幡宮の鳩がイラストされた神父様作の童話が記憶によみがえる。
 
 
こちらは鎌倉キリシタン殉教の絵。元和9年(1623年)江戸殉教の15名の中には鎌倉キリシタンも含まれていたという。
 
実は、現在でも鎌倉は長崎の次ぎに人口当たりのカトリック系の教会、修道院、病院の多いところだという。ちなみに、考えてみれば、上記片瀬教会主任司祭、雪の下教会助人司祭、由比ガ浜教会、大船教会の司祭たちは皆ミラノ外国宣教会の司祭たちだ。今回,平日だったのでミサはなく、司祭たちに会うことは無かったが,足を運べてよかったと思う。
 
信者として、殉教者をしのび、信念を貫いた末に命を落とした人々に祈りを捧げたい。