復活祭明けのいわゆるイースター・マンデーのことをイタリア語では"pasuquetta"(パスクエッタ) または"lunedi dell'angelo"(ルネディ・デランジェロ)と呼ぶ。
まず、復活祭は"Pasqua"(パスクワ)と呼ばれるが、それは『過ぎ越し』Passare超える+Quaここが由来。
また、"Lunedi dell'angelo"とは、天使の月曜日。復活祭の翌日、墓を見に来た女性たちの前に天使が現れ主の復活を宣言するが由来。ちなみに今日のアンブロジアーノ典礼の福音はまさにその部分であるルカ24ː1-12であった。(ローマ典礼の福音箇所はマタイ28ː8-15)
そして、主の復活後、我がパロッキアではしばらく毎回、ヘンデルの『見よ、勇者は帰る』のイタリア語版"Cristo è risorto, alleluia"「キリストが復活した。ハレルヤ」という聖歌を歌う。
しかし、なぜかいつも手拍子と共に!そして↓の楽譜の赤い部分を、主任司祭のアカペラ?が入る、という微笑ましいもの…。
ところで、このパスクエッタ。常に悪天候。おとといの徹夜復活祭中は嵐のようで、満月どころではなかった。
イタリアでは、
"Natala con i tuoi, Pasuqua con chi vuoi"
クリスマスは家族と、パスクワ(復活祭)は好きな人と、といういわれがあるのだが、あまりにもパスクワ、パスクエッタは曇りや雨が多いので、
"Natalae con i tuoi, Pasqua con Kway"
クリスマスは家族と、パスクワはKwayと、とジョークがSNS上で出回っていたほど。
ちなみにKway(ケイウェイ)とは、フランス製のレインウェア。フランスやイタリアではレインウェアの代名詞。「コンパクトで軽量、⾼い防⽔性にお洒落なデザイン」がおしゃれなフランス人やイタリア人に愛される理由であろう。
こちらは今朝の、教会前の広場。午後雨の予報であったが、とりあえずなんとか降らずに乗り越えられた。
Giuda" 『ユダの木』と呼ばれている。
言い伝えでは、ユダはこの木の下でイエスにキスをし、裏切ったという自責の念に駆られてそこで首を吊ったと言われている。ちなみに、和名は『セイヨウハナズオウ』。花言葉は、疑惑、裏切り、高貴、喜び、目覚め、豊かな生涯、などがある。
やはり裏切りか…。なぜかこの時期、ユダを想うことが多い。プライドが高く、それでいて想像以上に臆病で、繊細だったのかもしれない。
「心よ」
こころよ
では いっておいで
しかし
また もどっておいでね
やっぱり
ここが いいのだに
こころよ
では 行っておいで (八木重吉)
先日も書いたが、ユダとペテロもイエスを裏切ったが、二人には大きな違いがあった。
「もどる」ところがあることに気づける。「もどる」ところがあるから、安心して悩み、迷うこともできるのだ。そして生まれ変わることが出来る。
人生には、息詰まったり、不遇なことが容赦なく訪れることがある。そういう時は、背筋を伸ばしてゆっくり呼吸してみよう。
辛いことや不幸なことも、どんなことの中からも、神様は恵みを与えて下さる。復活の力は、十字架や死を乗り越えるものであろう。困難の中でこそ、「喜び、希望、感謝」して生きていきたいものだと切に思った。
今日の一句
パスクエッタ ユダの木眺め いろいろ思う





