来る12月24日、パパ様はサンピエトロ大聖堂の聖なる扉を開かれる。
1300年に聖年が定められ、はじめは50年おきに行われ、1400年からは25年おきに変わり2回ほど行われない年もあったが、26回目にあたる2000年は「大聖年」とされた。
その後、2015年12月8日「聖母無原罪の祝日」より2016年11月20日の「王であるキリスト」の祝日まで「いつくしみの特別聖年」が現在のパパ様によって開催されたのは、記憶に新しい。
ところで、ヴァチカン・サンピエトロ大聖堂に5つある扉のうち、一番右が聖年の扉(Porta Santa)であり、通常は閉まっている。外側から見るとわからないが、内側は、コンクリートで固められている。扉の内部には、サンピエトロ大聖堂聖省(Fabbirca di San Pietro)の刻印が入った煉瓦が詰まっている。この扉が聖年の開始とともに開けられるのだ。
そして、聖年には、ヴァチカン四大バジリカの聖年の扉がすべて開く。
サン・ピエトロ大聖堂の聖年の扉が開かれたあとに、サン・ジョヴァンニ大聖堂(12月29日)、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂(2025年1月1日)、サン・パオロ大聖堂(1月5日)の聖年の扉も開かれ、この三つの教会は同年12月28日をもって聖年の扉が閉まるが、サン・ピエトロに関しては、翌年2026年1月6日の「主の公現」の祝日に扉が閉じられる。
余談だが、「いつくしみの特別聖年」の年の9月に「いつくしみの聖人」としてマザーテレサが列聖し、その列聖式に私自身参列できたのは大きな恵みであった。一度にローマの4つの聖なる扉を通ることもできた。
聖年は、一般的にその年にローマを巡礼すると特別な赦しが与えられるとされているが、かつてはローマに巡礼することのできない信者に対しては、同等の効果(罪の赦し)を与える贖宥状(免償)が出された。最近では聖ヨハネ・パウロ2世の教皇大勅書(受肉の秘儀)にて規定され、指定された教会が巡礼の対象となった。
こちらは、Giubileo 2025のロゴ。
このロゴマークは、地球の四方から集まってきた全人類を、四人の図案化された人物によって表現しているのだという。彼らは抱き合っていて、すべての民を結びつける連帯と友愛を示している。
先頭の人物は十字架をつかんでおり、それは、抱いている信仰のしるしであるだけでなく、捨て去ることのない希望のしるしでもあるという。なぜなら、希望はいつでも、そして深く困窮しているときにはとくに、求められるものだからだ。
人物の下に押し寄せる波は、人生の旅がいつも穏やかな歩みであるとは限らないことを示していいる。個人的な出来事や世界に起きていることの多くは、より強く希望を求めさせるものなので、長く伸びて、錨の形に変わって波に下ろされている、十字架の下部が強調されている。
ちなみに、「錨」は希望の比喩としてよく用いられている。事実、船乗りの符牒では、嵐の際に船を安定させるため、緊急発動するボートによって投錨される予備の錨のことを「希望の錨」と呼ぶのだそうだ。
このロゴが表すものとして見逃してはならないのは、巡礼の旅は個人的なものではなく共同体的なもので、よりいっそう十字架へと向かっていくダイナミズムを備えたものだということ。
この十字架は、静的ではなく動的なものであり、人類を捨て置かず、人類に向かって身を伸ばして、存在の確かさと全き希望とを与えてくださるのだ。
またミラノ大司教区では、12月13日にドウモ、サンタンブロージョを始め9つの教会の扉が開く。前回同様我が家の前のドンニョッキ病院内の大聖堂もその一つだ。
前回、ヴァチカンの聖なる扉が開き、ミラノの指定された教会の扉が開く直前、共同回心式が行われたのは、感動的であった。普段コンサートにしか行かない教会であるが、お御堂はびっちり信者で埋まり、20人以上もの司祭が、お御堂の外の廊下にまで移動し、順番に赦しの秘蹟を受けるのだ。(あー垢のように罪が溜まりに溜まっている!)
聖年を目前に控え、より謙虚に、聖霊から湧き出る祈りと共に迎えられることが出来ますように。
今日の一句
聖なる門 希望の巡礼 勇気を持って!
公式聖歌 "Pellegrini di Speranza" 「希望の巡礼」
https://www.chiesadimilano.it/news/chiesa-diocesi/apertura-giubileo-2025-2633761.html







