夜の8:30に地元教会に集合し、ドンニョッキまで7-800メートルのところをゆっくりとロザリオを唱えながら出かけた。早く到着してしまい門の前で待っているとあれよ、あれよといううちにすごい人山となった。9時になり歌いながら門をくぐった。
福音、オメリアを聞き、赦しの秘蹟にあずかるために、良心の糾明、そして祈りを捧げる。お御堂には約250人ちかい人がいただろうか。そして司祭は20人前後。司祭があちらこちらに散らばり、適当な場所で秘蹟にあずかるというもの。膝間づいてしているところ。椅子に座って向き合っている人もいれば、横に並んでいるものあり。私はすでに日曜日に秘蹟に預かっていたが、どうもすっきりしないものがあり、もう一度秘蹟に預かった。それは立ちながら...
終了し、自分の席にもどり祈りを捧げる。秘蹟が終わると、笑顔の人、涙を流している人、と様々。一度にこんなに多くの人が同時にゆるしの秘蹟を受けたのは初めて。感動だった。
いつくしみ...それは人生の旅路で出会う兄弟と真摯に向き合うとき、それぞれの心で働く、基本となる法です。
いつくしみ...それはわたしたちの罪という限界にもかかわらず、いつも愛されているという希望を心にもたらすもので、神と人が一つになる道です。(教皇フランシスコ、「いつくしみの特別聖年公布の大勅書 」より)
教会のいつくしみの扉は常に開いています。
パパ様は、神は常にいつくしみの扉を開き、あらゆる人に救いの手を差し伸べているのだから、全ての教会と全てのキリスト者の心は決して他者に向けて閉ざされてはならない、と強調されている。まこと、確かに。「アーメン」である。
この1年間、ジュビレオを機に、私たち一人ひとりが、愛である神について、またこのジュビレオが、キリスト者として何を意味するのか思いを巡らすことが大切だ。
「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(ニコリント6:2)
http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12103726994.html





