「老い」における葛藤 〜 その5 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで31年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

1ヶ月ぶりにベルガモのマリアバンビーナ(幼きマリア会)の養老院へ出かけてきた。
 
新学期が始まり、仕事を始め何かとフル活動し始めると週末さえ時間が取れず、次はいつ訪問できるかわからないので、行ける時に行っておきたかった。
 
特に、私と一緒に出かけた友人の2人の代母でもあるシスターは今月初誓願60周年記念。もう一人の日本人シスターは今月末に93歳を迎えられる。しかも彼女は先月、トラブルがあり、面会は5分で終了。どうしても会える時に会っておきたかった。
 
前回は車で行ったが今回は電車でベルガモまで出て、午前中はベルガモの駅から近いチェントロの養老院。適当に食べ、午後からトラムとバスを乗り継いで日本人シスターを訪問。丸一日かけての訪問だった。
 
午前中の代母訪問。初誓願60周年。1963年、昭和38年、シスターは既に日本に派遣されていた。(当時29歳)あれっ?じゃあ幾つの時に修道院に入られたんでしたっけ?その前は働いていらしたの?...と以前既に聞いている話もあったり、初めて聞く話もありながら、どのように神の道を歩もうと思ったか?召命の話を伺えた。
 
「結婚するかシスターになるべきかどうか?そして日本滞在15年でいきなり呼び戻されて、修道会の会計の職についたことなど、自分で選択も出来たんです。会計の仕事が終了し、里子担当の仕事につき、10年。そしてここに来るよう言われ...私が決めたんじゃないですよ。全て神様から来たお話を”Si “と言ってきて今があるんです。」と語られた。まさに聖母マリアの「わたしは主のはしため。お言葉どおり、この身になりますように」と言うルカの言葉を思い出す。
 
最後に記念写真。「ああ、私も歳とったねー」と一言。シスターについてから20数年。イメージ的にはあまり変わった気がしないが、この一年半でかなり痩せられ、現在は逆にいい感じ。
 
その後私たちはベルガモ・バッサで軽く食事。
 
ベルガモの町は大きく二つに分かれる。中世とルネッサンスの香りがそのまま残る美しい丘ベルガモ・アルタと丘の下に広がるベルガモ・バッサ。毎回ベルガモに出かけてもベルガモ・アルタまで出かけている時間的余裕はないのだが、今回午後の訪問の予約時間までの移動を考えても少し時間に余裕があった。城壁はこちら、と書かれた小さな看板を見つけ、ちょっと見えるあの門のとこまで行ってみる?と言って歩き出した。
 

おしゃべりしながら歩いていたら登り切ってしまった?

 

下添付画像の矢印辺りから登って来たことになる!丸く囲んだのは飛行機。ベルガモ郊外には飛行場がある。

 

 

↓正面中央辺りにベルガモ駅が見える。

 

 

18世紀にヴェネツィア共和国によって造られたライオンの噴水は現在修復中であった。

 

 

ヴェッキア広場

 

 

 

サンタ・マリア・マッジョーレ教会
シッター先のご夫妻はこの教会で結婚式を挙げられたそうだ。
 

 

 

 

珍しく現代的な聖父子が描かれていた。

 

 

ベルガモ名物のお菓子

 

 

ベルガモについては既に書いていたので割愛。

 

 

大急ぎで街を降りベルガモ・バッサにある駅脇から出ているバス乗り場へ。

 

もう1箇所の養老院方向へ行くバスは目の前で行ってしまった。仕方なくトラムとバスを乗り継いで行くことに。続く