夏休みを利用し、1年分ぶりに、ベルガモにあるマリアバンビーナ、日本では「幼きマリア会」と呼ばれる修道会の養老院へ出かけてきた。
街中にある養老院には、この11月に89歳になる私の代母であるシスターがおられ、そこから20キロ離れた場所に、日本人シスターがおられる。(9月に93歳)いつもは電車で片道2時間ー2時間半かけて出かけていたが、夏休み中一人で電車で出かける予定であったが、今回車を出してあげる、という友人夫妻がいて、予定を繰り上げ一緒に出掛けてきた。
まず、日本人シスターのおられる施設は、面会時間はいつも午後なので、代母の方は午後一番にするか、午前中にするか電話をしてみた。午後は来客がある、というので、午前中約束をした。
着いてみると、「午後の来客はもう先週済んでいました。なぜあんなことを言っってしまったのかわからない。ごめんなさい…」といわれた。もしや痴呆の始まりか?とも思ったが、その間違い(勘違い)に自分で気づいたのならまだしっかりしていることだろう。
結局、お昼ご飯までの時間の約束であったが、午後も時間が出来たので、良かったらまた戻って来て、というので、私たちもベルガモの街中で食事をし、再び養老院へ戻った。(その際、行きたかったベルガモの毛糸・手芸店が夏休み前に開いていたので、滑り込みで買い物することが出来た!)
養老院の中庭には上記画像のルルド同様の洞穴が出来ており、一緒に祈りを捧げた。
代母のシスターは昭和30年代後半あら15年間、日本に宣教にいかれ、その後はミラノの本部に戻られ、引退されるまで修道会の会計という重要なポストにおられた方。今は、私は、必要とされなくなったかな?とぽろっと言われたが、それでも週に一度オンラインで聖書の会を開かれておられる。以前はミラノで対面でされており、私も20年弱通っていたが、コロナ禍でオンラインに変更。私自身は仕事を始め、できなくなってしまい、またシスターがベルガモに移動され、現在は日本からの参加者の方が多くなられたようだ。それはそれで、準備にも時間がかかるし、シスターが伝える「神の言葉」そのものが宣教であり、まだまだシスターには使命があるのですよ、と伝えた。
まさに、
“信仰は、他者に伝えられるときに強められます”(聖ヨハネ・パウロ2世 使徒的勧告『奉献生活』)
であろう。
その後、ベルガモ郊外の日本人シスターがおられる養老院へ出かけた。
会って、5分。色々あって面会は終了。非常に残念ではあったが、これも痴呆の症状なのかな…と思いつつ、ただただ寂しい思いに浸った。後から痴呆を知る方々に、こちらがうろたえることなく、さーっとその場から消えることが大切なのだといわれ、またまた気持ちが萎えた。よくも悪くも、それはまだ未経験のことをだったもので、そういうものなのか…とまさにうろたえてしまった。
やはり歳をとり、体が思うようにならなくっても、頭がしっかりしていると葛藤は大きいものだと思う。しかし、それを超えてしまった時、どうなってしまうのだろう。まわりの反応は?
人生の最晩年において、避けられない死というものと向き合う中で、その反対要素である生に対して、こだわりなく自然な態度で臨む。
聖職者であろうと、なかろうと高齢者の方々との寄り添い方は、人によってさまざまであろう。大切なことは「一人の人間として尊重した関わり」が必要だということ。
今週は、親交のあった司祭、そしてお会いしたのは数回だけであったが、お話だけは良く窺っていたシスターも帰天された。
いずれ、自分も高齢者になるわけだが、自分に対しても、他者に対しても、何ともいえない思いを感じる今日この頃…

