遠足 〜 ベルガモ | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今年から入った近所の語学学校の遠足でベルガモへ出かけてきた。

 

学校から一番ちかい地下鉄の駅に朝9時集合。そこで28名。中央駅で合流するものあり、で総勢39名の日帰り旅行であった。そのうち25名くらいがアラブ人女性でベールを被っていただろうか?昨日から始まったサローネの関係上、公共機関内でのスリは通常以上にフル活動らしいから、皆気をつけて!と声をかけたが、地下鉄内でも彼らはウヨウヨしていた。ちなみに中央駅からの電車もやはり物乞いでいっぱいだった。彼らを徹底的になんとかしてほしい!

 

電車に乗り込むと、アラブ人女性達は持ってきた仲間内でプラスチックのコップを配り、紅茶を入れて歩いている...CAか?彼女たちは遠足というと、大量の食べ物、飲み物を持ってくるから毎回驚いてしまう。ITAMA時代もガラガラ引っ張るカートに食料いっぱい持ってくる人たちが沢山いたくらいだ。おやつにポテトチップのみならず、ピッツァやピーマンなんぞもかぶりとやっているから、文化の違いとはいえ、目が点だった。

 

ベルガモへ到着し、団体チケットを先生の一人が購入している間に、ほとんどの生徒達がトイレに行ってしまい、そこで30分ほど待たされた。戻ってくると、皆あちこちに移動しては、自分たちの写真を撮っている。自撮り棒を持ってきている人が多いこと!苦笑

 

ところで、ベルガモの町は、ミラノから電車で約1時間位離れているところだが、人口は約11万人。中世とルネッサンスの香りがそのまま残る美しい丘ベルガモ・アルタと丘の下に広がるベルガモ・バッサの二つに分かれる。ベルガモの魅力はヴェネチア共和国時代に建てられた、まるで城塞都市のようなベルガモ・アルタのほうに集中しているといっても過言ではない。ベルガモ・アルタの町のほとんどは13世紀から16世紀にかけての中世からルネッサンス期に建設されものだという。

 

 

 

中世の姿が目に浮かぶような、とても幻想的な雰囲気を持つベルガモの美しさは多くの芸術家に大きなインスピレーションを与えて来たという。ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」はこのベルガモを舞台にして生まれたもので、その中の一曲「月の光」の美しいピアノの旋律は聞いたことのある人が多いかもしれない。

 

 

ちなみに、フランスの文豪スタンダールは1801年、日記に「ミラノからベルガモへの街道は 素晴らしく、世界でもっとも美しい地方のなかを通っている」と書いているそうだ。

 

話はもとい、ベルガモ駅からバスに乗り、ケーブルカー乗り場に向かったのだが、バスの中で一人足りない!と大騒ぎになった。名前を聞いても、誰も誰だかわからない、電話番号もわからない、という。(犬のおまわりさんか?!)今回欠席だった人に電話をし、彼女の連絡先を聞き出し、直接を取ったそうだが、なんとイタリア語ゼロのエトルリア人。英語ならわかるというので、その辺の人にバス乗り場を聞きなさい!といっても、周りは皆旅行者で知らないと言われたという。えーありえない!駅前広場にバス停一ヶ所しかなかったし、ケーブル乗り場までまっすぐ1,2キロの距離だし..バス数台を待ってみたが、来る兆しもなし。結局一人に対し、先生が3人残り周りはベルガモ•アルタへ出発!

 

ベルガモ・アルタはそこを取り囲む城壁のまわりが丘になっており、ベルガモ•バッサを見下ろしながら、アルプスを一望できるという絶好の散歩コースにもなっている。坂は多いが確かに美しい。夜には幻想的な月の光がこの丘をやさしく包むのだろう。

 

さて、ベルガモ・アルタの中心となるのがここヴェッキア広場(Piazza Vecchia)。

 
 

このヴェッキア広場は15世紀に建設され始め、シンボルになっている中央の噴水は18世紀にヴェネチア共和国によって作られた。 このヴェッキア広場に面したラジョーネ宮では特殊な建築様式で作られた木製の屋根や、太陽と月の位置を表したパネル画など、細部にわたって興味深い建物となっている。

 

中には入れなかったがサンタ・マリア・マッジョーレ教会(左)とコッレオーニ礼拝堂はロンバルディア・ルネッサンスを代表する荘厳な建築としてベルガモ・アルタの中で最も重要であり、その他に例をみないその建築様式のバランスのとれた美しさは「バラ色の真珠」と呼ばれているそうだ。撮影禁止であったが、この礼拝堂はかつてこの地の領主であったコッレオーニと、その娘メディアに捧げて建設されたもので、内部には美しいフレスコ画に囲まれた彼の遺体が安置されている。

 

 

 

ヴェッキア広場に面して聳え立つ塔は「市民の塔」と呼ばれ、12世紀に建設が始まり、イタリア統一運動を推進した軍事家ジュゼッペ・ガリバルディが訪問したときや、ヴェネチア統治からの解放の時に鳴らされた幸福の鐘として市民に愛されているという。

 

 

時間がなく、上ることはできなかったが、この塔には今でも上ることができるそうだ。高さ57メートル。頂上に備え付けられた鐘は30分ごとに鳴るが、この広場に着いた時、ちょうど12時で鐘の音を聞くことができた。

 

また、ここには、日時計(meridiana)があり、長さ7メートル64センチの指針になっており、午後1時の光でカレンダーとして日時がわかるものらしいが、あいにくその日のその時間帯は曇りで何もわからず。 

 

 
そして、なぜか日本のガイドブック関係にはあまり紹介されていないドゥオーモ(サン・アレッサンドロのカテドラル)。
 
 
 
右側のクーポラのフレスコ画はF.コエッティ作(1853年)”サン・アレッサンドロの栄光”

個人的に嬉しかったのは、聖ヨハネ23世の遺物がみれたこと。聖ヨハネ23世(アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカッリ)は、第261代目のローマ教皇(在位1958.10.28-1963.6.3)。1881年、北イタリア・ロンバルディア州・ベルガモのソット・イル・モンテに生まれ、生家には2度訪問している。1904年、司祭叙階。ベルガモ教区で司牧。2000年9月、教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福。2014年4月、教皇フランシスコによって列聖。「平和の教皇」と呼ばれていた。
 
 
聖ヨハネ23世の聖遺物、生誕の地ベルガモへ
 
 
 

また、ヴェッキア広場から歩いて少しところに昔の城跡「ロッカ」がある。ここは1300年に建設が始まったが、ルネッサンス期にヴィスコンティ家が統治するまで完成しなかったそうだ。なので、オーストリア領であった時期にこのロッカは軍事基地として使用され、今でも戦車や砲台などが庭の各所に放置されていた。

 

 

 

帰りがけにベルガモの名物ドルチェ Polenta e osèi ポレンタ・エ・オゼイを試しに一つ購入。ポレンタは、トウモロコシの粉で作る料理。オゼイはベルガモ言葉で「小鳥」を意味する。スポンジ生地で作ったポレンタに似せたものに、チョコで作った小鳥を模したものをちょこんと乗せたのが、この「ポレンタ・エ・オゼイ」。中にカスタードとヘーゼルナッツクリームが入っており、私には甘すぎ、ほとんど次男が食べてしまった!

 

長い1日だったが、担任とは個人的に勉強法や文化的な話も沢山でき、クラスメートともより親しむことができ良い思い出となった。