久々の平日の休み。
復活祭の連休の際は、心身共に疲れ切って何もしたくなかったが、今回はちょっと余裕があり、しばらく訪問できなかった日本ではミラノ会と呼ばれている宣教会PIMEの養老院を訪問してきた。
ミラノより50キロ離れた町レッコ。電車で1時間くらいの旅だが、空気も風景も一気に変わる。
今回は一人で出かける予定でいたが、レッコ在住の友人に前日連絡をすると予定があったそうが、ずらしてくださり、ご自宅に招待されお昼ご飯をごちそうになった。
1年に1、2回お会いする方だが、話は尽きぬ…。
養老院でのアポイントは15時であったが、その前に彼女がずっと寄り添って来た方が昨年お亡くなりになられ、近くに共同墓地があるので、ご一緒しませんか?と言われ一緒に出掛けてきた。
ミラノでは記念碑のようなお墓しか見たことがなかったので、お墓の団地のような建物にびっくり!地下と地上2階に建てられており、奥へ行くと、一般的なお墓もあったが、記念碑的なものやら遺族のいない人のための墓地も設けられていた。墓石には、故人の写真付きもいくつもあった。
友人は数年前に、レッコ郊外の市からレッコの施設に入院してきた身寄りのない高齢の日本人女性のお世話をされていた。ちなみに彼女も故人も無宗教である。故人が以前住んでおられた市の元市長さんがその彼女の後見人となり、市長を辞されてからもずっと彼女に寄り添っておられ、施設費云々、彼女の年金だけでは足りず、市がサポートしていたというから、なんだかんだいってやはりイタリアは慈愛の国だと感動。
ちなみにその共同墓地には、もう一人日本人の女性が眠っておられる。彼女は結婚されていたが、早くにご主人を亡くされお子さんはおらず、やはり長年一人暮らしであったのだという。見ず知らずの方ではあるが、同じ異国の地で、最期に一人でお亡くなりになられ、骨をうずめられたことを思うとぐっときたし、彼女たちのお墓を訪問している友人に深い尊敬の念を抱いた。
その後ピメの養老院へ。高台にある養老院は敷地内でも坂が多く、そうそう施設におられる司祭たちが散歩に出たり…というのは、難しそうだが、お天気もよく心地よい時間帯であった。
以前は、グリーンパスがないと訪問できず、私は昨年それも切れ、また仕事でなかなか週末も面会に行けなかったが、マスクさえあれば問題なく会うことができるようになった。
現在そちらには、以前日本におられたイタリア人司祭は3名おられるが、お一人は一時期危篤状態であったそうで、今は安定しているとのことだったが、既にお話することもできない状況でお会いできず。最後にお会いしてもう4年が経つ。
私たちを迎えて下さったのは、昨年イタリアに戻られたM神父様と既に数年おられるA神父様のお二人。A神父様はパーキンソン病を患っておられ、既に歩行困難で車椅子の生活。非常に穏やかではおられるが、目をつぶっておられ、たまにウトウト、いびきをかかれたり、イタリア語と日本語がまぜまぜであった。普段日本語はもちろん、イタリア語さえあまり話さない生活であろうから、きっと私たちが訪問したことで、見た目以上に脳がぐるぐるまわってしまったかもしれない。
逆に、M神父様は歩行器でゆっくり歩いておられたが、頭は冴え、きれっきれの状況。暇だ~、暇だ~。もともと毒舌、辛口の司祭である。ここは皆まじめな人ばかり。テレビはバチカンのTV2000。つまらない!とおっしゃる。爆 どこまで本気なのか…
たまに、A神父が何かいうがマスクをしているし、声が小さくもぐもぐはっきり聞こえづらい。「えっ?!何言ってる?もう一回言って!」と言ってM神父は、A神父のマスクを下げる。
「…。」無言のA神父
すかさず、M神父は、「あ~、Paganini non ripete!」パガニーニは繰り返さない。
パガニーニとは1800年代のイタリアの有名なバイオリン奏者であったが、アンコールを求められても二度と同じ演奏は出来ないということで、演奏を拒否。現在「パガニーニは繰り返さない」は、ジョークで、言ったばかりのことを二度と繰り返さなかったり、言いたくない時に使うフレーズだ。
「何言ってるんだかわからないね、パガニーニさん!」M神父の皮肉的ジョークに大笑い。人が笑うと嬉しい様子。やはり生活には笑いが重要なのだとつくづく感じた。
「私は昼寝はしない。午後は特に暇。」と仰るので、わかりましたよ~。その頃、お電話しますから、と言って別れた。
帰りは一人だったので、湖畔を歩くこともなく行き当たりばったり、すぐに来た電車に飛び乗りミラノに戻った。
約8か月ぶりの訪問であった。7月になれば週末が自由になるからもう少し訪問したいと思う。







