先月知り合いの神父様が、前立腺の手術をされたので、病院へお見舞いに行ってきた。数日後にはすぐに退院。ミラノ郊外にある宣教会の老人ホームへ戻られた。比較的お元気だったが、数日前の日本人ミサは施設側から外出許可がおりず不参加だったと聞き(私も欠席)、12月に入ると何かと忙しくなるので、早いうちにお見舞いに伺いたい!と思い友人と出かけたきた。
ミラノより50キロほど離れた北北東の位置にあるレッコ湖の近く。電車で1時間で行ける。昨年の夏にもお邪魔してきたが、その時は車で出かけた。電車で出かけるレッコは17,8年ぶりだっただろうか?たった1時間の距離で全く風景は変わってしまう。
前もって電話をして行ったのだが、午前中は10時にミサが終わり、早いグループの食事は11時過ぎから。第2班は12時過ぎからだが、午後は16時よりお祈り。お昼寝もするだろうから、よいタイミングがつかめない。やはり行くなら午前中しかないだろう。
早起きをし、子供たちのお昼ご飯を準備し、次男の空手の道着にアイロンをかけ、8時過ぎに家を出た。二人でおしゃべりし捲くって行ったので1時間はあっという間だった。
駅から地図を見ながらトコトコと徒歩で向かった。お天気がよく暖かかったので、逆に少し汗ばむくらいだった。
今回入居者数は聞かなかったが、昨年の時点では40名の司祭たちが入居されており、ほとんどの司祭は皆海外に宣教にいらしていた方々ばかりだ。今回訪ねた司祭はそれぞれ40年以上日本に宣教にいらしていたお二人。双方とも80歳前後で認知症とパーキンソン症候群を患っておられる。
大きな部屋に通されると、数名の司祭たちが車椅子に座りTVの前に座っておられた。
週に一度シスターたちの老人ホームを訪問しているが、そちらは割に皆歩行器で歩く練習をしていたり、一日中お御堂でお祈りしている人もいるようだが、人の動きを常に感じる。私が会いに行くシスターPは、とにかく日本語を話したい、とおっしゃるが、やはりとにかく言葉を話すということは大切なのだとしみじみ思う。
話はもとい、はじめに昼食に入られてしまうP神父様にお会いした。「神父様、お久しぶりです。お元気ですか?」日本語で話し始めると、私たちの顔を見て、確かに日本人だとお分かりになられたはず。けれど、あーと口が開いたまま言葉を発せられなかった。昨年の夏にお会いした際は、話を繰り返されるものの、当時1年ぶりの日本語であったはずだが、非常に美しい日本語で45年にわたる日本での宣教生活について、またご本人の宣教師としての使命を熱く語られていたのに。
「お元気ですか?」と再び話しかけると、「はい」と小さな声で答えられ、そのあと”Io sono debole...sono stanco"(私は弱いです。疲れています。)とイタリア語で答えられた。その途端、思わずぐわ〜っと涙が溢れて来てしまった。とても知的で紳士だった神父様。お酒がお好きで、本帰国の前の数年前、一時帰国中ミサの後にお茶、といって一緒にワインを飲んだのが嘘のようだ。
ミラノ郊外のモンツァ出身の方で「モンツァのドウモに行かれたことがありますか?」と聞かれた。その後、何か話されたが聞き取れなかった。何度もその話をされるのだが、どうしても最後まで聞こえない。私がうまく答えられないと、伝わっていないことがわかるのだろうか?またやたら周りのTVの音が気になってしまった。
その時、ニコニコしながら「今日は〜」と日本語で挨拶されながらA神父様がスタスタ歩いて入ってこられた。2年前両腕を抑えてもらえなくては歩けなかった神父様の回復力はすごい。とてもお元気そうに見えるものの、すでに一人でミラノまで出かけるのは不可能だ。「日本人会のクリスマスミサはいつですか?」日本人に会い、日本人と話し、そして少しでも神様の愛を知ってもらおうというのが、神父様の思いだ。
一昨日、シスターM(私たちの代母)が85歳のお誕生日を迎えたのですよ。と話すと、「私も11月19日が誕生日でした。80歳。79歳。どっちかな?」と話された。私たちもお誕生日の日までは把握していなかった。それでも、どこの誰それさんはお元気ですか?とすごい記憶力だ。日本のだれそれさんやだれだれさんが神父様のことを心配されてましたよ。」というと、そうですか、そうですか...とニコニコ笑顔であった。それでもたまに話題が飛び、えっと何のお話でしたっけ?と聞きなおすこともあった。
父を見ていても思うのだが、高齢者の仲間入りをし、体が思うようにならなくなり、それでいて、頭がしっかりしていると葛藤も大きいのだろうなあ、と思う。そこで、人に当たったり、どう飲み込んでいくのか...それは信仰なり大きな力が作用するのではないだろうか?つまり「英知」だ。
精神分析家のエリクソンは英知を、「死そのものに向き合う中での、生そのものに対する聡明かつ超然とした関心」であると言っている。英知とは一般に、すぐれた知恵や深い知性のことを言うが、老賢者の持つものだろう。
P神父様が何か口をパクパクされているので、耳を傾けるよう神父様に顔を近づけると、ご自分はモンツァの教会で歌を歌っていた、とおっしゃった。(それは幼児期のことだろう)そして、あーそれまでカルトリーナ(cartolina)?なんで絵葉書?と聞こえていた言葉が、カンタトーリかカンタトリー二(cantatore/cantatorino)とおっしゃっていたのだ!と気づいた。そういえば、お父様がオルガ二ストだとおっしゃっていた...
以前お会いしてた時は、ずっと日本での宣教のお話だったが、今回、もしかすると記憶が退化して来ている、ということだったのだろうか?と思うと胸が熱くなった。
聖職者たちの養老院を見ていて、すごく感じるのは、人間の気高さである。それはおごり高ぶっているのではなく、たとえ肉体は衰えていっても、精神や心の完成に向かって進もうとする姿なのだ。人間を超える大いなる存在へ、謙虚に精神を向けていく、その心的傾向は「霊性」そのものだろう。
人生の最晩年において、避けられない死というものと向き合う中で、その反対要素である生に対して、こだわりなく自然な態度で臨む。
人には、目に見えないものや、聞こえないもの、そういったものに気づけることが大切なのではないだろうか。沈黙には「生きる沈黙」というものがあることだろう。
P神父様はご自分の弱音を吐かれ、私たちは黙って聴いてあげることしかできなかったが、神父様はその沈黙から私たちの気持ちを察せられたかもしれない。「生きた沈黙」を大事にしなければならないだろう。それは人を温和にし、穏やかにしてくれる。沈黙の意味を知り、育てることが大切だ。
早々にお暇し、電車の時間まで湖の周りを歩いてみた。湖畔は穏やかで、それは非常に美しく、それでいてなぜか悲しかった。




