あっという間に「聖週間」を迎え、「聖木曜日」となった。
また、聖木曜日の聖歌は年間を通して個人的に一番好きかもしれない。
毎年聖木曜日の朗読は、ローマ典礼では、ヨハネ13:1-15章を読むが、アンブロジアーノ典礼はマタイ26:17-75(時に途中省略)を読む。前者は互いに足を洗い、愛の伝え方を説明されているが、後者、つまりミラノの教会では、「最後の晩餐」からピエトロ(ペテロ)のつまずきについて触れる部分である。
聖歌の歌詞は非常に重い内容なのだが、あまりにも旋律が美しく、感情移入し、音楽も琴線にふれるものばかり。
ところではこちらは、イタリア人の画家・ジョット・ディ・ボンドーネによって制作された作品「ユダの接吻」。(1304年ー1306年昨年、スクロヴェーニ礼拝堂に所蔵されている。
個人的考察としては、ユダは理想が高かったのだと思う。理想が高かっただけに、師とあおぐイエスは奇跡をおこさず、ただ人と共に泣く人だった.....結局師をお金で売ってしまった自分にまた幻滅し...自死。嫉妬心やプライドが高く、信仰を崩壊させ、主イエス・キリストを裏切ってしまった。
しかし、本来ユダの裏切りはあらかじめ予言されているものだった。その裏切りは、結果として主が十字架にかかり死、3日目に蘇られたという全人類の罪の救いの為に予定されたことであったが、ユダはそれを知っていたはずもなく、けれど、主は最後まで、悔い改めを求めたにもかかわらず、悔い改めず、彼は悪魔に誘惑されてしまう。
私たちは、弱さ故に時に主を裏切り悲しませてしまう事があるだろう。
ユダを思う度、私たちキリスト者は主のみ前に立ち主の御心のかなった生活をしているか?と問い、そうでなければ悔い改め、祈り、主の赦しを求める生活をしなければならないと反省させられる。
歌い終わってほっとした。
とはいえ、まだ告解をしておらず。まだまだ気が重い...






