ユダ考察 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

聖週間で、イエスが十字架に磔られる前後の場面を黙想する際、忘れてはいけない人物がいる。

 

12人の弟子の一人、裏切り者とされているイスカリオテのユダだ。

 

「あなた方のうちの一人が私を裏切ろうとしている」(マルコ14:18/ヨハネ13:21)この衝撃的な爆弾発言によって、弟子たちは悲しくなり、それが自分ではないだろうか?とイエスに聞いた。

 

ユダは弟子たちの中で会計係を務めていたが、ヨハネ12:6によれば彼がお金に汚かったことがわかる。

(ヨハネ12:5-6)

>「どうして、この香油を三百デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからであった。

 

お金を扱う仕事はある意味、仕事ができて信用のある人間だったからだろう。しかし悪魔の誘惑に彼は負けてしまう。

過ぎ越しの祭の食事(結果的にイエスの最後の晩餐)の前に、ユダはエルサレム神殿の祭司長のところへ行き、お金でイエスを引き渡す約束を取り交わしてしまう。イエスに殺意を抱いていた祭司長たちはこの申し出に応じ、イエスを引き渡せば銀貨30枚を支払うことを約束する。

 

こちらはジョットによる「ユダの接吻」。ユダはイエスを捕まえようとする大司祭たちと共にやってきて、イエスを捕まえる合図としてユダがイエスに接吻するシーンを描いている。

 

 

そしてイエスの死刑判決が下り、ユダは激しい懺愧の念に襲われる。そして再び司祭長の元へ赴き、銀貨30枚を返却し事態の打開を図るが、一度下された判決が覆されることはない。

失意の底に沈んだユダは銀貨を神殿に投げ込み、首をつって死んでしまう。

 

聖木曜日のミサでは、グレゴリオ聖歌では朗読の部分も全て歌うのだが、個人的に毎年その部分を歌う度、ユダがなぜそうしてしまったのか?人間の弱さを問っているように感じてしまう。ちなみにユダはイタリア語では“Giuda “と書き、「ジューダ」と発音する。

”Giuda, Giuda, con un bacio tradisci il Figlio dell'uomo perché sia crocifisso!“ (ユダ、ユダ、キスをして、十字架につけられる人の子を裏切る!)

 

 

個人的考察としては、ユダは理想が高かったのだと思う。理想が高かっただけに、師とあおぐイエスは奇跡をおこさず、ただ人と共に泣く人だった.....結局師をお金で売ってしまった自分にまた幻滅し...自死。嫉妬心やプライドが高く、信仰を崩壊させ、主イエス・キリストを裏切ってしまう。

 

しかし、本来ユダの裏切りはあらかじめ予言されているものだった。その裏切りは、結果として主が十字架にかかり死、3日目に蘇られたという全人類の罪の救いの為に予定されたことであったが、ユダはそれを知っていたはずもなく、けれど、主は最後まで、悔い改めを求めたにもかかわらず、悔い改めず、彼は悪魔に誘惑され主を裏切った。

 

私たちは、弱さ故に時に主を裏切り悲しませてしまう事があるだろう。

 

ユダを思う度、私たちキリスト者は主のみ前に立ち主の御心のかなった生活をしているか?と問い、そうでなければ悔い改め、祈り、主の赦しを求める生活をしなければならないと反省させられる。

 

聖木曜日を目前にユダを思う。