ついに聖木曜日を迎えた。
毎年、クリスマス前の待降節や復活祭前の四旬節は何かと忙しくなるが、今年ほど忙しい日はない。聖歌隊の練習が夜に行われることはなくなった分良かったが、毎週日曜日はミサ前に集合で、ゆっくり寝ることさえできず。
今日の聖木曜日のミサは夜の9時からで、聖歌隊は8時に集合であったが、今日は8時まで仕事。ミサ直前に滑り込んだ。今日は午前中ずっとツインズたちと公園に出ていたので、疲労感がピークだったが、教会へ向かいながらおにぎりを詰め込んだ。アンブロジアーノ典礼は歌が多いので、歌うと非常に疲れる。
ところで、第一の朗読ではヨナ記が読まれた。
ピノキオが大きな魚に飲み込まれてしまうというストーリーはこのヨナ記をヒントにしていると言うが、主題は神の憐れみであり、その憐れみは異邦人にも掛けられるということだ。又、律法によって救われるのではなく、神の言葉を素直に聞き、悔い改めれば救われると説く。
「聖木曜日」は『最後の晩餐』で弟子の足を洗うこと(洗足式)、聖体の制定(パンとぶどう酒)から始まり、ユダの裏切り、ピエトロの否認・・・キリストの悲しみ、孤独感は頂点に達する。
あまりにも美しい旋律で歌っていて、涙が溢れてきてしまう。
Ora ti chiedo umilmente, mio Dio di perdonare il mio cuore insicuro:
dammi la forza di accogliere ancora la Tua parola, il Tuo gesto d'amore
私の神よ、今あなたに、伏して赦しを願います。自信のない私をお赦しください。あなたの御言葉、あなたの愛の行いを再び受け入れる力をお与えください...
ところで、昨日の「ユダ考察」でも書いたが、ユダは当時奴隷の値段であった、30デナリオで自分の主であったキリストを売ってしまう。第一の弟子であったピエトロも人前で3回も「この人を知らない」といなってしまう。ただ、二人のあとの行動は対照的だ。ユダの自死。ピエトロの殉教。しかもピエトロは十字架で逆さまに貼り付けられることを望んだ。当時皇帝ネロの競技場があったヴァチカンに埋められ、そこに教会が建つ。それが『普遍的な教会』つまり『カトリック教会』の始まりだ。
自分だったら、主に対して「絶対裏切りません」と言い切れるだろうか。思い巡る聖木曜日であった。



