聖週間 2022 〜 聖なる金曜日 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

いつも聖金曜日は午後15時の「十字架の道行」に参加し、夜はパパ様のコロッセオでの「道行」をテレビかpcで見るのが聖金曜日の過ごし方だった。
 
昨年は仕事の帰り、サンタンブロージョで聖金曜日のミサにあずかったのだ。
 
今回は21時より地元を回る「十字架の道行」に参加した。というのも、私たちの教会は、外国人の信者が多い教会なので、今年はフランス語、アムハラ語(エチオピアの公用語)、スペイン語、日本語、タガログ語(フィリピン)とウクライナ語で祈りが捧げられるということで、自然と参加メンバーになっていた。(いつもそういう流れに巻き込まれている!爆)道行は本来14留まわり、イエスの受難を黙想し、祈りを捧げる道行だが、今は移民の多い地域の中心地である広場から行列は始まり、教会まで、教会を含む6留に立ち止まり聖歌を歌い、黙想、祈りを捧げた。
 
パトカーによる先導によって行列はゆっくり地域を進んだ。40-50人は集まったのではないだろうか?ポポラーレと呼ばれる低所得者地域はアラブ系の移民が多く、現在ラマダン中ではあるが、夜の9時すぎだというのに、子供達がやたら路上で遊んでいた。イスラム教徒なのか?エジプトのキリスト教であるコプトなのか?それともロム(ジプシー)なのか見分けがつかなかったが、5-6人の中学生くらいの男子が私たち集団に近ついてきて冊子をくれと言ってきたが、からかい半分なのか?へらへらし、祈りを捧げていても、人の間を走ったりうろうろしたり、おしゃべりをし、カッチーンときた私は注意しに行こうと思ったが、長女の中学生時代のクラスメートであり、オラトリオではずっとリーダーをやってきているマリオが彼らについていたので、そこから離れた。(でないと私の堪忍袋は爆発しそうだった。苦笑)
 
話は前後するが、外国語による祈りの打ち合わせの会議には参加できなかったが、「ベロニカがイエスの顔を拭う場面なので、”イエスのみ顔”、(イエスの)”眼差し”、”慈しみ”を思う祈りを作ってメールで送ってくれ!」と無茶な依頼が入った。二つ、過去のパパ様の聖金曜日の「十字架の道行」のベロニカの部分から祈りを引用させて頂き、司祭に選んでくれるよう書くと、両方とも読もう!ということになった。
 

イエスよ、あなたの愛に慰めを見いだせるよう、困難な時にあなたの眼差しに会わせてください。 

Gesù, fammi incrociare il tuo sguardo nei momenti di difficoltà, così che possa trovare conforto nel tuo amore.

Preghiamo.

 


主よ、憐れみに満ち溢れたあなたのみ顔の光が、私たちを見捨て、私たちを苦しめる罪の傷を和らげてくださいますように。

Signore, fa’ che la luce del tuo Volto, pieno di misericordia, lenisca le ferite dell’abbandono e del peccato che ci affliggono. Preghiamo.

 

その後、次の留まで十字架を持って歩かせていただいた。思っていたよりも重く、フラフラしそうになった。

 

 
ウクライナ人による祈りは、彼女自身泣きながら祈ったが、聞いている方も辛いものがあった。彼女は単身でミラノに出稼ぎにきていたようだが、この戦争で一度帰国し、子供3人を連れてミラノに戻り、私たちの教会に身を寄せているそうだ。
 
主なる神よ! 私はあなたに向き直り、ひざまずいて嘆願します。私たち、ウクライナの人々を見てください。 私たちの罪を赦し、戦争を避けてください。 私の主よ!ウクライナを救い、ウクライナ国民を救い、死、戦争、紛争から我々を救って下さい。すべての国民が自由に生きるようにさせてください。 神よ、もう一度お願いします、人々を殺させないでください、両親の心はウクライナの子供たちのためにひどく泣いています。 神である主よ、私たちの国の平和のためのすべての祈りを聞き入れてください。 我々全員により良い生活を与え、ウクライナのすべての悪を永遠に消し去らせてください。 アーメン

 

 

 

祭壇脇にある別のお御堂には、御聖体の聖櫃が置かれている。聖木曜日も今日、聖金曜日も夜中の12時まで祈りを捧げるのが可能であった。

 

 春の満月。過越の祭り。
 
今日はサンシーロでサッカーのACミラン対ジェノヴァ戦があり、我が家の前は見知らぬ車でいっぱいであった。
 
明日はいよいよ復活徹夜祭を迎える。