聖週間 2022 〜 復活の聖なる徹夜祭 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。




復活の聖なる徹夜祭を目前に、養老院へ入ってしまわれた代母のシスターと電話で話した。本来復活祭後の日本人ミサでお会いできるかも?という話もあったが、やはりまだ高齢者が多い修道院では、外出も訪問も禁止されているようであった。

 

そして、少し耳が遠くなられただろうか?なかなか話が通じにくくなっており、はじめは私の名前を呼んで話していたのにも関わらず、最後は⚪️⚪️さんによろしく、とイタリア人の名前を言われた。その名前をご主人に持つ方はお二人グループにいらっしゃるので、どちらかと間違われたのだろうか?何れにしても、以前にはなかったことだし、このコロナ禍で人との接触も制限が多くなってしまい、聖職者とはいえ、少し元気が無いようにさえ思い、気になった。

 

また、空手仲間のF爺さんにも電話をした。今週末は稽古も休みだったが、若いイタリア人が訪問してくれて、アパートの敷地で空手の練習をしたのだと言っていた。独り身にとってヴァカンス期間ほど寂しいものは無いだろう。明日教会に行くと言っていた。

 

午前中はメルカートに買い物に行きつつも、午後は久々家でゆっくりし、夜のミサに向けて黙想し、夕方にやっと「赦しの秘跡」を受けてきた。普段は日本語で受けているが、いざイタリア語で、となると心の準備が必要以上に要る。

 

目まぐるしい暮らしの中で、人々はさまざまな出来事に心が疲れ、痛み傷つき、うめいている。しかし、貧しく偽りのない心をさらけ出す時、弱さの中に神の力が働くのだと思う。

 

ところで徹夜祭はコロナ前はわが教会は23時から始まっていたが今年は21時からに変更。意外にもお御堂はいっぱいだった。

 

 

復活徹夜祭はいつもこのテゼでキリケッティ(待祭)を率いた司祭たちを先頭に、ロウソクを持った信徒らの行列が入場する。『神は言われた「光あれ。」』(創世記1:3シンボリックな儀式だ。

 

主キリストの復活を信じる私たちは、この日にこそ洗礼を記念し、またこの世が終わるまでいつも私たちと共におられる主キリストの勝利の光のもとに、頂いた「新しい命」と「平和」の道を歩む恵みを感謝して、喜び祝う。ちなみに4月16日は私の洗礼記念日でもある。

 

それにしても、聖歌隊のメンバーの3分の1がフィリピン人とインドネシア人のシスターで残りは私以外は皆7−80歳という高年齢のグループだ。彼らは聖歌隊歴20年以上の人達。小節回したり、喉で声出したり、自己主張の多いグループだが、それはそれで素人ぽくって人間味がある。この2年、コロナ禍で我が聖歌隊のメンバーはグッと減ってしまった。やはり多くの高齢者はミサに参列しても歌うことを躊躇しているようだ。当然といえば、当然かもしれない。今回も80代の陽性者2名出没!また、「答唱詩篇」(詩篇を歌う)の先唱パートをソロで歌わせて頂いた。イタリア語の発音が悪かったり、つまづいたりギリギリまで自信がなく、なんども冊子のそのページを開いては、頭の中で繰り返し唱えたものだった。

 


告解と先唄が終わり、やっと心が晴れた感じ。苦笑

 

正教会では「主のご復活おめでとう」と挨拶すると一方は「実に復活!」(Cristo è risorto, è veramente risorto! /Chirst has risen! - Indeed he has!)と答えるそうだ。

 

主のご復活 おめでとうございます!まことの平和の挨拶を分かち合える日が来ますように。